28) 気に入りませんか?
「やめろ、やめてくれ!」
ヒロトを襲い続けるドッペルゲンガーに向かって制止を求めているのか、彼は何やら叫び始めた。
「こんな事をしても意味が無い、その槍を収めてくれ!」
「この期に及んでその物言い、汝れは臆したか!」
「違う違う、ここで戦っても意味が無いんだよ!」
「意味が無い訳無かろう、この不届きな侵入者め!」
ドッペルゲンガーの槍の暴風はまるで吹き止まない。
重装槍歩兵ファランクスのように的確な刺突を繰り返し、戦国時代の足軽のように豪快なぶん殴りを繰り返し、中国拳法の棍術のような変幻自在の遠心力で技を繰り出す……まさに槍のマスタークラスが仕掛けて来る攻撃を、紙一重でひたすら避けるヒロトだが、何を思ったのか急に『説得』を始めたのだ。側から見れば命乞いをしているような滑稽な光景でもあるのだが、どうやらそれは戦意喪失から来る逃避の姿勢ではなく、ヒロトが抱いた疑問に対する彼なりの答えらしい。……それが証拠に、彼の瞳にはまだ闘志の炎がメラメラと燃え盛っている。敗北と言う言葉が一番似合わない程の不敵な表情を浮かべていたのだ。
「オレはあんたに言っている。娘さん、聞こえてんだろ?」
「痴れ者め、何を寝ぼけた事を言っておる!」
「あんたに話してる訳じゃない、オレは娘さん!……あなたに話し掛けてるんだ!」
ギリギリ。紙一重・連舞でドッペルゲンガーの猛攻を避けてはいるが、紙一重のリキャスト時間がコンマ数秒でも遅れれば、クリティカルダメージを伴う槍の攻撃が容赦なく襲って来る。もちろんそれが一度でもヒットしてしまえば、既に瀕死状態にまでヒットポイントが落ち込んでいるヒロトは死亡……ゲームオーバーで再び地上のリスポーン地点からやり直さなければならない。つまり後が無い状況だ。更に槍のスキルもスロウアームズに組み込めるレベルに上がっただけの状態で、マスタークラス並みの技量を持って攻めて来るドッペルゲンガーに対して槍で対抗出来る訳が無い。
進退極まった状態とはまさにこの事なのだが、それでもヒロトは活路を見出したようである。――それが『娘』に対する語りかけなのだ。
ヒロトが抱いた疑問に対しての推理・推論とはこうだ。
――地上にいる氷の女王と、今目の前にいる者は、本人とドッペルゲンガーと言う関係ではない
――二人は元々一つの存在であった。それが分裂して魔導師と槍術使いに分かれた
――二人の立ち位置も明確化されている。魔導師は温和で冒険者の背中を押し、槍術使いは最下層で冒険者の行手を阻む
――この二つの存在が一つに統合され、一つの人格となった場合、どういう立ち位置の存在になるのだろうか?
ヒロトが導き出した答えがこれだ……『囚われた娘にとって、理想的な母親像なのではないか』つまりこの永久凍土の地下墳墓の主は囚われた娘の魂、強い恨みを持って非業の死を遂げた『娘』こそが、このダンジョンのキーパーソンなのではないか、と。
地上にいる女王からこのダンジョンの成り立ちはこう聞いていたーー「ここは妾の墓だったが、その後地上に政変が起きて、娘と家臣たちはここで人柱として殺された。そして怒りに震えた女王の魂がこの地を呪いの場と変えた」
だが実は違うのではないか、地上の女王は、地下墳墓最深淵にいる者を打ち倒して呪縛を解き放って欲しいと頼んだが、それこそが娘の魂の願望なのではないか?と考えたのだ。
娘の魂は強い恨みを抱いてこの地を呪っている。つまり信用していた【誰か】に騙されて殺され、今もその人物を恨んでいる。そして自分を騙した存在と対を成すかのような存在を幻想体として生み出した。その幻想体とは魔法にも武術にも長けた文武両道の人物で、厳しくてそして優しい……。
「娘さん、あんたは女王である母親に騙されて殺されたんだ!その強大な力を危惧したのかどうかまでは分からないが、あなたは母親に裏切られ殺された。だからあなたは理想の母親を幻想体として作り出し、孤独な自分を慰めている、違うか!」
「黙れ黙れ黙れ!汝れの相手は妾ぞ!」
「だが娘さん、あんたは悪になりきれなかった!この地を呪い続ける事を良しとしない心、良心の欠片があんたにはあった!だからあなたは自分を慰めていた母親を二分割して、冒険者に自分を倒せと誘ったんだ!」
「違う、違う違う違う!チガウチガウチガウチガウ……!」
ヒロトの言葉に槍術使いの動きが鈍る。足取りがぎこちなくなったり技が途切れたりと、まるでそれはヒロトの推論が当たりだとでも答えているかのよう。そしてヒロトは長い間会話を重ねて来た「地上の存在」との会話を思い出す。彼女との約束を思い出したのだ。
「……ディスノミア、これはあなたのファミリーネームですね?あなたはこの名前が嫌いだと言っていた!」
「知らぬ、知らぬ、知らぬ知らぬシラヌシラヌシラヌ」
「だから新しい名前をつけろとオレに言っていた。だがオレは新しいファミリーネームなんて作らない。家族の名前や記憶は消す事が出来ないからだ!」
それまで暴風雨のようだった槍がピタリと止まる。どうやらヒロトの言葉が彼女の魂に届き、それを揺さぶっているかのようだ。
「あなたが自分の名を忘れてしまっていても、ファミリーネームは覚えていた。たとえ嫌悪していたとしてもだ!だからオレはディスノミアに変わる名前は付けない、あなたの……あなたの新しい名前を付ける!」
当初はドッペルゲンガーだと思っていた母親の幻想体が、完全に動きを止めて沈黙する。それまではヒロトの言葉を全否定しながら、娘を守る程で槍を奮っていたのだが、この時点この段階で攻撃色は消え去った。それはつまり、ヒロトの推測が当たりである事を証明したのである。
「ギリシャ神話は良く分からない、不法の女神とか戦の女神だとか不穏だけど、天文学で考えれば衛星ディスノミアを照らす大いなる母星があるんだ。その名は準惑星エリス、エリス!あなたは今日からエリス・ディスノミアを名乗るんだ!」
薄暗いこの地下世界が、ヒロトの叫びで一変した。重苦しい湿気と、呪いに澱んでいた空気があっという間に消え去り、若草が香るような生新な空気が漂い始めた。神聖力が込められたかのような清らかで澄んだ気配、清洌さに包まれたのだ。
そして動きを止めた母親の幻想体は、まるで蒸発でもするかのようにその場でスルスルと消えて行く。――終わりだ。そう感じるヒロトの身体からも緊張が消え、フロアの中心にそびえ立つ柱に向け、その足を運び始めたのだ。
「エリス……エリス・ディスノミア。この名前は気に入りませんか?」
「汝れが付けてくれた名前だ。気に入らぬ訳が無かろう」
柱も、手錠も、鎖や目隠し、エリスを縛っていた物全てが静かに消え、神々しく輝く少女が微笑みながらヒロトを待っている。
長い苦労を経て、見事ヒロトは「地下最深淵にて、呪い振り撒く者」を打ち倒したのである。