44) えっ?
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【レンジャー】
レンジャーとは[徘徊する者]を意味している。徘徊と表現はするものの何かしらに悪意を持って忍び寄ったり追跡するような存在としてではなく、また認知症のような自己対処出来ない無意識から生じる徘徊でもなく、何かしらの自己目的や任務を持って特定のフィールドを徘徊する者を指してレンジャーと呼ぶのだ。
レンジャーと命名された代表的な組織としては、アメリカ軍の軽歩兵部隊のレンジャー連隊やテキサス・レンジャー、そして陸上自衛隊のレンジャー課程などが有名だが、軍事方面だけでなく森林保護官はフォレスト・レンジャーと呼称されたり、国立公園の自然保護官はパーク・レンジャーと呼ばれている。つまりレンジャーとは何よりも自然の環境を熟知し、誰よりも自然環境下の生活に順応する者を意味しているのである。
キングダム・オブ・グローリーの世界においてもレンジャーと言う職業は存在する。ジョブの一つとしてプレイヤーが選択する事が可能なのだが、やはり剣と魔法の世界では“華”が無いのか、戦士や魔道士と比較してレンジャーを選択するプレイヤーは少ない。またレンジャーの上級職もまだ実装されておらず、上級職としてダンジョン攻略能力を特化させた“トゥームレイダー”が計画として発表されたが、未だに具体化していない。
剣技は戦士・剣士に及ばず、魔法力は魔道士・神官に遥か及ばず、魔獣や獣を手懐けるにはテイマーに及ばずと、様々な職業の下位互換にもなっていないレンジャーではあるのだが、このキングダム・オブ・グローリーのプレイヤーで悪様にレンジャー職を卑下する者はいない。皆無である。この世界をちょっとでも旅した者ならば、レンジャーの存在があるからこそ命を長らえたと実感するしか無いからだ。『卓越したサバイバル技術』と『天候変化に対する読み』そして『地形・風景から読む空間把握術』つまりマッピング能力は、冒険の旅に出る者たちにとって欠かす事の出来ない必須の存在であり、基本能力としてそれらを兼ね備えたレンジャーは旅人たちにとっての生命線であったのだ。
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穏やかで呑気な表情のロバが、荷車を引きながらトコトコと街道を歩いて行く。背後の山々に阻まれて目にする事は出来ないが、出発した王都は遥か遠くへ。そして足を運び先はアルドワン王国の最南端の領土。――KOG世界で初めてプレイヤーが王として領土を与えられた快挙の地。“辺境伯”クレメンテ・ラニエーリ伯爵の自治領である。
「無事に峠を越えられて良かったですね。盗賊の噂とか聞いてたから夜はちょっと心配しましたよ」
ロバの体力に配慮しているのか、荷車に腰を下ろさずロバと並んで歩くヒナ。天使族のロズリーヌが眠そうな顔を隠そうともせず、大きなあくびをしながらヒナの隣を歩いている。
「いざと言う時は私が戦うから心配いらないって言ったでしょ。ヒナちゃんたら心配性なんだから」
カラカラと笑うロズリーヌだが、決してヒナを格下扱いしている訳ではない。何故ならばこの旅において天使族のロズリーヌは全くの無能に等しく、衣食住全てをヒナのサバイバル能力に頼っていたからだ。だからこそ彼女は感謝の意を含めつつ、戦闘分野だけは得意だから自分に任せろと言っているのだ。
「それにしても、昨晩のツノブタのステーキは美味しかったわ。焼き加減やスパイスも抜群で、リアルでのキャンプ飯に負けず劣らずの美味。あんなスキルが備わってるなんて思わなかった」
「旅に出る時はある程度の工程を組んで出発するのですが、食糧を持参すればするほど荷物量が増えますからね。食糧を現地調達するなら、やっぱり美味しく仕上げないと」
「それにしたって、このアイデアはなかなか出ないよ。まさかパンまで焼いて今日の朝食にしちゃうとは」
ロズリーヌは歩きながら鞄から包みを取り出し、そしてそれを開ける。中に入っていたのは寝坊したロズリーヌのためにヒナが作っておいた朝食……ステーキサンドが入っていたのだ。
「パンと言うよりはナンに近いですかね。急に思いついて鍋肌で焼いただけですから……味は保証しませんよ」
「いや美味い、美味いよヒナちゃん!スパイス効いてるし一緒に挟んだ香草も香り高いし、これにコーヒー付いてたら普通に喫茶店のモーニングだよ」
「あはは、お褒めにあずかり光栄です」
「……ただねえ……」――蒼ざめながら苦々しい表情になるロズリーヌ
「はい?」
「昨日、罠に掛かったツノブタね、私……解体するところから見ちゃったじゃない。まさか“あれ”が“これ”になったと思うと……ね」
「あ、ひどい!解体したの私じゃないですか。ロズリーヌさんずっと木の影に隠れてただけだし!」
「だからヒナちゃんごめんて。とにかく苦手なのよ」
「でも生きるためには必要な事ですからね。他所の国の学校では、フルダイブ機能使ったサバイバル授業で“食育”もやってるくらいなんですからね」
「だから悪かったって。ほら、ヒナちゃんほっぺた膨らませないの、可愛い顔が台無しよ」
そう言いながらヒナの頬をフニッと掴むロズリーヌと、あうあうと困りながら喘ぐヒナ。どちらが格上でどちらが格下と言う関係性はこの両者に無い。二人はこの旅のたった二日目で、まるで姉妹のような関係性を築き上げていたのだ。
「王都よりも赤道に近いはずなのに、吹く風が爽やかね」
「レンジャーと兼業で地理学者やってるプレイヤーさんの文献だと、この辺りは王都より標高が二百メートルほど高いそうですよ」
「なるほど、この辺はハイランドなのか。趣きのある風景で素敵ね」
進む街道の先は小高い丘の凹凸が地平線まで続き、それはまるで海岸に寄せては返る波のように見える。その丘の一つ一つが若草色の草原にびっしりと覆われて、吹く風に草がなびいていれば、見る者を楽しませない訳が無い。ハイランド(高地)特有の眩しい日差しも相まって、人類が手をつけていないこの原風景に心惹かれない者はいないのだ。
「……うん?どうしたのヒナちゃん」
「え、いや!……はは、ちょっと考え事を」
「ははん、さてはロマンティックな風景に当てられて、センチメンタルになってたね?」
「そ、そな事ないですよ!そな事ないです!」
「口も回らず、二度言う……か。そうだね、早くヒロちんに会えれば良いね」
――うん?ヒロちん?――
ロズリーヌの口から飛び出した言葉に驚き思考を停止してしまう。何故ロズリーヌは「ヒロちん」などと急に言い出したのか、そもそもヒロちんとは自分の知っているヒロトと同義なのか。彼女の意図する事が全く読めない状態に陥り呆けてしまったのだ。
「ヒナちゃん、ヒナちゃんどうしたの?顔がカピバラみたいに無表情よ、“む〜ん”てなってる!」
「いや、ロズリーヌさん。今ヒロちん……って言いましたよね?」
「え、言ったわよ。早くヒロちんに会えれば良いねって」
「それって、ナフェス荒野のヒロトの事……ですよね?」
「え、もちろんそうよ。だって私、昔からヒロトの事ヒロちんって呼んでたし」
「え?え?でもロズリーヌさん、王都の南門でヒロトの事知らないって……」
「言った言った、(ヒロトは知ってるけど)今どこにいるかは知らないって」
――えっ?
――えっ?
ヒナとロズリーヌ、互いが記憶や知識を共有するには、もうちょっとだけ話し合いが必要であった。




