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春はまた巡るもの

楽しんでいただければ幸いです

川霧が去っても俺はまだ、空き教室にいた。

 囚われたように、動けないでいた。


 今じゃなければ、川霧が会長になったことをあいつと一緒に喜べたのだろうか。

 もっと相応しい笑顔で、彼女の悲願を讃えることができなんだろうか。


 思い浮かぶ矢印はどれもが後ろ向きで、どこまでも意味はない。


 ふと俺は視線を床に下ろす。

 散らかった鞄とそこから溢れた用紙が無惨に床に広がっている。


「・・・」


 俺は蔑むようにそれを見る。


 自分を痛々しく過信していた日々のそれは、大切な物をたったの一つすら守れなかった。

 勝手に眉間に力が入る。


 ちょうどその時、後ろで扉の開く音がして俺は振り返る。

 茉白は、何も言わずじっとこちらを見てこちらを見ている。

 それに俺も何か応えるでもなく見つめ返す。


 今の俺はどんな顔をしているのか、自分でもわからない。


 思えば、俺は茉白の依頼を達成できなかったばかりか、思い描く最悪の方向へ状況を誘った大失敗を起こしたのだ。

 茉白に建前上依頼者としての体をとってもらったのにも関わらず、だ。


 その事実に気づいた俺は気まずげに視線を外す。

 するとそれを合図にしたように茉白は小さな歩幅でこちらに歩み寄ってくる。


「・・・大丈夫?」

「別に俺は何もしてねーよ。・・・これっぽっちも」

「川霧さん、会長だって」

「・・・らしいな」

「なくなっちゃうね、ここ」

「・・・あぁ」


 茉白は俺を通り過ぎると、いつも座る椅子に腰掛ける。

 上体を机に委ね、細い指で机の上をなぞる。


 ゆっくりと机上を滑る指は、この場所であった思い出の手触りを確かめているようで、不思議と見ているだけで胸が苦しくなる。

 茉白はひんやりとした机に頬をつけながら呟いた。


「書記、誰になるのかな」

「さぁ。川霧もまだ決めてないっぽかったぞ」

「川霧さん、やっぱりここに来たんだ」


 ピタリと動きを止めた茉白はそう言うと、立ち上がって呆けたように景色に注意を向ける。


 誰も何も言わない静かな空間。

 そこに変な緊張感や重圧感のようなものはない。


 至って普通で何の変哲もないその時間は、だからこそ俺の口からするりと言葉を滑らせた。


「すまん。お前の依頼、守れなかった」


 すると俺に背を向け景色を見ていた茉白はくるりと翻る。


「別にしょうがないよ。そもそもが無理なお願いだったんだし」

「それでもっ・・・。・・・少なくとも、朝日と川霧、二人を傷つけるつもりじゃなかったんだ。それなのに・・・俺は・・・。しなくていいようなことしか、できなかった」


 できることなら膝から崩れ落ちたい。


 そんな気分だった。


 意気揚々と裏生徒会を存続させると言っておきながら、この様はなんだ。

 夢を抱いた朝日を潰し、裏生徒会を潰し、夢を叶えた川霧の笑みすら悲しげにさせたのは、他でもないこの俺だ。


 結局、一番の癌はこの俺だったのだ。


 悔しくて、情けなくて、惨めで仕方がない。

 そんな俺に届いたのは、いつもの間延びした茉白の声だった。


「考えすぎじゃないかな。朝日さんだって、自分が体調悪くなる予感くらいはあったんじゃないかな。それでも、色見くんとの日々を投げ出したくなかった理由が、あるんじゃないかな」


 それはどこまでも『かもしれない』口調でありながら、どこまでも確信じみた何かを感じさせる言い方だった。


「だったらきっと、朝日さんは満足してるんじゃないかな、この結果に。勿論会長にはなりたかっただろうし、選挙にも本気だったとは思うけど、それが一番の目的じゃなかったんじゃないのかな。だってあの朝日さんだし、体調不良ぐらいものともしなそうじゃない?」

「アイツを化け物かなんかだと思ってる?」

「そんなことないよ。でもさ、今の朝日さんはきっと、やりたいことはちゃんとやり通せる人だから」


 そう言うと茉白は悲しげに笑う。

 それに釣られ、俺も笑う。


「そんな朝日をダメにした俺は、死んでも死に切れないな」

「それだと、私もだね。色見くんが苦しんでるの分かってて見ることしかできなかったから」

「別に俺は苦しんでなんかないぞ?」


 そんな良心があればそもそも今回のようなわがままを思いつかないで済んだだろう。

 良心がなくて自己中心的で馬鹿だから、最後になって罪悪感で死にそうになるんだ。


「そんなことないよ。色見くんは、ちゃんと、苦しめてたよ」


 まるで俺の心の声に応えるように茉白は続ける。


「そんなの、見ればわかるよ」

 茉白は床に散らばった数々を見る。



「書けなかったんだもんね、どうしても」



 そう言うと茉白は屈んで、書きかけの用紙を手に取る。


「自分がこれからすることに耐えられなくて書けなかった色見くんを、私は酷い人だとは思えないよ」

「・・・でも、俺は書き切るべきだった。そんな中途半端だったから、最悪な結果になったんだ」


 俺の言葉に、茉白は無表情でこちらを見上げる。

 それは何を考えているのか、何を感じているのか伺えない、いつもの彼女らしい表情だった。


 その瞳がジッとこちらを捉えたかと思うと、すぐにその瞳は目の前へと迫り上がってきた。

 薄い笑顔を浮かべると、楽しげに言う。


「なら、私よりかは、酷い人じゃない。って言うのなら、納得してくれる?」


 俺は意味がわからないと眉を顰める。

 今回の件で茉白は俺に依頼の体をとって背中を押した以外に何かしたわけではない。

 しかもそれすら俺のわがままを聞いてくれただけにすぎない。


 であれば茉白が自分を酷い人だと自称する必要がわからない。


 そんな俺の考えは見え透いていたのか、茉白は続ける。


「色見くんがきっと傷つくのは、何となく私わかってたし。それならやっぱりあの時に止めるべきだったんだよね」

「でもそれは俺がお願いしたからであって」

「それでもだよ。みんな無理しちゃうのはもう知ってるんだから手綱を握れなかった私の責任です」

「んな人をじゃじゃ馬みたいに・・」

「でも朝日さんや川霧さんにならその表現、合ってるって思うでしょ?」

「無論」

「なら色見くんにも合ってるよ。三人は、似てるから」


 また笑う茉白。

 けれどその笑みはさっきまでの薄さもなければ、本来あるべきな楽しさなどもないようだった。


 だからこそ、俺は何か言わなければいけない気がした

 茉白が密かに何かを欲しているような、そんな気がしてならなかった。


 俺は静かにその瞳を見つめ返す。


「・・・なら、同じくらい酷いって言うなら、納得する」

「え?」

「だから、お前も俺と同犯だって言うなら、少しくらいこの罪悪感を分けてやる」


 自分でも何を言っているのかわからなくなってきた俺は気まずげに頭をポリポリとかくと、茉白は目を丸くして脳内でさっきの言葉をリピート再生しているのか微動だにしない。


 するとやがて

「もう、意味わかんない」


 そう言って楽しげに笑った。


「それでもう色見くんは今回の件気にしないの?」

「それはないな。死ぬまで引きずるぞ。でも一人だと寂しいから、お前にもお裾分けしてやる」

「それだと私、貰い損な気もするけど・・・。まぁ、それでいいよ」


 散らばった用紙をまとめた茉白は俺にクリアファイルを差し出すと、もう片方の手で俺の鞄を持つ。


「一緒に引きずってあげる、“死ぬまで”ね?」


 そう言って今度は、イタズラっぽく笑った。

 茜がさしたその表情は、これまでのどの瞬間よりも輝いていて

 どこまでも俺の目を、釘付けにした。

 

 いつも真っ白で何の感情もないはずのその表情に灯った微かな感情を目の当たりにして、俺は思い出す。


 今年の春は、別れの季節で

 去年の春は、出会いの季節だったと言うことを。

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