20) タラシの素養
『永久凍土の地下墳墓』 その名称を聞くと、凍てつく大地の底に広がる無数の白骨、無数の墓標を想像してしまうのは至極当然なのだが、不思議な事に地下墳墓を覆う大地は穏やかそのものである。地上にまでをも包む分厚い雪雲をくり抜いたように「その場所」だけに眩い日の日差しが入り、ブリザード吹き荒れる極寒の地域で「その場所」だけが若草がそよ風になびく春の様子を見せる……まるで神の力の采配を彩るような神々しくも恐しい場所。そこに今ヒロトは捕らわれている。
初めて氷の女王と会った際、彼女からここは『北方ディスノミア』と言う名称の地域だと聞いたが、案の定ログアウト時にネットで調べると、キングダム・オブ・グローリーのマップにはそんな地域は実装されていなかったし、永久凍土の地下墳墓などと言うクエストも存在しなかった。つまりはテストサーバーに飛ばされてテストプレイをさせられているのかな?と推察するのが精一杯なのだが、意外な事にヒロトはその状況を悲観するどころか、嬉々として運命を受け入れて楽しんでいたのだ。
永久凍土の地下墳墓、その地表にあるスタート地点。地下に進むための祠の目の前にあるヒロトのリスポーンビーコンの前で、氷の女王はゆったりと若草に腰を下ろしながら、何やら楽しげにビーコンを見詰めている。その表情には穏やかな笑みには、何かを期待しているかのようなイタズラっぽい成分も含まれており、彼女がここで時間の流れに身を任せているのには、どうやら理由がありそうだ。
――やがて空の頂上に君臨していた太陽が雪雲の彼方へと消えて、月明かりが差し込む時間に変わるのだが、氷の女王はその場でくつろいだまま。そして月の支配が終わりを告げ、新たな太陽が天頂に昇った頃。彼女がそこにいた理由の根源が現れたのだ――
「……ぶはぁ!はあっ、はあっ!」
クリスタルで出来た細長い杖が地面に刺さっており、その杖がキラキラと眩い光を放ち始めると、その場にヒロトが現れたのだ。
「いやあ、これはキツイ!ちょっとこれ、突き詰めて考えないとダメだな」
現れるなりあぐらをかいて、頭をかきむしる。地面を睨みながらブツブツ独り言を繰り返し、女王などに目もくれない。
「スケルトンシリーズはまだ良い、スケルトンキングまでは力押しで勝ち目は見える。だがレイスなどの死霊シリーズが出て来ると、戦闘自体が魔法戦に変わる。これは何か方策を立てないと……」
そう、ヒロトは【永久凍土の地下墳墓】攻略に心血を注いで二週間、未だに最下層最深部に到達出来ないでいる。ダンジョンにアタックしてはモンスターの戦闘で負けてしまい、地下とこのリスポーン地点を往復する日々を繰り返していたのだ。
――多分、この北方ディスノミアと言う名の地域と永久凍土の地下墳墓と言うダンジョンは、テストサーバーに実装されており、自分はテストプレイをしているのだろう。それが証拠に……あくまでも自分の実感ではあるのだが、敵モンスターのエンカウント頻度から敵の強さ、そしてスキル発生頻度などが微妙に調整されているのを感じる。つまりデバッグとまでは言わないが、運営側が一般プレイヤーにテストプレイをさせて、難易度調整を行なっているのでは?と推測しているのだ。
(一般プレイヤーにテストプレイさせる事、それは情報リークの危険性をはらんでいる。スクショを撮ってSNSに公開したりとか、ウワサを広めたりとか……オレはそんな気はさらさら無いからやらないが、もしそうなっても直ぐに実装の公表が出来るくらいの状態で仕上がっている。このマップはそう言う状況なんだろうな)
割り切ってゲームプレイを楽しむ事に専念するヒロトなのだが、ここに来て壁にぶち当たってしまっていた。ダンジョンに現れる敵モンスターと自分の戦闘スタイルがどうにも相性が悪く、あらん限りの試行錯誤を繰り返したとしても、毎度毎度リスポーン地点に戻されるようなゾーンに入ってしまったのだ。
「先ずエンカウントの状態から不利だ、レイスがいるパーティーは最初から範囲魔法を駆使して来るし、そもそも前衛のゴーストの物理判定がコア(核)だけってのもなあ」
「おやおや、だいぶ悩んでおるようだの。地下探索は厳しいか?」
「いや、厳しいですね。基本のスタイルを変えるべきか悩むほどに厳しいですね」
頭を抱えて独り言を繰り返すヒロトを、それまでは氷の女王も微笑みながら黙って様子を見ていたのだが、いよいよ手詰まり感が本人から溢れて来たのが気になったのか、彼の顔を覗き込みながら話しかける。
「今日は何階層まで下ったのだ?」
「十六階層までです。そこで見事に撃沈しました」
「ふむ、まだまだ先は長いのう。それで還って来た早々に敗因の分析か」
「敗因の分析は必須だと思いますよ。省みる事無くムキになってこのまま再トライしても、また同じ失敗を繰り返すだけですからね」
地下墳墓十階層までは、スケルトンの軍団が門番のようにヒロトの前に立ちはだかったのだが、十階層を過ぎると敵モンスターの種類が更新され、死霊軍団がパーティー戦を仕掛けて来るようになったとの事。それも物理攻撃プラス魔法援護が基本戦法となっていたスケルトン軍団と大きく違い、死霊軍団はダイレクトな魔法攻撃を基本戦法としているので、対処が非常に難しいのだそうだ。
「今現在は槍持ちの暗殺者。紙一重のスキルで敵の攻撃範囲は見えるのですが、複数のレイス(死霊)が一気に重ねがけして来ると、さすがに避けきれなくて」
「なれば、汝れも魔法で対抗すれば良いではないか」
「あはは……女王様、オレのMPほとんど無いんすよ。ヒール何発か撃ったら枯れます」
「何と!……まあ妾にポーションをせがむ姿から何となくそんな気はしてたが」
「暗殺者、暗殺職って戦技に重きを置いてるだけで、肉弾戦も魔法戦もからっきしですからね」
情け無い表情を浮かべながら苦笑するも、ヒロトは戦意を失っている訳ではない。今も脳裏では考察を重ねており、その挑戦に対する意欲の輝きは瞳に蘭々と浮かんでいる。――古の時代にディスノミアと呼ばれた氷の女王は、そんなヒロトに好意的な表情を浮かべながら提案する。
「妾は汝れに地下墳墓の最深に到達し、そこに待つ者を討ち果たして欲しいと思う。汝れは地下墳墓の最深に待つ者を打ち果たして、この地の呪縛から解き放たれたいと願う。それで相違無いな?」
「そうですね、それで間違いありません。それに……あなたに名を付けると言う栄誉もありますからね」
このセリフは氷の女王の心をいたくくすぐったのか、彼女は悪戯っぽい笑みを口元に浮かべながらもそれを軽快に笑い飛ばす。そして彼のリップサービスに乗ってやるとばかりに、勢い良くヒロトに顔を近付け艶やかな瞳で見詰めた。
「ふむ、これが母性をくすぐられると言うものなのか。ふふふ、汝れはタラシの素養もあるようだな」
タラシとは「女たらし」を意味しているのだが、その皮肉の言葉を持って女王はヒロトに全力で協力する事を確約する。つまり女王はまんまと彼に惚れてしまったのだと、暗に示していたのだ。
「必要なだけのポーション、糧食、緊急避難テントを用意してやる。それとな、ヒロト。魔力に乏しい汝れの情けなさに免じて、汝れの武器に魔力を付与してやろうではないか。……さあ、槍を出せ」
これがきっかけ。魔法からっきしの暗殺者ヒロトが、破竹の勢いで快進撃を始めるきっかけとなった、これこそがターニングポイントだったのだ。