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短剣の輪舞  作者: ビルボ
第一話
6/13

chapter 6: BLOOD BROTHERS






 翌日、ヨハンネス少年は目を覚ました。


 どこで折れたのか左手の薬指が折れていた。

 呼吸をすると痛むので、あばらもひびが入っていると思われた。

 打ち身も多数。

 青とか赤くなっているのはどうという事はないが、黄色くなっているのは筋肉の深い所で内出血しているので時間がかかる。

 前歯が一本折れて尖った歯根が残っているので、やっとこで抜いてもらった。

 頭は、裂傷があり数針縫った。


 熱っぽく、ぼんやりして集中できない。

 鈍い鈍痛は常にあったが、特に夜寝る頃になると刺すような痛みが出始めた。

 眠る事ができなくてつら



 それでも一週間ほど経つと頭痛もだいぶ和らぎ、床から出る事ができるようになった。

 たった一週間であったが、それでも久々に立つと、足がふらつく。


 事ここに至り、ヨハンネスは、イエルクリングとの因縁を施療院の皆に話さざるを得なかった。


 黙っていた事に対して叱責を受け、少年は施療院からの外出を禁じられた。


 また、ホアキムを探して連れ戻す使者が派遣される事になった。

 少年は、その事に安堵し、一刻も早いホアキムの帰還を願った。



 そうやって一週間も経った頃、フオイヤが深刻な顔でヨハンネスの寝床を訪れた。


「昨日から、アポロニアが家に帰っていないんだよ。今、パン職人の兄弟団と、うちの奉公人たちで探している」


 それを聞いて、ヨハンネスはうろたえた。


「アァ? なんだよそれ――」


 途中まで言いかけて、口をつぐんだ。

 イエルクリング以外に何があるって言うんだ。

 老フオイヤの顔が、何を言っているんだと怒っていないか心配になり、伺う。

 フオイヤの表情には、ヨハンネスが心配していたような感情は読み取れない。

 彼はそう思った。


「さっきあんたに伝言があった。使いの物乞いが言うには“今晩、俺の右手が失われた場所で待つ。来なければ娘の命はない”だそうだ」


 ヨハンネスは目まいがした。

 自分の視点が頭の後ろの高い所に後退し、部屋がゆっくり傾いて行くような感覚。


「ルールマンの親父には、伝えたのかよ?」


 少年は、そう尋ねた。


「もちろんだよ。今、パン職人の兄弟団が出入りの支度をしている。れっきとした市民の娘がさらわれたんだ、警吏のピーターも出張って来るはずさ」


「……」


 少年は、舟水車小屋の周りの様子を思い返した。

 左右の舟水車は健在で、昼間は粉屋が働いていて、かなりの人の出入りがある。

 あそこにアポロニアを連れ込んでるとは思えない。


「それで、お前さん、どうするんだい?」


「どうするって?」


 ヨハンネスは、不意を打たれた顔をした。

 彼は、自分にできる事はもう無い、と考えていた。


「あの片腕のやからはあんたを狙っているんだよ」


「ア? 俺に、行けってのか? 俺にそこまでする義理があんのかよ? 俺にゃ()()()()


 驚いたようにまくし立てるヨハンネス。

 フオイヤは、彼に失望の表情を向けた。


「じゃあ聞くけど、あんたに関係ある人間ってのは、一体誰がいるんだい? 今生きている人でだよ」


 ヨハンネスは言葉に詰まった。


「あんた、ここで逃げたら、一生、関係ない奴しかいなくなるよ」


 フオイヤの叱責を受け、少年は怯え、戸惑った。

 いら立ち、恨み、老女の不人情をののしり、そのまま施療院を飛び出した。


 だが、施療院前の広場を半ばも行かないうちに足が止まり、振り返った。

 赤い焼き煉瓦造の切妻屋根が、青空を切り取っているのが見えた。


 少年は涙を拭い、向きを変えて、ルールマンのパン屋に歩を向けた。




 その日の夕刻。


 東口市門の内側、衛兵の控室に、メッサーを携えた少年の姿があった。

 頭には包帯。左の薬指には添え木。


 傍らには、ルールマンと警吏のピーターが立っていた。

 ルールマンはメッサーをき、麦わら帽子状の鉄の兜、綿をぎっしり詰めた刺し子縫いの上着、小さな丸盾といった装いだった。

 職人も都市防衛の際には担当部署が決まっており、その為の武装を普段から用意している。


 パン職人兄弟団の面々も、人目を避け、東口近くの懇意の酒場に武装して集合していた。


「娘の無事が最優先だ。身代金なら払うと、伝えてくれ」


 ルールマンは、大柄な男だった。

 緊張がにじみ出る声音に、ヨハンネスはうなずいた。


「おそらく、指定場所に人質はいない。犯人の仲間が何処かに監禁してるのだろう。だから、基本的に俺たちは踏み込まない」


 ピーター青年は、ヨハンネスに告げた。

 それから、不思議そうにヨハンネスを見詰めた。


「それでも、お前は行くのか?」


「……」


 ヨハンネスは、ピーターの問いに答えない。


「ご主人様が、お尋ねです」


 背の高い男装従者が、ヨハンネスの前に立った。

 ピーターが、その従者の肩を抑える。

 納得のいかない顔を主人に向けた従者の隣を、ヨハンネスは通り抜ける。

 彼はそのまま、市門をくぐった。


 粉屋職人たちが両脇の舟水車から引き上げてくるのと、すれ違う。

 ヨハンネスは当然、彼らの顔を見知っている。

 だが、彼らはこちらを知らないはずだ。

 しかし彼らはヨハンネスの顔を見て、何とも言えない表情をした。

 職人の一人は、ヨハンネスの肩を労わるように叩きさえした。

 ヨハンネスには、それを気に留める余裕はなく、うなずき返すにとどめた。


 橋の真ん中にまで進み、欄干に手をかけて、身を乗り出した。

 足を振って、舟水車小屋の半壊した屋根に着地。

 屋根板の無い所から、小屋の中をのぞいてみた。

 案の定、イエルクリングの姿は見当たらない。


 ヨハンネスは、水車小屋の中に飛び降り、戸の無い出入口から外に出た。

 船端に腰かけ、深まりゆく夕闇に目を凝らす。



 西の空に宵の明星が輝きだした頃、上流から小舟の()()をこぐ音が聞こえてきた。

 近づいてくる小舟の上には、幽鬼のような人影が二つ。


 迫持せりもちの下に入った小舟は、舟水車小屋に横付けした。

 橋の下はもう真っ暗で、人影はろうそく行灯あんどんに火をともした。

 行灯あんどんの光に照らし出されたのは、右手を背に隠したヨハンネス少年。

 左手を眼の辺りにかざして、視線をらしている。


 行灯あんどんを掲げたのと別の人影が、船端を越えて舟水車に飛び乗り、少年にメッサーを叩き付けてきた。

 イエルクリングだ。

 吊り構えで刃を受けようと一瞬考えたヨハンネスは、普段と逆側から攻撃されているのに突然気付いた。

 当たり前だが、イエルクリングは右腕を失っているので左手でメッサ―を扱っている。

 このままでは右拳に切りつけられてしまう。

 慌てて手を引き、後ろパスで逃げるが、船底の横木に足を取られて、ひっくり返ってしまった。

 あばらが痛む。無視。

 勢いのまま後転して立ち上がった。イエルクリングの追撃。突き。

 ロングエッジのベッカーで反らし、ショートエッジのエントースハウで反撃した。すぐさまイエルクリングの剣先が引かれ、外旋する前腕を刃で抑え、押し斬ろうとしてくる。

 慌てて手を引きながら、後ろステップ二発で飛び離れる。かかとが何か当たる痛みは無視。前腕は浅く斬られたが、動く。


 ――今のは”アップシュナイデン”という技だった。

 イエルクリングは、つかう。

 罠にかける。

 手の内をハンマーグリップに変え、真横から斬り付けた。

 ただし正対するイエルクリングに向けてではなく、一人分ぐらい右に向けてメッサ―を振り出す。

 これは見分けが付かないはず。

 予想通りイエルクリングはメッサ―の刃を立てて、横斬りを受けようとした。

 刃がつかる直前に、ベッカーの要領で前腕を内旋させる。

 すると、立てた刃の外側から包み込むように、ヨハンネスの刃のショートエッジがつかる。

 切っ先はイエルクリングの喉元を向いてる。

 そのまま、右前にパスしてイエルクリングを突こうとして、突然のあばらの痛みにヨハンネスは背を丸めてしまった。


 その隙に、イエルクリングはヨハンネスの腹を蹴った。

 少年は、身体ごと河面に投げ出される。


 イエルクリングは後を追って飛び込もうとしたが、自らの隻腕に気付いて舌打ちした。


「おい、止めを刺せ」


 行灯あんどんをかざしている男に命じたが、彼は、それどころではない、という様子で河岸を指さした。


 河岸に、松明たいまつを持った男たちが集まってきていた。


 イエルクリングは怒りの声を上げたが、結局は下流へ舟を向け、逃亡した。




 暗い水中に落ちたヨハンネスは、恐慌に陥って水を飲んでしまった。

 無我夢中で手足を振り回した。

 時間の感覚が無くなり、どれくらいそうしていたのか思い出せない。


 何か柔らかい物が腕に絡まった。

 それに必死でしがみついた所、ぐいと引っ張られた。

 これも言葉にできないほど長く感じられた。


 唐突に、顔に空気が触れた。

 肺に吸い込んだ。

 咳をして水を吐き出そうとするが上手く行かず、胸が焼き付くような苦しさに耐える。



 少年は気付くと河岸に倒れていて、太い綱にしがみついていた。

 綱の先にパン職人たちがいる。

 ルールマンが、ヨハンネスの背中を叩いてくれた。

 ようやく咳き込みが収まり、水を吐き出したヨハンネスは、仰向けになった。

 パン職人たちが、ヨハンネスの頭を撫でたり、肩を叩いた。


「最後の“シュトルツハウ”、惜しかったらしいな」 


 警吏のピータ―が、まるで見ていた誰かから聞いたような事を言った。

 そのピーターの背後に、例の男装の従者が現れ、何か耳打ちをした。

 警吏はうなずくと、パン職人たちに呼びかけた。


「賊は、北門の橋で舟を捨て、六白牛村の方に向かった。俺の手の者が追っている。俺たちも極力目立たないように移動するぞ」


 ピーターの指示を受けて、ルールマンはパン職人たちに指示を出した。


松明たいまつは捨てろ! 行灯あんどんは覆って、足元だけを照らせ。私語は慎んでくれ! 行くぞ!」


 警吏とパン職人たちが、河原から走り去った。

 

 一方、ヨハンネスは横たわったまま、起き上がれずにいた。

 死ぬ所だったという認識が、足元が崩れるような感覚をもたらした。

 そのヨハンネスの足元に、ホアキム・メイヤーが立った。


「大丈夫か?」


 青年の表情と声音に、少年は目にあふれる物をこらえきれなくなった。

 少年は前腕を上げて眼を隠すが、しゃくり上げる声は隠せない。


「遅ぇんスよ、アニキ」


「すまん」


 青年は詫びると、腰を下ろした。

 少年が落ち着くまで、待つ。


「アニキ、俺、もう耐えらんねぇよ」


 少年は、弱音を吐いた。


「俺ぁ、多分ずっと、こんなだ。必死こいてやってきたけど、もうウンザリだ」


 ()()を切ったように、言葉があふれた。


「死にかけて、分かったッス。俺は独りなんスよ。独りでおっ()んで、葬式もされずに腐ってくんス。寂しいってのが、こんなに怖ぇ気分だと知らなかったっス」


 少年の独白に、青年は苦い顔になり、立ち上がった。


「……追跡者が、イエルクリングの後を追っている。これから奴を追い詰め、パン屋の娘も取り戻す。お前も来い」


「無理だ。次はもうねぇ。くたばっちまう」


「そうしたら、僕がお前を埋葬してやる」


 そう言って、ホアキムはヨハンネスに手を差し出した。


 一拍の間が空いて、ヨハンネスはゆっくりその手を握った。


 ホアキムは、引っ張りあげるように、ヨハンネスを立たせる。


「今日からは、僕たちは兄弟だ。聖ヘアーツ様の名の元に、誓う」


 空いた腕でヨハンネスの肩を抱いて、ホアキムが言った。

 少年は、額をホアキムの胸に預け、しばらくそのままでいた。


「施療院の兄弟団に入れてもらえるって事スか? 俺、村抜け百姓っスよ?」


 やがて、少年は尋ねた。


「“都市の空気は自由にする” 都市法の不文律だ。街に一年以上いて、市参事会が承認すれば、その時点で市民だ。ピーター様がお前に偉く感心していたから、力添えしてくれるだろう」


 ホアキム青年は、そう答え、そして唇の端を持ち上げて笑みを見せた。


「それに、僕らが兄弟になる事に、他の奴らにどうこう言われる筋合いはないさ」


 そう言われてしまえば、ヨハンネスはまた目頭が熱くなってしまうのだった。







※……シュトルツハウ参考

https://youtu.be/RBSD1R5lals?t=44

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