【5-13】
受け取ったコップ自体は常温だけど、注がれているお茶は冷えているようだ。コップの素材にされている木がダークブラウンだから分かりづらいけれど、ジャスミン茶のような色合いの液体のように見えた。
立ったまま飲めばいいのか迷っていると、近くに重ねて置かれていた座布団のような薄さのクッションをひとつ取ったリュリちゃんが、それを僕の前に置いてくれる。
「はい、どうぞ」
「あ……、ありがとう、リュリちゃん」
「どういたしまして!」
無邪気な笑顔を見せたリュリちゃんは、自分の分のクッションも取り、そこへ座る。イラさんも片手でトレーを持ったまま、もう片方の手でクッションを敷き、腰を下ろして胡座をかいた。──なるほど。この二人にとっては、床に座るのが当たり前なのかな。ジルもカミュも椅子やベッドにしか座らないから、新鮮に感じる。
とはいえ、僕自身はもともと畳に座ったり寝転んだりすることに抵抗の無い人間だ。ありがたくクッションの上に正座した。
いただきます、と言ってから、リュリちゃんが淹れてくれたお茶を飲む。「いただきます」の文化が根付いていないこの世界の人間である二人はきょとんとしていたけれど、そこを追求はしてこなかった。
一口飲んだお茶は、紅茶と烏龍茶をミックスしたような風味で、とても爽やかな後口だ。よく冷えていて、すごく美味しい。もう一口飲んでから、僕はリュリちゃんに笑いかけた。
「とっても美味しいよ、リュリちゃん。ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして! おかわりもあるからね」
「うん、ありがとう。このお茶は初めて飲んだけど、なんていうお茶なのかな?」
「えっ! ミカさん、マッ茶を飲んだことないの?」
──なんだって?
「えっ……、抹茶?」
「マッ茶。冷たいお水の中でえいえいってするだけで、簡単に淹れられるから、暑い季節に無くてはならないお茶なのに……、魔王はお茶を飲まないの?」
「いや、そんなことはないんだけど……」
カボ茶は、かなり限定的な地域で飲まれているお茶だったはずだ。それを魔王が愛飲しているという情報を流してよいものかどうか、躊躇ってしまう。カボ茶からキカさんを辿ることも出来るかもしれないし……、イラさんやリュリちゃんがその情報で悪巧みをするとは思えないけれど、用心するに越したことはないはずだ。
僕の内心での葛藤を知ってか知らずか、リュリちゃんは「ふぅん、そうなの」と受け流した。代わりに、マッ茶についての情報を補足してくれる。
「マッ茶はね、淹れてすぐに飲んでも美味しいけど、果物と一緒にしばらく漬けてから飲んでも美味しいの。だから、ミカさんも魔王におねだりしてみたらいいと思うわ」
「確かに美味しそうだね。手に入らないか訊いてみるのもいいかな。……城に、戻れたらね」
横目でチラリとイラさんを見ると、姫は僕の後押しをするかのように言った。
「イラ。ミカさんのこと、魔王のところに返してあげるんでしょ? 魔王は悪い人じゃないもの」
イラさんはマッ茶を一気飲みして、空のコップを床に置きながら唇を尖らせる。
「……悪い奴かそうでないかは、まだ決まってない」
「えぇ? だって、イラはいつも言ってたじゃない。今の魔王になってから、プレカシオン王国の魔物が大人しくなったって。この国の魔王は、よその国の魔王と違って悪い人じゃないんじゃないか、って。城にいるはずの手下を大事にしてるなら、魔王はきっといい人だ、って」
魔王に対して、そういう見方をしてくれる人もいるんだなぁ。なんだか感慨深くなってイラさんを見つめると、彼女は違う意味で受け止めたらしく、小さな唸り声を上げた。
「分かった。分かったよ。とりあえず、ミカは返してやる。私だって、真正面から魔王と対立するのは嫌だからな。ひとまず、魔王に遭遇せず安全に返せそうな場所を探してくるから待ってろ」
「あ……、返してくれる気があるなら、今だったら、さっきの浴場の中に戻してくれれば平気だと思うよ。今ならまだ、長風呂だってことで誤魔化せると思うし。勿論、イラさんやリュリちゃんのことも絶対に言わないって約束する」
一応は誘拐されたみたいだけど、イラさんに悪意があったようには思えないし、ジルやカミュに余計な心配も掛けたくない。丸く収まるなら、それが一番いい。そう思っての提案だったのだけれど、イラさんは気まずそうに顔を歪めて頭をかいた。
「いや……、それは出来ない可能性が高い。同じ場所に空間を繋げるのは、難しいんだ。自分の魔力を込めた目印を置いていれば、話は別なんだが」
そう語るイラさんが、近くに転がっている握り拳大の白い石を指差す。おそらく、あれが目印のひとつなんだろう。
「とにかく、安全な空間の繋ぎ目を探してくる。姫と待っていてくれ」
「あっ、ま、待って……!」
さっさと立ち上がって手のひらを宙にかざし、空間に例の黒い穴を開けているイラさんの背に慌てて声を掛ける。ちょっと面倒くさそうに振り向いた彼女へ、僕は簡潔に問い掛けた。
「何か訊きたかったんじゃないの?」
そのために、イラさんは僕を「盗んだ」はずだ。でも、彼女はフッと笑う。
「もう答えは貰ったから、いい」
「えっ?」
「お前にとって、魔王は良い奴なんだろう。そうじゃなきゃ、そんなのんきな顔で帰りたがるはずがない。じゃあな」
言いたいことを言ったイラさんは、僕を返品するルートを探るべく、身軽な動きで黒い穴の中へ入ってしまった。




