52) クソゲー
『そう言えば』 ――王国直轄領ラトゥカの街や周辺の農奴集落では、領民や農奴たちの会話の冒頭に“そう言う”枕言葉が付けられるようになった。それは推測の域を出る事の無い一般的な雑談から、警備隊兵士たちの会話にも広く使われ、挨拶言葉のように頻繁に飛び交っている。もちろんそれは笑顔と共に語られる質のものではなく、眉をひそめながら陰鬱な表情で語り合う内容の切り口として街に溢れているのだ。何故ならばそれは、ラトゥカ周辺で起きている『連続殺人』の話題だからだ。
「そう言えば、旅人らしき少年を街で見た」
「そう言えば、酒場で奴隷について質問された」
「そう言えば、ミッド商会について聞いて回ってた」
「そう言えば、領主様が殺される前日、子爵邸の周りで……」
「そう言えば、ミッド商会ラトゥカ支店のトゥレル様が殺された時も」
――黒い服、黒いローブマントにフードを深々と被った謎の少年の目撃談は、その異質な雰囲気と立て続けに起きた事件と時系列的にリンクする事で陰謀論化し、ラトゥカの庶民たちの井戸端会議において派手に語られ続ける事となったのだ。つまり、ラトゥカの街を恐怖に陥れた張本人は不審者の少年だとされ、出身地の分からない見た事もないその少年に、人々は最大級の警戒を払うほどの緊張感が漂っていたのである。
だが、今日だけはラトゥカの街が静まり返っている。
直轄領代理領主ブラーム・デルクス子爵殺害事件から二日後の今日、殺害されたブラーム・デルクスの痛いは教会で葬儀を執り行われた後に、王都エミーレ・アルドワンに運ばれるのだ。
「王都では奥さんや子供が待ってるだろうに、不憫だな」
「お忍びで酒場に出入りしてた、気さくな人だったな」
「息子が病気にかかった時、陳情に行ったら子爵様がお医者様を手配してくれたんだ」
「去年、タルホの家が火事になったろ?あの後子爵様が税を免除してくれてさあ」
紋章入りのプレートメイルに刺繍入りのマントを羽織り、王国の旗を掲げた衛兵たちが整然と列を成して街を練り歩く。その背後には二頭の白馬に引かれた荷車が車輪を回し、豪華な国旗をかけられた子爵の亡骸が横たわっている。……この街を抜け直轄領を出て、子爵の亡骸は王都へと還るのだ。
(領民の評判は……そうか、領民にとっては善き王だったのか、あの子爵。あくまでも領民にとっては、な)
葬送行進をうやうやしく眺める領民たち。彼らが頭を下げるその背後……路地裏で影が一つ動く。それまではじっと静かに領民の声を聞き様子を伺っていたのだが、頃合いを感じたのか、街から森に向かって疾走を開始した。
「善政を敷いて領民をおもんばかる良き統治者。裏では何の罪も無い魔族の少女たちを奴隷にして、毎夜凌辱の限りを尽くす人間のクズ……」
ラトゥカの街を抜け出し、東の森に入っても尚、無我夢中となって全力疾走を続けるのはヒロト。もはやラトゥカの街に留まる事の出来なくなった少年だ。彼があの“深い森”でリュックたちと別れた後、交わした約束をひたすら守り続けた結果が、今この姿である。
深い森から出でラトゥカの街と周辺の農奴集落で聞き込みを進め、拉致されたチルシャ村の人々を助け出そうとひたすら尽力し、手を血で染めて来た。奴隷商人を突き止めて拷問し、奴隷にされた魔族の売られた先を突き止めて救出し、そしてやむを得ない場合は奴隷の主を葬って来た。ついには領主代理をも殺した事でこの事件は王都に通報され、アルドワン王国を揺るがす大事件になるのだ。大罪人となったヒロトは【お尋ね者】【賞金首】として情報を晒され、常にバウンティハンターに命を狙われる日々が訪れるのである。
だが、ヒロトがその足を止める事はない。今もラトゥカから東に向かって駆けているのには理由がある。主にラトゥカ周辺で奴隷の魔族を売り捌いていた『ミッド商会』ラトゥカ支店の支店長を縛り上げ、強引に情報を引き出した事でこの魔族拉致事件の全体像が見えて来たのだ。
――魔族を拉致する理由、それは労働力の補充である。このアルドワン王国直轄領と東の辺境伯自治領との境にある“イリネイ鉱山”で、新たな魔水晶の鉱脈が発見されて、ゴールドラッシュならぬ魔水晶ラッシュが起きているそうなのだ。鉱山の所有権は辺境伯自治領側のラニエーリ家が有しており、『ミッド商会』と言う名の管理会社を立ち上げて経営をしている。このミッド商会が、より安価な労務費で成果を上げられるようにと画策したのが事の元凶。ミッド商会の人材補充業務を様々な傭兵部隊が委託を受け、凄惨な奴隷狩りが始まったのである。
男の魔族は労働力、女の魔族は慰みものーーこの『ミッド商会』の本店があるのはイリネイ鉱山のふもと。つまりはこのイリネイ鉱山に赴いて魔族の奴隷を解放する事が、ヒロトのゴールとなったのだ。そしてもちろん、ヒロトが追い始めた“中佐”の正体も、ミッド商会を調べる事で距離を縮める事が出来るのだ。
(……おっと、空腹ゲージが赤点灯を始めた。飯にするか)
街を抜け草原を抜け、ゴツゴツとした巨石の目立つ起伏の激しい森へと入る。その森をひたすら東に向かってたどり着いたのは学校の校舎ほどある大きな岩山。四方の森を見渡せるその頂上へ登り、ヒロトは地面に腰を下ろした。
「二面性……。家族に優しく仲間に優しく、笑顔の素敵な人格者が、その裏では少女を奴隷にしてありとあらゆる暴力を振るう。どっちがその人間の本質なんだ?」
背負っていたバックを下ろして『ストレージ99』開封を指示、中から糧食1セットを取り出した。バゲットとスライスチーズとハムをひとまめとするヒロトの非常食だ。
「まあ、どっちが本物かは愚問か。オレをいじめてた連中だって優等生で、どこにでもいる良い子たちだったしな。……クソ!」
腰のナイフを抜いて手にしたバゲットに切れ込みを入れる。チーズとハムをそこに挟んで食べやすいサンド状にするのだが、どうやら独り言はとめどなく続いて“心ここにあらず”状態だ。
「オレは、救いを求めて来たNPCに、手を差し伸べない方が良かったのか?いやそうじゃないだろ。魔族だろうが人間だろうが、たとえそれがAIだとしても、虐られて来た者を救う事が悪であるはずがない。方法を間違えたのか?ならば何が最善の手だったんだ」
東の山々を見詰めるその目は血走り、自虐的に含み笑いしているのか、それとも悲哀を我慢してぎこちない笑みを口元に浮かべているのか分からない表情。答えの出ない問題を背負い、そのまま押し潰されそうになる者そのものだ。
だがここでヒロトはハッとして我に返る。視界の左上に警告が表示されているのに気付いたのだ。点滅する赤い文字には「左手負傷、損害軽微」とあり、左手を見ればバゲットを握った手から血が滴り落ちているではないか。どうやら彼は、バゲットに切り込みを入れる際に、そのまま手のひらまでナイフの刃を入れてしまっていたのだ。
「はは、オレは重傷だな。フルダイブギアが“痛いと言う認識”信号を脳に送って来ても、それにすら気付いていない……」
乾いた笑いで自らを嘲りながら血まみれのバゲットを手からこぼし、時間の流れが遅く感じるようなモッサリとした動きで、治癒魔法を唱え始める。
「……ゲームって、やってて楽しいものじゃないのかよ?なんだよこの気分、これじゃまるで救いようのないクソゲーじゃないか」
グラグラと揺れながら沈み込む心。悲壮感をその表情に隠そうともせずに、ヒロトはそれでも尚と口にする――それでもリュックとの約束がある、逃げる訳にはいかないんだ。それでもだ、それでも……それでも……
焦点の合わない自問自答は、その日ログアウトするまで続いたのであった。




