34) NPCの怒り 後編
【魔族〈まぞく〉】
起源は人間と同じだが、人間と違う進化を遂げた亜人の部類に入る種族。魔力の色濃い土地で生活し、マナの影響下で進化の過程を経た結果、姿形に様々な異形を持つ『半魔法生物』となったのが魔族である。性質は人間と同じく善から悪へと幅広く、人間社会と同じくコミュニティを作って生活を送る社会生物である。
魔族と言う名詞に『魔』が付いている事から、『悪魔』と混同してしまいがちだが、全くもって違う。魔族とは半魔法生物の総称であり、悪魔とは神話世界から世俗の寓話に存在する『絶対神に仇成す悪そのもの』の事を言う。人間……人類から見れば魔族も悪魔も理解の及ばない異形の存在で快く思われていないが、魔族は『デーモン』『デモニック』と呼ばれ、悪魔は『サタン』『サタニック』と呼称されるほどに立ち位置の差は大きい。
このキングダム・オブ・グローリーの世界においても魔族や悪魔のカテゴリーはあるが、魔族は人間やエルフ、ドワーフなどの種族の一つとして設定されており、神聖魔法をもたらす絶対神の敵対者、つまりモンスターとしてプレイヤーに立ちはだかっていた。
王都エミーレ・アルドワンの下街に広がる商店街・屋台街は無数にある。城を中心にして東西南北放射状に下街が広がる事から、城塞都市の内側と外界を結ぶ街道沿いに点在し、都の人々の生活を潤しているのである。
太陽もいよいよ西の山々に向かって傾き始め、高くそびえる城壁の影が街を覆い始める頃、一段と賑やかになって来た屋台街にヒロトはいた。場所は王都西門から近い、通称『ドロボウ市場の屋台街』。比較的下級階層の人々が住む王都西地区の台所であり、安くて腹一杯食べられる財布に優しい場所である。
西門から城に伸びるメインストリートから一歩路地に入ると、路地の左右に商店や飲食店や露店が並んでいる。そしてテラス席などと言う上品なスタイルではないものの、道にまでせり出て並ぶテーブルを人々は囲み、ミートパイや羊肉のグリルサンドや牛テールスープなど様々な料理に舌鼓を打っていた。
「おい……泣くか食うかどっちかにしろよ」
炙った肉の表面を細かく削ぎ落として、野菜とともにパンに詰める料理『肉パン』で評判の露店のテーブルで、ヒロトは目の前の魔族の少年に、呆れながらも心配そうに見詰めている。ヒロトより頭一つ背の高い姿で、最初は一回り歳上に見えたのだが、話を聞くと似たような世代の少年なのだそうだ。
青みがかった肌、金髪の側頭部から生えたヒツジのような角。どこからどう見ても人間ではない異形の魔族で、プレイヤーネームの表示されないNPCだが、ひょんな事から二人は同席している――先ほどの警備隊事務所入り口での一件、兵士たちによって事務所から放り出され、ヒロトにぶつかって来たのはこの魔族の少年だったのだ。
「ゆっくり食べろよ、いきなりがっつくと腹を壊すぞ」
「ううう……ぐぐぐ……」
人目もはばからずに、目からポロポロと玉のように涙をこぼす魔族の少年は、嬉しいとか悲しいと言った感情で泣いているのではない。眉を吊り上げて眉間にシワを寄せた憤怒の表情で泣いている。つまり悔しいのだ。悔しさを晴らす事が出来ず、そして空腹に勝てないままヒロトに食事を恵んでもらっている自分に怒り、悔し泣きを続けていたのである。
「名前はリュックと言ったな。落ち着いたら話してくれ、一体何が起きたのか」
「ぐぐ……行き倒れそうなところを助けてくれて感謝してる。ああ、ああ、ヒロトが聞いてくれるなら」
空腹に耐えられず、ヒロトが注文してくれた料理を神がかり的な速さでがっつくリュックは、口の中に食べ物が入っている状況にありながらも、自分の身の上について説明を始めた。
――彼の住む村は、王都から南西の方角に向かって馬で三日ほどかかる農村、チルシャ村と言う名の住人なのだと言う。チルシャ村の住人はそのほとんどが魔族で構成されており、人口は百五十人ほどの寂れた村なのだと言う。
このチルシャ村は、アルドワン王国と長い間戦争の歴史を積み上げて来た、魔族の王国『イングヴァル魔法国』との国境線に近い場所に村を構えており、数世代前に戦乱から逃れて来た魔族たちが農村を拓いたのがきっかけであり、魔族の子孫と言っても村民の全てがアルドワン王国に忠誠を誓い、税もしっかり収めているそうだ。
「土地が痩せてた事もあって、豊作とは無縁の村だったんだが、それでもみんな幸せに暮らしてたんだ……。それが、ヤツらが来て地獄に変わったんだ!」
「ヤツとは?魔族側が国境を越えて農産物の掠奪に来たとか?」
「いや違う!人間だ、人間が村を襲って来た。村人を拉致し始めたんだよ」
リュックが言うには、どうやら村を襲撃した人間のグループは、山賊や野党などのアウトロー的なスタイルではなく、鎧や騎士剣を装備した……言わば組織的訓練を受けた傭兵のような者たちだったと言う。背後にはスポンサーなのか、身綺麗な格好の民間人が数名おり、まるでそれは商人のように見えたのだそうだ。
「やつら……奴隷狩りをやってたんだ。女子供だけじゃなくて俺の兄ちゃんも捕まって連れて行かれた!だから俺は助けを求めてここに来たんだ、それが、それが!」
「なるほどな。リュック、お前が魔族だからと言う理由で警備隊は相手にもしなかったと。土地の人間じゃないからオレも良くは分からないのだが、ここで魔族は階級が低いのか?」
「ここで……?違うよヒロト、王都だけじゃない、この国自体が人間の国なんだよ。だから周りを見てみろ、俺を見る視線を」
――確かにリュックの言う通りだ。行き交う人々がリュックを見て嫌悪の視線を送っている――
「村長や村の人たちに頼まれて王都まで来たが、警備隊は魔族の俺を相手にしてくれない。オマケに馬を人間に盗まれ、託された金も全て人間に盗まれた。これじゃ村に帰れない!俺たちだって……王国の住人なんだぞ……クソ!」
リュックの背景が理解出来た。理解出来る以上に、ヒロトは内心で怒り震えている。
【何も悪い事はしていない、他人に迷惑もかけていない。なのに何故静かに暮らす事が許されないのか。何故他者は無用な攻撃を繰り返し、自分を不幸のどん底に落とすのか】――このヒロトの根幹に存在した怒りの火種に、リュックの境遇の話が着火したのである。
「リュック、オレで良ければ助力する。金も馬も心配するな」
「ヒロト、お前が?だ、だ、だってお前は“選ばれし者”だろ?俺みたいな“持たざる者”の力になってくれるのか?」
『選ばれし者』そして『持たざる者』とは、このキングダム・オブ・グローリーの世界において、男女以上に大きく種別を分ける要素である。選ばれし者とは、どんなに戦闘で死んでも生き返る『神に選ばれし者』つまりゲームプレイヤーの事を表し、持たざる者とは、死んだらそこで存在が消え失せる『NPC』ノン・プレイヤー・キャラクターの事を表している。つまりヒロトはクエストも発生していないのにも関わらず、NPCの怒りに感化され、協力を申し出たのである。
「リュック、三日だけ時間をくれ。今のうちに金を渡しとくから、これで宿を取って待っていてくれ。必ずオレは帰って来る」
KOG時間ではなく、リアル社会において今日は八月十二日。つまりヒロトが実家に帰る前日の出来事であったのだ。




