chapter 7: HALLOWED BE THY NAME
ホアキムとヨハンネスは、行灯で足元を照らしながら、野外の夜道を急いだ。
ピーターの男装の従者が待っていて、合流してからは彼女に先導される。
とは言え、ヨハンネスは半死半生の体なので、実質的にホアキムが担いで歩いたに等しい。
にも関わらず、ホアキムの健脚は大股で大地を捉え、一刻の後には、警吏とパン職人の一団に追いついた。
森の中から、一町(※)ほどの距離に、谷間の村を見下ろす場所だった。
もっとも今は、窓や戸口から漏れる微かな灯しか見えない。
村側から灯りが見えないよう、慎重に岩陰で小さなたき火を起こし、彼らは身を休めていた。
「状況は、どうなってますか?」
ホアキムが、ピーターに尋ねた。
「あの村外れの宿屋だ。 片腕の野郎、あそこに逃げ込んだ」
暗闇の中に、それらしき建屋があるような気がするが、ヨハンネスには、はっきりとは見えなかった。
「今、俺の従者たちが中を探ってる。その結果待ちだ」
そう説明を受けて、さすがにホアキムは一息ついた。
そうやって、改めてヨハンネスを見て、今更気付いたように尋ねた。
「ヨハン、お前、メッサ―は?」
「サーセン、河の中ッス」
少年の答えに、ホアキムが、しまった、という顔をした。
横で聞いていたピーターが、自分の長剣をホアキムの胸に押し付けた。
「使え。俺はもう一本、予備がある」
そう言われたホアキムは、長剣を鞘から引き抜いて検分した。
溝の無い、菱形の断面を持つ直線的な硬い刃。
後世、片手半剣とか“合いの子”剣とか呼ばれたが、基本的には両手で扱う武器だし、当時の人は単に“長い剣”と呼んだ。
青年はうなずいて、自分のメッサ―をヨハンネスに貸し与えた。
「アニキ、それ“剣”でしょ? 遣えるんスか?」
少年は尋ねた。
「遣える。元々、僕の師は、そのまた師の長剣術を、メッサ―に翻案した人なんだ」
そこで初めて、ヨハンネスはホアキムの師の話を聞いた。
「ウディーネ市でも習ってきたんだろう? たぶん、そんなに違う理合いではなかったはずだ」
口を挟んだピーターの物言いに、ホアキムは戸惑った顔見せた。
「ウディーネのフィオーレ・デイ・リベーリをご存じで?」
「面識はないがな。剣聖リヒテナウアーの弟子の一人で、俺の師が兄弟子だった。だからお前の所とも従兄弟ぐらいの関係なはずだ」
――そうだったんですか。胸落ちしたように、ホアキムはうなずいた。
その時、突然に、笛の音が鳴り響いた。
全員が立ち上がって、宿屋があるという辺りを見た。そちらから、笛の音は響いてる。
「何があった?」
「わからん。今の鳴らし方は、“至急攻撃せよ”だ」
ホアキムが尋ね、ピーターが答えた。
ピーターは唇を噛みしめ、二秒ほど考え、口を開いた。
「松明に火を付けろ! これから、あの宿を制圧する!」
警吏はそう言って、剣から鞘を外した。鞘は、従者に渡す。
ルールマンが拳を作り、職人一人一人と打ち合わせていく。
それが終わると、一同は雄叫びをあげて駆け出した。
一団は、すぐに宿前に到達した。
縦六十間、横四十間ほどの敷地は、高い木塀で囲まれ、中が見えない。
しかし時折り、中から怒号や悲鳴が聞こえる。
開いている両開き戸の正門から中に入ろうとした一団は、それを押し止めようとする賊と出会した。
先陣に立っていたピーターに、賊の一人が斧槍を突き込んだ。街中には持ち込めない、本格的な闘争の道具。
ピーターは、それを受け流し、そして反撃した。鉄の刃が、賊のこめかみを砕いてめり込む。
ヨハンネスは、それが自分の得意技の、ロングエッジのベッカー→ショートエッジのエント―スハウだと気付いた。
片手持ちと両手持ちの違いはあれど、剣の操作としては同質の物だ。
それだけの事にも関わらず、今までどこか遠くに感じていた警吏のピータ―に親近感を覚えた。
正門を挟んで、パン職人兄弟団と賊がにらみ合った。
防具は職人の方が圧倒的に良いものを揃えているが、武器がメッサ―しかない。
対して賊は、鎧らしき鎧は身に着けていないが、手槍、斧槍など、戦場で使う武器を携えている。
「ホアキム、ヨハンネス、裏口へ回れ!」
ピーターのよく通る声に指示を受け、青年と少年は木塀沿いに走り出した。
角を曲がり、少し行くと、丁度裏口から逃げる男の背中が、松明の灯火に微かに浮かび上がった。
ホアキムは前傾姿勢になると、飛ぶような勢いで追って行った。
しかし、ヨハンネスはそれに付いて行けない。
少年は、痛むあばらを抑えながら、最後に歩くようにして裏口にたどり着いた。
そこでイエルクリングに、対峙した。
彼は、見るからに動揺しており、少年を脅威に感じている事を隠せていなかった。
左手に持った松明を投げ捨て、もたもたとメッサ―を抜くが、“見張り塔の構え”を取った後、居着いてしまった。
ヨハンネスも左半身で見張り塔の構えを取り、イエルクリングが焦れるのを待った。
こうしてよく見れば、イエルクリングに往年の面影は無かった。
痩せ細り、肌は荒れ、老人のようだ。
片腕を失った影響か左右の均衡が崩れており、ねじれた姿勢は背丈すら縮んだように見える。
そう冷静に見てとった事を、イエルクリングが感じ取った節があった。
顔が歪んで狂相になり、真っ赤に染まる。
頃合いと見たヨハンネスは、前足の爪先を軽く上げ、下した。
弾かれたように、イエルクリングが踏み出した。メッサ―が、けさ掛けに振り下ろされる。
少年は、一歩、後ろにステップした。
イエルクリングの攻撃は少年の眼前三寸の所を素通りする。
ヨハンネスは右足でパス、イエルクリングの攻撃の軌道をなぞるように、けさ掛けにメッサ―を振り抜いた。
刃先が鎖骨に当たって若干方向を変えながら、イエルクリングの首元を斬り咲く。
かわして、反撃。あるいは相手が構えを変えたり、剣先を引くのに合わせて攻撃。
これらを総称してホアキムは“ナッハイゼン”と呼んだ。
ヨハンネスは、メッサ―を振り抜いた勢いを使って、着地した右足を軸に、九十度左を向くように方向転換。
後ろステップで距離をとると、ヨハンネスの前にイエルクリングが倒れた。
イエルクリングは、一度地面に突っ伏した後、手を付いて膝を引き、四つんばいになった。
そこで滝のように零れる血に気付き、左手で抄おうとして、態勢を崩して横倒しになった。
一声うめいた後、血に染まった左手に気付き、あぜんとした。
そして、見下ろすヨハンネスとイエルクリングの視線が絡んだ。
イエルクリングは何か言おうとしたが、咽んで言葉にならない。
ヨハンネスは手応えを感じていたが、必要なら追撃しようと、左半身に戻り“猪の構え”を取った。
そうして睨み合っていたが、ヨハンネスは突然、もうイエルクリングがこちらを見ていない事に気付いた。
ヨハンネスは地面に落ちていた松明をつかんで、イエルクリングの頭に投げつけた。
燃える松明が鈍い音を立てて頭に当たったのにも関わらず、瞬き一つしない遺体。
それを見て、ようやくヨハンネスは深く息を吐いた。
そして、その後はイエルクリングの事は一切忘れて、アポロニアを探した。
ヨハンネスは裏口を抜けて、宿屋の敷地に入った。
既にパン職人たちが正面を突破して、雪崩れ込んでいた。
意気込んだパン職人たちが無暗と走り回っているが、大勢は決したようで剣戟の音は少ない。
松明を持った武装した男たちが近くに来る度、少年は警戒するが、逆にパン職人らはヨハンネスを認識して武器を下げてくれた。
そんな中、身の毛がよだつ断末魔が聞こえたので、少年はそちらに足を向けた。
するとうまやの入り口で、警吏の従者が戦っていた。
彼女の前に二人の賊が短剣を持って並び、次々と突き掛けていた。
しかし彼女は巧みにメッサ―を振るって、穂先を打ち払っている。
ヨハンネスは忍び寄って、賊の尻を一突きした。悲鳴を上げる傭兵崩れ。
残る一人が、ぎょっとしてこちらを振り返る。
その隙を、従者が攻めた。
真向から、メッサ―を振り下ろす。
慌てて短剣で受けようとする賊。
しかし彼女は途中で手首を返し、"シュトルツハウ"を縦回転にした"ウィンカーハウ"に変化する。
メッサ―の刃は防御の短剣を潜り抜けたが、刃が届かず空振りした。
そうヨハンネスが思った瞬間、勢いのままに一回転した刃のショートエッジが、賊の額を割った。
賊は額から溢れる血に狼狽し、悲鳴を上げて逃げ出した。
従者はそれを追撃せず、気息を整えた。
女性にしては背が高く、肩幅が広く見える。
ピーター警吏のそばによくいるので、一番格上なのだろうとヨハンネスは見ていた。
「パン職人の娘さんは中にいます。保護してください」
彼女が親指で背後を指した。
そこには、気を失っているアポロニアがいた。
ヨハンネスが抱き起している間に、従者がルールマンを呼びに行った。
やがてルールマンや、他のパン屋職人も集まってきた。
この宿屋にいた賊たちは、制圧されたようだ。
ヨハンネスは、涙を見せるルールマンにアポロニアを引き渡した。
翌日の昼頃、施療院の自らの寝床で、ヨハンネスは目を覚ました。
食堂に行くとホアキムがいたので、共に昼食を取りながら、昨晩の後始末の成り行きを聞いた。
あの宿屋の主は、うろんな輩と親しく色々と便宜を図っていたそうだ。
その中には違法な武具の預りや、盗品の故買といった違法行為も含まれていた。
しばしば彼らは海賊働きもしていたらしい。
残党は貿易商会の荒事担当者が追っていて、ほどなく縛り首になる見込みだそうだ。
「それと、アポロニアの事なんだが――」
ホアキムが、言い淀んだ。
ヨハンネスは、彼の顔を見た。
「当面、彼女はハンブルグの独身婦人会の宿舎で暮らす事になった」
ヨハンネスは困惑した。
「なんでッスか」
かろうじて出てきたのは、その言葉だけだった。
「有り体に言えば、今回の件で、彼女の評判に傷が付いた。口さがない世間の人々から彼女を守る必要がある」
「そんな、だって、あのコは何も悪くないじゃねぇか」
少年は抗議した。
自然と涙が溢れた。
「まあ、待て。これはルールマンさんが言っていた話なんだが。もし5年ぐらいして、十分な収入を持つ立派な市民が彼女に結婚を申し込むなら、検討してもいいと言っていた。彼としては娘はできればリューバイクの市民に嫁がせたいそうだ」
ホアキムにそんな事を言われ、ヨハンネスは目を丸くした。
「……アポロニアに、会えるんスか」
「体調が回復するまで、しばらくは無理かもしれない。ただハンブルグに向かう準備が必要なはずだ。その間にいくらでも時間はあるだろう」
ホアキムの返答に、ヨハンネスはうなずいた。
団ぐりを食べて肥えた豚が解体される季節になり、聖ヘアーツの祝日に市が立った
。
この日、ヨハンネスに正式に市民権が与えられ、内輪でささやかな宴が開かれた。
ホアキム、フオイヤ、ベティーナ、アルノー、その他、施療院の奉公人の兄弟団に属する人たち。娘がハンブルグに去ったルールマン氏も参加していた。
食後に、蜂蜜を加えて甘く煮た林檎が出た。煮汁に木いちごと肉桂を加えたものがかけられ、見た目にも鮮やかだ。
「ヨハンネス、あたしはもういいから、あんたお食べ」
皆が舌鼓を打っている時に、老フオイヤがそんな風に言って、林檎が一切れ残った皿を少年の方に押しやった。
老女が甘い物が好きなのを、少年は知っていた。
りんごが欲しい訳ではないが、少年は老女に甘えたかった。
「じゃあ、はんぶんこにすっか」
手を伸ばして、さじでりんごを押し切り、半分を口に運んだ。
少年は何十年も経っても、その味を幸せな記憶と共に思い出すことができた。
※……尺貫法の長さ・面積の単位。一町=約109m
“ナッハイゼン”
https://youtu.be/zYBDCr9jPtk?t=27
“ウィンカーハウ空振りフェイントからのショートエッジ打ち”
https://youtu.be/6qxgiup4Hhg?si=Flf2HLfYLtrTbLgQ&t=134
これにて、第一話完結です!
第二話以降は、いずれまた!