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臆病者の本質は

  内心の混乱とは正反対に、忘年会はつつがなく終了した。最後の挨拶は会長であった。人前ということもあって当たり前ではあるがその表情には失恋の痛々しさは感じなかった。

 恐ろしい人だ。俺にできるだろうか、あそこまで自分を熱くさせた想いを表情に出さず、取り繕ってなんでもなかったような完璧な笑顔で振る舞えるだろうか。

 窓に映る自分の顔がそれは無理だと告げている。

 大きな拍手の後、思い思いに記念撮影が行われ、あっという間に集会室は閑散となって後片付けが始まった。


 後片付け開始からしばらくして、次の仕事は何をしようかと思い悩んでいる時に、ちょうど俺は後ろから声をかけられた。

「色見くん、僕と一緒に生徒会室から持ってきたものを戻すの手伝ってくれないかい。絶妙に僕一人では手に負えなくてね」

 振り返ると二宮先輩は備品がぎっしりと詰まった段ボールを抱えていた。

 先輩の視線の先には、同じように備品が所狭しと詰め込まれた段ボールが。


 確かに品数だければかなりの数になるがそのどれもが小物なので、俺は男二人がやっていい仕事なのかと少々疑問を感じながらも、肉体労働から逃げたいという本心もあったので「うっす」と、自分ながら礼もへったくれもない返事だなと感じつつ首肯した。

「・・・っと。案外に重いなこれ」

「ははっ、だろ?まぁこれくらいの重さの方が片付けから抜け出すことへの罪悪感は薄くなるしね」

 思わず段ボールを持ち上げた時によろめいた俺をみて笑った先輩は、「ついてきて」と言ってから歩き出したので俺はそれを追うようにして歩いた。

 ・・・てか先輩も面倒な片付けから逃げるのが目的なのかよ、碌でもない会長だな

 そういえば、恵先輩とはあの後に進展はあったのだろうかと思いながら俺は何も聞けないままに出発した。


 俺は苦笑いしながら先輩についていくと生徒会室に着く。会長は足で扉を開けるなんて野蛮なことはせず、苦し紛れに段ボールを腕の中でずらし動くようになった左手の指先で器用にその教室の扉を開ける。


「・・・失礼します。ふぅ、ごめんね色見くん、床に色々物が落ちてるから気をつけてね。はぁ、あんだけ片付けはしろって言ったんだけどなぁ」

 

 俺は会長に倣い普段はしないが、「失礼します」と一応呟いてから俺は扉をくぐる。

 カーテンを透いて射す茜に染まったこの教室には、長いテーブルがありその奥側には二宮先輩が段ボールを置いたので俺もその隣になるように教室に踏み行っていく。

 足場が少なく、俺は注意して進んでいく。


「・・・んしょっと。はぁ、手がいてぇ」

 俺は段ボールを置くと、そう小さく呟いて意味もなく手を撫でる。

 すると「カチャ」と扉から鍵が閉まる音がした。


 見回りの先生が中を確認せずに施錠したのだろうかと、扉の方を振り返る。

 すると意外にも扉の鍵を閉めたのは、二宮先輩だった。俺が必死に段ボールを教室の中に入れているうちに、先にダンボールを置いた先輩は扉側に移動していたらしい。

 二人っきりの静かな教室に鍵の閉まる音が響く。

 そして、静寂。

 手を後ろにして施錠した先輩は、じっと俺の顔を見る。カーテン越しだというのに明るすぎる夕日に照らされた先輩の顔は薄い朱色に染まっている。


 見たことないほどに、真剣な瞳の先輩。

 人目につかない生徒会室。それも放課後の密室に男二人。

 何も起きないわけもなく–––!


「生徒会長選挙に出ないか?」


「・・・は?」

 思わぬ提案に、俺は素っ頓狂な声をあげる。


「選挙、っすか?」

「あぁ。君たち1年は、新年度になってすぐに新生徒会の選挙があるだろ。知らないのかい?会長選挙はどの委員よりも早く行われて、会長選挙の敗者の中から二番目に得票数が多いものが副会長に。書紀は決まった会長の指名で2人を–––」

「そうじゃないですよ。俺が聞きたいのはなんで俺が立候補しないといけないのかってことで」


 まるで俺の立候補が確定事項のように、暴走気味に捲し立てる現生徒会長を止めると、先輩はそんな俺の焦りや困惑など見えすいたような感じで爽やかに笑って

「理由は単純。僕には、君が最善だとしか思えないからさ」

 と言ってのけた。


 そして瞬間、俺は理解した。今俺の置かれている、真の状況を。

 思い出されるのは、いつかの川霧の言葉。そして、それによればこれはつまり・・・


「会長推薦枠・・・ってことですか」

「御明察!頭の回転が早くて助かるよ。次期会長はこうでなくちゃ」


 大袈裟に指を鳴らすジェスチャーをとった会長は楽しげに俺の方を見る。そしてその様子を受け俺は、再確認する。

 そう、これは・・・・提案、なんかじゃないのだ。


『半ば強制的にね』


 思い出されるのは川霧が言った、そのフレーズ。

 つまりこの状況は脅しを受けているという事で、俺には否定以外の選択肢などもとより与えられてはいないのだ。

 いや、正しくはその一歩手前、といった所だろうか。こればかりは二宮先輩の腹の中を割って見ないことには判断のしようがないが。

 けれど、これまでの数回の応答で会長に意思の固さは十分に伝わった。それに、忘年会の準備の時に思い知ったことだ。

 こうなった会長は、誰にも止められないと。あの川霧ですら、忘年会準備の会議で、嫌々代表代理を受けてしまったのだから。


「どうかな?まぁ僕としては会長になってほしい色見くんの対抗馬として考えられるのが川霧さんや泉さんってのが、まー痛いところではあるんだけどね」

 確か川霧は言っていた

 会長からの推薦の効果は絶大で、それのために生徒会長に媚を売って生徒会を半壊まで追い込んでしまったような年もある、と。

 

 要はそれほど次期生徒会長のポストを目指して生徒会に入った者からすれば、泥臭く何ふり構わずしてでも取りたいような権利ということだ。

 ・・・だからこそ、引っかかる。


「いいんすか。生徒会でもない俺を会長が推薦して。川霧や泉たちから反感を買いますよ」


 真っ先に浮かんだ不安、というか憂慮する点はそこだった。

 彼女らは前面にその欲を出すことはなかったにしろ、いずれも努力して生徒会に深く関わってコネクションを築いてきたはずだ。

 川霧で言うなら、元々控え目だったけれど周囲を見返すために生徒会に入り。泉だって、生徒会の人間ではないからこそ、いろんな行事に実行委員として名乗り出て生徒会役員とのつながりを不器用なりに構築していったのだ。

 

 もちろんあの二人にそんなコネみたいな考えがあったのかなんてのはわからないし、きっとその問いは否ではある。けれども二人が学校や自分のこれからのためにと行動していた事実は変わらない。

 そんな努力した二人がこんな「みんなのために」なんて言葉が一番似合わないような男に、会長推薦枠を掻っ攫われていいものだろうか。


 気づけば何に向けられたかもわからない静かな怒りが這い上がってきた。

 けれど、そんなこと知らぬ存ぜぬと、会長は言う。


「もちろん罪悪感がないわけじゃない。彼女たちは・・・特に川霧さんは日々生徒会のために尽力してくれているからね。あの精神は間違いなくこの学校の生徒会に必要だとすら思うよ」

「ならなぜ」

「彼女が会長の座にこだわってないからさ」

「んなっ・・!」

 痛いところをつかれた俺は、動揺の声を上げる。


「そ、そんなわけないでしょ。あいつは会長になって周りを見返したいから一年のうちから生徒会にいたわけで––」

「そうかもね。でも、とてもじゃないけど今の彼女の、そうだな・・・。言うなれば献身さ、とでも言おうか。その精神の矢印が『会長』というポストに向けられているようには、僕には思えない。つまりは、もう今の彼女の行動の根底にあるのは会長という座への執着じゃない。ただ学校や生徒、友達のためっていう普通で何よりも大事な優しさなんだと思う、なら会長じゃなくても彼女は活きる。それが僕の至った結論だ」

「そんなのただの会長の勘じゃないっすか」

「あぁ。そうだねそしてその勘が・・・現生徒会長のこの僕の勘が言ってるんだ。色見くん、会長になるべきなのは君だってね」

「・・・なんですかそれ」


 意味のわからない二宮先輩の言葉にそう吐き捨てると、俺は俯いた。

 いや、分かりたくなくて、か。


 会長のこれまでの分析はきっと、「自分のためだけのわがままを取るか」「大切な裏生徒会をとるか」の間で、誰にも頼らず一人で揺れ動き続けていた最近の川霧の様子を見てのことなんだろう。

 会長からすれば、川霧に活躍の場を提供したがそれを彼女は泉と協働したり、完全に任せたりと積極性に欠けているように映ったのだろう。


 けれどそれは、川霧が迷い、悩んでいたからであって、彼女の芯の部分には会長へのエゴは消えていないことを、俺だけは知っている。

 だって彼女は言ったんだから、自分だけのために会長を目指すと。


 そんな彼女の足を、ずっと引っ張っているのは裏生徒会《俺たち》なのだ


 俺は、無自覚に人の人生を踏み荒らしていることに気づくと自己嫌悪による吐き気のようなものが這いずり上がってくる。


 おれなんかが、欲しがってはいけなかったんだ。

 

 これまで人と関わらずどこまでもひとりぼっちで、独りよがりで、一人勝手に生きてきた俺が急に誰かと繋がろうだなんて思ってしまったことが、間違いだったんだ。

 間違いに気づかず気づけず、のうのうとここまできたせいで必死に生きてきた奴の未来を、ダメにしてしまったんだ。


 俺は、震える唇で、掠れ掠れにほぼ喘いだように言う。


「だ、ダメです。川霧が・・・それじゃあ、報われない」

「別に僕が推薦したからと言って川霧さんが負けることが確定するわけではないんだよ。これまでの会長推薦枠で出馬した生徒のほとんどが会長に選ばれているだけで、もちろん落選の事例がないわけじゃないんだし」


優しく微笑んで会長はいう。

いつから、笑っていたんだろうか。今の俺には、その笑みはどこか張り付いて見えて、仮面のように見える。


「それに、君と川霧さんは仲良いんだろ?なら、彼女がやる気になった時の凄さはわかるはずだよ?もし君が選挙に出るとなると、彼女の会長への欲みたいなものが副産物的に生まれる可能性もあるわけで。そうなると、それこそ『報われない』だなんて決めつけていることの方が、報われないよ」


 会長は早口で畳み掛けてくる。

 らしくない余裕なさげな口調は、まるで明らかに間違った選択を取ろうとしている人を止めるような、そんな必死さにも似たものを感じる。

 そしてそれは、俺が何度目かの間違いをしようとしているのかと錯覚させる。

 会長がこんなにも熱弁なんだ、俺には自分が気づいていない才能だとか、特筆すべきものが、潜在しているのではないか、と。

 

 けれども、だ。

 俺はもう一度考える。本にしてしまえば一瞬で読み終わりそうな、薄い人生を振り返る。


 俺はこれまでの人生で何かに強く憧れたり、夢を抱いたり、そのために何ふり構わず努力をしてきたことがたったの一度でもあっただろうか

 あるわけない。


 そんな俺に、報われるべき努力を積んできた人間を蹴落としてまで、人の上に立つ資格があるんだろうか。

 あるわけない。

 あってはならないのだ。

 俺にはそんな、青々しさのかけらもないのだから。

 

 ・・・なら、何を動揺してたんだ。簡単なことじゃないか。


「すいません、会長。その話は嬉しいですが–––」

「恵先輩には、ご飯すら断られたよ」

「はい?」


 唐突で、それでいて平然とそういった先輩の言葉に、俺はつい会長の顔を見やる。

 やはり先輩には、悔しさだとかは感じない。スッキリとしたような表情で、笑っているようにも見える。仮面のような笑顔ではない。


「言いましたよ、責任とかは取らないって」

「これでも物覚えはいいんだ、安心してくれ。約束を忘れたりはしないよ。ただ、勇気をくれた君には報告しとかないとって思っただけだよ」


 そういうと先輩は俺の顔を見て、その笑顔を途絶えさせる。一変して深刻な顔つきになった会長は、続ける。


「僕は感謝してるんだ、君に。なのに君自身は納得いってなさそうな顔をしている。それが僕が君を生徒会長に推薦したい理由だよ」

「・・・意味がわからない」

 俺がそういうと、会長は顎に手をやり視線は品定めをする鑑定士のようになる。


「君は人のために動くことのできる人間だ。でもそれ自体はできる人間はたくさんいる。川霧さんだってそうだろう。自分の信念だとか考え方を無理に突き通すことをできる人は多いんじゃないかな」


 誰かのために動けるのが川霧なら、あいつが推薦枠でいいじゃないか。そう言いかけると会長は口早に言う。


「でもね、色見くん。君みたいに自分の考えとは別で、誰かのために行動できるような優しさを持ってる人は、少ないよ」

 そう呟いた先輩の表情は夕日の陽射しで出来た赤黒い影のせいでよくは伺えない。


 はて、俺に優しさだなんて、あっただろうか。


「適当言わないでください」

「ひどいなぁ、僕はゾッコンなのに」

 口をとんがらせ、わざとらしくコミカルに振る舞う二宮先輩の態度にイラつきながら、先輩の言葉は勝手に反芻していた。


 自分の信念、か。


 そんなもの、こんなチグハグな自分にあるんだろうか。今日ずっと、嫌と言うほど思い知ったことだ。自分がなんて薄っぺらいかを。

 俺には川霧や朝日、泉のような芯のようなものが、果たしてあるのだろうか。

 自然と口の中には苦さが広がって、握る拳は力の入れすぎで震えていた。


「でも、だからこそなんだ」

 重々しい口調でそう言った先輩を見る。


「だからこそ、君は見ていて怖いんだ。自分の理念だとかをほっぽって、時には自分がしたいこととは真逆の行動に走るには、あまりにも体力がいる。そして君はそれをしすぎる癖があるんじゃないのかな。それだと君はボロボロになる。やりたくないことを文字通り必死になってやるんだ。自己嫌悪に疑心暗鬼、自己不信になってダメになってしまうんじゃないのかってね」


 逆に人生において自分のやりたいことをできる方が少ないのではないだろうか。

 川霧や朝日、泉のように自分のために突っ走ることが出来るのはひとえに彼女らが人として強く、選べる人間だからであって、芯もなく草ぶねが如く漂うだけの俺は、優しいわけではないのだ。


 むしろ、俺がらしくもなくここ数ヶ月自分以外のために行動していたのは、きっと求められたかったからじゃないのだろうか。

 いや、そんな綺麗な承認欲求な訳がない。

 常に一人でいた俺に、そんな外に頼る欲求があるとも思えない。俺はそれほどまでに、自分を信用できない。


 俺はきっと、自惚れていたかったんだ。誰かを助けている自分に。

 勘違いしていたかったんだ、俺は。あの空き教室で。


 そんな事実に気づいてもいない会長は続ける。

「だからね色見くん。誰よりも誰かのために必死になれる君こそ生徒会長になるべきだ。それはきっと、君のためにもなる。このまま進むだけじゃ、きっと、一人で傷つくだけだよ」

 俺の目を見て優しく笑う先輩は、あまりにも見てられなくて、俺はつい目を外してしまった。


 それは同時に、俺の深い部分を見られているような気もしたからだ。

 

 川霧は言っていた。

 いつからか、ぬるま湯が心地よかったと。


 友好という湯に使った俺もまた、染み込みふやけ、弱くなっていた。

 

 もう、一人は嫌だ。


 一人で背負い込み、悩んで傷つくのは怖い

 そう思っている自分もいるその事実が、会長には見据えているようにも思えた。

 

 そんな俺の様子を見て、小さく笑った声が聞こえたかと思うと二宮先輩はパンと軽く手を叩いて言った。


「まぁ今日はここいらで解散としよう。時間は・・・うん。多分そろそろ片付けも終わる頃だろうし君は体育館に戻らず帰って大丈夫だろう」

 先輩は扉の前から体をずらし、俺に退出を促すように腕を扉の方に向ける。俺はその仕草に従って教室の扉に近づいた。廊下に出ようと足を踏み出し、ちょうど先輩の前を通った時だった。


「もし今よりも本気で辞めたくなったら言ってくれ。そうしたら流石の僕も推薦を取り下げるから」

「・・・ありがとうございます」


 情けなのか、俺にそう伝えるとまた先輩は微笑んでから「それじゃ、今日はお疲れ様」と教室を出る俺の背中を押したのだった。

 廊下の窓には冬だからか、早くも夕日はさっきよりもずいぶん低くなっていて、寒さが一層厳しく感じる廊下でただ一人俺は軽く下唇を噛んだ。


 あの最後の先輩の気遣いで確信した。

 会長には、バレているんだろう。

 僅かにだが、会長の言葉によって巻き起こされた俺の僅かな会長への執着を。

 生徒会に入れば、一人取り残される現実から目を背けられるのかもしれないという勘違いにも似た祈りを、抱き始めていることに。


 こんな思いは、身分不相応だと知っているのに。


 窓を見ると、もう眩しく光る夕日は俺から逃げるように、刻一刻と沈んでいっていた。

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