39) 旅は道連れ
王都エミーレ・アルドワンを囲む巨大な城壁のちょうど南側。そこには王国南部に向かう街道の基点として、巨大な南門が設けられている。安定経済圏を成している王国北部や東部と異なり、遥か南には乱立する魔族の国家が待ち構えている事から、通称“流血街道”とも呼ばれていた。街道の着く先が不穏な地域と言う事は、それに伴う内容の経済が発展して来たと言う事。つまりこの南門は今、傭兵や武器商人などがひっきりなしに往来を重ねている事から察しても、戦争・紛争による流血経済は大盛況であると物語っていた。
王都に本拠を構える雑誌社『アルドワン・グラフ』の記者であるヒナも、今この王都南門にいる。何故に彼女がここにいるかと言えばもちろん、王国南端にあるラニエーリ自治領に赴くため。魔族の大国『ユエルアリスタル公国』との間に引かれた国境線を守る自治領の今を捉えるために、最前線に旅立つのだ。
ロバに小さな荷車を引かせ、食糧やテントや日用品をこれでもかと積み重ね、旅支度を整えたヒナ。仲間たちは『北方ディスノミア』実装の取材に向けて早々に大陸北部へと飛んでしまい、彼女を見送る者は一人もいない。結果として特ダネの取材から外された形となってしまったのだが、彼女の表情は曇るどころかむしろ期待に瞳をキラキラと輝かせている。――言わずもがな、これが彼女の願いに対して一番近い行動だからだ。
『大型アップデートの第二弾は、レイドバトルを超える大規模 PvP(プレイヤー同士の戦闘)。そのマップの実装が、どうやらラニエーリ辺境伯自治領と、ユエルアリスタル公国との国境線付近に設定される』
『開発はまだ紆余曲折の段階だけど、もしかしたらロールアウト直前のテストプレイに、あなたの英雄さんも参加するかもね』
アルドワン・グラフの編集長で、実の姉がもたらした情報がこれである。毎度毎度開いた口が塞がらないような特ダネを持ち帰る姉だが、まさかヒロトに関する情報まで得ているとはと、ヒナは感心しきりだ。――さすがは我が姉。リアルでも凄いコネ持ってるんだろうな――
パカパカと蹄を鳴らすロバの手綱を持ち、意気揚々と自らも歩き出して巨大な南門を進む。見事な彫刻の彫られた柱と天井部の透かし彫りに感嘆のため息を吐きながら門をくぐり抜けた時、王都警備隊の衛兵たちと談笑を重ねる商人たちの光景にハッとして荷車を止める。
「すみません!アルドワン・グラフの者ですが、ちょっとだけお時間よろしいですか?」
一体何事かと周囲の視線を浴びながらも、いそいそと肩から掛けたカバンをまさぐるヒナ。すると中からチラシの束を取り出して、衛兵や商人に一枚一枚配り始めたのだ。
「辺境地ナフェスの取材をしてた際に行方不明になった……この少年を探してるんです!」
衛兵や商人たちが渡されたチラシに眼を通すと、そこには「少年を探している」との文字がある。もちろんそれはヒロトの事であり、ナフェス荒野で起きた身代金人質事件を解決した功労者と書かれているではないか。
「へえ、すごいな!子供が解決したのか」
「ナフェスと言えば西の果てだろ?俺たちに関係あるかい?」
「いや、分からんぞ。腕の立つ若者なら、南に流れて来てもおかしくない」
さすがは武器商人・戦争屋と言ったところか、プレイヤーであるヒロトの存在にビジネスの匂いを感じ、彼らは真剣になって議論を繰り広げ始めたではないか。実は『アルドワン・グラフ』はプレイヤーだけでなくNPCにも人気のある情報誌で、アルドワン王国においてトップの発行量を長年維持し続けている。プレイヤー向けにはデジタルデータとして配布されるが、NPC向けには時代設定に合わせる形で、凸版印刷の記事と銅板印刷による写真画像を組み合わせた紙媒体で提供されており、アルドワン・グラフの認知度は非常に高く、信頼のおけるメディアとしてNPCにも評価されていた。つまりヒナのもたらした情報は、信ぴょう性の高い情報として受け止められているのだ。
「私もこれからラニエーリ伯爵自治領に向かうのですが、すれ違いだったら嫌だななんて考えまして、もし見かけたら社まで連絡をください。もちろん謝礼しますので」
商人や衛兵たちに何度も頭を下げながらその場を後にしようとするヒナ。すると近くにチラシを渡していない者を一人見つけるのだが、彼女はその人物の姿に衝撃を覚えて思わず息を呑んだ。何故ならばヒナの視界に入って来た人物は、KOG世界においてはレアな種族である『天使族』だったのだ。更にその天使族の人物の頭上に視線を移すと、プレイヤーネームが表記されるではないか。
(うわあ、キャラメイク大成功か、はたまたリアル素材がモデルさんなのか、めちゃくちゃ綺麗な人だ)
KOGのフレーバーテキストによれば、天使族も元の起源は人間種が祖先であり、何世代にも渡って神聖魔力の溢れる『聖地』を生活圏にした事で天使に進化したとされている。ゲームシステムにおいては、神官やエクソシストの上位ジョブチェンジ先として『エンジェル』が用意されているのだが、そのあまりの制約の多さからプレイヤーに忌避されており、大概のプレイヤーはビショップや法王又は、神聖魔法を駆使する騎士パラディンなど無難なところにクラスチェンジして行くのである。
(プレイヤーネームはロズリーヌさんか。名前から察するにフランス人?こんな極東サーバーで何してるんだろ?……あ、プレイヤーカードは非表示設定になってるみたい)
すると、そのロズリーヌと言う名のプレイヤーもヒナの視線に気付いたのか、振り向きざまにニコリと微笑んで近寄って来た。
「こんにちは。どうしたの?人探しの旅でもしてるの?」
「こ、ここここんにちは!人探しの旅を兼ねて、ちょ、ちょっとこれから南に……」
神々しさが溢れる美女に詰め寄られて慌てるヒナ。顔を真っ赤にしどろもどろになって回答するのだが、この天使族の美女が発する言葉と口の動きにディレイ(遅延)が無い事にまだ気付いていない。つまりこのロズリーヌと言う名前のプレイヤーは、純粋に日本語を発しており日本人の可能性が高いのだが、ヒナはそれどころではなくチラシを渡すので精一杯だ。
「ふむふむ、ナフェス荒野のヒロトくん……か」
「い、いかがです?な、何か心当たりはありますか?」
「う〜ん、ごめんなさい。どこにいるかは分からないなあ」
外人恐怖症とまではいかないが、完全に「呑まれて」しまっているヒナ。この人物が「どこにいるかは分からない」と答えたが、ヒロトを知らないとは決して答えていない事に気付かないでいる。
「お手を煩わせてすみません。私はアルドワン・グラフの記者をやってるヒナと言います」
「私はロズリーヌと言います。ヒナさんはこれから旅に出るの?目的地はどこへ?」
「取材でクレメンテ・ラニエーリ伯爵の自治領に行きます。国境最前線の取材で」
「ああ!あのプレイヤー初の自治領主になったって人の国に行くんだ」
「そ、そうです!」
そう。二人の会話に出て来た辺境伯クレメンテ・ラニエーリとは『選ばれし者』であり、つまりはプレイヤーなのだ。クレメンテは欧州サーバーで活動しているスペイン人プレイヤーで、超高難易度のクエストをクリアした結果、アルドワン王国辺境伯としての地位を得たのである。
ヒナはまだ“おのぼりさん”状態で呆けており全く気付いていないのだが、ここでロズリーヌの瞳が深く輝く。表面的には平静を装っているのだが、彼女の腹の底において、ヒナには言えないある種の企みが芽吹いた証でもある。
……王都西門と南門を盛大に間違えるくらいだから、言うのも何だけど方向音痴の私はこの先また“やらかす”可能性が大きい。だったら自治領までこの子に連れて行って貰おうかな。マスターチーフが言うには、ヒロちんも最終的には辺境伯自治領に行く事になるって言うし……
「ねえヒナさん!私も自治領に行く予定だから、せっかくだし二人で行かない?」
「え、え?私とですか?」
「そう、二人で。旅は道連れって言うし」
「私はぜんぜん構わないですが」
こうして、ヒナの単独行は王都中心から南門で終わり、新たな同行者を得て二人旅となった。
王都西門を出てチルシャ村のある王国直轄領……イングヴァル魔法国に近い紛争地帯に赴いたヒロトと、王都南門を出てユエルアリスタル公国に近いラニエーリ伯爵自治領に赴こうとするヒナとロズリーヌ。互いがどこでどう再会するのかは、未だ謎のままであった。




