30) 提示された未来
都内某所
巨大な駅を中心に、ビジネスマンや学生や海外からの観光客でごった返すようなメトロポリスとは趣きを変え、主要駅を中心として雑居ビルが放射状に広がって行くような、そんな生活感溢れる『実務』の街の一角。
全面ガラスに輝くような近代式ビルとは違い、どこか平成や昭和を匂わせるようなビルの出入り口から、戸井田遥香が出て来た。戸井田遥香とは『ヒナ』の姉で、とある出版社のゲーム雑誌編集部に所属する記者なのだが、どうやらそのビルは彼女の勤め先らしい。
灼熱の太陽が空の中央で自己主張しているような、八月上旬の平日真っ昼間。本来ならば彼女は勤務時間なのであろうが、外出を許されているのかその表情は明るい。いや、それ以上に晴れ晴れとした表情でいるのは、事前に何か良い事が彼女の身に起きたのか、それともこの外出を楽しみにしていたのかも知れない。いずれにしても彼女は、歩幅を大きく肩で風を切りながら、盆休み直前で賑わう街へと繰り出して行った。
彼女の足はどこに向かっているのか。おしゃれなラテを提供するチェーン店か、はたまたこだわりラーメン屋の行列先頭狙いか、それともコンビニスイーツ目当てなのか……。だが彼女はそれら全てを通り越して、一軒の喫茶店の前でピタリと足を止める。メインストリートから一歩狭い路地に入った場所にある喫茶店は、「今どきの女子」が好んで通うような店ではなく、昭和の匂いが漂うような何処か懐かしさ溢れる店構えをしており、この酷暑にギブアップして心折れた営業マンが、仕事をサボって逃げ込むにはピッタリの仄暗さをもっていた。
――いらっしゃいませ―― カランコロンとドアベルの澄んだ音色が店内に響き渡ると、カウンター奥に立っていた白髪のマスターが、抑揚を効かせた低い声で出迎える。
「こんにちは」
「やあ遥香ちゃん、いらっしゃい。いつもので良いかい?」
「いつものでお願いします。今日も暑くて」
どうやら遥香はこの店の常連らしく、店に入った途端マスターと親しげに挨拶を交わす。そして木目調の古びた店内で自分の座る席は決まっているとばかりにL字カウンターを通り越し、壁に沿って並ぶボックスシートへと滑り込む。
「先輩、お疲れ様です」
そのボックス席には既に別の人物が座っており、対面となった遥香に労いを込めた挨拶を送って来た。
「東堂君、お疲れ様。今日は早かったのね、結構待った?」
「いえ、コーヒー一杯分だけ早かっただけです。チームの作業が一区切りしてたので割とフリーだったんですよ」
「あっ、それならネット中継見た?あの放送があったおかげで、編集部はもはや戦場に変わり果てちゃったわ」
軽い嫌味を吐きながらもクスクスと笑う遥香は、当たり前のように『東堂君』の対面に座る。そう、戸井田遥香は自分を『先輩』と頼るこの若者と面談するこために、この喫茶店を訪れたのだ。
「そりゃああれだけのアナウンスがあれば、大騒ぎで戦場に変わるでしょうね。あの放送後に国営放送からテレビ局から新聞社が、わんさか取材依頼の連絡を寄越して来て、会社の電話はパンク状態ですよ」
遥香や東堂の口から出ている『放送』とは、ベルギーに本社を構える【プラネットグループ】による、キングダム・オブ・グローリー、バージョン4.0へのアップデートの案内と、その更新内容について世界同時中継で発表が行われたのだ。世間的には大手ゲーム会社が、人気コンテンツである自社ゲームの今後について語っただけで、SNSのニュースアカウントやゲーム雑誌アカウントが騒ぐ程度なのだが、今回だけは違った。ゲームユーザーやSNSだけでなく、文字通り『世界』が驚いたのである。
アップデート発表は、司会とプラネットグループのCEOであるクリストフ・エグナーにより進行された。今年中にマップを三つ実装する事、そしてレベルキャップ80を解放し、上限を百に引き上げる事。更にゲーム内において『死』の概念が軽いとして、デスペナルティの重大化やイベントや、買収した他作品や果ては不正プログラムによるログインの一掃などなど……。これだけでもヘビーユーザーからライトユーザー全てのユーザーが、破顔して更新を受け入れるような上々の内容であったのだが、最後にクリストフが「CEOから皆さまへ、今後のKOGの展望」として語った中身が、世界を揺るがす衝撃的な内容であったのだ。
「いやぁ、あれはビックリした!ほんとビックリした!……東堂君はあの情報知ってたの?」
遥香の目の前に『いつもの』品が置かれる。ガムシロとミルクの無いアイスコーヒーの「大盛り」だ。彼女はさっそくその大きなグラスに口を付けて、ゴクリと三回喉を鳴らす。そして三分の一ほど減ったグラスに初めてストローを刺して、大事大事に口内へと運び始めるーーこの酷暑の時期、遥香のお気に入りの飲み方だ
「いや、エグナー氏が最後に発表してた内容は、邦人側には伝わってなかったですよ。……だからもうメディア対応と本社確認の板挟みで、日本法人は大戦争状態っす」
「あはは、プラネットグループ・ジャパンも大変だねえ。だけどまあ、身内にも情報漏洩対策を取るだけの、最重要なプロジェクトだったって事よね」
「ですね。本社だけで【それ】を進めてくれたおかげで、我々現地法人も自分たちのプロジェクトに専念出来たと言う利点もありました」
プラネットグループ本社が身内にも秘匿しながら進めた極秘計画。CEOのクリストフが満面の笑みを浮かべて語った内容とはこうだ――『ロビーをプレイヤーの生活空間にする』と。今まで同社が培って来たフルダイブ機能のノウハウを存分に駆使して、KOGのファンタジー世界と現実世界の間に、もう一つの仮想現実世界を作る事を発表したのである。
◼️KOG世界の大地を遥か眼下を見下ろすような場所に『天空の街』を作り、それをプレイヤーの“ロビー画面”とする。そこは現実世界と変わらぬデザインで組み立てられ、人として送る一日の生活、そのほとんどが天空の街でまかなえるような環境をプラネットからが提供すると言うのだ。
具体例を上げれば、世界中の通信インフラを天空の街に引き込んでネット環境の充実を図る――現金・仮想通貨・ゲーム内通貨も利用して現実世界と繋がり、通信や物品購入、テレビやラジオ視聴も可能とし、現実世界で送る普段の生活を、天空の街で送れるようにすると言うのだ。ネットテレビ視聴どころかゲームのオンライン販売を行うプラットフォームまで取り込んで、他のゲームも遊べるとなれば、それはもう現実世界で起きている時間すら短くなる……。
もちろん、天空の街はファンタジー世界のように混沌とした場所ではなく、身分証明を経たアカウントのみが招かれた街である事から、各種犯罪と隣り合わせになる事無く、安心して第二の人生が歩めるのだ。もちろんそれには『自宅』が必要となるが、天空の街は不動産売買を推奨し、人々は自分にふさわしい家屋で自分の時間を過ごし、販売・流通を促進しようとする様々な企業は街に出店する事となる。それだけではない、フルダイブ機能における『酩酊』を利用して、アルコール中毒患者や麻薬中毒患者の治療で実績を上げたプラネット社は、終末期医療患者の緩和ケアなどで病院設立も予定しており、フルダイブ機能と現実世界をリンクさせた治療行為の拡充も計画しているのだ。
――天空の街は世界経済、世界流通、世界通信、世界医療の中心地となり、人種・民族・宗教を超えた世界最大の都市となる――
これがプラネットグループCEO、クリストフ・エグナーが、世界に示したあるべき未来だったのだ。
「何も無い環境、何も無い状態から仮想現実世界を作ろうとすれば、それだけの先行投資が必要になるから、今までそう言うプランをぶち上げておいてコケた企業はいくらでもある……」
「そうですね。だけどキングダム・オブ・グローリーは収益システムを完成させており、環境も整っている」
「ずっと秘密にしてた訳よね。余力が無いのにプロジェクトを発表しても、誰も見向きもしなかった。だけど世界最大手が下準備整えておいて発表すれば、そりゃ世間は大騒ぎするって」
「その分、現場も大変になりますよ。既存のコンテンツの面白さやクオリティを維持出来なければ、そもそもプレイ人口が増える訳が無いですからね。オレたち日本法人も、進めてた二つのプロジェクトの内、一つは見直しが決定しました」
今後待ち構えている苦労が見えたのか、東堂はため息を吐きながら肩をすぼめる。苦労の先にやっと報われるタイミングが来たと思ったら、高いところからリテイク(やり直し)命令が出たのだ。チームのリーダーとしてガックリせずにはいられないと言ったところなのだが、それでも東堂の目は死んでいない。――世界を驚かせたこの発表を追うために、「編集部どころか出版社の各社会誌が一丸となって、プロジェクトを組む事になった」「おかげで専門誌の下っ端記者はお役御免」と、トホホな顔で苦笑する遥香に向かいながらこう切り出したのだ。……先輩の仕事は終わってませんよと、不敵な笑みをこぼしながら。
「おっ!東堂君……久しぶりにネタをくれるの?」
「ええ、本社側から意図的にリークしろと指示が出てるので、正々堂々と情報漏洩出来ます」
東堂の言い回しがツボだったのか、遥香はカラカラと笑いながら、グラスを手にアイスコーヒーを勢いよく空にする。彼女も部外者として時流を楽しむ立場から、再び情報を提供する立場に戻れるのだ。心が躍らない訳が無い。
「日本法人は実装されるマップ三つの内、二つを任されて作っていました。その二つの内一つはリテイク食らいましたが、実装第一弾は俺のチームが作ったマップです」
「す、すごいじゃない!今まで開発は米国法人が主導権握ってたけど、日本法人の逆襲が始まるって言うのね」
「アジアンサーバーのほとんどを、シンガポールとベトナムに移した事で、極東の管理負担が減りましたからね。……まあ、背景事情は良しとして、ここから先が先輩に回せる情報です」
――大型アップデート後の新マップ第一弾は、NPCのAI比率を四割まで上げた北の大地【北方ディスノミア】の実装です――
東堂が言うには、同じセリフを吐き続けるNPCをメイン進行上から極力排して、個々にAIを実装させたNPCとのやり取りを楽しむマップなのだと言う。つまり成績や効率を目指すだけの周回プレイヤーよりも、世界観を受け入れた上で、登場するAIキャラと人間関係を構築した者に、より楽しみが増える内容となっているのだそうだ。
「尚且つ、北方ディスノミアの目玉とも言うべきダンジョンは、フルダイブゲーム初のローグライト。ラスボスについてもプレイヤーの対応次第で、グッドエンドからバッドエンドまで無数の分岐がある……いかがです?」
こんなネタを提供されて落ち着いていられる遥香ではない。東堂の鼻の頭に自分の鼻の頭をすり合わせそうなほどに前のめりになりながら、詳細を教えろと食い下がる。もはや頭のてっぺんから足の先まで好奇心の塊となった遥香に、東堂は苦笑しながらも本社から許された範囲で説明を続ける。
「ねえ、東堂君!いつまで?いつまで我慢したら記事にして良いの?」
「九月上旬に正式発表そして十月実装を予定してます。盆明けのネットニュース版は“ウワサ”程度の記事で我慢してください。八月末にはリーク情報として誌面に出して構いません」
「いやあああ、ヒマなお盆休みが来ると思ってテンション下がってたけど、君のおかげでワクワクするよ!東堂君ありがとう!君が日本法人にいてくれた事に感謝だな」
「お互いさまですよ。まさか大学時代の先輩が世話してくれた就職先が、世界を驚かすなんて痛快です」
時間を忘れたかのように話し込む遥香と東堂。やがて東堂のスマートフォンに仕事先から着信が入り、「茶飲み話」はお開きとなる。
この東堂と言う青年に着信を知らせて来たスマートフォンだが、通話を終えた後の壁紙には興味深い画像が貼られている。どうやら仲間同士の集合写真であるのだろうが、理知的で冷ややかな空気を放つ彼とは真逆の性質で、その画像に並ぶ者たち全てが近代武器で身体を飾り、各々がライフル銃を掲げて笑顔で収まっていたのである。――その壁紙の画像には【パラベラム】と言う文字がプリントされていた。パラベラムとはその集団を表す言葉なのだと推察されるのだが、それが今は亡きフルダイブゲームにおいて、最強のギルドの名前だと気付く者はいなかった。
◆ 天より貫きし者 編
終わり




