23) 誇り高き敗北 後編
「ちいっ、しくじったか!」
いきなりアクティブ化したリッチは、手にした錫杖を高々と上げて呪文の詠唱を始め、機を伺っていたヒロトを大いに慌てさせる。
我が盟約に囚われし魂たちよ――と、リッチが輝く錫杖に口上を述べ始めると、大聖堂の床に無数の魔法円が浮かんで怪しく輝き始めている。その魔法円一つ一つが召喚なのか攻撃魔法なのかまでは分からないが、ヒロトの脳内で危険を知らせるアラームが盛大に鳴り響いている事に間違いは無い。
「四の五の言ってられない。初弾ハートショット!いけえ!」
リッチが何を仕掛けて来るのかなどお構いなしに、猛然と前にダッシュを始めたヒロトは、その勢いを右手に掴んだ槍に乗せ、大きく振りかぶりながらそれを放つ。
ギン!と音を立てながら空気を切り裂いた槍は、見事リッチの中心部を貫く。しかしあくまでも相手は心臓部の無いアンデット、槍に貫かれて直ぐに絶命する事は無くダメージとして蓄積されるだけなのだが、氷の女王の施した秘術が待ってましたとばかりに発現を始めたのだ。
「ギャアアアアアア!」
リッチの悲鳴が大聖堂に響き渡る、巨大な大理石で組まれた神秘的な空間が下卑た悲鳴に染まる狂気的な瞬間だ。氷の女王の魔法付与はリッチの魔法詠唱を妨害し、周囲に発生していたカエルの卵のような無数の魔法円は、周波数のズレたテレビ放送のように横に無造作な斜線が入り組んで、瞬く間に魔法成立が阻害されてしまう。
「今しか無い。この瞬間だ、この瞬間にボコるしかない!」
リッチに肉薄したヒロトは、リッチの胸に刺さったままのスピアをズルリと引き抜き、あらん限りの体術で身体を回転させながら、スピードが充分に乗った槍の穂先や柄をリッチに叩き付ける。リッチの魔法攻撃を成立させないために先ずジャミングを行い、その後槍を使った物理攻撃でリッチのHPを削り取る作戦なのだ。
「うりゃあ!せい!沈め!」
「小賢シイ虫ケラガアアアア!」
この数十メートルの距離をダッシュした事で、ヒロトのスタミナゲージはオレンジ色を切って赤色に差し掛かろうとしている。つまり物理攻撃を行うにしても、攻撃ヒット時にリズム良く次操作を繋ぐチェーンアタックが枯渇寸前となっており、長期戦を戦い抜くだけの懐深さは無い。つまり今現在は物理攻撃、リッチの魔法詠唱を妨害する刺突攻撃、地味にゲージを上げたチェーンアタックの三種類しか攻撃のレパートリーが存在しない。
ひるがえってリッチ側にしても、物理ダメージを軽減するシールド防御発動と、ヒロトに対して錫杖を振り下ろす物理攻撃、魔法詠唱を完成させてレイス軍団をアクティブ化させる――この三種類しか対応策が存在しないのだ。
つまりはジャンケン。リッチがシールドを開けば、ヒロトがチェーンアタックでそれを潰す、リッチが錫杖で物理攻撃すれば紙一重・連舞で避ける、リッチが魔法詠唱を再開すれば槍の刺突で妨害する。……極めて高度な戦いでありながらも、どちらも我慢比べの千日手に陥っていたのである。
「クソ、HP底無しとかチートも良いところだろ!スタミナ切れでチェーンも非アクティブになっちまった、もう殴るしか無え、殴り続けるんだ!」
ガチン、ガチン、ガチン、ガチン!と、まるでハードテクノの冷たく重いドラムベースのようなリズムを刻む戦い。リッチがどれほどダメージを蓄積させ、そしてどこまで蓄積させれば消滅するのかは未知数だ。しかし翻って自分自身のステータスは、最悪な状態であるのが手に取るように分かる。
(左胸骨二番破損!)
(右上腕二頭筋断裂七割!)
(左側頭部頭蓋損傷!)
頭に受けた傷から、ドロリと血がしたたり左目に入る。刻一刻と紙一重が知らせて来る打撃ラインの赤い線が、見極められないほど視界が真っ赤に染まる。だがここから逃げる事など当たり前の如く不可能であり、停戦も和解も通じる相手ではない。
「倒れろ!倒れろ!倒れろバケモノ!早く、早く、早く!」
「思イ上ガルナ人間メエ!コレシキノコトデ、コレシキノコトデエエエエ!」
ひたすら攻撃する事が勝利条件となったヒロト
ひたすら防御する事が勝利条件となったリッチ
どちらが勝ってもおかしくない戦い。時計の秒針、それとも長針、短針がどれだけ動いたのか分からない戦いだったがやがて決着が付いた。リッチの動きがピタリと止まり、そしてシュウシュウと煙を吹きながら消滅を始めたのだ。オゴゴゴと、言葉にならない怨嗟の呻めき声を漏らすのが精一杯……つまりヒロトの完全勝利、リッチの敗北が決定した瞬間だ。
「やっと……やっとだ、とうとうやったな。永久凍土の地下墳墓、最下層のラスボスクリアだ」
満身創痍で膝がガクガクと震えるも、満たされた顔で立ち上がる。それと同時に大聖堂の奥に燦然と輝く祭壇と聖書台が、ゴゴゴゴと石を擦り合わせながら床ごと落ちて行く。
「隠し部屋への入り口か?……そうだな、宝物庫がアンロックされてもおかしくない。いただける物はいただいて行くか」
ポーションも薬草や包帯を入れたファーストエイドキットも枯渇し、見るも無惨ないでたちにはなってしまったが、気分は悪くない。レア武器はオレが貰うとして、レリック・アイテム(聖遺物)は女王様に献上しよう。それに名前も考えてあげないと……と、開かれた地下通路の入り口を潜り、階段を降りて行く。
――ここでもう一度警戒体制を取ったり、引き返して地上に帰る選択肢を失念していた事、ヒロトは後々まで後悔し、後の仲間たちに語り継ぐ事となる。画竜点睛を欠いたと――
下り始めた「宝物庫」への階段道、下っても下っても宝物庫にたどり着けないどころか、ヒロトが考えを変えて引き返そうとするのを阻止するように、ドカンバタン!と背後に分厚い扉が落ちて来て、Uターンを阻止するのだ。
「ちいっ、しくじったか!」
今さら恨み言を口にしたところで状況は変わらない。階段はどんどん下方へと進み、その終点すら見えて来ない。
悪い予感が確信に変わるのに、それほど長い時間はかからない。宝物庫でお宝に囲まれてニッコニコの幻想は脆くも崩れ、リッチ登場以上の圧倒的な悪寒と絶望感すら覚えていたのだ。
「ラスボス……履き違えたか。甘かったんだ、オレが甘かった」
ここでヒロトは棒立ちとなる。
何と彼の目の前に現れたのは【街】。いや、街一つがすっぽりと入るほどの高さと広さと奥深さを持った、桁外れの巨大な空間が現れたのだ。
「……終わったな。オレには切れるカードがもう無い」
広大な広場の中央に目を凝らす。するとそこには氷の女王とそっくりな女性がいる。見た目だけでなく上品な空気を漂わせる美しい女性なのだが、「何か」が違う。そしてその隣には……柱に括り付けられ手足を拘束され目隠しまでされた少女の姿がある。
「そうか、なるほどね……こちらがラスボスだったか」
氷の女王にそっくりな女性は、ヒロトを絶対零度の視線で見下ろしながら、二つ三つ言葉を発する。そして隣の拘束された少女に合図を送る。すると少女は魔物の様に残忍な口を大きく開けて何かの準備に入ったのだ。
(まさにローグライクなダンジョンだな、逆にすがすがしくなって来た。とりあえずオレは良くやったよ、独りで良くここまで来れたもんだ)
拘束された少女がギャアアア!と悲鳴を上げる。少女の悲鳴と言うよりも、まるで電子ピアノの和音を全てを外して叩いたかのような狂気じみた音。その叫び自体に膨大な魔力を秘めた爆発的な悲鳴だ。
(今はオレの負けだ、胸を張って地上に帰ってやる。次だ、次はオレが勝つから……)
――今は好きなだけ勝ち誇っていろ――
にっこりと微笑んだヒロトが、それを口にする事は出来なかった。何故ならば拘束された少女の悲鳴がヒロトの身体を蒸発させてしまったのだから。