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その知将、天才にしてぐーたら。戦争・政争・恋愛・家族愛あふれる軍記物語


航跡の続編 ブレギア国編 の執筆を始めました。


https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


宜しくお願い致します。


物語の流れや話数配分が整えたのち、こちらにも投稿して参ります。



2023年12月15日追記



 樽に水がためられている。


 セラ=レイスは、そのなかに両手を沈めた。曇天を映した鏡にさざ波がはしる。


 波紋のひろがりを追うようにして水をすくいあげ、顔を洗う。


 2度、3度と同じ動作をつづけ、4度目には、彼特有のあか色の頭髪も濡らした。前髪から指で力強くくしけずると、帝国陸軍少佐を示す肩章に水滴がかかった。


 一見、この紅毛の青年が華奢きゃしゃに見えるのは、その長身ゆえであろう。軍服の袖をまくり、露出した腕は、そこそこに筋骨たくましい。


 それにしても暑い。早朝5時でありながら、汗ばむほどである。太陽は顔を出していないが、雲の下では前日のよどんだ空気ごとボイルされているようだ。


 士官居住用の天幕の向こうから、笛の音が聞こえてくる。兵士たちが体操で身体をほぐしているのだろう。しかし、そのリズムは抑揚に欠いていた。



 脇にひかえていたアシイン=ゴウラ少尉が、その大きな胸板をかがめタオルを差し出した。お世辞にも清潔とはいえないものだったが、レイスは構わず顔をぬぐう。ほこりくささが鼻腔にひろがった。


「今朝も朝食前に軍議ですか」

「ああ、老人たちは朝早くて困る」

 レイスは答えた。タオルの下であくびを噛みころしながら。


「馬車の用意ができておりまぁす」

「ああ、ご苦労さん」

 タオルとは反対側からの女性士官の報告に、レイスは慰労の言葉で応じる。しかし、睡魔に屈服しかけた身の上である。声にしみったれた響きが帯びるのは、いかんともしがたい。


 この隊のおんぼろ馬車が今朝もかろうじて使用に耐えうるのは、このニアム=レクレナ少尉による日々のメンテナンスの賜物である。だが、彼女の蜂蜜色の髪もここ最近は、心なしか黒ずんで見える。


 帝国東部方面征討軍――略して東征軍――の総司令部は、ここから北へ5キロ離れた村落に置かれており、そこでの軍議に参加するには馬車での移動となる。



 レイスは、顔を拭きながら起居した天幕とは反対方向にその足を進めた。あとに従う数名の部下たちからは、愚痴の声が漏れる。


「まったく、老将軍のやりかたは、まどろっこしくてなりませんな」

「さよう。はるばるダンダアクより遠征すること1,000キロに達するというのに、安全と思われるようなタイミングでしか、戦端を開こうとなさらない」


 その結果が、これだ。


「このひと月、完全な膠着こうちゃく状態ですよ。そればかりか、先の大敗からは、我が軍は前進すらおぼつかなくなっています」

 ゴウラが、土色に汚れた袖をふるう。隣国の土埃は、祖国の軍服の生地にまで入り込んでいた。


 帝国の東岸領最大の都市ダンダアク。その地を離れて、ヴァナヘイム領に侵攻すること間もなく1年――。

 

 占領した城郭の暖にあずかることは少なく、野山に起臥きがすること幾月。戦塵せんじんは若手士官たちの心のなかにまで入りこんでいるようだ。


「開戦当初の戦果だって、別に老将軍の手柄ではありますまい」

「さよう、少佐の立てられた迅速果敢な作戦行動のたまものです」


 両腕についた水滴まで拭き捨てると、レイスは進行方向とは反対側にタオルを放り投げた。背後を歩くゴウラが、慣れた様子で太い腕を伸ばしそれを受け取る。


「俺はそうは思わんぞ。帝都・ターラの椅子にふんぞり返っている貴族将軍どものなかで、これほど手堅い采配を振るうことができる者が、何人いるだろうね」


 レイスは、軍服の袖を直しながら上官を擁護した。それはパフォーマンスなどではなく、父親以上に年齢の離れた老将軍のことを、彼は嫌いではなかったのである。




 紅毛の将校一行が進む先に、数門の大砲が見えてきた。


 大きな車輪に比して短く細い砲身が、宙をにらんでいる。兵士たちがぼろきれでそれを磨いていた。レイスがこの遠征を前に大枚をはたいて購入した6.5センチ野砲である。


 歩きながら、彼はわずかに目を細めて、その様子を見つめた。


 かたわらで、副官・キイルタ=トラフ中尉が声を掛ける。

「先日の負けいくさにおいて、野砲を失わなかったのは、不幸中の幸いでしたね」


 キイルタは、レイス家に代々仕えてきたトラフ家の息女である。蒼みがかった長い黒髪を後頭部にまとめており、灰色の瞳は曇天の下でも鈍く輝いている。その落ち着いた口ぶりと物腰から、20代半ばという実年齢を類推することは難しい。


 この黒髪の部下の言葉に、紅髪の上官は面白くもなさそうに応じる。

「……砲兵を多く失った」


「しかし、その補充として、ビレー隊麾下の砲兵を引き抜くことができたのは、僥倖ぎょうこうでした」


 エイグン=ビレー中将は、東征軍において五指に入るほどの有力貴族である。


「ブレギア産の軍馬を差し出したら、あのケチは喜んで手放したぞ。ヤツらにとって砲兵なんぞ、その程度の存在に過ぎんのだろう」


 レイスは敗戦の混乱に乗じて、貴族将校を相手に立ち回り、自軍の再編・強化に成功していた。


「……うちにブレギア産の軍馬など配備しておりませんでしたが」

「そうだったかな」

「……」


 大陸一の名馬の産地・ブレギア。そのような高級品種など、貧乏貴族のレイス一党が所有しているはずがない。


「少将から血統書を求められませんでしたか」

「俺が適当に書いといた」

「……」


 怪訝そうな表情を浮かべる腹心を前に、紅毛の上官はうそぶいてみせた。



 指揮官一行に気がついた砲兵たちは、手を止め笑顔で敬礼してくる。


 紅毛と黒毛の主従は、歩みながら答礼する。


「うちの部隊に来ることができて、彼らも喜んでいるんですよ」

「……そいつはよかった」


 砲兵たちは、トラフの微笑を前にして喜んでいる様子であった。彼女がほほ笑むと、そのやや冷厳ともいえる端整な顔だちに、パッと明るさが差すのだ。


 しかし、レイスは、腹心の容姿にも砲兵の嗜好しこうにも関心はなく、淡々と足を進めていく。


 後に続く彼女は、答礼を終えてから再び口を開く。

「彼らが所属していた部隊では、『砲兵が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち』とさげすまれてきたそうですから」


 事実、給金は最も低く抑えられ、食事もわずかな量しか配給されないなど、どの部隊においても、砲兵は軽んじられている。


 それが、このレイス隊では、砲兵は手当ての面において厚く遇されていた。驚いたことに騎兵のそれよりも条件が良いのである。


「のみならず、また少佐が野砲主体による大きな作戦を立案してくださるのではないかと、期待しているそうです」


「……いまの俺は、予備隊のいち隊長に過ぎんよ」


 トラフの上手くもない世辞に乗ることなく、レイスは歩みを早める。腰から下げたサーベルが鞘の中で乾いた音を立てた。



***



 黒髪美しい副官と共に物見台に立つ紅髪長身の指揮官は、両手を腰のベルトに当て、前方をにらんでいる。


 数万の将兵軍馬の足音は、地鳴りのように響き渡り、帝国軍を圧倒していた。


 とりわけ、敵先鋒の働きは目覚ましい。翻る「二枚斧」の旗印からして、猛将・アルヴァ=オーズ中将の部隊だろう。



「距離2,800――発射準備整いましたッ」


「アトロン隊指揮所より、発射許可下りました!」


 階下より部下たちの声が響くや否や、紅毛の少佐は、前方を横切る敵に向けて右手を振りかざす。

「よし、試射はじめッ」


 レイス隊の所有する虎の子、6.5センチ野砲1門が火を噴いた。


 轟音と黒煙によって瞬時に聴覚と視野を遮られる。


 各人の聴音機能はすぐに戻ったが、風がないため視界はなかなか晴れない。


 ゆっくりと煙が薄まっていくものの、夜が完全に明けきっていないこともあり、前方の様子を視認しにくい。


 砲煙の合間から見えるヴァナヘイム軍は、勢いを落としていなかった。


 初弾は敵を超えて着弾したようだ。


「仰角マイナス1!次弾装填(そうてん)いそげッ」


 広くもない物見台の過半を観測班が占めている。彼らからの報告をもとに、レイスが諸元修正を命じると、間を置かず第2弾、第3弾が前線に送り込まれていく。


 遠・遠・えぇんッ――観測班の叫び声からは、弾着点がなかなか目標物に近づかないことへの苛立ちが感じられる。


 さらなる修正弾が空に上がる。


「遠・遠・近ッ――夾叉きょうさッ」

 敵部隊を挟むようにして着弾が観測されたのは、何度も同じやり取りを繰り返した末のことだった。


「同諸元にて、全門撃ち方はじめッ!」

 遅いとばかりに、レイスは残りの砲門の発射を命じる。


 足元から飛び出した何発目かの砲弾が、ヴァナヘイム軍の中に吸い込まれるようにして消えていった。


「敵部隊に命中ッ」


 ヴァ軍のなかに、土砂と土煙が同時に上がる。レイス隊から歓声がこだます。ゴウラがガッツポーズし、レクレナが小さく飛び上がる。


 しかし、それも短い間であった。敵オーズ隊は、相次いで落下する砲弾に側面を削られながらも、前進を止める気配すら見せない――。



***



 五大陸七大海を統べる巨大国家「帝国」は、有力貴族の連合体である。

 

 その頂点に君臨するのは皇帝であった。皇帝は連合体の最大勢力であると同時に、宰相以下の臣下たちが、その地位に比例した領土統治について認めている。


 そうした秩序は、軍事行動においても例外ではない。この東部方面征討軍も、総司令官・ズフタフ=アトロン大将の上には、帝国宰相嫡男・アルイル=オーラム上級大将が、オーナーの立ち位置として存在する。


 つまり東征軍は、東都ダンダアクの上級大将を筆頭に据えた、貴族連合軍であった。


 大規模貴族は中規模貴族を、中規模貴族は小規模貴族を抱えており、それぞれが配下に軍役というノルマを課し、軍団を形成している。


 各貴族は、兵士何名、馬何頭、銃何丁、弾薬何発分と、地位に応じて負担すべきノルマは細かく定められており、兵士たちの食糧も、それぞれの貴族たちが自前で用意しなければならない。


 さらに、兵器の進歩が著しい昨今では、各部隊の戦力に差が出ぬよう、装備すべき小銃や大砲の種類について、総司令部より定められるケースも増えている。



 かくいうセラ=レイスも、先の右翼壊滅の折、奮戦むなしくその多くを失ったが、自らの領土から若い補佐官たちと500の兵を率いて、この遠征に参加していた。


 出兵に際して総司令部より、最新式のライフル50丁の購入もさらに義務付けられたが、自主的に6.5センチ野砲を数門調達した後だっただけに、その追加費用は馬鹿にならないものだった。


 こうした軍隊の特性上、戦況が悪化するたびに、貴族の将軍たちは自領の兵馬の消耗を恐れ、積極性が失われていく。


 遠征に先立ち、皇帝や宰相など帝国最上位の者たちから軍団へ兵士・武器・馬具・糧食などが下賜されるが、その分配は、遠征軍の総司令部の裁量に任されている。もっとも、帝国遠征史を紐解くに、それらは上級貴族たちによって独占されてしまうことが常となって久しいが。


 そうしたなか、アトロン大将は、他の貴族将軍たちとは一線を画した。遠征の度に、オーラム上級大将から与えられる兵馬・軍需物資を、惜しむことなく全軍へ分け与えてしまうのだ。


 今回も、帝国東岸領総統から、精鋭3万の兵士に加え、1万人分の兵糧弾薬を下賜されるや、この老司令官は麾下の各隊へ平等に分配してしまったのである。


 さらに驚くべきことに、損害が大きく出ると予想される戦闘区域には、率先して自らの兵馬を配置し続けたのであった。

 

 このような老将軍の滅私の姿勢は、ブレゴン中将やビレー中将ほか高級将校から忌み嫌われる一因となり、レイス少佐が慕う一因ともなった。


「しかし、このまま本国が黙っているとは思えません。そろそろ上級大将閣下の堪忍袋の緒が切れる頃ではないでしょうか」

「……まぁ、そんなところだろうな」

 

 腹心のトラフは、今朝の軍議の真相を理解している。レイスは満足そうに口元に笑みを浮かべた。




 停車場の脇に置かれた長椅子の上には、くすんだ赤髪の少年が小さく丸まっていた――否、従卒用の軍服こそずり落ちているが、この子は少女だ。


 薄い薔薇色の口はわずかに開かれ、そこから小さな寝息が漏れている。閉じられた瞳には、髪と同色の長いまつ毛も伏せられていた。垣間見える頬や腕は、暁光を白く照り返している。


 その容貌が持てはやされたと聞く少女だが、こうして無防備に眠っている姿は、あどけなさが多分に残っていた。


「『寝ずに少佐をお見送りする』と言い張っていたのですが……」

 やれやれという口調でトラフが振り返る。


 他の者と一緒に当直を勤め上げ、引き継ぎを済ませたあと気が緩んだのだろう。そのまま寝入ってしまったようだ。


 起こしましょうか、との問いかけに、レイスは片手と小声で返答する。

「狭い車上で取っ組み合いをされたらかなわん」


「……」

 さもありなんと、肩をすくめた副官の前に進むと、彼は少女の身に掛かるよう軍服の上着を整えてやった。




 車軸がにぶい音をかなで、馬車は進んでいる。悪路を進むことに馬たちが抗議するかのごとく、速度は一向に上がらない。


 8月も末に差し掛かろうというのに、暑気は緩まず夜間も澱んだ空気を滞留させたままの日々が続いていた。ところどころ破れた幌から、今朝も湿った風が入りこんでくる。


 時折、深いわだちにはまると、搭乗員ごと車両が大きく沈みこんだ。レイスたちはその都度、頭を強く振られたが、彼らは自らの頭部よりも、その上の幌が崩れ落ちやしないか気が気ではなかった。


「このボロ馬車、そろそろ限界ですよ」

「総司令部お歴々の馬車のなかに留めるのも恥ずかしいんですよね」

「……」


 ゴウラたちの苦情に、レクレナはむっとした表情を浮かべている。彼女は維持管理を担当しているこの馬車に、愛着を抱いているようだ。


「文句を言うな。いまは総司令部配属じゃないんだから、馬車の見てくれなんぞ気にする必要もないだろ」


 レイスは、頭上を見上げつつ、不平を鳴らす部下たちを言いくるめようとする。


「どなたのせいで、うちの部隊は総司令部から外されたんですかね」

「……」


 ゴウラは言葉こそ手厳しいが、その響きには上官を責めるような要素はまるで感じられない。むしろ、部下たちはこの境遇を楽しんでいるかのようである。


 銃弾飛び交う最前線ではなく、崩れた馬車で負った傷では、戦傷扱いにはならないなと、軽口も飛び交う。


 それでも、きまりの悪い感覚をもてあまし、レイスはそのあおい視線を、思わず車外へと逸らすのだった。


 視界には荒涼とした風景がどこまでも広がっており、遠雷のような音がかすかに聞こえてくる。方角からして左翼の部隊が砲弾を送り出しているのだろうか。しかし、雷鳴の頻度はおそろしく緩慢かんまんであり、落雷地にどこまで効力を発揮しているのか疑わしい。


 レイスは視線を車内に戻すと、腕を組み両目をつむった――。




序章をご覧いただき、ありがとうございました。

「航跡」の世界、いかがでしたでしょうか。


なかなか癖のありそうな主人公だな、と思われた方、

美しい副官が気になる方、

初登場で居眠りしている少女を応援いただける方、


是非、ブックマークや評価をお願い致します。

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[良い点] 面白いです! [一言] 追ってまいりますので、執筆頑張って下さい!!!
2023/06/06 22:18 退会済み
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