【2-20】
食堂へ行くと、大テーブルの上には既に料理が並んでいた。綺麗な盛りつけによって、料理がさらに美味しそうに見える。
入口付近に立っていたキカさんと、入室したジルの視線が交わる。二人の間に一瞬、緊張が走ったような気がしたけれど、険悪というわけでまもない。先に口を開いたのは、ジルだった。
「……先程は、声を荒らげて悪かった。お前がミカを悪し様に思っているわけではないと、分かっている」
「……ううん、あたしのほうこそ悪かった。ミカに配慮が足りなかったのは本当だから。……あとさ、」
「……ん?」
「あたし、結婚することになったんだ。普通の人間と。……だから、魔王の花嫁候補を名乗るのは今日で卒業する」
謝ったついでにさらりげなく伝えてしまおう、というあたりがキカさんらしい。ジルは驚いたように目を瞠ったあと、温かく笑った。
「そうか、おめでとう。……よかったな」
本当に祝福していると伝わる魔王の笑顔を、キカさんは眩しそうに見上げている。彼女もまた、スッキリとした笑みを浮かべていた。
「ありがと。……魔王の花嫁候補がいなくなっても、ジルは大丈夫だよね。カミュもミカもいるんだもの」
「そうだな。俺のことは何も心配ない」
「うん、……そうだよね」
「ああ。……だが、時々はマレシスカに来てもらわないと、うちの食事係が泣いてしまう。だから、無理のない程度に顔を見せに来てくれ」
僕はそんなことで泣いたりしないよ! ……と、思ったけれど。ジルの言葉は、ちょっと寂しそうなキカさんの心中を察してのものだと分かっているから、黙っておくことにする。
ジルの優しさが伝わったのか、キカさんは嬉しそうに微笑んだ。
「任せて! ここの食料の備蓄が無くなっちゃう前に、ちゃんと補充に来るわ。おばさんになっても、おばあちゃんになってもね!」
和やかな空気になったところで、どこからともなくカミュが姿を現した。
「では、皆様お揃いですし、食事にしましょうか。飲み物を配りますので、どうぞお席にお着きください」
「カミュ、何か手伝うよ」
彼なら魔法で済ませちゃうんだろうけど、それでもなにか役に立てることがあればと声を掛ける。しかし、温厚な悪魔は紅眼を優しく細めて微笑み、首を振った。
「いいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。ミカさんは長い階段を往復してお疲れでしょう? くつろいで、美味しいものをいただいて、ゆっくりお休みください」
「そ、そんな、お気遣いありがとう。でも、全然疲れてないよ」
ジルもちょっとそんな所があるけれど、カミュはその何倍も僕に過保護なような気がしてならない。慌てて首を振っている間に、カンテラのことを思い出した。そうだ、お礼を言わなくては。お言葉に甘えて席に着きつつ、カミュへ向かって小さく頭を下げる。
「そういえば、カミュ。さっき、魔法でカンテラを届けてくれたでしょ? 助かったよ。どうもありがとう」
「お役に立てたのでしたら、何よりです。ミカさんが転んでしまう前にお届けできて良かった」
……カミュもジルも、やけに僕が転倒することを心配しているけど、そんなイメージでもあるんだろうか。僕、この城に来てから転んだことって一度も無かった気がするんだけど。
僕が少しモヤモヤしている間にみんな着席して、水と果物ジュースが配られる。本来であれば魔王と僕が同じ食卓を囲むのはおかしな話かもしれないけれど、僕たちにとってはこれが当たり前になっている。キカさんも特に違和感はないらしく、両手を組んで食前の祈りと思われる短い黙祷をしていた。僕とジルとカミュは「いただきます」と言い合い、食事がスタートする。
「ねぇ、ジル。まずはパレドを食べてみて! ミカが頑張って捏ねたのよ」
「他の料理もミカさんの頑張りの証ですが、やはり最初はパレドがいいでしょうね」
「僕だけじゃないよ。キカさんとカミュの協力がなきゃ出来なかったんだから」
「ああ、もう……、わかったわかった。三人で雛のように騒ぐな。まずはお前たちのオススメをいただこう」
苦笑したジルが指を振り、籠に山盛りになっているパレド──つまりパンをひとつ、魔法で引き寄せた。まだほんのり温かいであろうそれを半分に割り、さらに一口分にちぎって口の中へ放り込んだジルは、黒曜のような瞳をほのかに輝かせる。
「うん、美味いな。久しぶりに食べたというのを差し引いても、これはかなり上手く出来たパレドだと分かる。頑張ったな、ミカ」
「いや、だからっ……、キカさんの教え方が上手で、カミュの火加減も上手だからだよ。僕は初めてで、生地を捏ねたくらいのことしかしてなくて……」
「ご謙遜を。パレドの肝は生地作りだと、マリオさんもアビーさんも仰っていました。ですから、この大成功はミカさんの努力の賜物です」
「そうよ、そうよ! 僕のおかげで美味しくなったんだ、くらい得意気に言って胸を張りなさい!」
さすがにそこまで堂々とは出来ないけれど、今夜の「美味しい」に僕もしっかり関われたんだって思うくらいはいいのかな。そう考えると嬉しくなって、口元が緩む。それが伝染したように、他の三人もそれぞれに笑っていた。
美味しい、って言い合いながら、みんなでごはんを食べる。
それが当たり前の日常だという人はたくさんいるんだろうし、逆にそういう機会がなかなか無い人だってたくさんいるだろう。
僕は実際に後者の人間で、温かい食卓を囲んでくれる相手は、ほぼいないに等しかった。唯一、一緒にいてくれた人も、すぐにいなくなってしまったから。
──あの夢みたいな十日間に、ずっと焦がれていた。
あの頃のような温かさを、今、魔王と、悪魔と、彼らの数少ない友人が、僕にも分かち合ってくれている。
ああ、なんて幸せなんだろう。
美味しいって、幸せだ。
美味しいを分かち合えるって、本当に幸せだ。




