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短剣の輪舞  作者: ビルボ
第一話
3/13

chapter 3: BRAVE NEW WORLD






 起きたら、全てが夢だった。という夢を見ていた。


「ヨハンネス、起きな」


 老女の声に目が覚め、そのしわだらけの顔を見た。


「ア? なんで俺の名前知ってんだよ?」


「昨日、面倒見てた連中から聞いたよ。いいから早く起きな。朝ご飯だよ」


「……ババア、名前教えろや」


「あたしはフオイヤって名さ。さ、行った行った」


 亜麻布を老女に促されて返し、少年は食堂に向かった。


 朝食は、昨日の煮込み汁の残りに、人参にんじんを加えた物だった。

 独特の香りと歯応えが食欲を誘う。

 少年はそれを、よく噛みしめながら飲み込んだ。


 朝食の間に、昨晩同床だった少年と挨拶を交わした。

 アルノーという名で、三ヶ月前に、この施療院に来たとの事だった。

 それ以前の事は尋ねなかったし、彼も話さなかった。

 聞けば、施療院は大きく三つの部門に分かれているらしい。

 一つは、病に侵されている人の宿坊。一つは、巡礼の為の宿坊。

 最後が、家の無い孤児や寡婦の為の宿坊だった。

 病人は別として、それ以外の者は、施療院の雑務を割り振られるのが習いだそうだ。


 アルノーが菜園仕事をするというので付いて行く。

 そこで、ホアキム・メイヤーに声をかけられた。

 彼は、棒を革で包んだような道具を二本、小脇に抱えていた。


「来たな。少し、話をしようか」


 アルノーはホアキムを見ると、目を輝かせた。

 羨ましそうにヨハンネスを見ながら、菜園の方に去っていった。



 青年は、ヨハンネスを菜園を望む木立の下に連れて行った。

 冬至に近づいてゆく十一月の陽射ひざしが、青年の柔らかい金髪を淡く輝かせる。


 不意にホアキムが、革で包んだ棒を一本、ヨハンネスに放って寄越した。

 そして残った一本を振りかぶり、少年に打ち掛かる。

 ヨハンネスは、棒を宙でつかんだ。

 ホアキムの打ち込みを下から受け、左腕を青年の右腕に内側から絡めようとした。

 それは、青年が、市門の橋の上で行った技の再現。

 だが、大人と子供の体格差がある。

 稚拙な技は、青年の上手投げであっさりとひっくり返された。


「今の、どこで覚えた?」 


「あんたが、ヤーコブにやったのを見てた」


 見上げて答える少年に、ホアキムは顔をほころばせて笑った。


「やっぱりお前、こういうの好きだろ? そうだと、思ったんだ」


 今の受け方は、“フィドル・ボウ”と呼ぶんだと、ホアキムは少年に教えた。

 受ける時は小刀の峰を左肩の辺りで支えると、力負けしなくて良いと助言する。

 ヨハンネスも興味深そうに青年の話に耳を傾け、教わるままに身体を動かした。


 二人はあれやこれや話し込んでいたが、やがて頬を紅潮させた少年が、青年に尋ねた。


「アンタやっぱり、剣の腕ぇ見込まれて、ここの用心棒やってんのか?」


 少年の問いに、青年は微妙な表情になった。


「まず、一つ間違ってる。これは、剣じゃない、”メッサー”という小刀こがたなだ」


 ホアキムは、腰紐に吊るした短剣を抜いた。

 軽く湾曲した、幅広の刃が陽光にきらめく。

 いわく、中子なかご、つまり剣のつばより手元側の刃の付いてない部分が、刃と別材質のつかに埋め込まれてるのを剣と呼ぶそうだ。

 対して、ホアキムの武器は、中子が大きめで、それを別の材料で上下に挟み込んで握りと成している。それは小刀の造り方だとの事。

 しかし二尺近くある立派な刃を見ると、小刀と言われても釈然としないヨハンネスだった。


「いや、この造りが大事なんだ。小刀は市民でも持ち歩けるが、剣は大店の旦那衆しか帯びる事ができない決まりになっている。ついでに言えば、俺は小刀職人だから、剣を鍛える事は許されない」


 そういう事になっているんだ、と言われれば、ヨハンネス少年にはうなずく事しかできなかった。


「それと、用心棒かと言われれば、それも違う」


 青年は、メッサ―の刃をさやに叩き込んだ。


「僕も、親がいなくて、ここで育った。小さい時から、施療院の奉公人が作る兄弟団にも入ってる。そのうちに、紹介してくれる人がいて、小刀職人の徒弟になった。一人前の職人になってから、色んな街に行って修行してたんだけど、実は僕は、武術が好きで、半分くらいは鍛冶仕事じゃなく、武芸者を訪ね歩いてる。そんな事をしてたら、やからに絡まれて困ってるんで助けてくれと、兄弟団に呼び戻されたんだ」


 ホアキムは、そんな風に少年に語った。


 少年は、ホアキムを見上げた。

 ここに来た孤児は、みな何かの職人になるのか、と尋ねた。

 必ずしもそうではない、と青年は答えた。

 施療院は職人を都度紹介するが、選ばれるのは半分ぐらいとの事だった。

 選ばれなかった者は、十五歳でここを出ていく。

 半分ぐらいは修道院に入り、あと半分ぐらいは港で日雇い人夫になる。

 その話を聞いて、少年は、しばし考える表情になった。


「なあ、俺によぉ、そのメッサ―教えてくれよぉ。舎弟になっからよぉ。……何やんにしても、ヤッパの一つも扱えなきゃナメられちまう」


 少年が頼むと、青年はにやりと笑った。


「じゃあ、君が、僕の最初の弟子だ。最初だから教え方は下手かもしれない。その分、ただでいい」


 ホアキムが片手を差し出した。

 ヨハンネスは、その手を強く握った。






 畑に、春小麦が撒かれる季節になった。

 ぶな林も、今年の葉が開き始め、毛玉のような花が咲いている。


 その下で、ヨハンネス少年が、革に包まれた棒を振っていた。

 これはメッサ―の練習用の物で、デュサックと呼ばれる。

 羊毛の不織布のつば無し帽子をかぶり、亜麻布の肌着。

 脱色してない羊毛の長靴下を履いて腰紐に吊っている。

 同じく脱色してない羊毛の上着は脱いで、腰に結び付けている。

 改善された食生活が、少年の背丈を年相応に伸ばしていた。

 あばらの浮き出るばかりだった胸板にも、筋肉が付き始めている。


 少年の前のぶなの木には、板が打ち付けられていた。

 板には炭で十字が描かれ、それが分割する各象限に数字が書かれている。

 少年が、右上から左下に、けさがけに斬った。

 そして手首を返し、刃を上に向け、同じ軌道を戻すように斬り上げる。

 それを一つの単位として、四方向それぞれから繰り返す。

 板に書かれた数字は、その順番を示していた。


 足さばきを加えて素振りをしていると、斜面の下の方の小道を行列が歩いてくるのが見えた。

 施療院で働く奉公人たちが裸足で歩いている。

 彼らは、施療院の母体である聖ヘアーツ修道院に、灯明を捧げに行った帰りだ。

 施療院で働く人の半数は、修道院から派遣されてくる僧だ。

 そして残り半分は彼らのような在俗の奉公人だった。

 彼らは、日曜日には、神の慈悲を乞うて裸足で修道院に向かう。

 ろうそくを納めて礼拝を行ってもらう為だ。

 怪我や病気の時は助け合い、仲間が亡くなれば葬儀を行い、施療院が保有する墓地に埋葬した。

 兄弟団、同胞団、など呼び方は様々だったが、この時代、彼らのような集まりは大変盛んだった。


 そんな聖ヘアーツ施療院の兄弟団に、少年は手を振った。


 老フオイヤが、孤児・寡婦舎監のベティーナに引かれている手を離して、少年に手を振った。

そのまま、立ち止まって一休みする。

彼女にも面子があって、自分から疲れたとは言わない。

 しかし最近は、歩くのが相当辛いらしい。

 ベティーナも判っていて、無理に手を引かない。

 施療院の女性の奉公人のほとんどは、独身婦人会の宿舎から施療院に通っている寡婦だが、フオイヤは特例として院内に寝室が与えられている。


 持っていたろうそくを隣を歩く者に手渡して、ホアキム・メイヤーが列から離れた。

 そのまま、ヨハンネス少年に歩み寄る。


 不織布の帽子に、腰のところでくびれた胴着。

 胴着の裾は短く、長靴下との間に股引が見えているが、それが当世風の若者の身なりらしい。

 ホアキム青年は、華美ではないものの、いつも小ざっぱりした格好をしている。


「待たせた」


「お休みの日にサーセン!」


 そんな風に、二人は挨拶を交わした。

 普段は施療院の中庭で稽古をしている。

 しかし今日はホアキムの都合で、市門の外でする事になっていた。


 行列がある程度離れたのを見計らって、青年と少年はデュサックを持って向かい合った。

 二人とも、右半身で左手を腰の後ろに回した同じ姿勢。


 青年が、先端を下に向けたまま、デュサックをゆっくり持ち上げた。

 手が顔の高さを越えた辺りで、切っ先を持ち上げて、少年の顔に向ける。

 そのまま小刀を握った拳を、顔の右横ぐらいまで引いた。

 “吊り構え”から“舵構え”と呼ばれる構え。

 それを見て少年は、腰の前で構えたデュサックの先端を右側に開いて倒す“横構え”にする。

 吊り構えや舵構えは突きが出易い構えなので、横構えにして突きを反らす準備をする。


 それを見て、ホアキムは切っ先を上に向け、デュサックを高く掲げる“見張り塔”構えに変えた。

 これに対して、少年は“舵”構えをとる。

 “見張り塔”からは垂直に落ちてくるような斬撃がくる可能性が高い。

 その為、あらかじめ頭上に近い位置にデュサックを置いて迎撃に備える、という定石。


 それからも、ホアキムは構えを変え続け、なかなか攻めてこない。

 構えに対する定石を覚えているか試されている、とは判っていたが、少年はれてきた。

 練習してきた技を出したい。

 せっかくの機会だから、ホアキムと心行くまで打ち合いたい。

 そういう思いが、少年の足を踏み出させた。


 一気に間合いに入った。

 その瞬間に何かしらホアキムが迎え撃ってくると決め打ちして、更に目一杯足を踏み出し、身体を前に投げ出すように加速する。

 不意に低くなったヨハンネスの頭上を、ホアキムのデュサックが空振りした。

 同時に少年のデュサックが、青年のすねを打つ。

 少年は快さいを叫ぼうとしたが、その頭に青年が拳を落とした。

 その痛みに、ヨハンネスはうずくまった。


 ホアキムは、ヨハンネスの素早さに内心舌を巻いた。

 しかし、今の立ち合いには見過ごす訳に行かない点が含まれていたので、少年に注意する。


「それは、駄目だ。そんな捨て身で一瞬早く斬ったとして、反撃されて死ぬ。人はそんなにすぐには死なない」


 ホアキムの声音に、ヨハンネスは顔を上げた。


「それと、無防備に、間合いに飛び込むな。小さな金創(※)が腐って死んだ人を、大勢見た。人は案外、ちょっとした傷で死ぬ。まずは相手の武器を制する事を考えろ。それに成功して、こちらが一方的に攻撃できる時にだけ、間合いに踏み込め」


「でもそんなん、たりぃッス。いつまでもケリつかねぇじゃないスか」


 不満そうに、少年が漏らした。


「良いんだ、それで」


 青年が答えると、ヨハンネスは驚いた。


「君が法と神様の教えに従う限り、大抵の場合、時間が掛かって困るのは襲撃者の方だ。手間取っていると逃走の機会を失う。騒ぎを聞きつけて近隣の住人が来たり、警吏が駆け付けるかもしれない。街によっては、強盗に入られそうになった家主が助けを求める叫びを聞いたら、近隣の住人は武器を持って駆け付ける事、という決まりがある」


 ホアキムは、しゃがみ込んで、ヨハンネス少年と目の高さを合わせた。


「君が傭兵だったら、そして僕が、君を百人使って軍功を上げなければいけない中隊長だったら、また違う事を教える。でも、そうじゃない。今、教えてるのは護身術なんだ。僕が教えた事で、君が命を失うのを見たくない」


 真剣な声音と瞳だった。


「……ウッス」


 少年は、そう答えた。





 施療院は、通り向かいの“ルールマンのパン屋”から、毎日の朝と昼、パンを買っていた。

 パンは二等の小麦と黒麦の混合品だ。

 リューバイク市ではこれが一個で銀貨一枚と定められていた。

 大きさは、大人が一日分とするのに十分なだけあった。

 これに使われる麦粉の量も、市が麦の価格に応じて適時に定めている。


 ルールマンは、パン屋には珍しく誠実な男で、市のパン試作監督官の検査で不正が見つかった事が一度もない、と評判だった。

 施療院に運ぶのは、ルールマンの娘のアポロニアの役目だった。

 彼女は、朗らかで気立ての良い娘で、施療院の奉公人たちにも好かれていた。

 であれば、彼女が“バイオリン弾き”小路こうじで難儀しているのを見かけたヨハンネス少年が声をかけたのも、当然の仕儀だった。



 そこは市の外縁部で、わらで屋根を拭いた粘土小屋が立ち並んでいた。

 それらは、教会の所有物で、旅の楽師達の仮住まいとして提供されている。

 春になり、四旬節が始まった為、大道芸人の類が増え、にぎわっている。


 施療院の使い走りの途中、ヨハンネス少年は、この小路を横切った。

 その時、壁に背を押し付けられて、数人の男に囲まれているアポロニアに気付いてしまった。

 男たちは彼女をからかっている。

 彼女の麦穂のようなお下げや、鮮やかな青に染められた婦人服をいじる男たちの手付きや顔に、不穏な興奮が見て取れた。

 アポロニアは、ひどくおびえている。


「おうコラ!」


 ヨハンネスは、声を上げてから、こちらを振り向いた男達の顔に見覚えがある事に気付いた。

 少年も何度も、この小路にねぐらを得ようと潜り込み、その度に彼らに叩き出されていた。

 彼は、みぞおちの辺りに鈍いうずきを感じた。

 何を言うべきか迷い、唇の皮を舌で湿らせる。

 少女の青い目が、ヨハンネスに気付いて嬉しそうに細められた。

 それを見て、少年は口を開いた。


「火事だ! 泥棒! 人殺し!」


 自分でも驚くほどの大声が出た。

 男たちもぎょっとして顔を引きつらせた。

 元より市民に蔑まれている彼らだ。

 明るい日の下で何かをしでかしてしまったら、どう扱われるかは、よく理解していた。


 芸人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 ヨハンネスもアポロニアの手を引いて、バイオリン弾き小路こうじから抜け出した。

 次の日、少年はルールマン親子から丁寧なお礼を言われた。


 そしてルールマンは“聖ヘアーツ施療院の兄弟団”に入会した。

 既にパン職人たちで作る兄弟団にも入っていたが、いくつかの兄弟団に掛け持ちで入る例も珍しくはない。

 ホアキムも小刀職人組合と掛け持ちをしている。


「お手柄だったじゃないか」


 老フオイヤが、ヨハンネス少年を褒めた。


「まあ、あの辺、傭兵崩れとか、本当にヤベェ奴はいねーからよぉ」


 そんな風に謙遜した少年だったが、どこか呆けた風情だった。

 どうかしたのか、と老女が尋ねた。


「あそこの連中、すげぇ臭んだよ……。前は全然そんなん思わなかったし、なんなら屋根付きのヤサに住んでて、うらやましいと思ってたのに」


「あんたも、すごい臭いしてたからね」


「わかってんだよ、んな事ぁ。俺はツイてた。でも馬鹿ヅキしたまま逃げられる奴なんざいねーんだ。絶対、胴元にハメられる」


 淡々と、少年は言った。

 それを聞いて、老女は少年の手をとって、手の甲を軽く叩いた。


「大丈夫だよ。神様は、ちゃんとあんたのしてる事を、見ているよ」


 老女は、そう少年に言った。










(※)……刀や矢じり等の刃物による傷。







※……「メッサ―」参考イメージです

https://youtu.be/FXXKj0gSP1s


※……ヨハンネス少年がやっていた数字板前での素振りのイメージ

https://youtu.be/xXYPX6dmbX0


※……独身婦人会:半聖半俗の姉妹団。ベギン会。

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