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短剣の輪舞  作者: ビルボ
第一話
5/13

chapter 5: FEAR OF THE DARK






「ヨハンネス? どうした?」


 アルノーが不審そうにのぞき込んで、イエルクリングに睨まれた。

 息を飲んで尻餅をつく。

 施療院の一同が異変に気付いたが、イエルクリングの有り様と視線に、距離を詰められない。


「のこぎりで腕の骨が引かれるたびによ。肩の骨が外れそうなぐらい揺れんだ。なあ、おい、俺がこんな目に合ってるのに、なんで手前がそんな楽してんだよ。筋が通らねぇだろ? なぁ普通に考えてそうだろう? なんとか言えやコラ!」


 突然、怒声を上げた。

 肩に回していた左腕を外し、後頭部に拳を叩きこもうとする。

 しかし、少年は男の腕が外れると同時に左足を軸に回転、身を沈めて拳を避けた後、後ろステップ、後ろパスとつなぎ、更に数歩後ろに歩いて距離を取った。

 一瞬、イエルクリングが驚いた表情を見せる。


 いつの間にか、ヨハンネスの右手に一尺ほどの木刀が握られている。

 手の内は、人差し指から小指の付け根を握りの背の部分に当て、親指を立てて握る“サム・グリップ”という握り方。

 薄皮一枚を切られた日の後、ホアキムから伝授されたものだ。

 この手の内だと、親指が刃の平に添えられ、左側に刃、右側に刃の背が向く。

 構えは、腰の前で木刀の切っ先を右側に倒した横構え。


 唸り声を上げて、獣屍の処理人が一人、飛び掛かってきた。

 左腕をまっすぐ伸ばして、少年の襟首をつかもうとする。

 ヨハンネスは右前にパスして身をかわしながら、前腕を内旋させた。

 そうすると木刀の刃を模した部分が、腕を真横から切り落とすように叩く。

 この動きをホアキムは“ベッカー”と呼ぶ。

 そうやって伸ばされた手をいなすと、逆に前腕を外旋、同時に右手を突き上げるようにすると、刃が水平に回転し、刃の背の部分が獣屍処理人のこめかみを叩いた。

 ベッカーの変形だが、これを特に“エントースハウ”とホアキムは呼ぶ。

 メッサーは片刃ではあるが、切っ先近くは背側にも刃が付いているので、通常の刃の側を“ロングエッジ”、背側を“ショートエッジ”と言う。

 デュサックと違う、硬く重い木材の一撃をこめかみにもらった獣脂処理人はよろめいた。

 更に前腕を内旋させ、今度はロングエッジのエントースハウを鼻に叩き込むと、処理人は顔を抑えながらうずくまった。


 残り二人の処理人は、あっけに取られたようにこちらを見ているだけだ。

 ただ、イエルクリングが視界内にいない。

 その事に気付いてぞっとする間もなく、何か衝撃を受けて、膝から崩れ落ちた。

 後頭部に何か喰らった、という認識をする事もなく意識が暗転。



 後頭部を殴られた少年が、人形が放り出されるように倒れる様を見て、施療院の奉公人たちは意識が居ついてしまった。

 それを見てとったイエルクリングは、かさに掛かって少年を蹴りつけようとする。


「何やってんだい! お止め! 人殺し! 人殺し!」


 突然、老フオイヤの怒声が共同浴場に響いた。

 呪いが破れたように、奉公人たちが我に返り、大男につかみかかる。


 舌打ちしたイエルクリングは、包囲の囲みを破り、走り去った。





 それから数日後。


 アポロニアは、パンを届けに行った折に、施療院の奉公人に尋ねた。


「ヨハンネスは起きてるんですか?」


 奉公人は、首を横に振った。


「今日も、頭が痛いと言って寝床から出てこない」


 それを聞いて、アポロニアは肩を落として店に帰った。


 その様子を、二階の窓からヨハンネス少年が見ていた。

 震える指先で、微かに持ち上げていた跳ね上げ木戸を締めた。

 寝床に座り込み頭を抱え込んだ。

 顔色は青白く、頭には包帯を巻いている。

 それから、寝床から身を起こして、短衣を被った。


 中庭に出ていくと、アルノーと出合でくわした。

 病院舎に入っていたヨハンネスは、久々に彼の顔を見た。


「ヨハンネス、俺、この間の事、謝りたいんだ」


 足がすくんで行動を起こせなかったと、アルノーは詫びた。


「気にすんな、仕方ねーよ」


 同じ立場になったら、自分がすぐに動けたかというと自信はない。

 ヨハンネス少年はそう言った。


 その後、舎監のベティーナに呼ばれて、滅多に入る事のない客間に行った。

 そこで少年は、帽子を脱いで待つように指示される。

 少年の他に、ベティーナ、フオイヤ、滅多に見ない修道院長、他、数人の修道僧が待っていた。

 修道僧たちは、黒衣の長衣に、二本の横架がある白抜きの十字架をあしらっている。

 彼らは聖霊のホスピタラーと呼ばれる修道会で、この施療院以外でも色々な都市で病院運営に携わっていた。 


「誰が来るんだよ?」


 小声で、ヨハンネス少年が尋ねた。


「警吏のピーター・フォン・ダンツィヒ。あんたは黙って立ってればいい」


 ベティーナが教えてくれる。

 彼女いわく、その警吏はこの街で有数の呉服問屋の次男坊だ。

 市の参事会に選ばれる権利を持っている一族で、いわゆる貴族的な立場との事。

 しかし警吏も、豚飼いや路上掃除人と同じく、市参事会に雇われる下男に過ぎない。

 上級市民が就く仕事ではないので、変わり者だとか、ぼんぼんのお遊びだという風評だそうだ。


 しばらく待っていると、くだんの警吏が入室してきた。


 背の低い若者だった。

 獅子のたてがみのような奔放な髪型と、濃いもみあげ。

 それに囲まれた()()の強そうな目が、その場にいる一同をねめつけた。

 

 黒い上着は身体にぴったりしていて、肩先にひだを作って膨らませている。

 裾は極端に短くて、赤い長靴下を上着から吊っているが、間の下着が見えてしまっている。

 靴は先端が長く伸び、頭巾を細長く伸ばしたような帽子を頭に巻きつけている。

 いずれも上質な生地なのが伺える、当世風の身なりだった。


 膝を曲げて挨拶する一同に目も暮れずに上座に向かい、用意された椅子に、どっかと腰掛けた。

 その背後に、警吏に付き従ってきた従者が二人並んだ。

 揃いの赤い刺し子縫いの綿入り上着、しっかりとした革手袋と革靴。

 真鍮と金滅金きんめっきが施されたメッサ―といったで立ち。

 肩掛け付き頭巾をお洒落に頭に巻きつけ、裾を首に巻いている。

 その為、目元しか見えないが、ずいぶん綺麗な顔立ちに見えた。

 そう思って見れば、分厚い上着に隠された身体の線も女性の物だ。

 男装の麗人に驚いたヨハンネスだが、特に周りが反応していないので、それに習った。


「手短に話せ」


 警吏のピーターが尊大な態度で言った。

 修道院長が、街路掃除人たちに施療院の者が襲われた旨を訴えた。


「そのイエルクリングという男、以前にもこの施療院に強請り、たかりを働こうとしていた奴だな?」


「はっ。その際にはホアキムが追い払いまして、それで腕を失った様子。それを逆恨みしての事でしょう」


 その場にヨハンネスもいた事を、施療院の皆はホアキムから聞いていないようだった。

 また、ヨハンネスも、あえてそれを語らなかった。


「ホアキムか。あいつは今、どうしてるんだ?」


「武芸の指南を求めて、旅に出てまして……」


「またか……」


 ピーターは、呆れたような顔をした。

 そして、修道院長からあらましを一通り聞き終わると、警吏は一つうなずいた。


「わかった。片腕のイエルクリングは、街路掃除人から解雇する。まあ、とっくに姿をくらましているとは思うが。あと参事会には報告書を上げておく。追って訴追の指示があれば、捕縛する」


 警吏の言葉に、老フオイヤが不満の声を上げた。


「ピーター坊や、うちの子たちに何かあってからじゃ、遅いんだよ」


 その物言いに、ベティーナが恐縮したが、若い警吏は苦笑した。


「婆さん、そうは言うけど、この広い街に警吏が何人いると思ってるんだ? 市民ですらない小間使いの餓鬼が、素手転すてごろちのめされたぐらいじゃ、何ともできないな」


 そう言った警吏に、今度は修道院長が訴えた。


「この者はうちで使っている労働力で、財産の一つです。施療院の運営には参事会も関わってるので、これは参事会の財産が損なわれたと考えるべきでは?」


 少年は、帽子を握りしめ、床を見つめた。


「無い袖は振れん」


 警吏は、そう言って立ち上がった。

 それで、面会は終わりだった。



 警吏一行が立ち去った後、修道院の面々は、今後の対策を話し合った。


「当面は、外出時の人数を倍にしよう」


「通いの奉公人たちは?」


「いっそ、当面、家族ごと避難してもらったら……」


 そんな会話が交わされるのを、少年は床を見つめたまま聞いていた。




 数日して、フオイヤはヨハンネスに使いを命じた。


「聖母昇天節の宴に芸人を雇わないといけない。バグパイプ吹き小路こうじの手配師に、施療院まで来てくれるよう伝えておくれ」


 悪所への使い走りは、少年の主な仕事だ。

 そも、少年が施療院に置いてもらえる上に様々な雑務を免除されているのは、いずれホアキムを補佐し、一部なりと肩代わりできるようにという期待があるからだ。

 少年は自らの立場を、そう理解していた。

 であるからには、柄の悪いやからが一人、街に戻ってきたからと言って、臆している訳にはいかない。


「おう。行ってくらぁ」


 少年は、普段通りの所作を心がけて答えた。


「一人で、大丈夫かい? 何人か一緒に行かせようか?」


 老フオイヤは尋ねた。

 少年は、少し考えて首を振った。逃げるにしろ隠れるにしろ、一人の方が都合が良い。


「あの片腕の男には、気を付けるんだよ」


 フオイヤは、心配気に忠告した。

 うなずいたヨハンネスは、木綿と亜麻の交織まぜおりの短衣を身に着け、メッサーを袋に入れて手に持った。


 そして少年は、ごろつき小路こうじや共同洗濯場を避け、遠回りをして靴屋通り、馬具屋通り、皮なめし通りといった職人街を通った。

 樹皮や犬の糞を煮込んで作っている薬剤の臭いが、鼻を突いた。

 職人の家は大抵、二階が住居、一階が店舗で、街路まで商品を並べたり、作業台を広げているので、通りの見通しが悪くなっている。


 商品の影、通りの角にさりげなく隠れながら、頭を出して道の先をのぞく。

 そうやって慎重に進んでいたのに、バクパイプ吹き小路こうじに入る最後の角だけ、それを怠ってしまった。そして、待ち受けていた片腕の男の視線に射すくめられてしまう。


 ――いつも、そうだ。俺ぁ肝心な所でヘマしちまう。


 少年は自らのうかつさを呪った。

 おそらく施療院に見張りが張り付いていたに違いない、と思う。


「お前、この間は大変な事してくれたよな」


 イエルクリングが因縁を付け始めた。

 ヨハンネスは、何も答えず、腹に力を溜めて周囲を警戒した。

 今日のイエルクリングは一人に見える。

 問答に意味はない。

 どうせ言葉尻をとらえ、こちらに負い目を感じさせようとしているだけだ。


 片腕の男が威圧するように肩をゆすりながら近づいたが、少年はくるりと後ろを向いて逃走を始めた。

 イエルクリングは苛立いらだった表情を見せた。

 しかし、追いかけようとはしない。


 少年は皮なめし通りを駆け抜けようとした。

 しかし、皮の裏側の肉をこそげ落としていた職人の影から、獣屍処理人が飛び出してきた。

 とっさに避けようとして、皮を張った木枠が並べられている所に飛び込んでしまい、少年は転倒した。職人の怒号が上がる。

 獣屍処理人が、抜き身の包丁を右手に振りかぶって駆け寄った。

 メッサーを抜いて立ち上がるヨハンネス。

 左半身で、メッサーを身体の横に自然に垂らし、切っ先を下げる。“堡塁の構え”。


 包丁のけさ斬りに対して、自らの左側に壁を作るように縦回転で、ショートエッジのベッカーを付けた。

 “ツヴィンガー”と呼ばれる技。

 包丁の刃に対して、刃の平を付けるので刃が滑り落ち、つばに当たって止まる。

 その時、メッサーの切っ先は獣屍処理人を向いている。

 ヨハンネスが右足をパスして少し腕を伸ばすと、メッサーの切っ先がゴツンと敵の頬を打った。

 顔を抑えてのけ反る処理人から血が飛び散る。顔を切り裂かれた人間の悲鳴。

 ヨハンネスが周りを確認する間も無く、走り寄った別の獣屍処理人に腰に組み付かれ、押し倒されてしまった。


 倒れた時に、ヨハンネスはメッサーを取り落とした。

 必死に手探りするが、大人の体格に上から圧し掛かられ、身動きが取れない。

 仰向けでもがいていると、片腕の男が現れて、ヨハンネス少年の頭を踏み抜いた。

 石畳に叩きつけられて、頭の鉢がきしむ音を少年は聞く。

 こうやって蹴られて、いびきをかき始めた人間は死ぬ。少年は何度も見てきた。

 少年は必死に許しを乞うが、片腕の男は続けて踏んだ。


 イエルクリングにとって、少年の哀願は暴力のよろこびに彩りを添えるものでしかなかった。

 彼は、片腕を失って以来、欠けていた何かが、一蹴りする度に回復しているように感じた。


 三発目の蹴りで少年の意識が失われ、静かになった。


 そこに怒鳴り声と共に、皮なめし職人たちが止めに入った。

 彼らと兄弟団を同じくする近所の肉屋たちも集まってくる。


 皮なめし職人は、参議会から街の刑吏も委託されている。

 自らの通りで白昼堂々と殺人を許しては、彼らも面目が保てない。


 血で汚れた前掛けを着た男たちが、手に手に、無骨な包丁や小刀を持ち、片腕の男を威嚇する。


 イエルクリングは舌打ちをすると、すぐに逃走した。


 獣屍処理人の二人は逃げ遅れ、職人たちにちのめされた。


 バグパイプ吹き小路こうじの手配師の指示で、ヨハンネスは施療院に運び込まれた。







※……サムグリップ参考

https://youtu.be/gPBBUq6yVgQ


※……ベッカー参考(動画はロングエッジ・ショートエッジのベッカーを連続してやってます)

https://youtu.be/i6f7b763fqk?t=149


※……エントースハウ参考

https://youtu.be/i6f7b763fqk?t=264


※……ツヴィンガー参照

https://youtu.be/6qxgiup4Hhg?t=27

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