45) 心無き英雄 前編
アルドワン王国の領土最南端にある王直轄領。その直轄領でも南西の国境近くにあった寒村“チルシャ村”は、何者かの襲撃によって壊滅した。チルシャ村は古い時代の頃、戦乱から逃れて来た魔族が興した村なのだが、人里離れた場所に作った事から、魔族の末裔たちはそれでも平穏な日々を過ごして今に至る。だが今年になって村の平和は暴力によってあっけなく崩れた。謎の傭兵団に守られた奴隷商人により村人は拉致され、更に壊滅的な焼き討ちに遭ってしまったのだ。
今、背の高い針葉樹に囲まれた森の中を二頭の馬が足を進めている。地面に充分な日光が届いていないのか森は苔むして暗く、地面の起伏は激しい。人が足を踏み入れたならば直ぐに迷ってしまうような、樹海と言う表現がピッタリな森である。そして二頭の馬は人が操っており、片方にはヒロト、もう片方の馬の背には魔族の少年リュックと村で助けた老人が乗っていた。
何故このような人の行手を阻むような迷路の森を行くかと言えば、このロッドと言う名の老人が教えてくれたのだーーいざ村に何かあった時、その時は深い森の奥にある緊急避難場所に逃げる申し合わせが出来ていた、と
「あ、あ!いた、いたぞヒロト!」
「ああ、見えた。結構生き延びた人がいる。不幸中の幸いだな」
見えて来たのは小さな泉。周りは人の背丈の倍程もある岩がゴロゴロと転がっており、泉は起伏の激しい岩盤の隙間を縫って通る地下水が湧き出て形を成している。周囲にある巨石が視界を防ぐ利点もあり、生き残る必要最低限度として飲料水の確保をしながら、逃げ出せた村人たちが再び集合する手はずなのだそうだ。
「リュック、リュックじゃないか!」
「無事王都から帰って来たのか!」
「ロッド爺さん、爺さんも無事だったか!」
小さな泉にいた村人は二十名ほどで、それでも村の総人口からすればまだ足りない。馬から降りたリュックが代表者らしき中年男性から話を聞いたところ、村から脱出した者たちは他にもいるのだが、いかんせんこの森は逃げる者にとっても迷路のように深く、いまだに森を彷徨っているのではとの事。
「それでリュック、王都ではどうだったんだ?」
「リュック、隣の……その方は?」
村人たちからすれば、王都……つまり王制側が事態収束のために、警備隊を村へ派遣してくれるものだと思っていたのだが現れたのは少年一人。フード付きの黒マントを羽織った黒い瞳に黒い髪の何とも怪しい雰囲気を醸し出していれば、リュックに詰め寄って糾そうとしても自然な流れではあるのだ。
自分を取り囲んだ村人たちに向かってリュックは大声を張る
――王国はダメだ、魔族だからと追い返された!だがみんな聞いてくれ、隣にいるこのヒロトは『選ばれし者』だ!たった一人だけど『選ばれし者』が俺たちに味方してくれる!――
このリュックの言葉で村人たちは二種類の感情を胸に抱く事となる。二種類とはつまり歓喜と暗鬱の事であり、素直に喜べずそれでいて絶望にうなだれもしない、何とも複雑な心境なのだ。
その二種類の感情の一つである歓喜についての理由はもちろん、リュックが『選ばれし者』つまりプレイヤーを連れて来た事だ。NPCには自分たちがNPCだと言う自我も認識も無く、ただ我々は『持たざる者』なのだと自認するしかないのだが、あらゆる特権を持った『選ばれし者』が現れれば……たとえ単独であっても選ばれし者が味方してくれれば、それ程力強い事は無いのだ。問題を全て解決した後に、明るい未来が待っていると夢見ても許されるのだ。
そしてもう一つの感情である暗鬱・陰鬱、こちらの方がより現実味を帯びて村人たちにのしかかっている。リュックの言葉にある通り、アルドワン王国は直轄領府だけでなく王都中央政府もチルシャ村を助けないと言う事は、魔族を完全に切り捨てたと言っても過言ではない。チルシャ村がどうなろうと関知しないと言う事は、今目の前にいる『選ばれし者』ヒロトが拉致された魔族を救い出し、その後にチルシャ村の不幸について復讐を果たす事それは、アルドワン王国に対する反逆と捉えられてもおかしくないのだ。
――拉致された家族を取り返し、非道なる者たちに天罰を与える。しかしその代償として我々ら国を追われてしまう――
笑顔になりきれず、さりとて悲壮な感情も表に出せず、脂汗を額に垂らしながら目を剥き出し見詰める村人たち。彼らの心情が理解出来たのか、ヒロトは良く通る声で村人たちに決断を促す。
「皆さんも気付いてるはず、あの村に戻って再び平穏な暮らしなんて出来ない事を。オレはリュックと約束した、拉致された村人たちを助けると。そして無念に散った村人たちの魂を鎮めるために、襲ったヤツらに鉄槌を与えると。そこから先は皆さんの判断だ……生き延びる事を優先するか、それとも元に戻ろうとして更なる悲劇を生むか」
生き延びるなら安住の地を探すしかなく、村に戻れば再び虐殺が起こる。――秘めた感情を言葉にされた村人たちはうなだれるしかなく、辺りはべっとりとした重い空気に支配される。言うべき事を言わないまま、まやかしの言葉で濁していたら、何ら目的や目標も無いまま時間が過ぎて更なる悲劇を生むと感じたヒロトの決断だったのだが、意外にもこの湿度の高そうな空気を打ち払ったのはリュックの大声。村人たちの希望を胸に単身王都へ乗り込んで、人間に希望を打ち壊されてヒロトと出会い、そして再び悲劇の村に還った少年の叫びだった。
「みんな、もう村はダメだ!生き残った者たちで魔族の国を目指そう!」
その場にいた誰もが腹の底にしまったまま、口に出す事を躊躇っていた言葉が森に響く。
「ヒロトは問題を解決してくれるが、王国やあの傭兵団との問題が解決する訳じゃない!村に戻ったら必ず俺たちは殺される。忘れるな、人間は魔族を隣人とは思っていない!王国は俺たちチルシャの者を見捨てたんだ!もうこれ以上人間の国に住んでも良い事は無い、みんなで魔族の国に逃げて新たな村を作ろう!」
――年寄りと女子供は南の国境線を越えろ!俺はまだ森で迷ってる人々を救って南の国境線へ向ける!――何とリュックは、村人たちに向かって宣言するどころか、具体的な行動方針まで指示し始めたのである。
(これがリュック?村で泣き喚いた少年の変化なのか?)
表情には出さないものの、ヒロトがこれほど驚いた事は無い。何故ならば今ヒロトは、NPCの精神的な成長を……単なる少年が指導者に変わる瞬間を目の当たりにしていたからだ。
NPCはあくまでもゲームプログラムによる“場を盛り上げる”ツールの一つ、世界観を表現する存在の人型ツールに過ぎないはずで、いくらAIが実装されていたとしても、まさか英雄が誕生するとは思わなかったのだ。
「ヒロト、武器が欲しい。武器をくれ!護身用で構わないから、俺に剣を教えてくれないか?」
この時ヒロトは気付いていない。いや、気付ける訳もない。それにヒロトが気付けなければもちろん、この世界のプレイヤーの誰もが気付ける訳もないのだが、ここに後のキングダム・オブ・グローリーの世界において激震を巻き起こす事件の発端がある。まだまだ先の話になるのだが「復讐王リュック・バイエ」「魔王リュック」「魔族の英雄王リュック・バイエ」の人類殲滅戦争のルーツが、実はここにあったのだ。




