霧切と指切り
乾いた喉を潤すためにまた缶に口をつける。
「・・・でも、あなたまで信念を曲げて、協力することを肯定する必要はなかったでしょ」
「別に俺は信念だとかそんな大層なもんはねーよ。ただ人と関わるのが面倒だからいつも1人でやってるってだけさ」
「だとしても、部外者のあなたがあそこまで自分の身を粉こにする必要はなかった。・・・私はどこかで気づいてた。あなたはきっと自分を犠牲にするだろうって。だからあなたを巻き込みたくなかったのよ」
「・・・」
思い出されるのは、俺が最初に川霧と対立した時の事。結局あの時は泉のカリスマ性(笑)によって会議室には、一人で仕事を抱え込む川霧を攻める空気が出来上がっていた。その空気は裏を返せば、泉の人任せなやり方を肯定するもので、その空気が会計係を将来的により苦しめることになる事は俺も理解していた。だが、俺はそれを承知であえてその空気を利用してーー
「あれしか藤堂先輩の真の依頼を達成する方法がなかった。それにもし俺が手伝わなければ、お前が壊れてた」
――川霧と共に地獄に落ちることを選んだ。だからこの文化祭に関わる惨事も受け入れるしかあるまい。
「そもそもお前だって体を張りすぎだ。昔も今も。もっと労ったほうがいいぞ」
麻耶達から聞いた話では中等部の頃、運動会でなぜか川霧が攻められるようになると麻耶たちの友達に気を遣って自分から離れたようだし、今回もやろうと思ばもう少し他人に仕事を回して楽もできただろうが、それをせず自分を犠牲にすることで会計委員をなんとか持たせることに成功した。
それはあまりにも不健全で、一般的には誉められるようなものではないだろうし、泉の論の方が正しいのかもしれない。
まぁ、だからと言って納得しているわけではないが。やはり俺も川霧と同じく、泉はこう言うことに向いた器でないと思っている。
・・・ただ泉本人も相談にきたくらいだ、彼女も実際はそれをわかっていたはずだ。自分一人では文化祭がダメになると確信があったから、完璧を演じていたはずの泉はわざわざ成美先生の元を訪ねたのだろうし。
ただ、その実感が本当に彼女にあったのだとしたら、この仕事をやるべきではなかったのだ。
背伸びして歩き続けるのは辛かろう。
「でも私には泉さんの考えが間違っているようには思えなかった。」
完璧で、誰よりも強く、自分を持っていると思っていた川霧は両手で持っている缶に視線を落として悲しそうに言う。
「それが何よりも・・・辛かった」
今にも泣き出しそうな、細く震える声は、俺が思い描く川霧凛ではなくて、俺は驚きを持って川霧の方を見る。
彼女はあの会議室の時のように下唇をかんで、自分の場所すらわからなくなるほどに暗い地面を見つめている。
一人で一生懸命仕事をしたのに報われなくて、自分の生き方を不安視するその横顔は、他人のものだとは思えなくて・・・つい
「私のこれまでは間違ってたんじゃっ・・・っひゃ!!」
可愛らしい声の後に声にならない叫びをあげジタバタとすると、川霧は目尻に涙をため俺の缶をバッと奪う。
「ちょ、ちょっと何するのよ!」
「・・・間違いなわけねぇよ。少なくとも俺は今回、お前がいないと無理だったと思ってる。だってお前、明らかに他の人の仕事までやってただろ、あの量は。それと生徒会の仕事も追加で考えれば、こうやって本番迎えられただけ奇跡ってもんさ」
焦りが落ち着いた川霧は前髪を整えながら立ち上がってスカートを整える。
そして俺の方に振り返って、珍しく口をモゴモゴとさせている。
「・・あ、あの。一ついいかしら」
「なんだ?」
「そ、その。えっと・・・。」
「なんだよ、はっきりしないな」
「うるさいわね!こっちだって準備がいるのよ、全く・・」
顔を右に左に忙しなく動かしていた川霧は、その準備ができたのか、咳払いをして俺に向き直す。
やや紅潮した川霧の顔を、俺は見上げていると
「・・・呼び捨てで呼んで良いかしら。そ、その、喧嘩したのに今でも丁寧に苗字で呼ぶのもなんか変でしょ。それに麻耶先輩だってあなたのこと呼び捨てになったのに、先輩より長い付き合いの私達が互いに苗字呼びなのも変でしょ・・・変よね?変なのよ、わかる?って何がおかしいのよ!」
「いや!なんでもない。確かにそうかもな・・・川霧」
「・・・」
「悪い、これが限界だ。許してくれ・・・」
下の名前で呼べと要求してくる川霧の視線に耐えかね俺は適当に目を泳がせる。
それを見て、川霧は不服そうに続ける。
「はぁ、あなたって人は・・。それと、その、私と友達になってくれるかしら。仲間、なんてよそよそしいものじゃなくて」
「・・・え?なんてーー」
「友達にしてあげるって言ったのよ、愚鈍」
「おいおいそっちから言い出したのに随分上からだな・・・」
「しょうがないじゃない!もう、しばらく自分から誰かと仲良くなろうだなんて思っってなかったんだから・・・。だから、はい」
言って川霧は小さくて綺麗な小指を伸ばしてきた。
俺はそれが意味することは分かりながらも、TPOに準しているのかと困惑していると
「だからやり方がわからないのよ、ほら早く!」
「あ、あぁ。わかったよ」
俺は苦笑いしながら指を伸ばす。
その小指に川霧は積極的に自分の指を絡めたかと思うと恥ずかしそうに笑っていう。
「これで私たち友達よね、和樹くん?」
「呼び捨てじゃないのかよ・・・」
「あなただって苗字呼びなんだしいいでしょ、準備が必要なのよ私にも」
川霧は目線を外すと固く結んでいた指を離す。
俺は気恥ずかしさからじっとしてられず立ち上がり、帰宅しようかと歩き出す。
「・・・裏切ったら針千本飲ますからね」
「こえーメンヘラみたいな事言うなよ・・・」
まだ傷が癒えたわけではないが、まだ少し、自分のことを好きでいてもいいのではないか。そんな気がしてならなかった。




