【2-1】流域
「航跡」続編――ブレギア国編 の執筆を始めました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533
宜しくお願い致します。
物語の流れや話数配分が整えたのち、こちらにも投稿して参ります。
2023年12月15日追記
【第2章 登場人物】
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帝国暦383年3月16日、帝国軍先任参謀セラ=レイスとその部下たちは、ヴィムル河に沿って馬を進めていた。
朝方まで覆っていた雲も流れ、明るさを取り戻した空には、小鳥がさえずっている。
紅毛の上官は馬上、鼻歌をうたっていた。
騎上、キイルタ=トラフの前に座るソル=ムンディルは、怪訝そうな視線を彼に向けている。
隠れ家生活に飽きたのだろう。少女は、現地下見に同行すると言い出し、譲らなかった。
出発まで時間がなかったことや、参謀部の者だけで下見をすること、それに、作戦立案に夢中で、上官は他を顧みない状況だったこと――それらの事情が重なり、黒髪の副官は、少女と2人乗りで駒を進めている。
先に訪れた村落を見てから、レイスはしごく機嫌が良い。
参謀たちの目には、ただの寂れた村にしか映らなかったが、上官には、その頭のなかに広がる作戦案と一致するものがあったのだろう。
ヴィムル河は、水嵩を増していた。上流の山間部では、雪解けが始まりつつあるようだ。
さらに馬を進めると、彼らは特徴的な場所に出た。周囲をぐるりと木々に囲まれていながら、直径500メートルほどは、わずかな草しか生えていない広場であった。
彼らは馬を降り、あたりを詳細に見て歩く。
「おそらく、河が増水した際に、ここに水がたまるものと思われます」
測量学に長けた参謀・アレン=カムハル少尉が説明する。
なるほど、この広場は木々が映えている周囲よりも一段低くなっている。
すぐ脇を流れるヴィムル河が、大雨などで水量が大幅に増した際、水はいったんここに集まり、その後、木々が途切れている下手――自分たちが入って来たあたり――から、流れ出るのであろう。
さしずめ、天然の袋小路といったところだろうか。
「よおし、決まった!」
レイスは、広場の中央で突然大声を出した。
驚いた参謀たちと少女が発声主を見上げると、その翠い両目は、きらきらと輝いていた。
***
ヴァナヘイム軍は防戦一方だった。それも日に日に帝国軍の圧力に押され、戦線の縮小を余儀なくされていた。
ヴァ国が突如として帝国に対し反旗を翻したのは、2年前の381年3月3日のことであった。
ヴァ軍は、王都の帝国大使館を襲い、大使および駐在武官をことごとく殺害。そして、帝国側からの干渉をすべて遮断するなど、気勢を上げたのだった。
建国当初から反帝国の旗幟を鮮明にし、その後の帝国軍の侵攻を追い払うことに成功しているブレギア。
そうした隣国を見習ってのことであったが、ヴァ国の場合、その息は長く続かなかった。
交渉の余地がなくなったと判断した帝国は、ただちに討伐軍――第1次東征軍――を編成。
ヴァ軍は、帝国軍の前に初戦からなす術もなく敗れた。
同年5月、ヴァンガル郊外の決戦に敗北し、7月には同城塞と総司令官を失った。続いてグンボリ郊外においても惨敗し、9月の同城塞失陥の折、2人目の総司令官は職務を全うできぬほどの重傷を負った。
翌382年4月、帝国軍は一度編成を改める。第1次東征軍に参集された貴族将軍たちが、1年の軍役期間を全うしたためである。
だが、それ以上に、切実な事情があった。
ヴァナヘイム軍は、帝国軍が当初想定したよりも規模が大きかった――。
このまま同国の奥深くへ侵攻しようとした場合、これまでの帝国軍の規模と装備では王都ノーアトゥーンにたどり着くことが難しい――。
2度の会戦と攻城戦を経て、東征軍首脳部はそうした事実に気が付いたのである。
ズフタフ=アトロン大将は、戦勝の雰囲気に酔うことなく、グンボリ攻略前から、そうした事実を東都ダンダアクに具申し続けていた。
こうして遠征軍オーナー・アルイル=オーラム上級大将により、兵力と装備の増強が容れられ、同年6月、第2次東征軍が編成されたのである。
そして、この新生帝国軍を前に、再びヴァ軍はなすすべもなく、連戦連敗を重ねている。
***
「エレンの敵部隊は潰走いたしました。これより、残敵掃討に移ります」
紅毛の青年参謀からの報告に、ズブタフ=アトロン大将は静かにうなずいた。しかし、傍らのエイモン=クルンドフ中将がすかさず問いただす。
「待て。マグノマン准将の部隊は3日3晩戦い続けている。ここは一度将兵に休息を与え、部隊を整えてから追撃を行うべきではないのか」
「なりません。敵の崩れに乗じて一気に粉砕すべきです。ここで休息などとっていたら、敵は後方の砦や小城塞に逃げ込み、守りを固めてしまいます」
若い先任参謀は副将兼参謀長に対し、言いよどむことなく反論した。「いちいち説明をさせるな」とばかり、言葉の端々に侮蔑の色合いがにじむ。
クルンドフ中将は、アトロン大将に次ぐ帝国東征軍ナンバー2である。前任のオウェル参謀長の解任にともない、現在では副将と参謀長を兼任しているが、前任者と比して、その見識や判断力は、絶望的なまでの隔たりがある。
1から10まで説明しなければならない新たな上官に、レイスたちは本気で辟易していた。そうした部下たちの様子などおかまいなしに、兼任参謀長は先任参謀へ質問を浴びせてくる。
「無理に追撃を続け、敵の思わぬ反撃にあったらどうするつも……」
「敵にそのような準備をしているとの情報は入っておりません」
副将がまだ発言を続けているにもかかわらず、時間の無駄とばかりに、レイスとその部下たちは自席に戻り、各々の作業を再開した。
小柄な副将兼参謀長は、長身の先任参謀を追いかけ、伸びあがるようにして質問をぶつけてくる。
「兵糧弾薬の補充はどうなんだ」
「我々の計算では、マグノマン連隊の弾薬はまだもつはずです。戦闘糧食は、おっつけ届けさせる算段です」
レイスは、書類を繰りながら面倒くさそうに言い捨てた。
「このまま追撃しろ、だと!?」
帝国軍中央第2旅団の幕僚たちは、怒声の主に精気の無い視線を向けた。
「馬鹿な、俺たちを休ませないつもりか!?」
砂埃が舞う薄暗い幕舎のなかに、同隊司令官の怒声が響きわたった。
「もしもし?もしもし!?……切りやがった」
旅団司令官イブラ=マグノマン准将は、舌打ちすると同時に受話器を地面に叩きつけた。コードが根元から外れ、幕舎のなかを罪のない機器が勢いよく転がった。
受話器の行方を見つめていたアラン=ニームド少佐ほか幕僚たちに、准将は力なく声をかける。
「諸君、今夜も砲弾の子守唄を聞きながらお仕事だ」
幕僚たちのなかに怒り出す気力がある者はいなかった。誰もが大きなため息をつき、その場に座り込んだ。
月日は3月下旬に差しかかろうとしている。
この半月、彼らは戦闘配備が常に続いていた。とりわけ、直近3日間は不眠不休でヴァナヘイム軍と交戦を続けている。
このうえ4日目の晩も戦闘を継続しろというのである。立ったままですら意識を失いかねない彼らは、無謀な命令を発する参謀部を怨むことしかできなかった。
マグノマンにとっては、疲労蓄積以上に頭の痛い問題があった。
「閣下、既に遠征に帯同した兵馬のうち、その3割を消耗してしまいましたが」
「……3割もか」
副官は力なく報告し、マグノマンは充血した両の目の間に深い皺をつくった。
「兵馬以上に深刻なのは弾薬です」
いまの参謀部は、前例のないほど砲火を重視していた。この半月間、ひたすら砲弾を敵陣営へ撃ち込むことが求められたため、弾薬の消費量もやはり前例のないものとなっていたのである。
アトロン老将から下賜された砲弾などは1週間で使い切り、ここ数日は砲身に不具合を起こす野砲が続出していたのだった。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
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【予 告】
次回、「騎兵と歩兵と砲兵と」お楽しみに。
「あのチビめ……」
転がった受話器を睨みつけたまま、マグノマンは、顎に伸びた無精ひげを力強く引き抜いた。