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短剣の輪舞  作者: ビルボ
第一話
2/13

chapter 2: WAISTING LOVE







 ホアキムと名乗った青年は、まず銀貨を返すよう要求した。

 ヨハンネス少年に否も応もなく、床板を外して、銀貨を取り出す。


 ホアキムは、大男が残していったろうそく行灯あんどんを床の上に立て、自らは腰を下ろした。


「ところで、どうやって財布をすった? 全く、気付かなかった」


 青年が尋ねた。

 少年は答えない。

 言葉を話せないのか、と問えば、違うと答える。


 少年は、年の頃は十ニ、三歳くらいだろうか。

 痩せ細り、汚れた浮浪児。


 ふて腐れて黙っているのではなく、本当に途方に暮れているようだと、ホアキムは思った。


「では、もう一回、やって見せてくれ」


 青年は立ち上がって、太股ふとももの付け根ぐらいまで覆っている短衣の裾をめくった。

 取り返した巾着の紐を結びつけて、腰帯からぶら下げる。


 しばしヨハンネスはためらい、結局は巾着切りを再現した。

 勘所かんどころは、前腕の内旋ないせん、つまり内側にひねる動きを使って切る事だった。


「ああ、“ベッカー”の動きか……。こっちの釘は、自分で削ったのか?」


 ホアキムの問いに、少年はうなずいた。


 青年は、これを誰かに習ったのかと尋ねた。

 少年は、自分で考えたと答える。

 ホアキムは、ヨハンネスを繁々(しげしげ)と見つめていたが、不意に寒そうに両腕を抱えた。


「こんな所、ねぐらにしなくてもいいだろう。修道院や施療院なら、行き場のない奴の面倒を見てくれる」


「アァ? そんな所入れねーよ」


「なんでだ?」


「……俺ぁよぉ。アア……なんだ? 勝手に村抜けしてっから……」


 孤児の答えに、街の職人は顔をしかめた。


「それは、誰に言われた?」


「アァ? 誰だ? イエルクリング……」


 それを信じたのか?と尋ねる青年に、ヨハンネスは疑わし気な目を向けた。


「俺だってよぉー。教会とか色々行ったんだぜ? でも、どこでも追い払われったつーの」


 少年の言葉に、青年は、やるせない表情を見せた。


「祈る人たちは、そんな事は気にしない。三年前は、流行り病で大勢死んだ。中で病が広がるのを恐れたんだろう」


 ホアキムの言葉に、少年は、表情のない顔で彼を見た。


「聖ヘアーツ施療院だ。訪ねてみろ。僕は、そこの兄弟団で世話役みたいな事をしてる。話をしておくから、きっと悪いようにはしないはずだ」


 そう言い残して、ホアキムは立ち去った。


 しばらく待って、彼が戻ってこないのを確認したヨハンネスは、膝から崩れ落ちた。


 盗人として腕の一つも切り落とされるかと覚悟していたが、どうやら青年の気まぐれで、命拾いしたらしい。

 不意に、ひどく寒くて凍えている事に気付いた。

 たき火もないので、床に丸まった。絶え間なく身体が震え、歯が鳴るので眠る事はできない。朝まで、耐えるしかない。

 震えながら、今夜起こった事を考えて過ごした。





 暁闇あかつきやみのうちに、ヨハンネスはぶな林に向けて歩き出した。


 吐く息が、白い。

 一番、寒い時間だ。

 粉屋の職人たちが現れるまでにまだ時間があるが、ある程度の明るさが出たら身体を動かしたい。


 しば(※)を刈っていると日が昇り、夜気が緩みだした。


 ようやく人心地がついた気分になっていると、どんぐりを、いくつか見つけた。

 この季節に残っているのは、かなり幸運だった。

 石で叩いて、殻を外して、実を食べた。


 それから、市門をくぐって街中に入った。

 市が立つ日ではないので、門衛もいない。


 ワケニッツ河畔沿いの市壁の近く、ごろつき小路こうじに向かった。

 とある酒場に入る。


 昼間からたむろするのは、繁忙期も終わった雇われ豚飼い、失業中の下男や女中、今日の仕事にありつけなかった荷役人夫といった人々。


 彼らの足元を擦り抜けて歩き、片隅に置かれた、たるの影に座った。

 運が良ければ、酒場のあるじか女中が使い走りの仕事をくれる。


 しかし今日、ヨハンネスが期待しているのは、そういう類の幸運ではなかった。


 一時いっときほども待っていると、幸運が訪れた。

 昨日、イエルクリングに蹴られていた取り巻きがテーブル席に座り、エールを頼んだ。

 仲間を一人連れている。


 少年が聞き耳を立てる中、無頼漢二人は、やくたいもない事を話していたが、不意に声を潜めて、イエルクリングについてうわさ話を始めた。

 いわく、何人もの集団に襲われたとか、片手を斬り落とされたとか、そんな内容だった。

 どうやら、イエルクリングはリューバイクの街から逃れたらしい。

 それを受けて彼らは、自らの身の振り方を考えている様子だ。


「イエルクリングの野郎が大枚引っ張れるなんて与太を抜かすから付き合ったら、このざまよ」


「地元の奴に聞いたら、あの施療院、相当に厄いねただったんだ」


 一人が、うんざりした様子でエールを一気にあおった。


「あいつら、入院した病人を、兄弟団に入れちまうんだ。治れば、そりゃ御の字だし、死んでも手前らの墓地に葬ってくれるから、残った家族が感謝する。だから寄進が半端じゃない。でもよ、金があるって事は、腕の立つ奴を雇えるって事だ」


「あの抜け作は、それに気づかなかったのよ。ホアキムの野郎、あいつ相当、つかうぞ。遍歴職人でございなんて面してるが、ありゃ用心棒だ」


「おおよ。イエルクリングをっ付けたのも、多分あいつだ」


 そんな話を続けていた無頼漢の二人だが、最終的には街を離れる事にしたらしい。


 ヨハンネスは胸をなで下ろしながら、酒場を抜け出した。





 少年は、くだんの施療院がある区画を訪れた。


 街の中心と外縁の中間辺り、職人街の横に、その施設はあった。


 正面から見ると、赤い焼き煉瓦造で、鋭い三角の切妻屋根の建物が五つ連なっていた。

 平屋の部分が二階建て、屋根の部分は三階を含んでいて、合わせて五階建て。

 窓には、陽光がきらめく硝子がはめ込まれている。

 巨大なのこぎりの刻刻ぎざぎざの刃が、背景の青空を切り取るような光景に、少年は圧倒された。


 敷地の外を回ってみると、いくつかの建物や塀が連なって外周を作り、中庭や畑、墓地もあるようだった。


 出入口は複数あって、常に色んな人々が出入りしている。

 どこから垣間見かいまみても、清潔で、活気がある。

 とても病人が集まる所とは思えない。


 少年が呆然と施療院を見上げていると、背後の通りのパン屋から威勢の良い声があがった。

 朝一のパンの販売が始まる知らせだ。


 見れば、大きく開いた窓から三尺ほども売り板が道にせり出し、その上に乗せた籠に、パンが山積みにされている。そ

 して中に中年女性が立ち、焼き立てを求めて並んだ市民達が差し出す銀貨と、底が平たい半球形のパンを交換していた。


 また、パン屋の戸口からは、パンを満載した大きな籠を抱えた少女が出てきた。

 小走りに施療院の入り口の一つに駆け込んでいく。

 そして、空になった籠を抱えて、すぐに店に戻ってきた。

 またパンを補充して、施療院との間を往復する。


 年の頃は、ヨハンネスより少し上だろうか。

 大青たいたいで染めた、ゆったりとした外衣を着ている。

 袖に洒落たぼたんが連なっている。

 要所に飾り布で補強が入っているので、暖かそうな毛織なのに、すっきりとした見た目だ。


 彼女が近くを通り過ぎる度に、結われたお下げが麦穂のように揺れ、パンの匂いがした。

 青い瞳だった。

 外衣の色は、この瞳と合わせているのだろう。


 そういう風に、少年は思った。

 もう一度、施療院の切妻屋根を見上げた後、少年は立ち去った。





 それから、一週間が経った。


 あの日以来、ヨハンネス少年は施療院を訪れていない。


 今日も、ぶな林でしばを刈っていた。

 焚き付けとして売って、幾ばくかの食べ物を得られないかという算段だ。


 その最中に、一人の老女に出会った。

 背が低く、小太りで、左手につえを突いている。

 比較的背筋は伸びているものの、足が悪そうで、つえに寄りかかるように歩いていた。

 頭に亜麻布を巻き付け、その上から飾り布をかぶり、裾を首に巻いている。

 灰色の婦人服を重ね着しており、華美ではないが暖かそうだった。

 彼女も、右腕にしばを抱えて歩いてた。


 先に見つけた少年が様子を伺っていると、老女が転んだ。

 釣り合いを崩して、ゆっくり座り込むように倒れたので、怪我は無いように思えた。

 しかし、抱えていたしばは散らばってしまったし、老女自身も起き上がれないようだ。

 杖にすがるように、もがいている。


 少年は、落ち葉の積もる斜面を横切り、老女に近付いた。


 彼女がこちらを見て、自分を見て警戒する表情になったのを、少年は気付いた。

 若干、気分を害したが、まあ、仕方ない、と少年は思う。


 ゆっくりと歩み寄り、老女に手を差し出した。

 あまり清潔な手ではないが、それはしば刈りをしていた老女も同様だろう。


「どうぞ、お構いなく」


 気取った声で、手を取る事を老女が断った。

 少し気難しい人のようだ。

 

「立てねーんだろ?」


 少年は、差し出した手を戻さずに、揺すった。


 ためらった後、老女は結局手をとった。

 引っ張って立たせると、思いのほか重く、足を踏ん張らなければいけなかった。


 それから少年は散らばったしばを集め、老女に渡した。


「じゃ、これで」


 少年は、そういうと背を向けて立ち去った。

 一つ尾根を越えた向こうの斜面で、しば刈りを続けようと思った。

 背後で老女で礼を言ってたが、振り返らなかった。





 午後も遅くなり、少年はしば刈りを切り上げて、帰る事にした。


 尾根を越えたら、老女が先刻と同じ所に座り込んでいるのが見えた。


 寄って行って声をかけた所、膝を痛めて休んでいるとのいらえだった。


「ちょっと休んでれば良くなるから、気にしないでくださいまし」


 相変わらず、気取った物言いだったが、その表情には弱気が隠せていなかった。


 少年は、老女の集めたしばと、自分の分をまとめて片手に抱えた。

 残りの手で、老女の手を引く。


「日が暮れんダロォ!? ちったぁ気張れや……」 


 老女は、右手を少年に引かれ、左手でつえを突き、よたよたと歩き出した。


「すまないねぇ、坊や」


 申し訳なさそうに、老女が礼を言った。

 口調も、崩れた。


 少年は老女の家の場所を尋ねた。

 老女の案内する通りに手を引いて歩く。


 時折、老女が釣り合いを失うと、手を強く押し下げられるので、持ち上げるように支えた。

 老女の手は小さく、しわだらけだったが、暖かった。


 橋を越え、市門を越え、下町を抜けた。

 最後に着いた所は、聖ヘアーツ施療院だった。


 ここに住んでいるのかと問えば、そうだとの返事だった。


「ここで下働きのような事をさせてもらって、もう五十年になる。有難い事だよ」


「ハッ! 五十年とか笑ける……」 


 少年は、今は夕焼け空を切り取っている切妻屋根を見上げた。


 別れを告げて帰ろうとする少年の手を、老女は離さなかった。


「差し出がましいようだけど、あんた、帰る所はあるのかい?」


 自分の風体を考えると、恰好を付ける意味はあまり無いだろう、と少年は思った。


「ネグラならあるけどな。家っつーにはボロだけどよぉ」


「なら、あたしと一緒に来な。しばらくいられるように、口を利いてあげる」


 老女の誘いに、少年は首を横に振った。


「何故だい?」


 老女は手を離さない。

 少年は、言葉を探した。


「……俺ァ、知ってるんだ。うまい話には裏があんだ」


 少年は口を開いた。

 老女はうなずいて、先を促す。


「あそこの中庭には、ガキの骨が沢山埋まってるの、知ってんだ俺ァ。ヘンタイ司祭どもが親ナシのガキにヤラしー事して、証拠埋めてんのよ。あと病気の奴の血とか小便を井戸に流してるって」


 ヨハンネスは、一息にそう言った。

 老女は。そんな少年を呆れて見つめた。


「どこでそんな事を吹き込まれてるんだい? バカバカしい。ちょっと考えれば判るだろうに」


「バカじゃねーよ! みんな言ってんだぞ。何の得にもならねーのに、病人だの怪我人だの面倒見るなんて怪しすぎらぁ!」


「そうさねぇ。普通じゃないかもね。でも、裏なんて無いんだよ。皆、神様の御心に沿おうとしているだけなの」


「神様?」


「そうさ、神様はね、貧しい人や病気の人、孤児みなしごや後家さん、困ってる弱い人みんなを、神様を愛するように愛せって教えてくれてるんだ。だから街の皆が、自分の食い扶持ぶちの中から寄付してくれるんだよ。ねぇ、だからあんたも、助けてもらっていいんだよ」


 老女の説得に、少年はうつむいた。


 少年が黙っていると、老女は手を離した。

 

「でも、無理強いはしないよ。もしあんたが来たくないなら、引き止めない。どうする?」


 少年は、離れた老女の手を見た。

 見ている内に、目まいがした。

 自らの痩せ細った手足をチラリと見た。 


「……チッ。仕方ねーなぁ」


 舌打ちして、少年はそう言った。





 老女に連れられて、ヨハンネス少年は施療院の戸口をくぐった。


 お仕着しきせの袖なし上着を着た奉公人たちが、彼を見て、顔をしかめた。

 その視線に、少年はひるんだ。


 しかし少年が逃げる間もなく、彼らは少年を捕まえて、服を剥ぎ、井戸水を浴びせた。

 冷たさに震え上がる少年を、海綿でこすり、清潔な布で拭くと、亜麻の敷布にくるんで暖炉の前に座らせる。


「???」


 ヨハンネスが呆然としていると、やはりお仕着せを着た中年女性がやってきた。


「私は孤児舎監のベティーナ。君は?」


 少年が名乗り返すか返さないかのうちに、シーツがぎ取られた。


 中年女性は、薄荷はっかの葉が練り込まれた獣脂を少年の全身に塗り込んだ。


「ッザケンな! 何すんだ!」


「うるさい! こんなに全身ボロボロにしやがって! 毎晩これ塗るからな!」


 叱り飛ばされて、少年が目を丸くしているうちに脂塗りは終わり、清潔な亜麻の肌着が手渡された。

 少年は、その手触りに驚いた。


「肌着は水曜と土曜の夜に交換するからな。使い終わった肌着は、ここの大籠に入れておけ!」


 更に、木製のさじ、深皿、杯が手渡される。


「これはお前専用の食器。無くすな!」


 もう、少年は驚く事しかできない。


 食堂に連れて行かれ、塘蒿せろり茴香ういきょう、小麦粉の煮込み汁を食べた。

 野菜の香りの甘さと滋味に目を丸くする。


 その後、別の建屋の広間に連れて行かれた。


 木製の寝台がたくさん連なって並んでいた。

 どの寝台も、板で囲われて箱状になっており、よく乾いたわらが敷き詰められている。


 厚地の亜麻布を一枚与えられ、同じような年頃の少年と共に寝台に放り込まれた。

 人肌の温もりが思いのほか暑いほどで、この冬、はじめて熟睡した。








(※)……山野に生える小さい雑木や、それを折って薪としたもの


※施療院外観イメージ:

https://www.youtube.com/watch?v=jzGkAW0_Rew&t=1s



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