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37) 二度目の逃走


「……とうとう、戻って来た……」


 駅の改札口を出て駅前ロータリーを見渡しながら、複雑な表情で帰郷を実感する。高地の太陽は都会よりも低く、それでいて直火(じかび)を当てられたように熱い。いくら湿気に縁の無い無い山国だと言っても、この太陽の照り具合はとてもじゃないが涼しげな田舎とは呼べないだろう。


 駅前のロータリーに並ぶバス停を物色する。総合病院経由◯◯団地行きの表示を見つけ、数人の列の後ろへと並ぶ。この時点でヒロトの表情には故郷(ふるさと)を懐かしむような余裕は無い。表情は険しく視線を落とし、周囲の街行く人々と視線が合わないようにしているのだ。言うなれば“どうか誰にも気付かれませんように”と願う顔……知り合いにばったり出会う可能性から避けていたのだ。見ているようで誰も見ていない都会とは違う、地元ならではの緊張感に押し潰されそうになっていたのだ。


 やがて回送のバスが目の前に止まり、ブザーを鳴らしながら昇降扉が開く。実家まであと僅か。バスに三十分ほど揺られた先の我が家は、どんな表情で自分を迎え入れてくれるのか ――ネガティブな思考だけがどんどん膨らむ、落ち着きの無い嫌な時間が過ぎて行く


(さすがに暴力を受ける事は無かった。だけどその分、笹森より陰湿だった。……あの事件が起きるまでは)


 街道を走るバスの車窓に見えて来たのは、ヒロトが幼い頃から利用して来た店舗。郊外型の大型商業施設や回転寿司屋。それだけではなく、コンビニやラーメン屋、中古本や中古ゲームソフトの買い取り屋などが並んでいる。それらを見ていて湧いて来るのは懐かしい記憶。家族や仲間と連れ立って利用した楽しい記憶。……大人になるまで、ずっとその穏やかな生活が続くと思っていた頃の記憶だ。


(何かイジメられる理由があるんじゃないか?……当時の担任はそう言って逃げていた。教師の責任を放棄してた。それでもオレが我慢してればやがては、中学卒業まで辿り着けると思ってたんだ。だがあの事件がそんなささやかな願いをブチ壊したんだ)


 あんなに楽しかったのに幼い頃の日々、あんなに穏やかに流れた日々。つまり見慣れた景色を見て思い出す事、その全てが結局「あの事件」に結実する。


『毎度ご乗車ありがとうございます。次は終点、◯◯団地中央です』


 バスは終点へと到着し、ヒロトは故郷の地に足を落とす。約一年半前まで居た場所、懐かしくもあり()まわしきもある町。真っ青な空の中で照りつける太陽、そしてそれを反射するアスファルトの道を一歩一歩自宅へと向かい、とうとう彼はたどり着いた。


(あれ、車が無い。父さんは仕事だろうけど、母さんは……買い物かな?)


 盆休みであり、久々に家族が集まる事から、何か豪勢な夕飯でも用意してくれるのかな?……と、自宅の玄関扉をガチャリと開ける。とびきりの笑顔で声を張り上げ「ただいま」と言える訳が無く、後ろ暗さや後ろめたさを声に乗せたのだが、ヒロトのその弱々しいか細い声は、廊下の奥からガチャガチャ!と鳴る激しい音にかき消された。ちょうど台所から出て来た人物がヒロトの姿を見て驚き、ハンディタイプの掃除機を床に落としたのだ。


「あ、あ……涼子か。ただ……いま……」


 狼狽しながらもヒロトは声を絞り出した。本人も意図して出した声ではないのだが、その声色はひどく怯え、それだけでなく卑屈な音色も混ざっている。何故ならばヒロトと対面した涼子とは、二歳歳下の実の妹であり、実の兄であるヒロトを憎悪する存在であったからだ。


「なんでよ、なんであんたがここに居るのよ……」

「い、いや……お盆……休みだし、長い事帰ってなかったから」


 ――あれ?母さんから帰るとは聞いてなかったかい?―― この言葉が喉を通過して口から出かかった時、ヒロトは瞬時に何かを悟り全てを飲み込んだ。つまり母は、ヒロトが帰郷する事を涼子に話していなかったのだと。つまり涼子の憎悪の炎は未だに鎮火しておらず、未だに当時のまま激烈な嫌悪を向けていたのである。

(母さんの名前を出さなくて良かった)……怯えるヒロトの胸の内で、少しだけ安堵するのがこれだった。何故なら母から呼ばれて帰って来たなどと口にすれば、それこそ涼子の怒りは母親に移ってしまう――なぜ兄の帰郷を私に相談しなかったのだと。


「東京に行ってから、ずいぶんと顔色が良くなったみたいね」

「い、いや、そんな事はない……よ」

「そんな事はないって?気楽な一人暮らしでずいぶん楽しそうに見えるけど!」

「気楽じゃないよ、ちゃんと頑張って勉強してるし……」

「気楽でしょ!あんたは過去に何やったか忘れたの!忘れちゃったから今になってノコノコ帰って来たんでしょうが!」

「いや……帰って来たのは……お盆休みで……」

「私ね!いまだに言われてんのよ!変態野郎の妹って!ずっとそのレッテル貼られてイジメられて!それでも我慢して生きてんのよ!」


 この辺りからヒロトの記憶はヤケに曖昧で、烈火の如く怒り狂う涼子が何を言っていたか覚えていない。自分の身に起きた『あの事件』について、その余波を食らった涼子の恨み辛みを全て受け止めているのだが、その中でヒロトはあらためて感じてしまった事、つまり未だに『涼子は信じてくれない』事にショックを受けてしまったのだ。


「あんたの顔なんか見たくもない!なんで帰って来たのよ!何が“ただいま”よ!変態のクセにふざけんじゃないわよ!」


 自分のせいでイジメを受けているのは心苦しい、申し訳ない気持ちで一杯だ。だが……だがしかし、自分が潔白である事を涼子が信じてくれていない事、そして今現在何を言ったところで聞く耳を持ってくれない事。……これがヒロトの心を完全に折れさせた。


「あ、忘れてた!進学塾に進路表出さなきゃいけなかったんだ。オレ……東京戻るから、これでゴメン。騒がせちゃったね」


 精一杯の自嘲を表情に出しながら、ヒロトはそう言って玄関から逃げ出した。勢いよく玄関扉を開閉し、全力疾走でバス停に戻る――そう、彼は東京に向かって逃げ出したのである。



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