間違い合わせ
俺はもうすっかり落ち着いた心拍で目的地に着く。
不安だとか、疑念はない。不思議とあいつがここにいないわけがないと言う確信があった。
俺は静かに、扉を開ける。
見慣れた後ろ姿を見つけては、小さく鼻を鳴らし俺は声をかけた。
「・・・あとで茉白にお礼言っとけよ」
「朝日さんにもあとで謝らないとね。・・・あなたにも、かしら?」
やはりそこに、川霧凛はいた。他のどこでもない、裏生徒会の居場所である、空き教室に。
川霧は廊下の反対側の窓を見て、こちらにその顔は見せない。
それでも彼女の背中からは、俺に見つけられると言う確証があったように感じて、それが嬉しくもあり、これからのことを思うと少しだけ嫌になる。
これから、つまりは川霧凛の夢についてだ。
彼女に残された選択肢は、これまでの彼女の人生を否定する選択か、友達を踏み台とする選択なんだ。
その事実に俺は小さくため息をつく。
「ここにいるってことは、そう言うことでいいんだな」
直接的ではない。けれどそれで十分だった。
大舞台での挨拶を泉に託したり、朝日が計画した劇での役を投げ出すなんて自分勝手な判断をするのは、どこか彼女の自分本位に生きていくことへの決意表明な気もした。そういったこれまでの川霧の様子なども含めて考えると、自然と出る結論は決まっている。
川霧の肩は小さく震え、そうしてようやく振り返る。力なく、笑って。
そして、呟いた
「ええ。会長になるのは、諦めるわ」
「どうして」
「ただ現実に気づいただけ。私には素質がないわ。ずっと呪文みたいに生徒会長になるって唱えていたのは子供が自分の夢が叶わないことを受け入れまいとしようとしてたみたいなものだったのかしらね」
遠い昔を語るようなその言い草は、自分を客観視できる川霧凛の性質や賢さ故なのか、それともずっと前から会長への熱意は冷めていたのからなのか、聞くことはできなかった。
「要は泉の方が適任だと?」
「・・・えぇ、そう思うわ。いやだ、そんな怖い顔しないで。でもね、あなたもわかってるんじゃないかしら。だって・・・私たちは、似ているもの」ね、と同調を求めるような仕草を見せては、悲しげに笑う川霧。
確かにそれは、俺もこれまでに感じていたことだった。なんなら川霧だけが、これまで一人で生き抜いてきた彼女だけが、俺の理解者であるような気すらしていた。
「似ている」だなんて主観による不確かさに祈ったただの勘違いで、思い込みだ。それでも俺は、そう信じずには、いられなかった。
「私もあなたも、一人だった。その根底にあるものは違えど、降りかかる困難や何か成し遂げた時の喜びも、自分一人だけのものだった。そうでしょう?けど、今はどうかしら。何か困難がある時、隣を見れば騒がしさで仮面をして常に何かに恐れている彼女がいて、また隣を見ると私と似た偏屈なあなたがいて、さらには何にも考えていないようで誰よりもここが大好きなあの子がいて・・・。いつの日か、そういう空間が心地よくなっていたのよ」
罪を自白するような、川霧の言葉には所々共感を覚えては、胸がちくりと痛む。
いつからだろうか、俺がかつては蔑んでいたはずの、そんな仲良しごっこに溺れていたのは。
「笑える話よね。昔は馬鹿にしていたような、そんなぬるま湯な関係に、気づいたら私は、抜け出せなくなってたのよ。自分のプライドが、溶けて無くなるくらいにはね」
そういうと川霧は立ち上がって、黒板の前に移動した。そして、静かに教卓に手をおいた。
そこは、俺と川霧が最初に出会った場所だった。
「ここでの思い出が増えるたび、私は弱くなっていった。けれど不思議とそれを実感しながらも嫌な感じはしなかったの。毎日、楽しかったわ。でも、今回の準備の時に痛感したわ。・・・いや、正確には準備が始まる日に、泉さんと再会した時かしらね」
「泉との再会?」
俺は川霧が言った場面を思い出すためにおうむ返しをすると、川霧は「そう」と応えるとそっと目を伏せる。
「私たちと出会った時の彼女のこと、覚えてる?彼女は真っ先にあなたに謝った。自分の非を認め、前を向いていた。それが私には、苦痛だった。ずっと、彼女が間違い続けてくれれば、私は『呪い』に気づかず、疑いもせずいられたのに」
震える川霧の声は、異様に静かな教室に痛々しく響く。
「あの子は失敗から成長して、今回ではリーダーとしてみんなを引っ張っているの。その点私は、全く成長してなかった。ここでの日々に怠けてた。そんな私に、今更生徒会長を目指す資格は・・・ないわ」
小さく鼻を啜る川霧。
我慢していた自分の思いも、嗚咽も、限界に達し川霧はその顔を隠すこともせず、俯いたままに泣いた。
出会った頃の、強く気高く孤高だった川霧凛は、自分の中での葛藤で涙を流す、いたって普通の少女として、彼女は始まりの場所に立っている。
いや、初めから彼女は強くも気高くもなかったのかもしれない。今の彼女が本来の姿なのかもしれない。であれば、たとえそこまでの遷移が本人にとっては退化に感じられたとしても、これでよかったのかもしれない。
「私には、ここのみんながいる。なら、みんなを犠牲にしてまで生徒会長なんて不相応な夢を追うのは、やめよ。みんなのためにも、裏生徒会を続けましょう、ずっとね」
「・・・・・」
乾いた笑いで何気なくそう呟いた川霧の一言に、俺は、どうしようもなく違和感を覚えた。
言い方のせいか、言葉のせいなのかはわからないが、さっきの発言にはどこか『自分が唯一の被害者である』と言外に周囲を敵対しているように聞こえてしまったのだ。
もちろんこの選択を迫られているのは川霧のせいではないし、その点に対しては紛れもない彼女も被害者だ。———だけれどそれは同時に、俺たちだって等しく被害者なはずだ。
なのに今の川霧の言葉には、俺たちの”せいで”みたいな、俺たちを加害者として捉え、俺たちのせいで望まない選択をするしか無かったのだと糾弾するような、そんなニュアンスがあった、気がした。
「みんなを犠牲に、って何だよ。裏生徒会の存在がお前の足を引っ張ってるって言いたいなら、生徒会長目指せよ。お前の夢を諦める理由になることは、誰も望んでない」
「・・・ごめんなさい、今のはずるかったわね。忘れてちょうだい」
そう言うと川霧は大きくため息をついてこめかみに手をやる。
それから彼女は目線を下に向ける。けれどその視線が見ようとしているのは、目の前の教卓ではないように見える。
程なくして川霧は昔話を始めた。
「思えば、成長だなんてあの頃から全くしてなかったのかもしれない。初めて親しい友達ができた、中等部の頃からね。あの時は結局最後には、周囲を勝手に敵だと思い込んでは、自分のためだけに行動した。・・・そのせいで麻耶先輩や有栖たちと絶縁みたいになったのに、私はここに来て同じ過ちをするところだった」
「・・・だから今回は”みんなのため”の行動を取ろうってか?」
それはただの換言、表現を変えただけに過ぎない。結局は俺たちが原因だと、彼女は言いたいのか?
俺の嫌味な答えに川霧は微笑む。どこか困ったように。
「別に私のためでもあるわよ。もとより今回の決断はどちらに転んでも私のためよ。結局は選択する上で何を失うかって話で、生きてる以上そんなの特別な話でもないでしょ」
「知らん、俺は失うものが人より少ないからな」
何かを捨てでまで欲するようなものもなければ、捨てれる友人関係も、特別な何かも、俺にはなかった。
今回のような大事な局面でも、俺に選択の余地がないのはひとえに俺にはそういう選択をできる資格を持ち合わせていないと言うことなのだろう。そのための努力をしていないのだから、しょうがない。
俺の大事な居場所の存続が、俺の行動とは全く無縁のところで決まってしまう現実もきっと、しょうがないんだ。
選択はきっと、選べる人間がすることなんだ。
諦め、自分を騙し、今に満足しているからと向上も変化も挑戦も望まない俺と、川霧は全く似てなんかいないんだ。
川霧は言った、生徒会を目指したのは脅威であった周囲から、権威を持つことで保身するためだと。周囲の敵から身を守るため、自分のために彼女は成長したのだ。
こうして孤高となった彼女は、今の自分を見つめ直してはこうも言った。自分は成長していない、と。
それはきっと、自分に理不尽を押し付ける周囲から身を守るために「当時の川霧らしさ」を捨てる選択をした、過去と比較してであろう。
そんな風に物思いに耽っていると、ふとあることに気付く。
それは気づきたくないことであって、俺は青ざめた心地で川霧に問う。
川霧は、変わっていない。理不尽を跳ね除けるために、「生徒会」に入ったあの日から・・・。
「・・・待て、それはつまり、お前自身は生徒会長になりたいってことなんじゃないのか」
川霧は俺の言葉に、ぴたりと動きを止めた。
まだ彼女自身が気づいていない本心の部分のか、はたまた見ないようにしていた現実だからか、川霧は何も言わない。
「お前は中等部の頃を引き合いにして、今回はみんなのための選択をするっていったよな?中等部の頃は謂われない中傷から、偏見から逃れるために自分のためにその選択をした。そんなお前は、成長していなかったって言ったよな?つまりは変化してないってことで、それはつまりお前が本心で望んでるのは自分だけのための選択なんじゃないのか?今のお前が置かれた理不尽な状況を打破するためには、生徒会長になるしかないって中学の時と同じに考えてるんじゃないのか?」
「それはただの例でしょ。それに昔の話を完全に今の状況と照らし合わせて考えるのはおかしな話よ」
川霧は苛立ったように言う。それでも俺は、背筋を這い上がるこの嫌な予感を拭えずにいた。
俺と『似ている』川霧は、この状況なら、どうするだろう。
似ている、なんてあり得ない。もし本質的に似ていたとしても、実際にそれを確かめる方法はないのだから。相手の人柄、本音、考えなんて他人が完全にわかるわけがないし自分自身のソレですら把握できていないんだから。
だからきっと、これは傲慢な勘違いだ。相手はきっとこうであるはず。こうであるべきだなんて決めつけてしまう、ただの一人芝居だ。
それならそれで、十分だ。
勘違いであってくれ
俺は続ける。
「もしもの話だ。お前と似ている俺が今回のお前の立場なら、俺は生徒会長選挙を選ぶ。それは、ここの奴らを軽視してるだとかそんな話でも論理でもない」
川霧は俺の目を見て、はっきりと不快そうに顔を歪ませる。
俺はそれから視線を外す。
見つめる先には、俺たち裏生徒会の面々がいつも座る椅子が。
「それはただ・・・。怖いからだ。これまで一人で自分を支え続けてくれた自分を裏切る選択をするのが」
俺は自分の声が震えていることに気づくと、それから川霧を見た。
彼女はひどく怯えていた。選択することに。それに必然的に伴う、何かを捨てる現実に。
そしてきっと、その事実に、気づいてしまったことに。
———もう俺達は、気づいてしまったのだ。彼女の本心に。
「・・・俺には何もない。だから選ぶことすらできない、こんな大事な時でさえ。だから、川霧。これは自分勝手なお願いだ、お前は選べる立場の人間としてどうするべきかじゃなくて、どうしたいかで選択してくれ。その先がきっと、俺たちがあるべき場所だから」
———そして、これからの俺たちの行く末に。
「本当は、生徒会長になりたいんだろ」
「・・・ごめんなさい」
川霧は気まずげに俺から視線を外す。話すうちに自分の本心に気づいたのか、川霧は今更醜く否定をしようだなんて気概はないようだった。
それに気づくと、俺ももう裏生徒会存続は無理なのだと、今度こそ確定事実となった現実を実感し、突如として湧き出る悲しみであったりやるせなさに堪えるしかなかった。
外では乾き切った葉が、急に吹いた風に煽られヒラヒラと落ちていった。もうあの葉は決して戻ることはできないのだ、当たり前だけれど。
川霧の謝罪に何も答えない俺のせいで生まれた歪な間を埋めるように、川霧は言葉を重ねる。
もう、終わったことなのに。
「最初は・・・、成美先生から話を聞いた後に家で考えたの、私はどうするべきなのかって。それで、裏生徒会を続けようって思ったの。和樹くん、朝日さん、茉白さんみんなと過ごす日々は楽しかったから」
まるで俺が責めているような雰囲気のままに、川霧は続ける。
言い訳がましいのは、この判断が自分のためでもある選択ではなく、自分だけのための選択だからだろう。
であればそれは褒められるべきことなのだ。
誰かのために自分を犠牲にするだなんて、歪んだ自己陶酔をする必要なんてないんだから。それはきっと、選択すらできないような、惨めな人間がするべきことだから。
「でも、泉さんを見て『情けない・悔しい』って感情が湧き出てきた時、直感的にわかったの。私は、今の日々を楽しんで入れど、満足はしていないって。それに気づくとね、急にどうしようもない不安と寒気に襲われた」
川霧は一気に込み上げた寒気から自分を守るよう、肩を縮め両手を抱く。
「でもね、泉さんと一緒に仕事をする中でそんな思いも小さくなっていったの、皮肉にもね。まるで彼女への対抗心が、芯から私を温めてくれているみたいだった。それで実感したの、私はまだ、呪いに縛られてるんだ。・・・いや、もうこの呪いから逃れる方法はないのかもしれないってね。でも同時に、こんな人が生徒会長になれるのかって別の不安が生まれたの。今の私なんかが、生徒会長になっちゃダメなんじゃないのかってね」
その笑顔は、乾いていて取り繕った偽物の笑顔だったが、それでも俺には眩しく写り思わず顔を背ける。
似ているなんてのは、妄想だ。人を構成する要素のうちのたかが一つ二つが同じだから、こいつも俺と同じ考えであるに違いないだなんて迷信じみた確信を持っていた日々を思い出しては俺は嘲笑する。
俺と川霧は、もうとっくに、いや出会った時から今まで、そしてこれからも正反対なんだ。
「もういい。よくわかった。お前の人生だ、お前の判断にケチとかはつけねーよ」
ただその分、頑張れだなんて言葉をきやすく呼びかけることも、できなかった。
これ以上、あの日々を、勘違いだったと思いたくはなくて俺は強引に話を終わらす。
これまでの会話の中で、彼女自身が生徒会長というポストへの執着に気付いたように、俺自身も裏生徒会に偏執していることに気づいてしまった。
これまで誰かと馴れ合うことに関して乾き切っていた俺は、もう前までの乾きを我慢できなくなってしまったのかもしれない。
川霧の言葉を借りると、成長していない、といったところか。
そんな俺には、川霧の言葉の節々が、意味もなく腹立たしい。
「でもね、和樹くん」
優しい口調で呼ばれ、俺は顔を川霧の方へと向ける。
すると今度こそ、川霧は悲しげではあるが、より本当らしい笑みを浮かべてから言った。
「私は、あなたが出るなと言えば出馬しない。そもそもこんな私が生徒会長になっても、私のためにしかならないんだから。きっと、幸せにできる人の数で言うと、私が夢を諦めた時の方が多いでしょうから」
涼しげな物言いの裏には、どこか後ろめたさのようなものが見え隠れしている。
真剣な瞳で俺を見る川霧に、内心イラつきを爆発させながらなるべく平坦な風になるよう応える。
喉が焼けるように乾いて、うまく声が出ない。
「なんで俺なんだ」
川霧は申し訳なさげに眉を下げてから言う。
「私は、あなたを悲しませたくないから」
真剣な声色に、俺はまた小さく笑う。
「どこまで傲慢なんだよ、お前」
「・・・ごめんなさい、失礼なことしてるってのはわかってる。でも、お願い」
そういって律儀に川霧は頭を下げる。
もう、やめよう。これ以上無駄なやり取りをするのは。
「なら、それを貫き通せよ」
「・・・」
もしかしたら、唯一似ているとすら思っていた傲慢なところすら、違うのかもしれない。俺は彼女の表序を見て、そう思わざるおえなかった。
自分のためだけの選択を肯定されたのに、川霧は悲しそうに下唇を噛み締めていた。
「本当に、いいの?私、みんなのためじゃなくて、自分のために会長になってもいいのかしら」
「さぁ」
「他人を捨ててまで、夢を目指して、いいのかしら」
「お前の人生だ、好きにしろ」
俺の顔を見る川霧。そして、小さく笑う。
「・・・ごめんなさい、和樹くん。本当に・・・ごめんね」
またしゃがれそうな声で、そう呟いた川霧は、もう一度顔を伏せる。
もう頼りなくなった少女のその肩は、小さく揺れている。
静かな教室からは、二度目の嗚咽が聞こえてくる。
「外で待ってる」
俺は川霧にそう告げ、足早に教室をさる。
別に泣いている川霧に配慮した訳ではない。ただ、俺の心が限界だっただけだ。
俺はすぐそこの窓を開ける。少しでも早く、さっきのように冬の風に当たりたかった。
窓の外はやけに静かで、もう劇は終わってしまったのかもしれない。
結局全く見ること叶わなかった。朝日には何か詫びを持って行った方がよさそうだ。
はぁ、と溜息が漏れると同時、後ろから扉が閉まる音がした。川霧の涙もようやく落ち着いたのだろう。
「大丈夫か?」
俺は振り返れないまま言う。
「ええ。もうクヨクヨしないわ。・・・捨てる代償が大き過ぎたもの」
強がりな口調の割に、声はまだ鼻が詰まっていた。俺は、それがおかしく外の景色を見ながら小さく笑う。
「でも私、みんなに嫌われちゃうわね」
「朝日は嫌わないだろ」
「和樹くんは?」
「・・・」
何と答えればいいのか、わかってる。だけど、声が出ない。別に、裏生徒会がなくなる選択をした彼女を嫌いになったわけではない。これは彼女の人生の成り行きから考えるに自然だし、俺自身もそうすると考えた。
それでも、体はいうことを聞いてくれなかった。
不自然に生まれた間。ヒューと、冷め切った風が、吹き付ける。
瞬間、ポンと軽い衝撃が、体温が、背中に伝わる。そして俺のお腹の辺りに回された白く細い腕がきゅっと結ばれる。
「・・・和樹くんも、嫌わない?」
吐息の暖かさも、整っていない少女の鼓動も、か弱い手の震えも、全て伝わって俺に訴えかけてくる。切ない感情を。
「・・・あぁ、多分な」
それだけ言うと、川霧は一言「もう、二度としないから」と言って手を解く。
最後には「・・・意外に、呆気ないのね」と、呟いた。
もう二度と、俺たちは元には戻れないのだろう。
もしよろしければブクマや星お願いします。とんでもないやる気につながります!!




