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人を殺してはいけない理由

作者: K


 光の渦が煌々と差し込み、茶の間を照らすある平日の朝に、

「ねえ、なんで人って、人を殺しちゃいけないの?」

 と、四月に三年生になったばかりの純平が内容にそぐわない元気の良さで尋ねたので、二児の母である裕美子は酷く面喰らってしまい、今朝つくったばかりの味噌汁をお椀ごと勢いよく床にぶち撒けてしまった。子どもたちが種々の遊びに耽った産物であるでこぼこの床に味噌汁が具ごと流れ込み、ごく小さな水溜まりをつくったので、純平の妹である幼稚園児の美優紀はちょっとだけ嬉しそうな声をあげた。

 ……あたかも平日の朝である。県道沿いに中くらいの一軒家を購入してからまだ七年で、庭では小さな菜園も営んでいる川上家の食卓には、裕美子の父である耕作が毎年送り寄越してくる白米と、菜園で採れたプチトマトを彩ったサラダ、卵焼き、そして先程ぶち撒けてしまった味噌汁が並ぶ予定であった。

 めざましテレビの大音量も、隣の家の痴話喧嘩も、自動車の音がかまびすしい朝の七時も、子ども達のおおはしゃぎを緩和してくれる一種の材料となって、ささやかな幸福を現出してくれるように感じられる朝の一幕を、この家で最も愛していたのは専業主婦の裕美子だった。それだけにいつもと変わらぬ様子で人を殺すだなんて言ってのけた純平の胸中を慮って、裕美子は目眩がしてくるようだった。彼女は息子をそんな野蛮な人間に育てた覚えは少しもない。自分だって正しく持てない箸の持ち方を、積極的に矯正しようと提案したのは、夫である祐輔ではなく妻の裕美子の方だった。

 裕美子は都会の育ちである。都会の人間が正しく箸も持てない、というのは酷い偏見だが、裕美子の親はともども正しい箸の持ち方を知らず、それを恥じて娘に反面教師なりの教育を施してやろうという情熱もなかった。だから裕美子も正しい箸の持ち方を知らない。しかし子どもを育てるにあたり、慣れないマナーの本を片手に息子や娘に熱心に指導する裕美子を、誰もからかってやろうなどとは思わなかった。むしろ、そのどこぞの遺伝子かも知れない奇異の熱情を見て、周囲は母親の自覚を持ち始めた彼女を好もしく感じたりもした。彼女の子育てに対する熱情は至極平凡ではあったが、場合によっては奇妙に粘着執だったりした。箸を正しく持てる息子というのは、繊細で、お行儀のよいお坊っちゃまであるような気がしたのである。

 ……あたかも平日の朝である。床に溜まっていた味噌汁を幼稚園児の美優紀が掬って、興味深そうに眺めている。裕美子はそれを止めようともしない。娘の手は、若干の熱さにピンク色の小さなそれを朝の光に照らし出している。それを見た息子が自分も掌で掬おうとして、もうほとんど床に溜まらず流れ出ていってしまった味噌汁に哀惜の眼差しを向けている時に、やっと裕美子は我にかえって、二人の子どもを制止した。母親は早く食卓につくようにと命じた。それを受けた子どもたちは、つまらなそうな顔をして各々真新しい木椅子へと腰かけた。裕美子はこぼれた味噌汁を雑巾で手早く拭い、再びキッチンから味噌汁をよそって来ると、子どもたち同様に木椅子へ腰かけ礼儀正しく両手を合わせ「いただきます」と挨拶した。息子の質問は知らず知らずのうちに黙殺されたが、しかし「なんで人は、人を殺してはいけないのだろう?」という疑問は、裕美子の体内にやや偏執拗的に固着した。彼女もまた、どうして人を殺してはいけないのかを、弁証することができそうになかったからである。

 

 現代人にとり朝という時ほど、その一分一秒を意識せねばならない時はない。商社マンである夫の祐輔は、バスと電車を乗り継いで一時間半かけて八時までに出勤する。すると六時半には家を出なければならない。それなのに帰りまで遅いとあっては、子どもたちとの交流はまるで絶たれる。故にどちらの子どもも夫にはなつきが悪く、特に純平は頗る悪い。男親の悪い癖を見習った祐輔は、息子に厳しく娘に甘い。純平は祐輔の顔を見る度に、ばつの悪そうな顔を滲ませてはどこかへ(そのほとんどは自室やトイレなのだが)逃げて行ってしまう。小学三年生になった今も、父親の不機嫌を読み取るや否や、物音一つたてずに自然とどこかへ消えている。

 しかし裕美子にとっては、息子のこういうところが最も人間的な性格の顕れであるように思われる。親子とは、いつの時代もこのぐらいの距離感を持っている方が正しいのだろう。母親もその例に漏れない。むしろこのように、お互いが悪くせずして生まれてしまった男同士のどうしようもない齟齬を、温かく見守ってやるのが母親の使命なのだとも感じていた。

 

 テレビは、かわいらしい子犬を紹介していた。例えば毛並みがモフモフのそれや、人なつこい目のくりくりなそれである。女子アナの黄色い声が画面から飛ぶと、娘は飼いたいと机を一叩きして叫び、母親は今はダメよと優しく言う。今は犬を飼う余裕なんてとてもない。残業ばかりの祐輔は元より、裕美子も裕美子で、主婦としての日々の生活に忙殺されることを余儀なくされている。(主婦としての彼女の能力が欠けているというより、それは先天的な要領の悪さから来るものであったが)これで娘の望む繊細で可愛らしい子犬を家に飼うとなっては、その子犬も放置に晒され可哀想でならない。

「みゆ、ちゃんと世話するよ。でもダメ?」

「今は飼う余裕がないから、ダメ」

「みゆ、ちゃーんと世話するから」

「世話するって言うけど、美優が幼稚園にいる間は、誰が世話するの?お母さんだって、ずっと家に居られるわけじゃないんだよ?もしそれでワンちゃんが死んじゃったら、すごく可哀想じゃない?」

 裕美子が諭すように言うと、娘の美優紀は沈黙し、目には小粒の涙が浮かび上がった。子どもは自分の考えに意固地である。その意見を大人の正当性で弾圧されて、なお気丈に振る舞ってみせられるほど、まだまだ理性は発達していない。ただ、それを裕美子自身可愛らしいと感じていた。どんなに毛並みのいい子犬よりも、どんなになつきのいいトイプードルよりも、自分の娘が大人に成長するための階段をのぼっていると感じられる今が幸福であるし、可愛らしいと感じる。私のこの感覚は間違っていない……。

「……わかった。でも、必ずいつか飼って。必ず、ワンちゃんがちゃんと暮らせるように考えるから」真っ直ぐな眼差しが裕美子に向けられた。

 大人の正解を受け入れ、それでもなお自分の意見から正解を見つけ出そうとする娘の哀願が、裕美子をうった。この娘を愛したいと思った。お腹を痛めて産んだ二人の子どもに、これから生まれてくるかもしれない三人目の子ども、愛息子に愛娘を、必ず愛して幸せにしてやりたいと思った。裕美子は母親である自分の責任を強く思って、息子の方を見つめた。純平が何か言いたそうに愛娘の方を見つめていた。

「みゆ、難しく考えすぎだよ。もし死んじゃったら、焼いて食べればいいんだから」

 唐突な息子の異様な言葉に、裕美子は我が耳を疑った。

「え?」

「お母さん、俺も、犬飼いたいと思ってたんだ、かわいいし。それに、もし死んじゃったら、焼いて食べれば大丈夫だよ。犬って、おいしいかわかんないけど、牛も、豚も、そんなに変わんないし、犬だって、そんなに変わんないよ。犬の焼き肉とか、すき焼きとか、けっこう、おいしそうだけどね?」

 焼き肉。すき焼き……?

 裕美子は、再び目眩が襲ってきて、倒れてしまいそうだった。まだ味噌汁は湯気を立てていた。テレビも未だ子犬の特集をやめていなかった。それなのにこんなことを平然と言ってのけてしまう息子の精神は、一体どれほどのものだろう?

「ねえ!それはかわいそう……」

「だってみゆ、牛だって豚だって、鶏だって食べるじゃん。犬だって、そんな変わんないじゃん」

「……純ちゃん、こわい。みゆ、牛も、豚も、食べるけど、たぶん、そういうことじゃない。なんか違う」

「絶対同じだって。犬って、べつに食べれるでしょ?お母さん」息子の声は、相変わらずの無邪気さを讃えたまま、裕美子の方へと向けられた。

 俗物であり、正常な感性の持ち主である裕美子は、ものの数分で聞かれたこれら数個の質問に、すっかり精神的にまいってしまっていた。一刻も早くこの子どもたちを学校に送り出さねばならないと思った。朝食を詰め込むように食べさせると、大騒ぎのなか支度をさせて娘をバスで、息子を徒歩で登校させた。息子と娘が登校でいなくなると、広すぎるくらいの一軒家には妙な静寂が漂い、それが疲れとなって重たく裕美子にのしかかったので、思わず彼女は長々としたソファーに横たわった。

 彼女は、高い天井を見つめながら、自分のこれまでの子育てを回想した。躾には厳しく、しかし時には思い切り褒めた。天才をつくるためのハウツー本などはよく読んだし、しかしそういった情報に踊らされないだけの、取捨選択の知的教養は身に付けているつもりだった。家事もよくやった。できるだけ子どもたちに寄り添った。二人とも分け隔てなく接した。写真の数も、おかずの量も……。

 それなのに私の息子は、どれほどか歪な、ねじ曲がった人間へと変貌しようとしているのだろう?人を殺すとか、犬を焼いて食べるとか、こんなこと急に言い出すなんて概して普通じゃない。将来マズイことで世間様に迷惑をかける人間の芽を、既にして咲かせてしまっているように思われる。しかし、一体誰に相談すればいいというのだろう?祐輔はあまり取り合わない。業務につかれてクタクタで、土日も家で屍のまま呼吸をしている。裕美子の両親は都会を離れて、東北の小さな村で農園の世話に忙しい。祐輔の両親は商社マンの肉親であるだけに、異常には甚だ理解を欠くだろう。小学校のママ友に相談すれば、一躍友達にしてはいけない人間のレッテルを我が息子は貼られてしまう……。

 彼女の悩みは、ひとり内臓のなかでぐるぐると旋回していた。決して他人に口を割ってはならない、誇れるはずの、立派なはずの、しっかりと育てたはずの私の異様な息子……。

 そもそも彼女が息子の言動をこれほどに心配するのは、その年齢からなのだ。小学校三年生、九歳。物事の善悪くらいは判断できて、中学生みたいに人並外れた冷酷を敬愛したりもしない、異様な言動に身を染めるにはあまりにもマイノリティーな、その年齢。しかも息子の目には、何か人を馬鹿にしたりだとか、試そうとしたりだとか、そういう邪な感情が一切混じりあっておらず、ただ純粋な冷酷と異常が疑問を持ってひょっこりと首を出してきたように、正常な人間を脅かす非人間的な性質が根付いているように思われる。

 彼女にはそれが果てしなく恐ろしかった。世間的な真人間である彼女でさえ、いや、そういった真人間のまま大人になってしまったからこそ、悪や冷酷や理不尽などを見抜く力に長けていた裕美子は、やはり理性が充分に発達してからではあるが、度々こういった非人間的な言動に突き当たる。その鋭敏なレーダーが息子に向かい陽性を示した。こんなにも恐ろしいことが、果たして世の中にもう一つとあるだろうか……?

 ない!と彼女は断言混じりの独言をした。極めて切実な問題だった。例えば、相手を貶めるための嫌悪の暴言や、利己的な感情から来るところの言葉の暴力や、軽蔑、侮蔑から来るところでない真っ直ぐな言葉、辞書的な意味を持つ、例文のようなその質問。それがこんなに恐ろしく現実的な意味合いを持って、自分に襲いを為すなんて……。

 彼女は、いま、自分が行動を起こさねばならない状況のどんづまりへ、追い込まれたことを感じていた。息子の危険思想が、一体なんの意味を持つのかは計りかねたが、それがまかり間違って他者を傷つけるよう牙を向いてからでは、事はあまりにも遅すぎる。

 例えば、急に友達の目を人差し指で突き刺してしまう、女の子の頭をビーカーで殴り付けてしまう、不意に体育教師を金属バットで殴打してしまう……。

 こういった不徳の行為に、息子自身意味付けを与えぬまま実行に移してしまえば、期せずして一家は社会的不幸を被ってしまう。それはまだこの子には早すぎる。肉体的にも、精神的にも成熟を経てから、自らの思想を抑制することに失敗し、引き起こしてしまった犯罪行為には、親も甘んじてそれを受け入れねばならない。被害者へ真摯に謝罪しなければならない。その時私は大粒の涙を流し、自分という人間を極めて懐古的に見つめなおすだろう。しかし、いま、たったの小学三年生に過ぎない純平が、それらの犯罪行為に身を踊らせてしまったとしても、私は泣くに泣けないだろう。そこには、誰に押し付けることもできない莫大な責任がひとり空中に浮遊して、始末に終えない現状が生まれてしまい不幸になるからだ。そういったことは避けなければならない。不幸とは決して良くないことだ。人は、常に幸せでなければならない。わけもわからず息子の人生を終わらせるのは親の無責任だ。少なくとも私は、息子が成人を迎えるまでは、彼の人生の責任者なのだから。責任逃れは絶対にできない。私は彼を幸福にしてあげたい。

 彼女は少し身を起こして、いまから何をするべきか、充分に考えた。しかし、選択肢はあまりにも限られているのだ。前述したように、相談するべき相手は非常によく考えねばならない。情報を守ると信頼の置ける人間でなければ、私は絶対に口を割らない。彼女は固く決意して、職業的に信頼の置ける、担任教師の遠野先生に相談することを決めた。早くも娘のお迎えを頼もうと、近所のSさんにラインをした。娘はSさんとSさんの娘の家にしばし引き取られることになった。

 昼休みに電話をしよう。逆算して、それまで時間がかなりある。今は家事をする気にはなれない。彼女は怠け者ではなかったが、こう息子に切実な問題が襲いかかっているとあっては、どうしても日常が手につかない。日常は、半端な異常であれば軽々と飲み込んでしまう力を持っているが、時にどうしようもなく無力なのだ。それを今、彼女はまざまざと感じていた。時が経つのを忘れさせてくれるのも日常なら、時が経つのを意識させるのも日常なのだ。彼女は自分が習慣のなかから外れていることに酷く意識的だった。なぜなら、自分の息子が平凡ではないかもしれないなら、彼女自身も平凡ではないかもしれないのだから……。

 

 彼女は本当に普通の子だった。悲しければ泣いたし、嬉しければ思い切り笑った。それが彼女の意識的な行動であると考える者はいなかった。本当に彼女は人が死んだら涙を流したし、人が助かれば大喜びした。だからと言って、まるで思慮深さに欠けるお転婆娘というわけではなかった。成績は中の上で、地区では二番目に賢い高校にギリギリで滑り込むと、高校でもそれなりに勉強を重ねて、推薦で中堅の私立大学に入学した。それから色々あって、祐輔と結婚して子どもをもうけた。あまりにも平凡だがあまりにも幸福だった。裕美子も祐輔も、あまり贅沢を好まない消費性向が幸いして、家庭の財務状況は良好で、子どもたちに不自由は何一つない。買いたいと本人が言うものは基本的に買い与えた。ヒーローものや流行りのもの、かわいいものに美しいもの、どんなおもちゃもそこに「害」が住んでいなければ、買い与えることは惜しまなかった。ただ純平の場合、そういった同世代に人気のものを好む傾向に薄かった。その代わりに、いつも息子は絵を描きたがって、画用紙と種類の夥しいクレヨンをねだった。裕美子は基本的にそれも買い与えたが、描いた絵をほとんど見せたがらない。そのまま、徐々に息子の興味も薄れてしまい、作品はお蔵入りとなった。だがまじまじと見ることのできた絵が二つだけある。

 一つは、みずみずしさを主張するトマトの、写実的な絵画である。裕美子はもう七年も庭でトマトを育てており、それを使った料理のレパートリーには自信を持つ。純平はそれを鮮やかに描写した。

 二つは、無限ともおぼしき人の連なりである。人がどこかへ向かい、進行を推し進める様子がおどろおどろしい筆致で描かれている。それは絵の大家であれば、なにか大きな意味を暗喩するだろうと思われる、奇妙な雰囲気を表出していた。しかしそのときは、この絵になにか特別な意味が内包されているかなど、裕美子の個人的な論議にすらのぼらなかったが……。

 彼女は食事にも気を使った。あまり外食はさせずに、極力家庭の味を嗜ませた。娘は好き嫌いが激しかったが、息子はなんでも素直に食べた。しかし息子の場合には、一週間前には食べられたものが、その日になると一切手をつけないということがしばしばあった。記憶の鮮明なのがトマトパスタである。描写するほどトマトの好きな癖して、トマトパスタに一切手をつけようとしない息子を、裕美子も祐輔も訝った。しかし、幼年の気まぐれが指すところを計りかねて、二人ともおかしな子だと微笑するに止まった。思えば、あの日以来純平は、トマトパスタに異様な毛嫌いを示している。

 なんだか、考えれば考えるほど、あの子は意味がわからない。意味のある行動なんて何一つなかった気がする。でも、子どもなんてそんなものだろうか?覚えていないけれど、私だって子どもの頃は、意味なんてそんなに考えなかった。あの子も、意味のない行動がたまたま脇道に逸れているだけかもしれない。意味を考えるような年頃になれば、「普通」が遅れてやってくるのかもしれない。きっとそうだろう!しかし、それでも不安なことに変わりはない。幼稚園の頃はどうだったろう?一、二年生の頃は?果たして今と、なにか異なることがあったろうか?……そんな風にして昔を振り返りながら、なんだか酷く疲れてしまった彼女は、暖かい朝の光に包まれてしばしの眠りに誘われていった。







 込み入って人工的な住宅街の奥地に、羽を休めるようにして佇んでいるのが、純平の通う緑ヶ丘小学校である。名前のとおり、至るところに人工の緑と自然の緑が幸福な折り合いを為しており、設備の古くささを絶妙に緩和する装置となっている。緑ヶ丘小学校は築七十年である。戦後の間もない時期に建てられたこの学校は、何度か改修を繰り返し今に至る。

 一度火災に見舞われたことがあった。隣の地区の不良集団が、警戒の厳しくないのをいいことに無断で校内に忍び込み、火遊びをしたのだ。不幸なことには、その火種が図らずとも広がってしまった。無論、乾燥のためとびっしりと校内を埋め尽くした木々のためである。木々は一度ほとんどが燃え尽き、絶やされてしまったが、いまは再び盛りの中にある。涙ぐましい地域住民の協力が後押しをしたためである。この地域には表面的な懐疑の消失と知的教養に裏付けられた治安の良さがあった。一家がここに身を置いたのにも、そういった生育環境の良好を勘案しての内実がある。

 正門から入ると、緑の鮮やかさに気を奪われて気付きにくいが、何度かここを訪れた裕美子には、設備環境の経年劣化が不安を駆り立てる要因となっていた。例えば鉄棒やブランコである。錆びが著しく手を滑らせた子どもの危険に繋がり兼ねない。ジャングルジムも、高さの割には落下した際の衝撃を緩和すべく材料がなにひとつ見当たらない。家庭科室の汚染具合は、とても調理実習をして良いという許諾を得ているようには思われない。これらの器具や設備は、改修や保護者の手厚い後押しを無視して、なにか学校側の職務怠慢から来るところの人工的な劣化が、恥ずかしげもなく居座っているように思われた。それを経年劣化と釘打ってしまえば、学校側としては楽であることこの上ない。ところがそういった高慢な態度が保護者の不信を絶大に煽るのである。他の保護者同様に裕美子も、担任の遠野先生に対し個人的な嫌悪を持ってはいなかったが、いざという時の学校側の対応には、些かの心許なさを感じていた。

 裕美子は、登下校の生徒が突然に踵を返して校内に戻っていく様や、保護者を見つけて唐突にお利口様を装い始める様を見て、この地域における子どもたちの育ちの良さを感じた。例えば髪型一つとっても、男の子は襟足や脇が切り揃えられてあるし、女の子は、必ずと言ってよいほど髪色が自然で艶がある。先生の目が離れても、スマホを出してアプリに興じる様子はないし、子ども特有の落ち着きのなさも、後天的に弾圧されているようにさえ思われる。すると益々彼女は、息子がこの学校の模範的な生徒であるという盲目的な自負を抱き始めるのだった。なぜなら彼女は、外出先で自分という肉親を前にして、礼儀正しく振る舞う我が子を知っていたからである。それが故に彼女は、家でいくら大騒ぎをしていても、大暴れをしていても、子どもたちを黙認することができたのかもしれない。私の子どもたちは先天的に空気を読むことができるのだと、彼女は誇らしい思いに、よく一家の幸福を読み取ったものだった。しかしいまや私の息子は……。

 彼女は校内へ入っていく前に、バッグの中から持参したパンを確認した。ここへ足を運ぶ前に、二駅ほど先のパン屋で高めのパンを購入していた。突然の相談を快諾してくれた遠野先生に対する、若干の感謝を込めての土産物である。食パン、カレーパン、メロンパンにピザパン。メロンパンは娘の大好物である。昔からどれほど酷く泣き喚いても、これ一つでけろっと笑顔になる魔法の薄緑は、二百円で手に入るお得付きである。カレーパンは息子の好物である。しかし、彼女には思い出の一つも印象の一つも、何一つ存在していない。息子がこれを好んで食べたがる一挿話が、どうしても引っ張り出せそうにない。じゃあこのカレーパンは一体なんだというのだろうか……?

 彼女は、カレーパンを見つめた。なんの変哲もないただのカレーパンだった。それを自分の息子が好いているというだけのことなのだ。しかし、このパンには、何か深い意味すら内包されているように思える。不穏だ、なぜか気味が悪い。これが息子の狂気を駆り立てる材料なのだろうか?いや、そんな筈はない。じゃあ、一体息子はどうしてあんなことを言うようになってしまったのだろう……。

「カレーパン、おいしそうですね」

 少年が裕美子の脇に立って、カレーパンを見つめていた。息子と変わらぬ年齢だろうに妙に辛気臭い少年の言葉が、彼女を一歩引かせた。玄関口からは既に校舎のなかが窺えた。

「ええ、とても美味しいけど、これは先生にあげるものだから。ごめんね」

 少年は、大丈夫ですと一言残して、去っていった。息子にだってこのくらいのことは出来るのだ。しかし、いまの息子の場合、「貰えないなら、ここに落ちても同じことですね」と吐き出して、赤の他人である貴婦人からカレーパンを取り上げ、地面に叩きつけてしまいそうな気がする。

 彼女には息子と同年代の少年心理が、まるでわからなかった。過去に経験したはずの少女の心理ですら危ういのだから、経験したことのない少年の心理とあっては、類型である無謀な冒険心を想起することしかままならない。少年は仲間を連れてどこまでも行ってしまう。隣町や、洞窟や、原っぱに、ゲームセンター。何も考えずに夕暮れまで遊べてしまう少年の形は、私の息子も同様に備えている。カレーパンのあの子も同様に備えているだろう。しかし、人や動物を殺そうという妄想は、果たして、少年に典型的なものだろうか?

 彼女は、ここにたどり着くまで「サイコパス 親 特徴」、「サイコパス 子ども 育て方」、「サイコパス 子ども わかったら」などと組み合わせを変え、スマホで検索をくりかえしていた。しかしどのサイトも、決定的な手掛かりや解決策を持たなかった。

 「愛の欠落した子育てがサイコパスを作りだす」、「少年Aの母親は我が子に異常な育て方を施した」、「サイコパスを見抜く5つの方法、その7つの特徴」これらのwebサイトは、充分な愛を受けて育ちながら、後発的かつ突発的にその異常な殺害への執念をあらわしたこの息子には、残念ながら指南書としての効果がはっきりと薄かった。美優紀の情緒は健康的で、純平との育ちの差異はほとんどない。だとすれば、あの子は私のお腹から生まれてきたのではない、本当の息子にとってかわってしまった、悪魔の子どもではないだろうか?看護師さんが誰か他の子どもと、取り違えたのかもしれない。しかし、そんな可能性がほとんどないことくらい、裕美子にもよくわかっていた。だからあれは私の息子だ。しかし私の息子がサイコパスであることに、私ら親の責任はない。だから、先生に相談すべきことは原因の究明でなく、単純明快な事後対応だ。

 彼女は階段を上がり、職員室を訪れた。遠野先生は彼女を見るや否や、奥ばった面談室に案内した。既に空調が整えてあり、貼り紙も不自然に剥がされている。その昔は放送室で、昨日にでも面談室に変貌を遂げたかのような即席の部屋。居心地は悪くなかった。

 警戒されたな、と感じた彼女は、すぐにパンを差し出した。これはこれはと先生は言うが、表情が妙にひきつっている。先生の警戒心には焼け石に水であった。これからクレームが来ると先生は悟ったのだろうが、しかしそれは勘繰りすぎというものだ。彼女は、なにもクレームを言いつけて教師を困らせる、彼らの天敵のような身勝手な母親ではないのだ。もっとしっかりと内容を伝えるべきだった。息子のことで相談が……などと、女親の側が言いだせば、大抵の教師は自分の保身に危機感を覚えるものだ。

 遠野先生はまだ三〇そこそこだ。彼女の記憶が誤っていれば、あるいはまだ二十代の後半かもしれない。メガネを掛けて硬そうな髪の毛にワックスをつけている。顔のパーツはあまり良くないが、人当たりは良さそうな人だ。きっと上へいきたいのだろう、将来的には校長にでもなりたいのかもしれない。遠野校長、などと様々な人から呼ばれ、朝礼では生徒を笑わせるようなおもしろ話を繰り出すのだろう、そして、たまには若かりし頃の生徒を思いだし、あるいは同窓会に呼ばれたりして、過度に装飾された昔話に耽ったり、あるいは教育ではないところの我が子への子育てに熱中したり、権威の上に軽く微笑しながら、自らの幸福を噛み締めるのだろう。要するに彼はまだ結婚をしていないのだ。それだけに息子の異常を相談するのは心許ないが、そのぶんだけフラットな見方も可能かもしれない。

 裕美子はすがりつきたい思いだった。息子の異常事態に、教師の存在が頭をよぎらない女親など、果たしているものだろうか?少なくとも、彼らに依拠することを徹底的に毛嫌いするのは、亭主関白の前時代的な男親だけだ。

「すみません、今日はいきなりで」

「いえ、そんなことありませんよ。私もいつもお世話になっておりますから」

「本当、先生にはいつもお世話になっております。息子のことで相談とは言いましても、文句を言いにきたのではありませんので、安心してください。本当に、こちら側の問題でして、先生に少しでも助言を頂ければと思いまして……」

 彼女は、早い段階でクレームではないと宣言できたことに、安堵した。遠野先生も安堵したようで、

「あぁ、そうでしたか。いや、私も内心ドキドキしていたものですから」

などと、薄ら笑いを浮かべると、前髪をグッと押し上げた。彼は額にびっしりと汗をかいていた。

「先生には、いつもお世話になっておりまして、本当に感謝しています」彼女は形式的に笑った。

「いえ、本当に、至らない所ばかりですが、今後ともよろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしくお願いします。ところで、本題の方なんですけども……」

 彼女は、自分が大人であることを少し忘却した。一刻も早く、息子のことを話したくて、仕方がなかったのである。

「ええ、そうでしたね。どうぞ、お話しください。私の方でよければ、なんでも」

「実は、純平なんですけど、今朝、突然に様子がおかしくて。その……学校の方では、大丈夫だったでしょうか?」

「純平くんが、ですか?そうですね、私の見る限りでは、特に変わった様子はありませんでしたが……」

「おかしな言動はありませんでしたか?」

「言動。いえ、特には……。何か、御自宅で気になるところが、ありましたか?」

「ええ、実際、言うのも憚られることなんですが、その、殺す……とか」

「殺す」

「はい」

「お母様をですか?」

「いえ、私ではなく、犬とか猫です」

「犬や猫を」

「それに朝の第一声は、『どうして人は、人を殺してはいけないのか?』でしたし」

「ほう。それに対してはなんとお答えに」

「私も驚いてしまって、色々と取り乱しはしたのですが、とりあえずは無視しました。忙しいフリをして」

「そうですか」

「良くない対応でしたか?」

「いえ、そんなことはないと思います。子どもは、親の黙殺を、思ったより敏感に察しますから。純平くんも、お母様の対応を見て、口にしてはいけなかった話題だと、悟ったのかもしれません」

「そういうものですかね」

「案外子どもっていうのは、気付くことに長けていますからね。この前も、私の髪が少しばかり乱れているのを察知して、先生は昨日お酒を飲んでいたんだ、なんて、推理を始める子もいましたから。しかも、その気付きが予想外に的を射てるもんですから、私も対応に困りましたよ」

 先生は笑った。裕美子も気を遣って笑ってみせたが、根本的な解決はおろか、解決の糸口にすらなっていなかった。本当に母親の態度を察して言動を控えたというのなら、その後の犬を焼くだの、美味しいだのという的外れな言動に結び付くはずはない。母親に無視をされ、怒り狂ってあの話題を出したというのなら、まだ普通の男の子なのだ。しかし、息子の言葉は、確実な狂気を孕んで私に届けられた。でなければ、私があんなに取り乱す訳はない。このことは先生にしっかりと伝えておく必要があるだろう。

 しかし息子の場合、『どうして人を殺してはいけないのか』と尋ねたすぐ後に、犬の紹介番組が流れているにも関わらず、犬は食べたら美味しいのか、とか、飼えなくなったら焼いて食べればいい、とか、普通では考えられないことを、なにかおもしろがっている感じでもなしに、飄々と言ったんです。先生の仰るように、確かに息子は、空気を読まないということはありませんし、人並みには変化にも気付くと思います。ただ今回の場合、なにかそういうことなしにですね、なんといいますか……その、ヘンといいますか、異常といいますか……」

「要するに、純平くんはお母様の黙殺と自分の言動が、有機的な連関や結び付きを持ったものだと認識しておらず、続けざまに非道徳的な質問を繰り出した、ということですね」

「そうなんです」

「これまでにご家庭でそういったことは?」

「ありませんでした。物静かな子ですから、まさか元気よくそんなことを尋ねてくるだなんて……」

「学校でも、純平くんは少し傍観しているような所はありますが、特に問題となる言動に出るというようなことはありませんでした」

 先生は少し口が乗ってきているようだった。裕美子は意味がわからなかったが、これを機に聞けそうなことは聞いてしまおうと思った。

「道徳の授業では、どうでしょうか?」

「そうですね。あまり、気になるところはありませんでした。ただ一口に道徳とは言いましても、我々は職業上、やはり中道的な意見を採用する他にはありませんから。例えば、困っている人がいたら助ける、ですとか、人には常に親切にする、ですとか、当たり前のことしか取り扱わないのが現状です。純平くんくらい賢い子ですと、例えば『目の前に重そうな荷物を抱えているおばあさんがいます。さて、あなたならどうする?』という問題があったとして、その問題が中心に据えているある種の核を早急に察知して、荷物を持ってあげるのが世間的に正当な行為であるのだと、感覚的にわかってしまいます。本当はそんなことまるで思っていなくても、口からするすると模範解答が流れでるのです。こういう模範解答を言える優等生であるにも関わらず、裏ではイジメの常習犯、なんて生徒も、私は何人か見てきました」

「しかし純平の場合、イジメよりもっと性質が悪くありませんか?」

「ええ、まあ……。しかし川上さんは、『どうして人を殺してはいけないのか』を考えたことはおありでないですか?」

「ありません」

 彼女は、やや食い気味に言った。そんなこと、考える必要がなかった。彼女にとって人を殺していけないのは当たり前のことなのだ。そんなこといちいち考える意味も、時間もなかった。人生に懸命であれば、そんなこと考えている時間の方がもったいないと思うものだ。

「そうですか。しかし私も、純平くんよりはずっと大きくなってからですが、『どうして人を殺してはいけないのか』を考えたことが、ありますよ」

「先生がですか?」

「はい。その時辿り着いた結論としては、生態の問題が大いに絡むものでした」

「……先生は、随分と難しい事をお考えになるんですね」

「いえ、といっても簡単なものですよ。良かったら、参考の一つにお聞きになりますか?」

「お願いします」

「人間は、唯一理性を持った動物ですよね。当然、他の野生動物とは本質的に異なります。生きるために獲物を仕留めるのは、野生動物の本能なんです。そして、その本能に逆らう生物学的機能を何一つ備えていません。要するに、殺すことに罪悪感を持ってはいないんです。ところが、人間は持っている。すると、人が人を殺すということは、人間の生態にヒビを入れるということになるんです。生態を崩すという自分本意な思想が、弾圧されるのは当たり前のことですよね。しかし、それだけではメカニズムの説明であって、人が人を殺してはいけない理由の本質にはなり得ません。私が思うに、小学校でも教える『人がやられて嫌なことはしない』の精神だと思うんです。誰も、殺されたくはありませんよね。だったら、自分も人を殺すことはしない。答えになっているかわかりませんが、そういう風にでもしておかなければ、その種を保てないということの危機感であるのかもしれません」

「……なんだか、非常に難しいですけど、それだと、客観的に見た際の理由ですよね。主観性にまでは、入り込んでいないような気がするのですが」

 彼女は、微笑しながら言った。こういうことを真顔で言うのは憚られた。もしそういう言動に出れば、なにか自分に生命の危機が訪れるような錯覚を見たのである。

「そうなんです。いまの私程度の見識では、殺人を体制の側からしか規制することができません。例えば、両親を殺された復讐を果たすというような、劇画の世界でよく見る殺人は基本的に道理が通っているんです。その気持ちも痛いほどわかります。ただ、それだったら殺してもいいのかというと、そういうことでもない気がするんですよ。主観の側から認めていながら、客観の側からは是認し兼ねる。それが結局主観を否定することになるんです。要するに、その任意の人が殺人を強く願ってしまった時に、それを説き伏せる熱い説得力を持つ理由なんて、何一つないというような気がするんです」

「……そうですか」

 彼女は、深刻な顔を浮かべ頷いた。なんだか酷く疲れてしまっていた。この先生は、一見熱くて、真面目な、良い先生ということになるのだろう。しかし彼女には、この先生が、いざという時に責任を被ってくれるような熱血漢には到底思われない。この人は逃げ出すだろう、大層な理論をひっ下げて、大きな権力を持ってはいるが、最後の最後にはその権力を使い責任逃れをし、自分の一番大事な部分を差し出そうとは決してしない。この人はそういう人間だ。本気で私や純平と向き合っていれば、こうスラスラと言葉は出てこない。この人はこういう機会を待っていたのかもしれない。これこそが教師の仕事だと、待ってましたと言わんばかりに熱い言葉で捲し立て、先生ありがとうございます、お陰様で助かりましたと言われることを、切望していたのかもしれない。

 彼女は、「職業的に信頼のおける」という自身の思考が、あまりにも柔らかい土壌の上に立っていることを知り、がっかりした。人に口を割らないという安全地帯は、結局のところ、投げやりでも良いという口実のもとに身を固めることが可能なのだ。まともに話し合うのは不可能だ。彼は純平という一人の個人を見ていない。というより、私以上に純平という個人を知り尽くす者はこの世にいない。

 彼女は、先生という存在に求められることは、経過の報告という叙事形式のものでしかないという事実に、はっきりと気付いた。

「先生のお考えは、非常によくわかりました。ただ、問題は純平の言動です。仮に私が『どうして人は人を殺してはいけないのか』をしっかりと説明できたとして、以後こういった類いの質問がひっきりなしに飛び交うかもしれません。そして、それがクラスメイトに迷惑を掛けることになったり、先生に迷惑を掛けることになったりしては、申し訳がたちません。そのためにも、先生には定期的に純平の様子を窺いたいと考えているのですが……お願いしてもよろしいでしょうか?」

「迷惑だなんて。もちろん、それは構いませんが、あまりそういったことはお考えにならないほうがよろしいですよ。私も、これまでの教員生活で、不思議な発言をする生徒を数多く見てきましたが、その子が大きな問題を起こすということは、これまでに一度たりともありません。心配し過ぎないことが一番です」

「ありがとうございます」

 裕美子は笑った。二人は、その後他愛もない会話を交わし、平穏に面談を終えた。先生は、悪い人間ではなかったが、決して、彼女にとって「良い」人間ではなかった。それは、「都合の良さ」に、観点が置かれたものではない。彼には、全体を見通す頭の良い教師の影を持っていはしても、生徒ひとりひとりに寄り添う熱情的な影を落としてはいない。そして、それは最も合理的なことなのだ。昨今の教員事情には裕美子も同情を禁じ得ないところがあった。多すぎる残業、冷えた待遇、身勝手に騒ぐ親の処理。……身勝手な親の処理?

 日が差し込んできて、机がギラギラと反射をあげた。彼女は、若干目を細め、眩い机を見下ろしたまま、頭髪を掻いた。ゴミが落ちてきたが、まるで気に留める様子はない。

 ……彼女は、酷い困惑に突き当たった。まさに、彼女が頼み込んだこの面談こそが、身勝手な親の処理そのものなのである。しかし、彼女は、自分の行為が不当なものだとは思わなかった。それは権利というもので、濫用ではない。極めて正当な権利の行使。それが何者かに迷惑を掛ける元凶だとすれば、問題は制度の方にあるのだ。私は決して間違っていない。

 彼女は、自分が、大人として誤った選択をしていないことは知っていた。しかし、段々と彼女の責任感は高じてきて、他者に迷惑を被ることが悪であると断定するようになっていた。それが彼女の特性でもあった。相手がどう考えるかを人一倍慮ってしまう。例えば、車で相手を追い越してしまうことはできない。前の車両の運転手が、速度の遅滞に傷付いてしまえばばつが悪いからだ。例えば、特売で商品の取り合いはできない。一家庭における即日の困窮に心を痛め、夜な夜な悪夢に魘されるからだ。例えば、相手を叱りつけることはできない。情緒の急激な変化に恐怖を覚えた相手方の行く末を案じて、眠れなくなってしまうからだ。

 こういう風に、彼女の周りには幾つものトラップが敷かれていて(無論それは彼女が作りだし、且つ彼女に特有のものなのだが)それを勘案しながら人生を乗り越えていく必要があった。だから、今回も自らに課したのは重たい自己責任だった。先生には頼らないと心に決めたのである。日々の職務に忙殺される先生は、恐らく、今日の約束などすぐに忘れるだろう。私が何か働きかけなければ、この一件もまた黙殺されるのだ。

 黙殺とは、本当に都合のいいものだ。自分に面倒なことが振りかかれば、黙殺が全てを丸く納める。その黙殺をわざわざ掘り起こそうとする抒情家なんて、政治の世界に片足でも突っ込まなければ、生涯において決して出会うことはない。そういう時代なのだ。そしてそういう時代に現に生きている。そういう空気があらゆる現場を支配していた。彼女もまたその支配の中に生きていて、それを疑問に思ってみもしないのだ。

 疑問に思うことは、マイノリティだ。マジョリティでなくば呼吸が難しい。それが苦労や苦難、困難というものだ。しかし、マジョリティであることが当然の日々を過ごしてきた裕美子にとって、この世界の本当の困難など、決してわかるはずはなかった。齢の三十を過ぎて、未だに甘い夢を見たような気分の中にいる。そして、それが幸福だ。幸福とはマイノリティにならないことだ。彼女は、その事実に言葉を与えようとはしなかった、与えるにはまだ若すぎたのである。彼女はまだ十代の気分で子どもを授かって、そして子どもと暮らして益々幼くなっている。一桁の子どもとよし付き合うには、中学生の精神年齢で充分なのだ。娘の場合、特にそうだった。息子の場合も、そうだった。しかし、いまや、息子の精神は数値で測ることを許容しない。人や動物を殺したがる精神は、年齢をつける作業を決して許さない。荒々しくて手のつけようがない。それを、彼女は、一人で背負い込むのである。

 彼女は、生まれて初めて、自分が不幸に陥っているような気がした。家に帰れば、息子がいて、また不穏な言動が一家を包むだろう。美優紀は怖がるだろうし、祐輔は将来を憂い嘆くだろう。そういう不幸が、いま確実に用意されていて、それを私は一手に引き受けようとしている。

 彼女は、溜め息をついた。気付くと人気はまばらで、どうやら商店街の方まで歩いてきてしまっているらしかった。平日の昼間にあって、人がまばらな商店街を、彼女は知らなかった。彼女にとって商店街は活気の象徴だった。いつでも温かい声の充満していて、人間的な繋がりの特に濃密なこの場所を、彼女という人格はすんなりと受け容れていたのだ。だが、今では、この場所が廃れたように見えるのは、まさか心の鏡ではないかと思案した。今まで幸福の象徴と信じていたものが、自分の幸福を見失うにつれ、何か砂の城のように崩れ去るのを感じる。例えば肉屋の店主には、柔道に励む五年生の息子がいる。大会毎に入賞を果たし、朝礼で表彰を受けるので、近所では有名な自慢の息子だ。彼女は、それを幸福だと規定していたが、今や、それは歪な形をして彼女を幻惑する一つの暴力だ。例えば大会で相手に怪我をさせてしまう、上のレベルに進むと練習についていけなくなってしまう、段々と柔道が嫌いになり非行に走ってしまう……。

 こういう風に、これまで考えることの決してなかった、あらゆる負の側面が彼女には見えはじめていた。隣の客が入らないおもちゃ屋の表面的な不幸はよくわかっていたが、その隣の繁盛している肉屋の見えざる不幸すらも、いましがた彼女に可視化されたのである。

 しかしこれは彼女を慰めた。どの家庭にも、大小の差はあれ不幸の粒子は存在していて、それが見えるか見えないかだけの差なのだ。それが見えてしまうとき、あるいはその見えたものがあまりにも大きいとき、人は傷付き疎外される。その社会の尤もなメカニズムを、知覚した彼女はもう年齢的には充分に大人だった。にも関わらず認識世界は停滞している。頭のなかにお花畑が咲いている。しかもその花々が揃いも揃って美しい。そして、それが決して世間のマイノリティとも言えないところに、現代の一つの恐怖があるのである。裕美子のような平和ボケの幸福者は、実はそう珍しくない種の平凡な主婦に過ぎない。

 彼女は、改めて商店街の様々な店を見回した。景色は変容を見せなかったが、彼女の認識のなかでは、これらの一軒一軒が実は暗い将来や不満の現実をかかえていることに明るかった。商店街の衰退は、これらの現実とはなんの連関もないが、しかし、心の幼い三十代の少女の新たな発見は、もはや哲学ではなく純粋なる好奇心なのだ。するとこの景色はなにか彼女にとって気付いたことの喜びとなり、無意味な生の躍動を生む。彼女は駆け出したかった。少年のように走り回りたかった。この喜びを誰かに伝えたかった。そして、その結果、息子の気持ちに少しでも寄り添えたらという母親の気持ちを忘れてはいなかった。彼女は既に心に据えるべく一つの核を取得していた。それは意識付けではなく自然な感情だった。この商店街は衰退しているのではない、経済の問題は彼女の情動に訴えない。彼女の体内に呼び掛けていたものは、物事をあらゆる側面から見たときに必ず生じる、正と負の両極端であった。

 どうして、私はこれまで、物事を懐疑的に見ようとしなかったのだろう。そこから気付くこともあるのだ。私は幸福の意味を知らなかった。どの家庭にも、幾らかの不幸が必ずあって、それを乗り越えることが幸福だ。苦労のない人生などあり得ない。私は、幸福と、怠慢の意味を履き違えていた。どうしようもなく襲ってくる天災のような家庭の不幸を、克服することで真の幸福がやってくる。不幸を避けることが幸福ではない。私の望んだ現実はただの夢想だ。そんなことはあり得ない。

 彼女は、厳しめの自己検閲をし始めた。物事に対して真剣な女の子のまま成長して、いまこうして不幸に突き当たっても、なお現実に向き合おうとする。例えば恋愛の悩みや結婚の苦悩、出産の痛みにしても、彼女にこういった不幸への思慮が欠けていたのは、側にある幸福の巨大さのためである。あもりにも巨大な、象徴のようなその幸福が、一般的に不幸と思われる事象を雲隠れにしてしまう。雲隠れにするのは彼女の性格である、何事にも自然と寛容で意味を探らない。

 しかし、彼女は、これからやっと人生の意味を探ろうとし始める。例えば何事もなしに踏みつけられる草花の痛みを、汚される水の悲しみを、斬り倒される山木の悲哀を、人間がもたらした自然界への不幸だとする綺麗事ではなく、それ自体が純粋な意味を持って幸福と称される現状に、不幸の側面を見出だすよう努力し始めたのである。手始めに彼女は自分の幸福を噛み締めた。高給取りの夫がいて、大層かわいい二人の子どもがいて、家庭には笑顔が絶えない。しかし、実は息子が人の痛みを知らない可能性としての異常者という裏の顔。この、あるいは世間的に糾弾されるかもしれない自らの家庭は、実は世間のマジョリティかも知れないという感覚が彼女を燃えさせた。彼女の粘着執はその矛先を定めた。

 息子を正常に戻して、世間様よりもっともっと幸福な家庭を、築こう。それが幸福の自然な作り方だ。






 裕美子が家路に着くと、既にそこは子どもたちの主戦場だった。純平の友達が大勢訪れており、茶の間が占領されている。

 彼女は、ため息をついた。自らが整えた部屋の様式が、ランドセルや、散乱したカードや、ゲームによって、荒らされている。(朝方放棄した家事のことは、彼女はもう忘れていた)子どもたちはそれを悪びれもせずに、「こんにちは!お邪魔してます!」と口々に挨拶をした。裕美子はそれを見て、この小さな少年たちの躾けられた行儀が、果たして良いのか悪いのかわからなくなった。子どもたちの顔には、無邪気な少年のそれが投影されていて、怒ろうという気にはとてもなれそうにない。そもそも人様の子どもを叱りつけるというのは、彼女にとって困難なことなのだ。例えばそれが原因で両親に告げ口されてしまう、両親が怒りそれが子どもに伝染してしまう、子ども同士のいさかいに発展して純平がいじめられてしまう……。

 こういう風に、彼女の思考は、基本的にマイナスのイメージを膨らませることによって生じる格別の配慮を基本の要素とする。彼女の行為の前には、必ずこの手の下準備がこしらえてあり、不幸な事故を未然に防ぐための予防措置となっている。

 しかし彼女は、もし、息子がいじめられるのだとしたら、息子が一体どんな行動に出るのかを、考えてみたくなった。まさに今、彼女は先程得た意識改革を実践しようとしていた。今までであれば、「いじめ」という言葉から連想していた完全なる負のイメージを、即座に廃棄へ追い込もうとする一つの人格者は、いま、更に優れてはいるが負のイメージを再生利用しようとする外面的な悪人となって、息子の状態を案じている。

 いまの息子からいじめという負を除外しようとする私の行為は、結局、あまり意味を為さないだろう。この子はいじめられない。いじめられる人間というのは、こう、なんというか……あまり言葉にはできないが、そういう雰囲気を持っているものだ。この子をいじめの対象とすれば、なにかとてつもなく大きな復讐をされるような気がして、皆は気が気でないはずだ。それがこの子の特性だ、やり返されることの恐怖感。

 彼女にしたってそうなのだ。思い返せば、純平は異常性を顕著にするようなことはなかったが、叱りつけることを許容しない鳥の目を持っていた。睨み付けているわけではないのに、何時でも鋭く光るその眼光。母親である彼女すらそれに気圧されて、叱りつけるべき場面で叱りつけることができなかったりする。その眼光はいまも輝いていた。皆が狂喜乱舞するテレビゲームの目の前で、独り冷静に現況を見つめている。裕美子にはあまりよくわからないが、独り純平が場をリードしているように思われる。多種多様なキャラクターの、目的不足の大競争。カートとカートがぶつかり火花が散った。息子が勢いよく押しきりトップを守りきった。皆の歓声が一斉に飛ぶ。どうして息子は、所持してもいないテレビゲームに注力して、皆を圧倒することができるのだろうと考えたとき、息子の顔に、だらしない、わざとらしい笑みが顕れたのを彼女は見逃さなかった。

 それは言おうようない不気味さを撒き散らしていた。初め硬質であった鉄の塊が、徐々に熱に溶かされて、奇怪な形へ変貌を遂げるような、明らかな外的要因による奇妙な変容。彼女は息子を訝しげに見た。それはすぐに冷却されて通常通りの表情に戻った……。

 このとき彼女に、明らかな懐疑と回顧とが生まれたのである。彼女は知らなかった。この表情の意味と発生の起源とを、自らの脳内から引っ張りだそうとして失敗した。知らなかったのである。息子の何もかもを知らないことを知覚し、彼女は母親失格のレッテルを自らに貼り自己嫌悪を感じた。彼女の誇りとしてあった、二児の母親であるという自負が、蜃気楼に過ぎなかった事実が彼女の身体を熱くさせた。成長?そんなものではない。あれは私の息子ではない。そんな風に思い込みたい彼女の熱意が先行して、無意味な理由で息子に声を掛けさせた。

「純平、なにかお菓子食べない?」こんな風に言ってみせたとき、彼女は、実の息子に対する言外の緊張で冷や汗をかいていた。

「え、お母さんなんかくれるの?」

「いまからそこのスーパー行ってくるから。甘いものでも買ってくるね」

「おー。ありがとうございまーす」

 純平の軽薄な感謝に続いて、同輩も挨拶した。彼女は、そそくさと逃げるように買い物へ出掛けた。度重なる街路の屈折を経るのもお馴染みになった近所のスーパーを訪れると、特に買うものもないことに気付いた彼女は、生鮮野菜の売り場に停滞した。深い考え事をした。切実な人生の岐路に立たされていることを感じた彼女は、あの街路の屈折を折り返すのが億劫になり、家の冷蔵庫に眠る今晩の食材も、調理してあげることはできないような倦怠を感じた。

 お総菜を買い、甘いものを買って帰ろう。お金はあるのだ、あとは帰るだけだ。しかし足取りは重いだろう。あの家を勢いよく出てきたのはいいが、結局私は帰られなければならないのだ。一体私が帰ったとき、あの家は、どうなってしまっているのだろう?恐らく、ただ、先程通りの喧騒が室内に満ちるだけだ。ただそれを積み重ねていった時、任意の回数を重ねた先には、廃墟となった、その昔には念願のマイホームであった、凄惨な我が家の姿を見出だすことにもなるだろう。

 阻止するんだ!阻止するんだ!

 彼女は二度思った。一度目は半ば衝動的に、二度目ははっきりと誓うように。すると足取りは、なんだか軽くなり始めた。彼女は使命を抱いて進む。それに責任が応えるのである。彼女の責任感は、人が思うよりも、一段と強い。並外れてはいないが、逃げ出したことは、人生の中で一度もない。小学校の学芸会、中学校の学級委員、高校でのテスト勉強、大学での恋愛。すべてはどこかで折り合いをつけたが、世間がみなすところの、逃げの選択肢を選ぶようなことは一度もしなかった。それが、彼女の責任感である。それは生まれながらのもので、親の教育の結果であり、彼女の人生の成果である。息子を諦めることはしない、この家を諦めることもしない。それを自分の人生だと信じ込んでいる。

 街路は、やはり、行きと同じように酷い屈折を伴っていた。しかし例えば、雑草は乗用車から跳ね受ける泥土を受けて薄汚く、線を結ぶ電柱の腰には犬の小便が薄く跡をつけ、ブロック塀には意図的に深い彫りがあてられている。これらが、スッと彼女の意識に入り込んでくる。

 彼女には世の中の不幸が、はっきりと見え始めていた。幸福の次に見出だされるはずの不幸が、初めから彼女に見えるのである。そして、その不幸が、彼女にとってたまらなく嬉しい。世界が広がり、新たなものが見え始め、家に帰るのが辛い数分前がまるで思い出されない。彼女はずんずん進んでいった。それら不幸なものをじっと見た。やはり不幸が、不幸のまま、不幸として、しっかりと存在していた。不幸はそこかしこにある。そこにも、あそこにも、そして私の家庭にも。家はもう目の前だった。質素な造りの屋根が夕陽を受けて少しだけたくましい。洋風のステンレスのポストを勢いよく開けた。そこに手紙が一通入っている。表面的には勇ましい彼女も、精神の内部では新たな認識のうちに獲得された不幸の理解に甚大な労苦を要しており、その癒しを幾分か欲していたので、びっくりするほど急ぎの様子でそれを開けた。

 今は東北で田舎暮らしをしている、両親からの手紙であった。なんとも古風なことに、この両親は、月に一度娘の家庭に向けて手紙を寄越す。その文章もいたく畏まっており、哲学めいた家庭の知恵をふんだんに盛り付けてくる。それを彼女は懸命に吸い込もうとする。幼稚園児のときからずっと変わらずに。左の文などはその数多の手紙の一例に過ぎない。

「川上祐輔さん、裕美子さん、純平さん、美優紀さんへ。

 調子はどうでしょうか?わたくしども、若干の老体の身であります故、日々の生活の全て満足とは言えませんが、非常に元気でやっている次第でございます。秋の深まりはむしろ朝を清々しくさせ、時折に吹いてくる風などは、冬の匂いを運んでくるようです。

 秋と言えば芸術ですが、私の勧める芸術は、庄野潤三『ザボンの花』です。ここには、大層な物言いや考えはありませんが、言葉にするのが難しい、なんてことない家族の日常の色というものを、非常に上手に伝えてくる技があります。しかしその技の上に立つものは、言うまでもなく幸福な生活なのです。舞台は、緑豊かな田舎の一家です。詳しく話すことはしませんが、こういった話は、当人がこの生活に満足していなければ書くことはできない、そんな予感を、この作品は裏切りません。家族という共同体において、環境というものの如何に重要であるか、あるいは絡まりあう要因であるかを、考えずにはいられません。

 川上家の周りにも、緑は豊かなことと存じ上げます。幸福な家庭というものは、一体どういうものか、それは、純平くんと美優紀ちゃんの声が茶の間に広がり、その広がりを邪魔せずとも笑っていられる両親の存在が、温かに見守っていることであります。しかし、それだけでもない。ぜひとも、それを見つけて欲しい。そして、そのような、日々の出来事に笑って人生の意味を見出だせるような一家を築きあげますよう、心から願っております。

 勉学に、運動、そして芸術。若者はどうにも忙しい日々に苦労が絶えませんが、老齢になって昔を振り返ると、その日々のなんとも輝いていたことが忘れられません。もう一度、あの日々に戻りたい。そんな風に願っても、歳をとることは止められない。あの石原慎太郎さんも、そんな風に仰っておりました。

 どうか、皆さんの日々を大切に。健康を祈ります。中村耕作

 

 祐輔さん、裕美子さん、純平くん、美優紀ちゃんへ。

 またお父さんが難しそうなことを書いて、どうもすみません。お父さんがお手紙をさらさらと書いてから、それを検閲するのが私の役目ですが、どうにも、難しい話題や言葉がたくさんで、純平くん美優紀ちゃんはあまりわからないかもしれません。おばあちゃんからは、一つだけ。勉強も、運動も、芸術も、たくさん挑戦して、けれど、頑張りすぎてもいけない。挑戦したいことはして、決して諦めないこと。願いは必ず叶う。そんな風に考えてください。

 祐輔さん、裕美子さん、いつもお勤めに家事にご苦労様。今度、ぜひお暇があればうちにいらしてください。老体二人で、やや退屈していたところでした。ぜひとも、若い力を分けてください。こちらもまだまだ負けないつもりですので。お待ちしております。中村智恵美」


 読み終えて、裕美子は、明日の土曜日、E県にある両親の自宅に、突然の宿泊を申し入れたい思いでいっぱいだった。即座に彼女はスマホを手に取った。懐かしの電話番号を押した。コール音が響く。彼女の母は常に忙しなく働き父は雑音をものともせず作業へ集中する。そういう性分なのだ。故にコールは何度も響いた。留守電になってしまいそうなほどの回数だ。しかしそのコールを切る必要はない。時代が進んで悪質な詐欺が横行しても、彼女の両親は、鳴り響くベルを見過ごして居留守を使うということができない。留守電になれば、またすぐにこちら側のコールが鳴り響く。

 そんなことがこれまでに幾度となくあった。かけ直してくる間合いの長大化が耳の衰えを表していて、その度に裕美子は心を傷めた。しかし、その分だけ巨大化していく元気のいい声量は、取るべき歳の取り方を教えてくれているような気がした。

 祐輔と結婚したばかりの頃、鳴り続けるコールの分だけ悲しみ、返ってくる元気の良さに励まされる、そんなお昼時があった。家事の思うように進まず、自分のあるべき姿を見失って悲しみに暮れるとき、確かに彼女は不幸を感じた。子育てが思うようにいかないとき、確かに彼女は不幸を感じたのだ。しかし、その度に幸福を回復させてくれたのは、この愛すべき両親の金言と、無為無策の励ましと、それに従い生まれる笑顔の一瞬に違いなかった。

 そうだ、確かに私は不幸を感じていた。不幸は至る所に存在している。ここにも、あそこにも、そして私という人間の過去にも。十年経って忘れてしまっていた過去が、いま、唐突の電話という行動を伴って、急速に思い出される。あのときの不幸を、不幸として認識させる以前に幸福に昇華させたのは、紛れもなく両親の行いだった。ああ、私はなんていう親不孝者なんだろう?

 ……コールはなおも響いた。夕闇が家屋をおおい始めた。この電話を終え、友達にお菓子を振る舞ったら、裕美子は、彼らに帰宅を促さねばならない。それは極めて根気のいる作業だろう。追い返すようなことは絶対にしたくない。そんなことはなんの得にもならない。帰りたくない息子の友達、追い返したくない母親、そして夜闇に紛れて帰宅する彼らを背後から襲う自動車の影や犯罪者の予感。双方に悪意のない行為が、無為の損害を被り不幸を生むのは、最悪の事態だ。

 両親ならきっとそんなことはしない。不幸の予感を経験則から敏感に察し、即座に彼らを家路へと促す。あるいは、一人一人を各家庭にまで送り届ける過保護にもなるだろう。それが正しいことかはわからない。けれど、私が考える不幸を打ち消すだけの思想の力は、備えている。この歳になっても親は偉大だ。とすれば、純平にとっても私達は偉大であり続ける必要がある、その義務がある!たった二人の子どもに偉大さを与えられなければ、私は本当に母親失格だ。

 私が純平に教えてあげなければならない。私と祐輔が、純平に生きることの意味や命の尊さを伝えなければならない。そこには、自分で辿り着くことが、ベストだ。しかし、今の私に、その力があるとは到底思えない。恐らくないだろう。今の私に純平の心震わせられるような命の金言などありはしない。……これまでそんなこと考えもしなかったのだ。わかるはずがない。教えてもらわなければならない。両親に、命の授業をしてもらわなければならない。この歳で授業を受けるのだ、恐らくこれが最期の授業になるだろう。

 コールは響き続けた。間もなく留守電になるというところだった、そこにきてようやく受話器の取られる音がした……。







 野郷村に来るのは、もう何年ぶりか知れなかった。夏の近づき立派な青葉や竹林が、ややも強かな陽射しを受けて、昔話風に咲き乱れる勾配の一角に、それらの刈り取られた簡易的な駐車場がある。そこに祐輔が頭から突っ込んだ。草を絡んだ嫌な音響がタイヤの底から響いた。確認してみると、強風に煽られた竹林からの、細く鋭い仲間はずれたちを、タイヤが踏みつけてしまったのだった。大丈夫?と形式的な心配をする裕美子に、苛立ちの一瞥を投げた祐輔は、大丈夫でしょ、と投げやりに言った。彼の苛立ちは、三時間もの遠路のなかで、断続的にやってきているものなのだった。踏みつけた竹の、人の骨が数十本も折れるような生々しい音に敏感な反応を示した子どもたちも、両親の不穏なやりとりを観測してからは、視線の先に眺められる裕美子の両親の一軒家で飼われる家畜のようにおとなしく、押し黙っていた。幼稚園児の美優紀がみせた表情には、恐怖の感情が明白だったが、純平の無表情には、どこか努めずとも無表情であるような違和があった。裕美子はこれに驚かなかった。この表情を、高速道路でE県に辿り着くまでの三時間のあいだに、裕美子は、ミラー越しに何度となく眺めてきているのであった。

「純平は、最近学校はどうだ?」「クラスで流行ってるのは、今はなんだ?」「勉強で、わからないとこはないか?」繕われた柔和な口ぶりは、いかな小学生といえども見破られるような、芝居がかった、古典めいた、優しげな父親の風貌があった。このような口ぶりには、昨日の裕美子の純平に関しての相談が、尾を引いて彼にこう言わせたのに違いなかった。昨夜の祐輔の狼狽ぶりは、職場業務内でのそれを遥かに凌ぐ、切実な問題に対する父親なりの思案に基づく狼狽であったのだ。無論これを話してしまった裕美子にもそれなりの責はある。しかし裕美子は、「どうして人は人を殺してはいけないのか」を、一人で引き受けたと心に誓ってはいても、祐輔にこれを内密にする必要はないと考えたのである。人は一人では生きていけない。担任に頼ることを否定したのは、相手の感情を慮ってのことだ。先生は、自分のものとして純平の問題を引き受けてはくれない。だったら私は、自分のこととしてその問題を引き受けてくれる同胞を、探すまでだ。純平に働きかける主体は私だ、私しかいない。しかし、そのために、同胞の手助けを借りることは迷惑ではない。それはただの有効な手段に過ぎない。祐輔は純平の父親だ、同胞として見定めて彼自身になんの損害もありはしない。

 そんな風な認識をして、昨夜、疲労困憊の様子で帰宅した祐輔がごはんを食べてお風呂に入り、テレビでも見たらもう寝るか、と言い出したときに、裕美子は、意を決して、我が子に襲いかかりつつある病魔の正体を明かしたのだった。

 二十二時を回って子どもたちは寝静まっていた。疲労の内側に忍び込んでくるような、ちょっと異常な解釈を必要とするその話に、さすがの彼も耳を傾けた。まあちょっと話そうよと言ってテーブルに腰掛けた。

 テーブルは、心なしか汚れていた。裕美子もまた内側に忍び込んでくる疲労の病に犯され、日常の家事が疎かになっていた。

 あのあと、純平の友達が帰ってから、落ち着かぬ心持ちをため息に映しながら、六時になると晩御飯を食べる川上家の習慣に倣って、裕美子は料理をし、それらを首尾よくテーブルに並べた。彼女の心に、なぜかトマトだけは避けようという逃避の思いが働いて、食卓は緑尽くしに子ども達の非難を浴びた。娘の美優紀はピーマンを嫌い、純平はほうれん草を残した。いつもなら許しがたい子どもらしさいっぱいの行為であったが、裕美子は、特にどんなお咎めも施行しようとしなかった。食卓での子ども達の話題は、そのほとんどが教育番組のアニメーションに興され、朝のごとき物騒極まりない特異な話題は、蜃気楼であったかのように消え失せたのである。

 裕美子はこの空気を壊したくなかった。ぬるま湯のように、弛緩した、偽の幸福の維持に奔走するべく叱責を回避した。なにか無用な刺激を加えれば、場はふたたび不可解な話題へ移行するかもしれない。恐怖感が先行して、あるべき姿を子どもたちに見せられない。

 彼女の情動は、右往左往していた。一度自らに宣告するような決断をしたかと思えば、ふたたび本人(無論それが実の息子であるのだが)を目の前にして怯んでしまう。それは祐輔を前にして同胞を引き連れようという段になっても同じことで、この息子をどう対処すべきかという計画に、無理強いを付すということができない。

 祐輔の言い分には、多少乱暴なところがあって、縄に縛りつけてでもそんな思想は矯正すべきだという、昭和がかった考えが発言の至るところに露見する。この古い思考は組織的に植え付けられた防衛本能の一種かもしれない。リスクのあるところは無理矢理にでも回避する、一種の特性染みたその衝動は、彼の十数年の社会人生活で身に付いた知恵の一角である。裕美子にこれを否定することはできない。否定は彼の尊厳を傷つけることと同義だ。それに、裕美子はこの方策に一種の可能性を感じていた。それは、父親と息子の本格的な精神の葛藤を通して得られる、純平の琴線に触れる情動の回復である。祐輔の、強行的ではあるが熱情のこもった矯正方法に、純平が人間たる感情を見出だしてくれれば、まずこの作戦は結果として御の字となる。この強行が仇となれば、息子の狂気はなおあらぬ方向へ進んでいく可能性もあるが、ゆっくりと時間をかける方法では手遅れになるかもしれぬという危惧が先行して、彼女は祐輔の行動を干渉しなかった。

 そういう内実もあり、車中での祐輔の啓蒙めいた語りには、些か躊躇のないところがあった。彼はマザー・テレサの話をし、ナイチンゲールの話をし、戦争の話をした。戦争の如何に悲惨で人道的でないかを、切迫感を込めて語りかける話法には、セールスマンの影を見る趣があった。これには裕美子も感心を禁じ得なかった。それは間接的な方法でありながら、命の尊さを直接的に訴える。しかも、幼い子どもを魅了する行く先の好奇心をもくすぐったので、純平も美優紀も眠らずに食い付いたのだった。

 しかし、三時間のうちおおよそ二時間をも割いたこの手の話が導いた光明は、皮肉にもほとんどゼロとしか言いようがなかった。むしろ状況は暗澹たる闇に飲み込まれてしまった後の停滞、どんよりとした空気感をたたえ動かない。純平の食い付きと美優紀の食い付きのベクトルがズレてしまう明瞭な差異が、元から怒りやすい性である祐輔の逆鱗に触れたのだ。それは単純だった。彼が命の大切さを訴えれば、美優紀は頷いて涙すら流しそうなのに、純平は至極つまらなそうにして上の空。そして、命の奪われていく凄惨な場面を朗読風に聞かせてやると、娘は怖がったのち正義感を燃やす正常を示すのに対し、むしろ純平は興味深そうに、楽しげにその話に耳を傾けているという精神界の異端児。「内蔵がこぼれ落ちて全身がうじに喰われ……」などという、今時女子高生でも金切り声をあげそうな話題に対しても、全面の好奇心が後部座席から滲みでてくる。それを見咎めた祐輔が、

「そんなにおかしいか?」と父親として息子に問いかける。

「そんなことないけど」しかし息子は努めて冷静な顔である。これが父親の怒りを買う主要因になる。

「人が死ぬとか生きるってのはな、簡単じゃないんだ。お母さんだってお腹を痛めて二人を産んでるし、お父さんだって身近な人を亡くして何日も何日も悲しくてなにもできないような時期を経験してる。もちろん、そんなこと訪れない方が幸せに決まってるが、黙ってても死はやってくるんだ。純平のそういう態度は、お父さん、正直違うと思うけどな」

 これはまだ、私的な怒りのやや抑圧された言葉だと、彼女は思った。相手の出方次第では、これは情緒的な叱責でなく、教育的叱責ということになる。しかし息子の返答は、

「いや、お父さん、別に死ぬことがおもしろおかしいわけじゃないよ。ただ、人間の身体が食べられたり穴だらけになったり吹っ飛んだりって、なんか不思議でおもしろいじゃん。それに昔の、誰か知らない人が死んだ話なんてされても、そんなのどうでもいいし」

 などと、父の説法めいた語りの真髄をことごとく理解しない。理解しようとしないのではなく、理解すべき先天的な情緒が欠落しているのではと思わせる、真剣な眼差しを彼女は見逃さない。そしてその後の戦慄するようなだらしない笑み……。

 彼女はこの笑みを焼き付けた。友達とテレビゲームで遊ぶ際に見せたあの表情は、ふたたび、こんな緊張した場面においても顔を出す。そのうちこの悪魔の顔が夢にまで出てくるだろう。この尋常ならざる悪夢の微笑に、びっしりと汗をかいて目を覚ますだろう。そんな夢想を抱かざるを得ない場面に、複数回突き当たるにつれて、祐輔は不愉快を顕にし、裕美子は憔悴すらを隠せない。祐輔の苛立ちはアクセルを踏む右足の圧力に還元される。そうして怒りに任せて勢いよく稼働するタイヤへと、竹や枝葉が吸い寄せられるに至ったのだ。

「まずは家まで行きましょ。二人ともご馳走をつくってくれてるみたいだから」

「うん……」祐輔は顎をしゃくり、細かく何度か頷いた。彼とて立派な社会人であるから、義理の父母を前にして、不機嫌を貫き通すというわけにはいかない。表情は固く引き締まり、感情の流出を許さない。娘の美優紀は、両親に押され無表情で歩いていたが、両親の和解と不意の柔和に、心のなかでは静かに安堵していた。

 家屋は、簡易的な駐車場を越え敷石の緩い坂を上っていくと、唐突に突き当たる。それは、築年数もそう古くない木造住宅である。都会を離れ田舎暮らしをする裕美子の両親は、この家の設計を、自らでおこなったのだった。門構えは小さいが玄関口は広く入りやすい。中は最低限の家具を揃えたきりだが部屋の数は多い。これらは、彼らが理想を追い求め人生に妥協しない、あるいは、現実に順応する能力があまり高くないかの、どちらかを意味していた。彼らは居丈高な外面を要求しないし、過度に内側を充足させようとも思わない。しかし、こういった田舎に移り住み、自分らの価値観を投影させた家屋を建てる程度に、適度に世間から逸脱する手法を心得ていた。

 だから裕美子は、あまり、物を深く考えない人間になった。行動を制限することは、思想を無限にする可能性を持つ。しかし行動を自由にすることは、思想を狭義的なものにする可能性を持つのだ。

 裕美子の場合、あからさまに与えられた自由は思考を狭めた。何をしても、倫理に背かない限りそれは肯定されたので、突発的な行為にも、判断を留保するという必要がほとんどなかった。そうして彼女は大人になり、いま、三十歳を超えて、息子と娘を一人ずつ育て上げねばならぬという段になっても、「人を殺してはいけない理由」さえ満足に説明することができない。それは確実に判断の留保を余儀なくされる話題である。これまでのように思考をおざなりにすることはできない。かつて、彼女が経験してきた種々の悩み、常人からすれば比較的少ないが、数にすれば決して少なすぎはしないその悩みも、すべては判断の留保を不可欠のものとしなかった。学級にしろ、恋愛にしろ、受験にしろ、当時は絶望的な落ち込みに悩まされた瞬間があったにしろ、結局前へ進むための模範解答を自らに言い聞かせれば、物事は自然と解決の目を見た。それは人並みの悩みであると同時に、制度がつくりだした然るべき壁、真っ当に生きていれば必然的に突き当たる作為的な壁なのである。

 彼女は、ものを考えなくとも然るべき道にしか人間は辿り着かないという哲学を、無意識のうちに内包していた。自己にふりかかる物事が、最悪と思われる状況に転んでいくことは考えられない。前向きに生きていれば、すべては好転していくのだという成功者のみに与えられた挫折知らずの特等席に、彼女は、この歳にして未だ腰掛けていた。(あるいは、この歳までその哲学を信じ続けたが故に、それが完全に彼女という人間に固着する特性となったかもしれなかった)

 自然体、そして田舎の高齢者のごとく生きることそのものに疑問を持たず固執しない、生物としての優性を、環境にして与えられたことは人生として幸運であった。しかし、いまこの歳になって、「人が人を殺してはいけない理由」さえ噛み砕いて説明することの出来ない現状が歯痒く、これまで思考することを怠らなければならなかった過去を、大層なま温いなかに生きてきたのだと述懐する。彼女は、それが一体何によってもたらされ、何のせいでこうなってしまったのかを、はっきりと突き止めてしまうことを善しとしなかった。現状を打破しようと願う前向きな心は、ここにきても、しっかりと仕事をするのである。さまざまの不安が押し寄せ彼女を幻惑しても、いざ両親の自宅を目の前にして、すでに異常な息子を引き連れているとなると、彼女は、医者にそれを治してもらえるかのような胸の高鳴りに任せつつ玄関扉のチャイムを押すことができた。しかもこの医者は、診察料をとらず、問題を拡大してしまうことがない。

「はいはい、いらっしゃい。いま開けるから」と、裕美子の母である智恵美の声が発されると、ドタバタと廊下を駆ける音がして、扉は横にガラガラとスライドされた。鍵はかけられていなかった。恐らく常習的に掛けられていないのだろう。

「お母さん久しぶり。元気してた?」「どうもご無沙汰してます、お義母さん」

「あらどうもね。純平くんも美優紀ちゃんも、はやく入って入って」

 智恵美に促され、四人は茶の間へと駆け込んだ。父の耕作が、ソファーに掛けて「暗夜行路」を読んでいた。破れかけのハードカバーは、何度読み返されているかわからないほど古めかしい。裕美子も一度、学校の課題がてらに、これを読まされたことがあったような気がする。しかし思い出せない。途中で諦めて、父に熱くあらすじを語られたような思い出が、嘘か信かわからないまま脳の端っこで浮かび上がる。場面ひとつひとつが、なんの暗喩であるか考えることを酷く面倒に感じすべてを放り投げたであろう中学時代、あそこから、私の思考放棄は始まっていたのだ……。裕美子は、定かでない記憶を引っ張り出して、それすらを自己の現状と結びつけてしまう。

 すでに彼女は、あらゆる物事を不幸の事象に結びつける達人となっていた。両親の何気ない行動や過去に、現在の自己の情けない姿が映し出されているような気がする。しかし、いい思い出がまるで浮かび上がってこないというわけではない。それだけ自分が幸せだったという過去に対し、当然あるべき感謝の念も感じている。

 私は純平を幸福にしてやれるだろうか?

 彼女は息子を見た。祖母に促されリビングテーブルについた息子は、母がもってくるという果物の盛り合わせにあどけない表情を見せた。それは少しだけ彼女を安心させた。鶏鳴に関心を示し、明日は鶏を触りたいと言った。それは祖父母を喜ばせた。

 すべてがすべて異常なわけではないのだ。こんなにも可愛らしい顔を覗かせることだってある。私にだって異常はあるかもしれないのだ。今日は昔話をたくさんしよう、悩みの全てを打ち明けよう。それは私に様々なことを学ばせるだろう……。

 一家はテーブルについた。リラックスした場で会話は驚くほど平穏に進んだ。何か淀んだ話題の一つでもあったろうか?裕美子は一つも思い出せない。昼から飲み始めた祐輔と耕作は早々に参ってしまった。二人の拮抗した日本酒の量が、あっという間に彼らを呑みこんで眠りにつかせた。子供たちを九時に寝かせるという約束はここに来ても守られた。長旅に疲れた二人は、あっという間に、寝息をたててぐっすりと眠った。茶の間には裕美子と智恵美の母子だけになった。

「急に静かになったね」

「そうね」

 茶の間には静寂が流れていた。これまで気に留めなかった鈴虫の鳴く声がよく響いた。それはバラエティの音をも掻き消した。ここは田舎だった。ベランダから遠方を見やるとあたり一面が緑の海だった。畦道に種々の植物が足並みを揃えて海を為していた。それは緑ヶ丘小学校の自然とは違った、本当の「自然」というものを感じさせる。

「ねえお母さん」

「なに?」

「……。」

「何かあるなら言っていいわよ。黙って聞くから。私が話すのはそれから。あんたが全部話すことを聞く。それから私の話すべきことがあるなら語るわ」

 裕美子は母親の懐を感じた。突然の宿泊に異変を覚えない母親ではない。この母親は少しばかりの度胸と時折の臆病を兼ね備えた、尤もな人間という趣を持っていた。裕美子の告白を受け止めようという度胸とそれを聞いてしまう臆病が、どちらも大きな影で彼女の内部を支配している。母親という存在の責任が彼女をしてあんなふうに言わせた。対して裕美子は、この母親への気遣いは、いらないのだと考えた。親子の関係を尊重すべきだと思った。洗いざらい話してしまおう、それが私の使命でもあるのだ。

「純平がなんだかおかしくなってるの。おかしいってなにも体調のことじゃなくて、人を殺しちゃいけないのはなんでかとか、犬や猫を殺してもいいじゃないかとか、急に言い始めるようになったの。でも思い出してみると、怖いことを言うようになったのは最近かもしれないけど、昔からあのこにはおかしなところがあったように思えてしまってる。一つ一つの回復可能な思い出が、実のところいまの危険な言動と結び付く発芽前の種子だったんじゃないかって、そう思えてくるの。なんでこんなこになっちゃったんだろ……。でも、ここに来て、悪いことばかりじゃないっては思ったの。お父さんやお母さんを相手にするあのこには、嫌な影が宿ることはなかったように思う。あれは警戒の色なのかしら?でもそういう人は普通警戒がないって聞くし、なんだか、益々わからなくなってきちゃって……。息子のこととなると、他人事じゃないの。私のこれまでの人生もすべて考えるようになった。

 ……お母さん、私って、そんなに考えない人間だったかな。こうやって、純平に明らかな不幸が訪れて初めて、やっと物事のいろいろな側面を見始めるようになった。人の死とか、悪とか、不幸とか。そういう難しいこと。もう三十五だよ?三十五になるまで、私の人生は幸福以外ありえないって、自然と考えてた。無意識に。だからいざ、こうやって純平に明らかな不幸が訪れているとわかっても、どうすればいいかわからない。私、どうすればいいんだろ?純平に、なんて言えば人を殺しちゃいけないってわかってもらえるんだろ?『人が人を殺してはいけない理由』を、どうやって説明したらいいんだろ?」

 こういうことを言った後の裕美子は、いつも自分の突発的衝動を責める。相手に対する格別の配慮が発動して、自戒の思いに苛まれるのである。しかし、今度は、待望のみが彼女の内部に占める精神の衝動だった。彼女は答えが欲しかった。この母親を身内、即ち純平の問題を自分のものとして引き受けてくれる同胞と見定めて、その答えを求めたのである。

「また難しいことを……。(と言って少し悩んでから捻り出すようにして)でも、考えて欲しいのは、あんただって小さい頃は、よくわからないことを言って私たちを悩ませてたってことね」

「え、そうなの?」

「色々あったわ。おかしな絵を書いたり、おかしなことに興味をもったり、意味のわからないことを言ってみたり。もう、思い出せないことばっかり。子どもって、そういうものよ。どこかおかしいくらいが子どもなの。そう思って、何も言わなかった。私もお父さんもそういう人だからね。どこか楽天的なのよ。たとえば、一番悪いこと。犯罪をしたり相手を傷つけたりしなければ、それで良いと思った。たとえ変わり者でも、おかしいと思われても、陰口を叩かれても、それでそのこが幸福であるならそれでいいと思ったの。だから何も言わなかった。テレビに出てる人って、色々いるでしょ?何回も整形してる人とか、すごいギャルの人とか、高校を一日で辞めちゃった人とか、もうわからないくらい普通じゃない人たちがたくさんいるけど、私はその人たちのことを全然嫌いにはならない。一等自分の好きな方法を貫いているから。それが、きっと一番大事なことなの。あくまでこれは私見よ?でもね、私はそうやって人生を歩んできた。いまここにいるのだってそうだし、あなたを育てたことだってそう。事実、あなたは決して脇道に逸れた人生を歩んだりしていない。幸福を信じて生きてこれたのは幸せよ。現に、今の今まで、息子の問題が目の前に浮かび上がってくるまで、あなたは、自分が幸福だと信じて疑わなかったわけでしょう?それは物を考えなかったということじゃない。それは私で考えるところの、最悪の事態に突き当たらなかったというだけのことよ。でも、いま、こうして初めてそれに突き当たって、あなたは恐れているんだと思う。あなたは息子に、恐らく犯罪の最も根源的なもの、最もわかりやすいものを見出だしたのよ。でもよく考えてみて。子どもなんて、好奇心の塊みたいなものよ。あなたは何かすごく急いでいるようだけど、好奇心が脇道に逸れていく可能性なんて、そんなにすぐに露見するようなものじゃない。じっくり時間をかけて、しっかりと対話をするように導いてあげるのが本当だと思う。あなただって、好奇心が高じて色んな変なことを言っていた時期があった。純平くんだって、ただの好奇心かもしれない。あなたが敏感になりすぎているとは思わない。子どもたちを考えて思い悩むのは、当然のことだと思う。……これまでの相談は答えがあったものね。私がヒントを与えてあげたら、あなたは自分で解答を手繰り寄せた。だからあなたはいつも、友達に気軽に相談するような面持ちだった。でも、今度は、本当にわからないのね……。すぐに答えは手に入らないかもしれない。私がヒントを教えてあげることは簡単だけど、それをしたらダメね。息子と話をするいいチャンスだと思いなさい。『人が人を殺してはいけない理由』は、二人でつくりあげなきゃダメね。タイミングを見計らって、聞いてみるの。相手に物を聞くなら、まずは自分の意見から述べる。礼儀よね?突飛な質問に惑わされて、本質を見失ってはダメ。私も思うことはあるけど、あなたはどう思う?って、自然な形で聞けるような場面を、見つけることよ」

 ……智恵美が話しているあいだ、対面の裕美子は、まったく押し黙って石像のようだった。聞き終えて彼女はハッとした。一番大事なことを突き付けられたような気がした。私にヒントを与えないということが、むしろ一周回ってのヒントなのだ。純平は、私の駒じゃない。あのこだって、感情を持った立派な一人の男の子だ。私にまず偏見があったのだ!それがとんでもない落とし穴だった。私のなかに、息子を変革させねばならない、私しか息子を導いてやれない、という傲慢があった。親子二人三脚で、乗り越えていくべき問題がそこにあるのだ。それに気付かせてくれた。……やはり母親は偉大なのだ。

 裕美子は母親の方を見なかった。母親も恥ずかしげに横を向いていた。それから話は様々な方向に飛躍しつつも、話題の底には純平という存在が常に潜んだ。夜はあっという間に更けていった。時折鶏鳴が高く響き二人の注意を惹いた。田舎特有の自然界のざわめきも、ひっそりと呼吸するような塩梅で聞こえてきた。

 こういうところで育ててやるべき人種だったのかもしれない、と裕美子は考えたが、しかしそんなことを思ってみても仕方がなかった。明日、この自然に触れてから、ゆっくりと帰れば良いのだ。自然とふれあい、家畜とふれあい、そして帰りの車でなくてもいいが、一度本気で向き合ってみればよいのだ。そうやっていけば良いのだ。それが息子の問題を解決に導くだろう。

 彼女は、家族三人が眠る寝室に、そっと足を踏み入れた。漏れいる灯りで、親子の寝顔が明晰に映し出された。

 なんと似ている親子だろう?

 彼女は夫以外を知らなかった。この寝顔を十年以上も見てきたのだった。荒っぽいところはあっても、根っこには優しさの養分をふんだんに含んでいる。息子もその養分を吸いながら、私の愛を受けながら育ってきた。それがあんなに頭のおかしなことを真顔で言うのだ。本当に、どちらへ転ぶかわからない不思議な子ども、その崖っぷちに立たされた親子、しかしその親だってどんな異常を含んでいるか知れないのだ。一体、私はどうなってしまうのだろう?

 彼女は、変な希望に胸を踊らせた。なんだか最近は楽しいことが多いように感じる。純平が変なことを言い始めてからというもの、数日も経っていないというのに、私の心境には新鮮な驚きとわくわくがある。これが幸福というものだろうか?違うだろう。では、一体何が幸福だというのか?これがそうだろうか?いや、少なくともこれは幸福ではない。そんなはずはない。などと堂々巡りを繰り返しながら、様々な息遣いの聞こえてくるが決して不快でない、いつもとは明らかに違う眠りを、その日彼女は何者かに脅かされながら眠った。

 

 朝は、卵から始まった。十羽も飼った鶏の、産みたての卵が朝の食卓に整然と並んだ。中村家の食卓には、川上家より二倍の品数が並び来訪者をあっと言わせた。ごはん、味噌汁、卵、卵焼き、サラダ、佃煮、大根おろし、筑前煮、そしてしそ巻きと白菜の漬け物。味噌汁の大根は細く刻まれ、大根は綺麗におろされ、サラダの野菜は豊富だった。そして朝の光に照らし出されてひときわ輝く白米の上の卵黄……。

「これ、全部鶏が産んだの?あのコケコッコーが?」と美優紀が聞いた。

「そうよ。美味しそうでしょ?いっぱい食べるのよ」と智恵美が言った。

「……」しかし純平はつまらなそうに無言だった。裕美子にはなんだか、息子の気持ちが少しだけわかるような気がした。智恵美は孫の無言を察した。

「純平くんは、焼き鳥の方が良かったかい?」と智恵美はなんの躊躇いもなく聞いた。裕美子は驚き母親を見、そしてゆっくりと息子を見た。息子の顔にあの笑みが顕れるのを恐れた裕美子は、咄嗟に整然と並ぶ産みたての卵を見た。

「え、あれって、食べてもいいの?」と息子の言う声を彼女は聞いた。鼓動が速くなった。とてつもない嫌悪と羞恥で、何者にも顔を見せられないような火照りを感じた。その顔が果たしてあの笑みをともなっているのか、想像だに恐ろしかった。誰かこの火消しをしてくれないかと、祈るほかに術はなかった。

「鶏は食べるものだから、いずれは屠殺するつもりよ。そこからの食べ方は自由だし、焼き鳥にするも、親子丼にするもそれはいい。ただね、そのときは必ず感謝するの。本当に涙を流すぐらいの感謝よ?……なかなかわからないわよね。よし、いい機会だから、命に感謝していただくということの意味を、勉強しましょう。お父さん、いい?」

 と智恵美は、「おらおらでひとりいぐも」を脇に置いて、静かに納豆ごはんを食す耕作にむかい、問いかけた。彼は一度だけ頷いた。遅れて「うん」と捻り出すような声を出した。祐輔と裕美子が、唖然として状況を理解するのに精一杯でいると、最年少の孫娘はあらゆる恐怖の先行きを察して、

「みゆ、嫌だ。見たくない!」と泣き出しそうになって反抗したので、隣に掛けていた耕作は、

「美優紀ちゃんはそのあいだ、じいちゃんと一緒にいよう。おもしろいゲームがあるから、iPadで一緒にやろうか?」と言って、屠殺場に孫娘を連れていかぬよう取り計らった。

「私達は、中で二人待ってるから、みんなで行っといで」と、耕作は優しく言った。それは川上家に宛てられた言葉のようにも思えたが、「わかりました。じゃあ準備をしましょう」とあたかも当然のことであるかのように平然として、妻である智恵美が返答するのだった。それは不自然でなかった。

 智恵美は、立ち上がると、広大な自宅の庭に併設された養鶏場へと向かった。約十羽の鶏が縦横無尽に、二本足での歩行大会を繰り広げている。茶の間から身を乗り出して、視界の端にようやく眺められる程の距離に、十羽の鶏は飼われていた。無論数々の屠殺の歴史が眠っている。

 茶の間には沈黙があった。川上夫妻が不意に目を合わせると、ベッタリと貼り付いたように離せなくなった。目の前で起こりつつある事象が、未だよくわからないが、どちらも、成り行きに任せるほかの思考を持たない。故に空間は、純平の好奇心だけが空気を読まずにヘラヘラと、抑えきれない欲望で支配していた。智恵美は、すぐに戻って来ると、手元に出刃包丁を構えていた。この場面になり、やっと夫妻は事の重大さを理解した。

「お母さん、ちょっと本気?」

「本気も何も、授業だからね」

「授業……」

 裕美子は、九歳の息子が出刃包丁を構え鶏を刺殺することの様々な危険性を察知しながら、なにひとつ、言えなかった。親と子の関係を、再認識した気分に浸った。

「命というものをしっかりと知る、いい機会でしょ。私も、あなたの心配が、なんとなくわかったような気がする。言葉であげるヒントより、こっちの方がよっぽどいいでしょ?」

 裕美子は、頷いた。酷く納得したような気がした。後年の自己が備えるべき一つの性格を、開示されたような想いだった。

 

 耕作と美優紀を残し、一団は庭へ赴いた。十羽の鶏が歩き回る姿は、いざ目の前にすると不思議と滑稽でなく、むしろ悠然としており、それなりの異臭を撒き散らしてはいるものの不快でない。純平は走らずに追いかけ回した。それはストーカーの犯行前を思わせ事件の匂いがたちこめた。一羽でもひとつの袋小路に追い詰めたとき、この息子は誰にともなく不敵に笑ってみせるだろう。裕美子は下唇を噛んだ。智恵美はそれをよしとしなかった。振り払うように出刃包丁を地面に投げ捨てると、見本のように迅速に一羽を捕らえ首元を押さえこんだ。

「首元を押さえて血管のところを切る。血が流れて暴れるから、袋に入れて逆さにする。そして動きが止まるのを待つ。命を絶つのはここまで。ここからは、感謝して食材になるまでの工程を進めて、いつも通りのいただきます。そのときにいただきますの、本当の意味がわかると思うわ」

 裕美子は、力強く言い切ったようにみえる母親の声に、若干の震えを悟られないよう画策する気取りが、にわかに宿っていることを思った。生来の優しさが臆病を生み、そうして生まれた臆病を隠すために力強く生き、そうした力強さに不意に傷つけられた人々を慈しむ優しさを持つ……。そういう母の人生が、いま、息子というスクリーンを通して、映し出されていることの不思議を、何とはなしに見守っていた。

 息子と母親が、鶏を一羽捕まえに群鶏へと駆けた。勢いよく智恵美が一羽を押さえ、そこへ重なるように純平が押さえこむと、徐々に智恵美の手が力を失って、離れた。一度首元を押さえこまれた鶏は、抵抗すべき手段を欠いて、ただ足元を軽くバタつかせているだけに過ぎない。それは、九歳の腕力でも充分に支配可能な、弱い存在に映った。息子は長らく鶏のバタつきを静観していた。時折その微弱な抵抗の音が鳴りやむと、軽く揺すったり叩いたりした。周りの人間は、皆彼がしている行為の本質を理解できない。片手でも鶏を押さえこめるようになった彼は、ゆったりと大人達の方へ歩み寄り、智恵美から出刃包丁を取り上げた。智恵美は鳥の眼をしていた。彼がその眼差しを覗きこんだように裕美子は思った。すると智恵美の目は、子犬の眼になった。彼は智恵美に見向きもしなかった。

 ……裕美子は末恐ろしい気になった。テレビ越しのような気分で息子を傍観した。彼はゆっくりと、刃先を鶏の頚動脈付近にあてた。刃先と皮膚の表面とが擦れあう度に、身体がビクビクと苦痛の予感に蠢いた。彼は不徳の笑みを浮かべ鶏の眼を覗きこんでいた。眼を覗きこみながら、幾度となく頚動脈に刃先を突き立てては離し、突き立てては離した。三人の成人は、これがなんらかの儀式であるかのような神聖な面持ちで見守っていた。誰も注意を喚起することはせず、ただただそれを見守っていた。皆その手捌きに職人気質のもの、極めて触れられぬ聖域のごときものを見たのである。

 後にそれは恐怖に変わった。彼は刃先を体内に押しいれ、のこぎりを扱うようにゆっくりと引き、ふたたび押す、ということを繰り返した。我にかえった大人達の取り乱した大騒ぎが、母屋で遊びに耽っていた耕作と美優紀にも気付かれるほど響いた。出刃包丁を強く握りしめる彼の手は吸盤のように貼り付いてなかなか離れなかった。大人三人がかりが、がっしりと彼の身体をとりおさえた。……






 帰り路の車内の重苦しさは、当然と言うべきであった。とりおさえられた純平の脇で、智恵美は、熟年らしからぬ態度で、泣き出してしまったのである。裕美子は見たことがなかった。母親の子どものような泣きじゃくりを、生まれて初めて目の当たりにして、思わず彼女もすすり泣いてしまった。父は衝動的に息子をひっぱたいた。しかし彼はそれを振り払い、鶏の首を強く圧迫し続ける暴挙から、本物の自分という存在を閉め出すことができずに、なおも鶏の首元をギリギリと、骨の軋むまで握力測定のごとく握り潰そうとした。父がそれを即座にとりおさえた。鶏はその日中に絶命した。

 

 月曜日があっという間に来た。父親は、頑なに医者に連れていくことを拒絶した。どこを切り取っても堅い職の人間というのは、異常を嫌う性質を備えている。この男の意固地は、嫁が物を考えない性質に起因して、ますます頑固なものとなっていた。夫が道筋を定めてやらねば、この女は、無思慮の行動を何度繰り返すか知れない。だから、こうやって大方のことは、亭主関白の彼が決定権を持った。

 裕美子は、自分の母親さえも泣かせてしまうこの悪魔的能力をもった息子を、どうすればいいのか、まったく手立てが思いつかなかった。裕美子の父の耕作は、泣き帰ってきた智恵美を見て、情けないと叱責するかと思いきや、むしろ純平を中心とした川上一家を、非難するような眼差しを見せ始めたのである。

 裕美子は、相手の目を見るようになっていた。相手の眼を、その奥深くにすんでいる感情の色を、見定めようとしはじめていた。すると耕作の目には、長年連れ添ってきた妻をいたわり、孫というかわいくはあるがやや遠い存在を睨み付けているような感覚が、彼女が紡ぎ出した妄想の内にあった。しかし耕作は誰も責めなかった。妻には「あっちで休んできなさい」と言い、孫には「いい経験になっただろ。また来るんだよ」と優しく言った。そのとき彼女は目を見なかった。しかしその物言いには、善人たることを性急に肯定しようとした熟年の男の、贋の優しさがあるように思った。

 彼女は、人間に悪が宿る一歩手前、誰もが思ってはいるが決して行為としてそれを紡がない人間内部の悪意を、見出だした。(これは特殊能力ではなく、悪意というものが見え始めた彼女における、いまや基本的な能力だった。)

 ああ、両親さえ心のなかで息子を糾弾する。そう考えた彼女に、さまざまな希望の芽が潰えた。いまや頼るものはなくなって、異常性だけ顕著になった息子が目の前にいた。その息子がトマトを食べていた。意図的に出したのではない。ミネストローネをつくったら、たまたま大きく切られたトマトが息子のものに入っていて、彼はそれを、ものを言わずに食したのだった。文句はなかった。そして物静かに学校へ向かった。あの行動からの父の呆れ、それによる寡黙、そして施される冷遇にも、彼は無頓着だった。いまの息子には、あらゆる事象が気にならないことのようだった。

 無頓着であることは裕美子にとって、ありがたくもあり悩ましくもあった。こういった父の無遠慮な行動を抑止すべき自分という存在が、温厚であり平和主義者であるために妻としての正常な働きをせず、息子が不必要な「態度の暴力」を受ける。無頓着であることはそれを自然と打ち消して、妻としての怠惰を包み隠してくれる。しかしそれは、息子が自分の行動に否がないと信じこんでいること、鶏をいたぶり殺すことに疑問を持たないこと、自分の異常を認識できないことを意味していた。

 ……命の授業は、失敗に終わった。信じられないほど一瞬で、というよりは、それを信じる間もなしに、終了した。そして、裕美子は、失敗と絶望の前に独りぼっちになった。息子の心配だけをして日中の家事をこなした。最低限のことをこなし終えると、急に死への魅惑が閃いて、自分が死んだ後の世界を切実に考えた。しかし彼女は即座に振り払った。相手の命を重んじないことと、自分の命を重んじないことは、同義だ。こんな状況に立たされたからと言って、死に吸い寄せられるのはおかしなことだ。私は決して死んだりはしない。死は、望まざるものであり、自然にやってきてしまう悪魔だ。そう考えた。自殺は彼女から最も遠い望まざる土地に根をおろしていた。

 しかし彼女に死は恐ろしくなかった。今夜の献立は、チキンのトマト煮込みにする予定だった。苦痛から死んでいったあの鶏とは異なるが、同じ種別の鶏を、一家は食す。彼女にとって死は、実は、恐ろしいものでなかった。それが前日の異常体験を通して知れた。あんなに凄惨な場面に立ち会ってなお、チキン絡みの食物にありつける精神なのだ。しかもトマトを添えて。それはなにか、異常な息子への逆療法的なものでさえなく、一種の嫌がらせを含み、その実自分が関与しない死に対しての、ひとつの冷酷の発芽であった。

 だが殺人は恐ろしかった。息子が起こす殺人行為を思い浮かべて、彼女は、居ても立ってもいられなくなった。美優紀の送迎バスを出迎えて少女をひとり家に残し、小学校まで息子を迎えに行った。黒系統のラフな格好で、正門の影に成人の女がひとり休まっていると、それはどう見ても不審者にしか思われない。しかし学校という法から解き放たれ自由の身になる息子を想像すると、離れることはできなかった。

 校舎から出てきた息子は、いまから友達と遊ぶところだよ、と言った。裕美子は咄嗟のうちに、ぜひうちで遊ぶようにと誘導した。こうすることで家も法律になるのだ。こうすることで息子は、常に、法律に閉じられて生きていける。それはまったく安全な方法だ。法律になり得ない場所はすべて私が法律にしてしまえばいい。とりあえず、今のところはそれで、充分だ。

 

 それから時は一週間を経た。裕美子は毎日、飽きもせず、下校する息子を正門で迎えた。他所の家に遊びに行かせることは、まずなくなった。学校といえど級友を傷つけてしまう可能性、我が家といえど級友を傷つけてしまう可能性、そして寝室で眠る我が身をここぞとばかりに傷つける可能性……それらは、どうあっても確実に残されている。しかし彼女は、それを考えようとしなかった。それを考えてしまえば、彼女の気は、狂ってしまったかもしれない。他所の家に遊びに行かせるとき、彼女は、このときだけはとばかりに、必要以上に気を揉んだ。いつ帰ってくるのか、いつ帰ってくるのかと、時計ばかりを気にして時を過ごした。しかしそんなことをしている間というもの、娘への対応が、家事が、それにともない少しずつ粗雑になっていき、家庭のあらゆる歯車が狂い出したのだ。

 祐輔がそれを咎めた。裕美子は思わず言い返した。あなたが何も手伝ってくれないから、こうして純平が間違った方向へ行かないよう気遣っているのだと、強く言い返した。このとき夫婦にこれまで生じ得なかった溝が生じた。どんなに悲しいことがあっても、彼女は怒鳴り散らさない人間だった。その自分との誓いを破ってしまった、それがいつもの彼女に暗い影を落とすはずだった。しかし彼女は、そんな自分を、看過した。相手の内部を見透かす能力に長けた分を、自己の内省に蓄えるほどの余裕がなかった。だから彼女は、夫に対して、謝罪のひとつしようという気にもならなかった。純平のことを考えてあげられるのは、自分しかいないと、もはや盲目的になった狂気ともいうべき精神状態で、息子を監視しつづけた。

 

 そうしてまた幾日か経った。裕美子の行動に疑問符をつけるものは、一等増えた。夫に始まり近所が噂し、それを娘が察知した。娘は幼稚園の友達に言われ気付いたのだった。美優紀の通う幼稚園は、そのままほとんどが純平の通う緑ヶ丘小学校に進む。故に兄弟姉妹のつながりが連絡網をつくって、又聞きに裕美子の監視を耳にする保護者が多くいた。そしてそれが、結局、耳のよく口に留め具を持たない子どもたちに伝染するのだった。

 しかし美優紀はイジメを受けたわけではなかった。ただ幼稚園の同級生たちが、若干の距離を置いてきたり、心配そうに「みゆちゃんのお母さん大丈夫?」と聞いてくる異常事態から、母親の行動が世間的に芳しくないものであることを悟った。ここでこの賢明な娘がとった行動は、母親を蔑ろにした父親への告げ口だった。お父さん、なんか、お母さんヘンだって、幼稚園のみんなに言われる。こう言われて黙っていられる仏の度量を、彼は如何様にも持つことができない。彼はふたたび裕美子を咎めた。彼女は、何か世間との微妙なズレが生じていることを、悟った。そしてそれが、彼女が理解し始めた不幸を導く元凶であることも、よくわかった。

 私の行動は、確実に、家族との不和を生じさせる一因になっている。そんなことは私が一番よくわかっている。でも、何も方法なんてない。世間様に、家族に、私自身にいい顔をしつつあのこの犯罪を止める方法なんてない!隣のAさんや幼稚園のBさんが噂しているから、だからそれがなに?いま、現に純平が暴れださないうちは、この一家は至って幸福なのに、これを止めたら私がどう感じ、一家がどうなるかを誰も考えてはくれない。祐輔は、それを考えてくれない……。

 彼女は夫しか知らなかった。これが愛なのだと信じていた。愛の行為に至るとき、彼は愛していると何度でも口にした。けれど平穏ばかりではなかった。言い合いの喧嘩だってした。しかし先に彼女が謝れば、彼は必ず許してくれた。そうして十年の月日を過ごしてきた。仕事で遅くなった夫を待つ時間も、慰める時間も、浮気の予兆など微塵もみせない仕事に疲れきった顔も、彼女には幸福に思われた。すぐに楽しみのひとときはやってきて、そうしてすべてが清算された。精神を甘やかしつづけてきた累積をいまの彼女は見ているのだった。

 祐輔は、一度、この一家を方向付ける話し合いに向かわなければ、事はどうにもならないと感じていた。いまや営業職の長となり、部下をとりまとめる役職を得ている。あいつは無能だ、こいつも無能だと、苛立ちながら数字に追われ他者を判別してはいるが、こうして自分の家族を顧みて、如何に職場の部下が従順で扱いやすいものであるかを知る。

 うちの人間は、思慮深さが著しく欠けている。壊れゆく家庭の音を聞きつけて彼は考えた。しかし彼とて、それほど、ものを深く考える人間ではないのだ。追われるべき事柄に追われつづけて、この年齢まで来てしまったことを、休日の夜にふと考えたりもする。

 自分は、上司や、部下、取引先や、役職、出世のことを考えて生きてきた。無論そこには、問題を解決に導くべきプロセスの存在は明らかだが、その言葉の奥に潜む存在の意味を、考えるようなことには至らなかった。ある種固められた方法論を追求したり会得したりすることに躍起になって、それがうまくいかないと、同僚と夜の街にくりだしてはすべてを流した。俺のなかには、常に、世間からの逃れがたい監視の目があり、それを背負っている。そして、そこからはずれる自身の規範から逸脱した行為に、俺は特別なまでの生来的な嫌悪感がある。一体、これをどう解決しようか……?

 彼は、裕美子に甘えている自分を、自覚しようとすることを嫌った。はっきりとした意識のなかで、妻に甘えている自分を時折見出だしては、正当化にまかせてそれを流した。実際、裕美子は幸福の表情をしていた。喜怒哀楽の感情を滲ませることは無論あった。しかし負の情動を清算する行為の裏には、いつだって彼女の幸せそうな表情があった。彼女は常に、生き甲斐を見出だしながら前に進んでいける生まれながらの日光を浴びていた。そして、それは彼自身にもあるものだ。彼は彼女の、自己の鏡となったその性質を、世間からはずれることのない真っ当な人間性を、愛したのかもしれなかった。

 歳を重ねるにつれ、二人は様々のことを知った。世に言う勉学の知識は高校を境に少しずつ減っていったが、そのぶん人生というものの意味を確かめるように生きてきた。友人に文句を言うこともあった。親に不安の在処を吐露したりもした。しかし文句を重ねていく途中に、相手への罪悪感を見出だして、駆け付けた。いつも謝るのは裕美子の方だった。しかし祐輔とてその感情を顔に顕したりはしたのだ。そうして驚くべきほど繰り返される歴史のような月日の流れを、懐かしむ余裕さえあったこの二人は、この場面に突き当たってようやく種々のことを理解したのだった。本質的に埋められぬ溝の生じている可能性を、幼い観念を盲信しすぎたそのツケを、常に社会の正当であった自分らがそれを外れたときに如何に脆い存在であるかを、理解したのだった。


 その夜、祐輔は、裕美子を呼び出しリビングで向かい合った。精神的距離の生まれ冷えた寝室で、眠りにおちた子供たちを間に挟んで顔を付き合わせずに話すことは、最適の匂いを漂わせた。しかし彼はそうしなかった。夕刻、彼は、こそこそと電話する裕美子を、不意のうちに見出だしたのだった。彼女は母親と電話をしていた、裕美子は謝罪の言葉を連呼した。一体、何を謝るべきであったと言うのか。祐輔は彼女を不憫に思った。彼は、久方ぶりに、他人の内情を慮った。

 もっと俺たちの根本的な問題に迫らなければ、この不幸は、一生尾をひいていくだろう。俺は離婚や不倫とは無縁の男だ。いざとなれば、金を払って時間と快楽を得るだけで、それにつきまとう社会的損失を徹底的に排除しようとさえする。俺は、肉体と理性の葛藤する場においても、冷静に社会性を買うような男だ。そして、それを捨てられない自分を俺は知っている。知っていて、それが幸福を導くとわかっているからこそ、こうして来るべき数字や期日に合わせ、己を鍛練してきたのだ。その鍛練の意味が壊れようとしているいま、存在の源に迫ろうとする議論の一つ交わせないような知能で、俺は生きてきたわけじゃない。そんな知能の女を引き取った覚えもない。問題を解決しようと願い、ぶつかり合う日のいつか来ることさえも、予想していなかったわけではないのだ。だとすれば、俺はこの女と、安全性ばかりを考慮して結婚したのではないと、わかるはずだ。

 向かい合った時刻は二十二時に迫ろうとしていた。二人とも冷静になれば声を荒らげたりはしない性質であるが、裕美子には嫌悪の態度が露骨で、話し合いには、些か向かないような雰囲気だった。しかし夫は既に話し合うことを腹に決めていたので、彼にとり場の空気感は、特段問題にならなかった。

「こうやって二人で話すの、久しぶりな気がするな」

「そう?子どもたちのことは、こうして話し合ったし、何かぶつかり合うことがあれば、それだってこうして話し合った」

「……いや、今回は、それとは少し違うよ。単に方法や解決策を考えることとは、今回は違う。二人のもっと深いところから、最適じゃないかもしれない答えを、導かないといけない。純平が、普通じゃない様子なんだ。裕美子が取り乱すのも仕方ない」

「別に取り乱してるわけじゃないでしょ?純平が大変なことになってるから、私が私で考えて、一番の策をとってるだけじゃない。祐輔は、いまのいままで、何一つしてくれてないじゃない。自分の好きなように語って、子どもを変えられると思ってる。会社の人たちと子どもたちは、違う。何も考えないで、ただ自分に従っているだけじゃ、あのこは変わらない。

 ……やっと、そんなことに気付いた、そんな簡単なことさえ知らなかった。祐輔は、まだそんな簡単なことさえ知らないんじゃない?いままで、私たちの間にあったのは遠慮とか、世間体とか、そんなのばっかり。最適じゃないかもしれない答えってなに?祐輔が用意している最適は、いつだってそういうものでしかない。私のやっていることが、最適だとは絶対に認めてくれない!どうしてそうなの、最適ってなんなの?最適解かどうかなんて誰かが決められることじゃない!祐輔は、結果さえ良ければそれが最適解になるんでしょ。こういうふうに答えのない問題に突き当たって、それって、果たして意味があることなの?人が人を殺してはいけない理由を、祐輔は本当に、自分の深くから捻り出すことが出来るわけ?それで最適解を導けるの?そんなんで、事はどうにかなるの?そんなこと誰もわからないでしょ!人が人を殺してはいけない理由を、祐輔は言えるの?」

 彼女はほとんど泣き出していた。もう半ば、自分でなにを言っているのかわからなかった。夫は冷静になれよとなだめた。この男は、妻がややヒステリックになった瞬間に、いままで考えていた根本的な問題に迫るということの意味を忘れた。そんなに感情的にならなくたっていいじゃないか。こう言った自分を、どこまでも正当な人間として、俯瞰した。

 夫は、話し合いをする気を完全に削がれ、妻を抑制するよう機械的な言葉を並べたてているだけだった。妻は何もわからずに、ただ、どうすればいいかわからない、と呟きつづけた。

 しかし本当にどうすればいいかわからないわけではなかった。彼女は、初めて夫に本音で反抗した自分を、自分の内部に、見出だした。この調子で、息子にも、なにか琴線に触れる一言を言えるのではないかと、その能力の幅を過信した。彼女は少し嬉しくなったが、しかし妙な責任感に溺れ下を向いた。彼女は夫の表情を見なかった。

 そのとき、階下の騒がしさから起きてきた二人の子どもに、夫婦は、突如遭遇した。二人の子どもは異様な対比を為し、夫婦の前に忽然と現れた。裕美子は、

「なんだ。このまま二人がずっと喧嘩してたら、俺が殺してでも止めたのに」と息子が言いだしそうな気がして、さきほどの自信を丸ごと喪失した気分に陥った。目眩がした。男という種族全般への酷い嫌悪がたちあがり、彼女へ襲いを為してきた。夫婦は掛けるべき言葉を見失い押し黙った。

 誰の目も見たくない!と裕美子は思い、勢いよく娘の手をとり、いつもと違う寝室へ潜り込むべくリビングを後にした。その間の異様な静寂。そうしてリビングは父と子の二人だけになった。

 息子は黙って、この厳格な父親の前に立っていた。

 親子の顔は緊張しきってどこか似ていた。しかし父親は息子が恐ろしかった。その正体の一番よくわかるはずなのに、次の行動のなにひとつ読めないことが末恐ろしいのだった。

 父親は次の行動を予想しようとした。この息子の奇異な言動が自分と一対一になっても発露するかという当然の疑問は、父親に生まれないでもなかったが、しかしそれを上回ってあまりある彼の贋の熱情は、この息子に自らの正当な意見をぶつけるとすれば今ではないかという決定的な場面に、自分が計らずもぶつかっているという錯覚を見せ、彼の一時の疑問をかき消した。息子の目を見た。息子が行動を起こす前に、自ら立ち上がることが必要だ。彼は考えた。

 ……しかし何を言えばいいというのだろう?

 という金縛りのような一つの思考が突然彼に立ち上がり、やはり先程の贋の熱情は即座に萎えた。なにひとつの有効な言葉は存在しないように感じられた。言葉のまるで通じない原始人。そして彼は、「人を殺してはいけない理由」など絶対に語り得ぬ自己とそれを認識しないだろう息子を認め、やはり、黙った。

 明日、俺が目覚めると、この子どもは得体の知れぬ怪物に変貌しており、自分の親を殺しにかかるだろう。なんの変哲もない日常作法のような動作、それさえ隠せばいつもと変わらぬ鋭い顔つきで、実の親を惨殺してみせるだろう。それは即ち、俺自身だ。という衝動のような思考が彼によぎり、この息子を横に眠らせることは酷く困難で、生存本能的にもそれは不可能でないかとさえ思われた。

 しかしこの親子は二人並んで眠りに就いたのだ。裕美子が既に、娘の美優紀と二人並んで寝息をたてている場を覗いた彼は、この息子を引きとり別部屋で共に眠ることを決めたが、その間息子をリビングへ一人置き去りにすること、息子のための布団を用意してあげること、眠る前の息子をトイレへ行くよう促すこと、これらは、やはり酷く困難なことに思われ、息子が目を閉じ寝息をたてはじめても、父親はどこか気が気でなく、どうしてもその日中眠ることができなかった。

 それでその日の未明、やはり父親の堂々巡りの思考は、この息子が生まれてからのあらゆる記憶、あらゆる負の情動が露出する場面、育児への怠慢をむさぼりつづけてきた自分の過去、その異常に気付きながらも決して息子と一対一で向かい合わなかった子育て意識の希薄さ、妻に対して掛けてきた迷惑の巨大さ、それらと結び付く場面を掘り起こしての身体の熱くなるような自己嫌悪と、恐ろしいほど鮮烈につながった。

 生きるということの恐ろしさ、自分という人間の恥ずかしさに気付いた彼は、かつて彼の父親が、彼が婚約したばかりの頃のとある酒席で陽気に話してみせた、こんな言葉を思い出した。

「年老いたときにどれだけ孤独をかかえこみ、その孤独をどれだけうまく処理できるかということが、問題なんだ。それ以外は大した問題じゃない。自分の子どもというのは、いつまで経っても子どもなんだ。それは決して大人に変わることがない。だから、大人に変わっていく自分の子どもに気づくことなく、今日まで来てしまった俺を、これから大変だとつくづく思うよ。俺は自分の子どもが大人になってしまっていることに、はっきりと気付いてしまったから」

 そう笑っていた父親の表情と言葉を、はっきりと思い出した。それ以外は大した問題でないのだと、自らの妻を横にして言えてしまう尊大な父親。しかしあるいは、それがいま、俺の新しい教科書になるのだろうか?俺はこの歳にして孤独を抱え込むだろう。この息子を『子ども』などと思うことはもうないのだ。そして異常だけが顕著に聳え立って俺を脅かす。俺は新たな孤独感を恐怖で穴埋めせねばならないだろうか、それはいかにも気の重たく悲壮感に溢れる……。

 しかしこの新たに生まれた異常を核にして、おれ自身を奮いたたせるサクセスストーリーが、果たしてあるだろうか?俺が父親としてこの息子の異常を克服させようと願い、恐怖をはね除け孤独を握り潰すような情熱が、まだおれにも微かに残るとすればそれは幸運だ。だがその意気込みは、果たして二日後に意気消沈する持続性の希薄なものでないだろうか?

 彼は奮いたつ自分の情熱とそれに成功し息子を救い出した喜び、頓挫した後の深い孤独、どちらかに転ぶだろう自己の近未来を考えた。あきらかに思考を占めるのは頓挫した後の深い孤独だ。彼は受動的だった。自ら行動を起こしてみようとは決してせずに、ただ自分の奮い立つだろうどんづまりの機会を待っている。ただ、待ち受けている。

 そのとき彼に、決算期に伴い迫る人事異動の存在が過った。彼は今の課に着任して二年半になるが、短い場合、このくらいの在任期間で異動の辞令を受けることは珍しくない。彼の課から北海道や九州、あるいはロンドン、ニューヨークに転勤した例は少なからずあり、それは彼にまったく新しい生活をもたらし家族にも迅速に波及する。彼は新しい生活形態を考えねばならない。

 その起こりうる辞令でもって、俺が離婚という最終決定に踏み切る可能性はあるだろうか?と彼は考えた。

 あるいは仕事という都合よき名目を盾に、妻子を日本に残し、ひとり国外へ逃亡するように渡航するだろうか。そのとき俺に残るのは自由と解放、自分という人間の生の軽さ(しかしこれは善し悪しだ)、そして全てを裏切り逃げた自分への莫大な羞恥の遺産だ。あるいは俺がすべてを抱え込み、家族ともどもの国外移住を試みれば、俺は自分の熱情気概を称賛するとともにこの堂々巡りの思考と一生付き合うことを決定的にするだろう。やつが真っ当な社会人となり独り立ちでもしない限りは、まず俺は確実な厄介ごとを背負い込み生きていくことが確定する……。

 しかしもしかすると、ニューヨークやロンドン、スウェーデンあたりで育ててやるべき男なのかもしれない。日本の教育が適合せずに出現する、あの醜悪な殺害愛好家。それを海外の空気がすっかり清浄な人間に変貌させることもあるかもしれないのだ。だとしたらそれはこの一家を、ふたたび幸福な日常へ連れ戻すかもしれない。

 彼はそう考えた。しかし彼はなにひとつ教育の在り方を知らなかったので、謂わばこれらの思考は、完全に彼の願望込みでの空想に過ぎなかった。空想はさまざまに形を変え、結局一つの淡い希望をいだき彼の元に戻ってきた。そして元の形を幸福と信じ込み、その回復のみに一家の至上命題を見る彼の、いまや最も恐ろしい行き詰まりは、妻の妊娠の発覚なのであった。しかし最も恐ろしい事象を避けようと終わらないこれら一連の息子の暴挙、あるいは潜在性の発現は、やはり彼に重たくのしかかり朝を迎えた。この父親は、あらゆる避けるべき事象が息子の異常につながっているという最も根本的なことに、気付かない。

 

 さて、当の妻は、安全な娘を横にして驚くほどぐっすり眠りについていた。彼女はさまざまの夢を見た。自分がライオンの夢を見ることができたかどうか、彼女は全く覚えていない。

 

 

  二○二二、三、一一

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