彼は帰らず、ただ教室に向かう
朝日の笑顔で後悔の念がジリジリと晴れていっている時、スマホが震えた。
俺は画面を見ると、その通知を見るなりスマホをしまう。
「悪い、トイレに行ってくる」
「え、わかりました。・・・待ってますから」
優しくそう言った朝日を教室に置いて、俺は呼び出し人の待つ方へ向かった。
「色見」
「あん?」
その声の主は、静かに俺の隣に並ぶと俺と同じように校庭を見ながら
「いいの?あの子たちのUSB、私が盗んだこと言わなくて」
と呟いたのは、誰でもない、今回の騒動の中心である文芸部の一員であり、俺の提案を受け入れ作戦に協力してくれた井伊静だ。
「あぁ。それでいい」
「・・・優しいのね」
「・・・」
おおよそ俺の行いに向けられた言葉だとは思えず、嫌味ったらしく俺は笑った。自分から見てもなんて性格の悪そうな顔だろうかと思う。窓から部活動に励む眩しい生徒たちと捉えていたはずの目には、くすんだ俺の顔が映りげんなりしてしまう。
「これで文芸部の歴史は守られたし、お前らの関係もあれ以上悪くはならないだろ」
「おかげさまでね。でも、私たちのためにそこまでしてくれるとはね」
「別に。自分のためだ、きっと」
・・・俺はそういう人間だったはずだ。誰かのために、なんて弱っちぃ考え方なんて、持ってたまるものか。
「なんで私に協力の話をしたの?」
「ただ俺なりに考えただけだ。」
言って俺は、数日前に自身の足りない頭を精一杯使って考えた、今回の作戦への思考の過程を思い返す。
「まず俺は・・・というか俺たちは、今回の問題を文芸部としての部の存在としての問題とお前ら個人の人間関係の問題と見方が分かれると考えた上で、俺たちのメンバーの一人の意向で今回はお前ら個人の仲違いを修復する方向で動くようにした。となると問題は簡単だ。この仲違いを正すにはーー」
「原因の文集を作れなくすればいい。と言うことね」
「あぁ。もちろんこれが最善だったとは思わないし酷いことをしたとは思ってるがな」
「あなたは特に何もしてないわよ。・・・あの子たちの執着を知っておきながら、自分のわがままを優先させた私の方よ、酷いのは」
井伊は自分を責めながら、らしくなく感情をむき出しにした顔で自分の腕をもう片方の手で強くつまむ。
「・・・そこで俺は思い出したんだ。お前が文集を作りたくない理由をな。お前は『文芸部の輝かしい歴史を汚したくない』って言っただろ?なら文才がないから書きたくないって言う新井よりも俺の作戦に協力的になってくれるんじゃないかって思っただけだ」
「でも私がもし“いい友達”ならあなたの酷い提案を、友達を傷つける行為を、了承する訳ないわ。それはあなたもわかってたでしょ?それでもあなたが私の元に来たと言うのは、私の性格の悪さに賭けて、なのかしら」
自虐的に、侮蔑的に、井伊静は儚く笑う。
今回の作戦で唯一救われないのは井伊だろう。だって、今回の依頼で関係が修復することがあっても、彼女はずっと安芸と新井に後ろめたさを感じなければならないんだから。
――だから
「俺が賭けたのは、お前のあいつらに対する『友情の厚さ』さ」
「え」
――誠実でなければいけない
「本当にあいつらのことが大事で大切でどうしようもないなら、友達が到底到達不可能な目標のために体も心もボロボロになるのは見てられないだろうって、俺はお前の友情に賭けたんだ」
「・・・」
――こんな言葉で必要悪として自身に泥を塗った彼女が救われるなんて思わないが、それでも
「お前がしたのは友達の頑張りを台無しにすることじゃない。ただ、大切な友達のことを想って、苦しみから守ったんだ。後ろめたさなんて今日だけで忘れろ」
「・・・私は・・・あの子達と、まだ・・・友達になれるのかしら」
「知らん。ぼっちの俺に聞くな。・・・それはこれからわかるだろ」
「・・・それもそうね」
言って窓に映る井伊は小さく笑ってから、窓から離れる。纏う雰囲気は先ほどまでより明るく、胸のつっかえが取れたようだ。
「改めて今回はありがとね」
「別に俺はなんもしてねーよ。仲良しに戻れるかもお前達次第だし文集も結局ダメだったしな」
「それでもよ。あなたがいて助かったわ。・・・もし今の居場所がなくなったら文芸部に招待してあげるわよ?」
「やめてくれ、俺は好き好んで針の筵には行きたくない」
「ふふっ、私は歓迎だけど他の二人は、まだ今は無理でしょうね。・・・そもそも」
そこで井伊が間を作るものだから、俺はどうしたんだろうかとつい体を井伊の方へ翻す。すると彼女はそれを待っていたかのように俺と目が合うと、意地悪っぽく言った。
「あなたをあの二人が手放すとは思えないわね」
「は?」
意味がわからず俺は間抜けな声を出す。それすら井伊の想定内なのか、井伊はニヒリと笑って
「それじゃ、私は帰るわね。またいつか」
歩き出した。
彼女が帰るのは、きっと家なんかではなくて久しぶりの友人達のところなのだと、その楽しげな足取りが俺に告げる。
早く友達に会いたい、と。
「あなたも早く帰りなさいよ、あの二人待ちくたびれてるわよ今頃」
「うるせぇ、ほら行った行った」
ぶっきらぼうに別れを告げると、俺もまたいつもの場所に歩み始めた。
いつか俺にも、“帰る”と言える日が来ることを淡く期待しながら




