16) クエスト発生
……意識が戻って来た……
KOG運営からのダイレクトルーリング(直接裁定)で、ナフェス荒野から強制転移させられたヒロト。わずか数秒ではあるが暗闇に包まれた暗黒のロード時間を経て、今は瞼の外の世界に光を感じるようになって来た。
うっすらと目を開ける感覚、視界がクリアになるとそこに広がっていたのは、上下左右どこを見ても突き抜けるような真っ青な空。どうやら自分は仰向けで横になっているのだと実感する。
「しかし……怖いくらいに真っ青な空だ。どこなんだここは?」
むくりと上半身を起こして辺りを見回す。もうその時点で、ヒロトは腰を抜かさんばかりに驚き、そして呆けてしまう。なぜならば、青空が見えるのはヒロトのいる場所の上空だけで、周囲は猛吹雪で覆われた極寒の世界だったからだ。
「……っと、何だここは?俺の周りだけ春なの?」
挙動不審者のように首が左右にチョコチョコ動き、その上の顔がさらにクイクイと動く。さらに目ん玉が落ち着き無くキョロキョロ動く事で、いつも冷静で浮世離れした落ち着きを感じさせる少年が、完全に動揺しているのが分かる。――それもそのはず、東西南北彼方の奥まで目を凝らしても、ぶ厚い雲に覆われた真っ暗な暴風雪の景色が広がっているのに、ヒロトを中心に半径五十メートルほどの円だけが春なのだ。まるで円筒形の茶筒でくり抜いたように、彼の周りだけが穏やかな世界なのだ。
「……目が覚めたか冒険者よ」
言葉に霊力が込められたかのような、凛とした声がヒロトの背中を撫でる。驚いて振り向くとそこには、薄手のドレスを身にまとった『見るからに』霊験あらたかな女性が微笑んでいるではないか。
「……雪女?いや、さしずめ氷の女王と言ったところか」
「何やら俗な呼び方で妾は好かぬな。せめて冬を呼ぶ貴婦人くらいの表現はして欲しいものだ」
「それは失礼しました。俺の名はヒロト、二つ名は後回しにして、あなたのお名前は?」
「妾に名など無い。悠久の時を重ねて来たが、神格者となってから名乗った事は無いよ。名など名乗る意味が無かったからな」
「あ、はい」
……ちょっと面倒臭い系統の人かな……
ヒロトが苦手意識丸出しの表情で後ずさると、その女性は悟ったようにクスクスと笑い出す。「ああ、この子は女性と接するのが苦手なんだな」と、いたずら心がくすぐられるような笑顔だ。
「ちなみに、ここはどこですか?」
「ううむ、何万年と生きておると大概のどうでも良い事は忘れてしまうが……確か妾を倒そうと乗り込んで来た過去の英傑たちは、ここと妾をディスノミアと呼んでいたような」
太陽系準惑星エリスの衛星ディスノミアか、それともギリシャ神話で無法・秩序破壊の女神ディスノミアの事だろうか?名を聞いて思案を巡らせるヒロトであったが、そこで大事な事に気付いてつい口からポロリとこぼす。
――ディスノミアって呼ばれてたなら、名前はディスノミアで良いのでは――
すると、その神格者は頬を「ぷぅ!」と膨らませながらヒロトに近付き、両手で彼のほっぺたを引っ張り始めたではないか。
「痛い、いひゃい!何かすみません、とりあえずすみません!」
「その名は好かんのだ!」
神の位にまで昇り詰めた神格者と冒険者が、まるで痴話喧嘩のように騒いでいる。だがこの時点で分かる事は、この神格者がヒロトに対して害意を抱いていない事。神に並ぶ者が格下中の格下である人間に、対等の立場で接している事が伺えるのだ。
「ヒロトよ、妾の名は汝が付けるが良い。ただし妾が与えた試練を乗り越えたらな」
なるほど、これでクエストが発生したのだと気付くのだが、どこで何をすれば良いのか分からない。ポカンとするヒロトに、神格者はニコニコしながら自分の足元を指差した。そこには若草に囲まれた石板が据えられており、何やら取手まで付いているではないか。
「過去、幾人もの英傑たちがこの地下墳墓に挑んで、そして散って行った。冒険者ヒロトよ、汝はこの地下墳墓の最下層に到達し、墳墓の護り人を初めて打ち倒す者となれ。一日二日でたどり着けるほど楽では無いだろうから、メシはくれてやる、傷も癒やしてやろう。……どうだ?」
彼女の問い掛けと共に、ヒロトの視界にクエスト発生の案内が表示される。【永久凍土の地下墳墓】と言うタイトルがそれで、時間無制限・リスポーン位置現在地のみ・途中棄権無しの、なかなかに条件の厳しい内容である事が伺える。さらにはクエスト実施場所が「北方ディスノミア」となっており、これがヒロトには引っかかっているのだ。――聞いた事の無い場所、もしかしたら実装前のテストサーバーなんじゃないか?と
「どうした?臆したかヒロト。この妾に新しい名を付けられる栄誉が、割に合わぬ報酬だとでも思っておるのか?」
「いや、やりますよ。これから暇を持て余しそうだと思っていたから、目標が出来るのは大歓迎です。……ただ」
「ただ……何じゃ?」
「俺が試練を乗り越えてあなたに名を付けた時、その名は好かんと言ってヘソを曲げないでくださいね」
「こしゃくな事を言う。まあ、汝は四つ目の祝福を受けし者。楽しみにしておるぞ」
こうしてヒロトは、強制転移した先で突如発生したクエストを受ける事となった。場所から何から全てが謎だらけで、その全貌を垣間見るのは先の事なのだろうが、決して慌ててはいない。時間はたっぷりあるし、オフラインゲームのように自分と向き合いながら自分のペースで進めれば良いだけだからだ。
――ナフェス荒野に未練はある、あの子にももっと何か言えたはずだ。だが今は目の前の状況に集中しよう――
ヒロトによるヒロトの時間が動き出したのだ。
◆ハートショット(心臓撃ち)を狙うスナイパーは、まだ自分のユニークスキルに気付いていない
序章:終わり




