さようなら、文芸部
「ついたな。二人はこの辺りで待機してくれ。作戦通りのタイミングで頼む」
「・・・」
「私は行かなくて大丈夫?」
「当たり前だろ、むしろ来られたら困るわ」
わかりきったことを母親のような口調で聞いてくる川霧を適当にいなすと俺は文芸部の部室の方を向き直す。
ほんのばかし緊張した気持ちを落ち着けるように、ゆっくりと目的地へと歩いていく。
鼓動は部室が近づくにつれてその速さを増していく。
文芸部の部室の扉に手をかける。
うまく行ってくれ。そう願って俺は、ついにその扉を開ける。
するとーーー
「あ、色見くん!!」
とこの前よりもさらに疲れ切った顔をその上真っ青にした安芸と目が合った。部室には安芸に新井、井伊と全員が揃っており、新井は安芸から少し離れたところにある机の引き出しを引いては余裕なさげに漁っている。もう一人の井伊静は慌てふためいた二人とは打って変わって、いつもの落ち着いた様子のまま、急に入ってきた俺たちの方を見ている。
安芸は教室に入ってきた俺を見るなり慌てた様子でこちらに走って悲痛な様子で言った。
「た、大変なんです!」
「何があったんだ?」
「そ、その。あそこに置いてあったUSBが・・・」
言って安芸は、小さく震える指先を伸ばす。その先には菓子箱を再利用した小物入れが置いてある。
俺が最後にここを訪れた時にはあそこに文集のデータが入ったUSBがあったはずだ。
つまり、締め切り目の前にして安芸たちが心身を削って作り上げた文集のデータが何者かによって盗み出された、と。
「ど、どうしましょう。あ、あれがないと私たちは・・・。一体誰が・・・!!」
徐々に安芸の顔は、絶望に染まっていく。これまでの頑張りを、部の存続のために文字通り命を削って作り続けていた血と涙の結晶が、不意に目の前からなくなった奇異を信じられないと言った感じで。
安芸は俺の目の前で顔を浅く伏せ、今にも泣き出しそうな震える口で小さく繰り返した。
「一体誰が、こんな酷いことをーー」
そこに怒りも悲しみも見出すことはできなかった。
絶望
それだけが今の安芸を、いやもしかしたらこの部室一体を支配している。通夜にも似た嫌な静けさが体を重くする、そんな感覚にとらわれる。
そんな部室で、俺はただ一言、ポツリと言った。
「俺だ」
「・・・・え・・・?」
ゆっくりと安芸はその顔を俺に向ける。俺の言ったことが、この状況が嘘であってほしいと願う安芸は引きつった顔を俺に向けて固まる。
もう一度俺は安芸に伝わるよう繰り返す。
「俺だ。俺がもう教員にUSBを渡した」
「ど・・・・どうして・・・なんで・・・」
ポツリポツリと現実を、目の前の絶望を拒むように呟きながらも、安芸は俺の真剣な顔を見て俺が無神経な冗談を言っている訳ではないと、ようやく理解できたのだろう。
「どうして!!・・・なんでそんなことを!!」
切実な叫びは耳がキンとするほどの声量で、安芸は普段のようなおとなしい感じを失って俺に問い詰めてくる。
「ど、どうしてですか。まだ、全然完成なんかしてないのに・・・!!」
安芸の震える声は焦りのせいなのか、怒りのせいなのか俺にはわからない。
・・・分かってはダメなんだ。
「別にいいだろ、どうせこのままじゃ完成なんか無理だったし。先生も納得してたぞ、この出来じゃ完成したとしても文集を認めるのは厳しいだろうってな」
嫌味ったらしく言い放つ。安芸はやはり俺の発言を聞いてもショックで飲み込むのに時間がかかるようで何もいえずにいる。
俺はただ、その様子を弔うような心境で眺めていた。慰めの言葉も、逆に文芸部員たちの過ちを責めるような言葉すらもかけずに、ただ自分の心を殺すことに集中した。
けれど、急に俺の襟が何者かに引っ張られた。
それは安芸の奥にいたはずの新井だった。
目の前の安芸をジッと見ていたせいか、新井が俺との距離を詰めている過程を見過ごした俺は新井が瞬間移動したような錯覚になり困惑してしまう。
新井は俺と目が合うと、不機嫌さを全面に出したその顔をより険しくしながら言う。グイッと顔を近づけてから
「おい、部外者が余計なことすんなっつったよな?てめぇ、自分が何やったか理解してんのか?」
襟元まで伸びた新井の拳は怒りで震えていた。そして威圧感のある鋭い視線は俺の目を突き刺し続けて離さない。
新井が俺を許すことはないと彼女の目が告げているし、俺自身も許されない事をしたと思っているので、今にも殴りかかってきそうな新井を目の前にしながらも俺が新井に対してなにも言わないでいると
「わかってるのかって聞いてんだよ!なぁ、なんとか言ってみろよ」
一層、新井は力を込めた。もし新井が男なら俺は本当に息が止まっているかもしれないと思うほど、今の新井は本気で首を絞めようとしてくる。
首の中央あたりが襟元の締め付けによってドクンドクンと血液の流れを強調するのを感じながら、俺は一生懸命に嫌味を言おうと頭を悩ませる。
そして
「俺に責任をなすりつけて満足する前にまずは自分達が本当に全力を尽くしたか考えろよ。お前『文才がないから書かない』とか言ってたけど違うだろ?そんなのただの言い訳だ」
溢れそうになってしまう
「あぁ?」
「だってお前は、ただーーー」
抑えていた感情が、歪な笑顔として
「書けないんだろ、いい作品が。逃げたんだろ?」
「この・・・っ!!」
瞬間、俺の体は強い衝撃に見舞われた。新井は俺の胸ぐらを掴んでいた手で俺を強く突き飛ばし、なす術のなかった俺は尻もちをついて床に叩きつけられた。
「は、花!?やりすぎだよ!」
安芸が動揺と静止の念を叫ぶが、その親友であったはずの安芸の声は今の新井には聞こえていないようで新井は尻餅をついて衝撃に怯んでいる俺の方へ、睨みながら歩いてくる。
俺のところまでくるとしゃがみ込んで俺に視線を合わす。そして両手を俺の襟元に伸ばすと一気に立ち上がって強制的に俺を立ち上がらせた。
急激な首元の圧力の上昇に俺はむせてしまった。が、そんなことは気にもせず新井は一切力を緩めずに忌々しく吐き捨てた。
「わかった気になってんじゃねぇよ!!そうやって勝手に決めつけてわかった気になって悟った風なこと言ってんじゃねぇよ!」
やはりその手は震えていた。
「一人のお前がっ!偉そうに語ってんじゃねーよ!!」
だから俺もその一生懸命な強がりがなぜか腹立たしくてまた嫌味を言ってしまう。
「そうやって一人でいる人間を潜在的に見下してる奴の方が偉そうだと俺は思うがな」
「てめぇ、いい加減にッーー」
とうとう我慢の限界を迎えたのか、新井は俺の襟元へ伸ばしていたうちの片方で拳を作り高く振り上げ、
そしてーーー!
「やめてください!!」
甲高い叫び声。
しかしそれは安芸の物ではなかった。
その声は俺の隣から発せられた。新井は急な声に拳を振り上げたまま固まって、声のする方へ驚きそのままに視線を向ける。俺はその新井の視線をなぞるようにその方向を見る。
するとそこには・・・
「朝日さん・・・?」
「朝日・・・。邪魔しないで」
「嫌です。絶対にさせません」
俺と新井の僅かな隙間に体を入れた朝日は、鬼のような形相の新井を前にしても、らしくない強情さでこの場から引く気配はない。
「あ、朝日さん・・・なんでここに?」
元々の予定とは全く異なるタイミングで介入してきた朝日に困惑した俺はそう繰り返す。俺の作戦では朝日は文芸部の味方としてここにくるはずだった。しかし、
・・・これではむしろ真逆じゃないか
未だ思考がまとまらない俺は何も言えないでいると、朝日はそんな俺の方をチラリと見てから言った。
「色見くんもやり過ぎです。後で説教ですからね!」
「な、なんで俺が・・」
それだけ言うと朝日は新井の方を向き直す。
「新井さんも落ち着いてください。色見くんの言葉が嫌味くさかったのは謝ります。でも暴力はダメです」
「んでお前に文句言われなきゃなんねーんだよ」
「だって・・・私は、二人の友達ですから。友達がいけないことしてたら注意します。当たり前です」
真っ直ぐな朝日の意見に新井はなにも言えずに、気づけばその表情からは怒りは見えなくなっていた。だからと言って俺が引き起こした未完成のデータを提出したことによる文集の作成の中止という問題が解決したわけではない。
それを新井もわかっているので、比較的落ち着いた様子で口を開く
「でも朝日、元はと言えばそいつが文集のデータを持ち出したのが悪いのよ。実力がないなりに全力で頑張った私たちの文集のための努力を台無しにしたのよ?そんなの、許せるわけがないでしょ」
「そ、それはそうかもしれないけど」
「でしょ?ならさそこどいてよ」
「で、でも暴力はダメです」
朝日の必死の説得虚しく新井は朝日を避けると俺の方によると・・・!
「やめて、花」
不気味なほどに、静かな声は、誰よりも自分を犠牲にして大切だった親友との居場所を守ろうとした、安芸のものだった。
しかし、新井がここまで俺に切れているのは誰でもない親友の安芸、井伊のためなので急な安芸の言葉に面食らった新井は後ろを振り返る。
「はぁ!?いいのかよこいつは・・・・!!・・って安芸?なんで・・・」
安芸の方を見た新井は大きく目を見張って呟いた。
「なんで泣いてんだよ・・・?」
「もういいの、花。だって・・・もう・・・私たちの、文芸部はどうやっても、元に戻らないんだから」
ひどく震える声でそう言い切ると、これまで抑えていた文芸部に感じていた愛着が、申し訳なさが、責任感が・・・一気に溢れ出した。
「もう・・・もう、文芸部は・・。うっ・・うぅ・・・」
「あ、安芸」
これまで静かにしていた井伊はそっとしゃくり泣いている顔を見られまいと両手で顔を隠して泣いている安芸の肩に、優しくそっと、手を置くと
「ごめんなさい。私のせいで・・」
言ってこれまた優しく、震える体を抱きしめた。
そして何回も小さな声で、井伊はごめんなさいと口にし続ける。
「悪いのは静だけじゃない。みんな、悪かったんだよ・・・。みんなが、私たちが、もっと・・・もっと才能があって、本気だったら・・・!!き、きっと・・・この部活は・・まだ・・・。うわぁぁああぁぁああ!!」
とうとう抑えられなくなった安芸は、大きく、その感情を隠すこともできず、ただただ泣き続けた。
俺がいることも、朝日がいることも忘れて、ただひたすらに。
大好きだった、親友だった井伊に体を預け、泣き叫び続ける。
「バカバカッ!!静の馬鹿、花の馬鹿!!みんなで一緒に頑張ってたら、今頃・・・!!今頃・・・。もう遅いよ!!」
「ごめんなさい、本当に。ごめんなさい・・・ごめんなさい」
安芸の本心からの叫びにつられてか、井伊と新井の顔にも悔しさと戻らない日々への哀愁を感じさせる。
文芸部・・・今となっては元文芸部の三人は、一人では絶え難い悲しみを分けるように身を寄せ合って慰め合う。
その様子を見て、俺と朝日は最後の部活動を邪魔しないよう、身を翻し廊下に向かう。
この結末は、遅かれ早かれ彼女らに訪れていたものだ。彼女たちは言わば自分で自分の首を絞めたような物だが、今ぐらいはぬるま湯を掛け合っても許してやるべきなんではないのだろうか。
まず朝日が部室を出て、次に俺が廊下に出ようとしたところで、俺は何の気なしにもう一度、文芸部の三人の方を振り返る。するとそこで俺は泣き腫らして目を真っ赤にした安芸と視線があった。
いつの日か、俺たちの前に助けを求めてきた彼女は言った。
「こんなことになるなら相談なんかしなかったのに」
・・・俺はただ、鼻で笑うことしかできなかった。
俺が優しさだと思って招いた早めの結末は、彼女たちには理不尽な不幸としか映ってないようであった。
やはり俺は、人の気持ちをわかった気になっただけの一人ぼっちなのだと、自戒しながら部室を出た。




