2) 前段:レジオン・オブ・メリット(勲功章)
東西南北見渡す限り、地平線の彼方まで荒野が広がっている殺伐とした環境。ゴツゴツした岩と湿度のカケラも感じさせない乾いた砂だけで彩られたこの荒野で、ギラつく太陽に熱せられた空気だけが、揺らいで動いている。
「距離……八百メートル。八百メートルでゼロインよろしく」
「八百メートルでゼロイン、コピー」
「風を確認、東から西に風速約三メートル」
「東から西に風三メートル。レティクル調整良し」
「……情報通り来たぞ、戦狼傭兵団だ」
人影すら見付ける事の出来ない岩場から、不思議な事に二人分の男性の声が聞こえて来る。会話の中に出て来たゼロインとは、ライフルで長距離狙撃を行うにあたり、弾道が放物線を描く事で発生する照準器との誤差を埋める作業の事。つまり八百メートル先の地点にターゲットが存在するので、放物線の落下点を八百メートル先と考慮して、照準器の上下軸を合わせる事を言う。また、レティクルも同じく照準器に表示される目盛りの事であり、弾道が横風に流される可能性を考慮して目盛り合わせを行う事を言っていた。
砂トカゲすら日影に隠れるほどに、ジリジリと照りつけられる灼熱地獄の環境下、この岩場には全身をカモフラージュさせた兵士が二人伏せている。一人はスポッターグラスと呼ばれる観測用双眼鏡を覗き込み、一人は狙撃用ライフルを構えながら、照準器の先にある光景だけを見ている。
スポッターグラス、そして照準器の先にある光景とはつまり彼らのターゲット。五台のタクティカル(ピックアップトラックの荷台に機関銃を設置した多目的車両)から降りた武装集団に、焦点を当てていたのだ。
「こちらクレバーマウス1より、ファニードッグどうぞ」
(こちらファニードッグ、クレバーマウス1送れ)
「ピザ屋のデリバリーが始まった、顧客は配達を待っている」
(こちらファニードッグ了解した。顧客の中に上得意はいるか?)
「こちらクレバーマウス1、上得意の顧客を確認、前情報と容姿が一致した」
(ファニードッグ了解した、今虫取り網の準備をしている。我の合図まで待て)
「クレバーマウス1了解、アウト」
スポッターグラスを構える男性、つまりクレバーマウス1が無線で交信を行なっている。隠語でカモフラージュしているが、ピザ屋とは現金輸送車の事であり、顧客とは先に述べた戦狼傭兵団を表している。つまり上得意の顧客とは戦狼傭兵団のリーダーを指しているのだ。
――警備部隊ギルドのタスクミッションで、現金輸送車が今日このキロチ荒野を横断する――
有名な武闘派ギルド『戦狼傭兵団』が、その現金輸送車を襲撃すると言う事前情報を入手。コールサイン「ファニードッグ」をリーダーとする謎の部隊が、戦狼傭兵団を狩ろうと密かに動いたのである。
「ヒロト、いつ号令が出るか分からん。狙撃準備そのままで」
「分かってるよ万寿さん」
「しかしあれだな、あの噂本当なのかな」
「噂って、サービス終了の噂?」
「ああ、キングダム・オブ・グローリーのプラネット社に買収されるんじゃないかって話」
「……俺には良く分かんないよ」
そう。この現代戦の装備を基本としたフルダイブ近代戦MMO『レジオン・オブ・メリット(勲功章の意)』のプレイヤー同士で、今一番ホットな話題がこれ。ホットと言っても良い噂ではないのだが、フルダイブMMOの最大手であるキングダム・オブ・グローリーを配信しているプラネット社が、ゲームコンテンツごと競合他社を丸々買収している事実に間違いは無く、人気に陰りが見えて来たこの近代戦ミリタリーゲームも、会社ごと買収されるのではと、ユーザーの間にまことしやかに囁かれているのだ。
「まあ、買収されるならされるで良いけどさ。キリの良いところで俺は卒業だ」
「あ、そろそろ万寿さんのお子さん産まれる時期か」
「来月予定だから、その頃にはな」
「……寂しくなりますね」
「まあそう言うな、誰だっていつかはあるよ」
作戦開始直前の緊張感が薄れ、二人の間にしんみりとした空気が漂う。方や妻の出産を控えた社会人、方や勉強しているのかも分からない少年。歳の差を超えた友情が間違い無くそこにはあったのだ。
(……こちらファニードッグより、クレバーマウス1どうぞ)
この先レジオン・オブ・メリットのプレイヤーたちは、一体どう言う未来が待っているのであろうか。――結論の出ない不安によって、二人の精神力が散漫になりそうになっていた時、いよいよリーダーからの無線が入った事で現実に引き戻される。
「こちらクレバーマウス1、クレバーマウス2も指示を待っている」
(こちらファニードッグ、虫取り網の準備は出来た。決行だ、やれ!)
リーダーからの明確な指示が出た。クレバーマウス1ことプレイヤーネーム「万寿」は、うつ伏せでスポッターグラスを覗いたまま、隣で微動だに動かない「ヒロト」に向かって囁いた。
「目標、戦狼傭兵団リーダー、初弾ハートショット……撃て」
ライフル発射時の盛大な炸裂音と発射炎の光を抑制するため、銃身の先端に取り付けた筒状の制音装置・サプレッサーの先から、「テシッ!」っと言う湿り気のある炸裂音が轟く。
「ハートショット、ヒット。ターゲットのダウンを確認。次弾要求、ヘッドショット」
スポッターグラスの先、視界がぼやけるほどの遠距離にいる「人らしき影」が、胸を押さえて膝まづくように見える。ここで万寿はダメ押しとばかりに、心臓狙いのハートショットではなく、確実にトドメを刺せるヘッドショットを要求したのである。そしてヒロトは万寿から次の指示が来るであろうと承知していたのか、穏やか且つ確実な右手の動作でコッキングレバーを動かし、廃莢と弾丸の再装填を済ませていたのだ。
「今だ、撃て」
……テシッ!
鈍くて湿った炸裂音が辺りに響く。二射目を放った結果がどうなったのか……それは抑揚を抑えた万寿の宣言が全てを物語っていた。
「対象を完全制圧。グッキルだヒロト」
「……当然」
作戦を見事にこなして安堵する二人。そこへリーダーから無線が入って来る。もちろんファニードッグ率いる本隊側でも、これ以上無いほどの成功を納めた連絡だ。
(こちらファニードッグ、戦狼傭兵団のリーダーさんが情報通りのリスポーン地点で復活した!既に確保!さあ身代金たんまり請求するぞ!)
――そう。ヒロトたちのチームは、戦狼傭兵団のリーダーを拉致して身代金を得るため、リーダーのリスポーン地点(復活地点)を事前に取り囲んでおいて射殺し、復活したところを身柄確保しようと作戦に及んでいたのだ。
「無事終了だ。ヒロト、今日はギルドハウスでパーティーだな」
抑揚を抑えていた今ほどまでの口調と違い、喜びと達成感に満ちたトーンで言葉を放つ万寿。さあ帰ろうかと立ちあがろうとした時、ヒロトの切羽詰まった怒鳴り声が響いた。
「万寿さん動くなっ!」
「ど、ど、どうしたヒロト?」
「十一時の方向、距離五百、何かキラリと光った!嫌な予感がする」
「そんな事無いだろう」「気のせいだよ」「大丈夫大丈夫」など、ヒロトが感じた異変に対して楽観的な態度は微塵も見せず、全てを信用しているかのように万寿は伏せたまま肉眼でその方向を見詰める。もちろんヒロトも照準器にキャップを被せて肉眼で凝視している。肉眼を駆使するのは、レンズ光の反射で自分たちの居場所を敵に教えないためだ。
「どうだヒロト?こっちに狙いをつけてるか?」
「ごめん万寿さん、今は見えないけど、あの岩場の影が一瞬だけキラっと……」
「謝る必要なんか無いよ、俺は信じるぜ。そもそもチームのトップスナイパーの勘を信じない奴なんかいないさ」
「ありがとう」
「戦狼さんも事前に狙撃手を配置してたって線も否定出来ないしな。それで、俺たち脱出出来そうか?」
「まだスポッターグラスで探してる段階だと思う。このまま立ち上がったらモロバレだけど、相手の注意を逸らせるなら……」
ヒロトのその言葉に、ならば簡単だと万寿はニコリと笑みを洩らす。俺に任せろと言いながら、万寿は懐から大量の線と数字が書き込まれた地図を取り出し、そして無線の通話スイッチを押した。
「こちらクレバーマウス1、ファニードッグどうぞ!」
(こちらファニードッグ、クレバーマウスどうした?)
「イヤな予感がしてポイントから離脱出来ない!クレバーマウスチーム離脱の援護を頼みたい!」
(こちらファニードッグ了解した。支援火器チームのヘブンズキャットがまだ待機している、直接ヘブンズキャットに指示を出せ)
「了解、感謝する」
(……ザザ……こちらヘブンズキャット、だいぶお困りのご様子ですねぇ)
「クレバーマウス1だ、足止めを食らってる!迫撃砲の火力支援を頼みたい!」
(ヘブンズキャット了解、派手にやるんで座標よろしく!)
ようやく自分の出番が来たとばかりに喜ぶヘブンズキャット。楽しげなその声にヒロトと万寿は苦笑しながら目を合わせる。
「ヘブンズキャット、観測用で一発試射しろ!座標256の130だ!」
(座標256の130了解。観測用試射一発!いきますよ!)
万寿が狙いを付けていた岩場よりも、幾分前に大きな砂埃が上がり、遅れてドオオン!と迫撃弾の派手な炸裂音が万寿とヒロトの鼓膜を揺さぶった。
「クレバーマウス1よりヘブンズキャットへ、修正増し40、右10!効力射頼む!」
(ヘブンズキャット了解、修正増し40右10、効力射三発行きまっせ!)
「よしヒロト、着弾したら一目散に逃げるぞ!」
……ゲームのジャンルにおいて呼ばれるものに「MMO」と言うものがある。要はオンラインゲームの事なのだが、大規模な人数のプレイヤーが参加して一つのフィールドで遊ぶ様式の事を massively multiplayer online、つまりMMOと呼ぶ。
MMO洋式は古くから存在し、フルダイブシステム全盛期の今も多くのユーザーを獲得するコンテンツの一つではあるのだが、大規模参加型と言うゲーム仕様は必ずと言って良いほどに一つの問題を生じさせるーーそう、人間関係だーー
MMOゲームを遊ぶにあたり、人間関係を上手に構築する事が出来れば、ストーリーやシステム以上に楽しい要素として光り輝く。オンラインを通じて第二の人生を満喫すると言っても過言ではない。翻ってもしMMOゲームで人間関係の構築に失敗したとしたら……。結局のところ渋谷のスクランブル交差点の真ん中で行き交う人々の表情を見ながら、誰とも目も言葉も交わす事の出来ないような、孤独を味わう事となる。
このフルダイブ近代戦MMO『レジオン・オブ・メリット』で活躍するプレイヤーたちも人間関係構築に成功しているように見え、よりゲームを楽しくプレイしているように思える。つまり謳歌しているのだ。……ただ、企業買収のウワサは絶える事無く、やがて何かしらの形となって彼らに現実を突き付ける事に間違いは無い。それは予言ではなく、予告に近いほどの確実性を持っていた。
――果たしてその時、彼らはどのような化学反応を示すのであろうか――