【2-19】
ジルの私室を目指しながら窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっている。城内のあちこちに蝋燭が灯されているけれど、手元に照明が無いと少し心もとない。
カミュにカンテラを借りてくればよかったかなと後悔していると、背後から何かが近づいて来る気配がする。ビックリして振り向くと、火が灯されたカンテラが僕へ向かってふわふわと飛んできていた。暗いことを察したカミュが、魔法で送り込んでくれたんだろう。後でお礼を言わなくちゃ。
ありがたくカンテラを受け取って、黙々と階段を上って行く。最上階のジルの部屋の前に立ち、扉をノックすると、すぐに「入っていいぞ」と返答がある。
「ジル、入るね」
「ああ。……どうした?」
夕方に訪れたときと違って真っ暗な室内で、ジルは相変わらずベッドの上に座っていた。ただ、呆然としていたわけじゃなく、灯りをともして何か書類らしきものに目を通していたようだ。
「仕事中だった?」
「いや……、手紙が来たから目を通していただけだ」
「手紙? ここって、手紙が届くの?」
僕がここへ来てからというもの、配達員のような人を見かけたことはないし、何かが届いていた記憶も無い。キカさんが行商に来てくれたから、ようやく食材も補充されていたくらいだし。
ジルはゆるゆると首を振り、持っていた紙をぽふりとベッドの上へ放った。
「此処へは配達物は届かない。まぁ、魔王に手紙だの荷物だのを届けたいと思う奴もそうそういないからな。……ただ、一人、こんな俺に手紙を送りたいと考える物好きがいてな。飼っている鳥を使って、手紙を届けてくる」
「へぇ……、鳥って賢いんだね」
「鳥が賢いのもあるが、高度な魔法技術での指示が必要になる。……あいつは、やっぱり凄い奴なんだろうな。相当な変人だがな」
ぶつぶつと呟いたジルは小さな溜息を零し、僕をじっと見つめてきた。
「──で、お前はどうしたんだ、ミカ?」
「あっ、そうだった。夜ごはんが出来たから、呼びに来たんだ」
「……そうか」
ジルがちょっと微妙そうな顔をしたのは、キカさんのことが気になっているからなのかな。でも、仲直りだってしたいはず。僕の言葉に効力があるとは思えないけれど、カミュとキカさんに言われたとおりに伝えてみる。
「パレドを作ったんだよ。初めてだったけど、すごく美味しく出来たんだ。完全に冷めちゃう前に、ジルにも食べてほしいな」
「……ああ。すぐ行く」
ジルはのそのそとベッドから下りて、こちらへと近づいて来る。僕のカンテラがあるからか、彼が部屋で使用していた光源の火は全て魔法で消していた。
「念願のパンが上手く作れて満足したか?」
カミュと同様、ジルも僕の言葉に合わせて話をしてくれようとする。二人とも、本当に優しい。
「うん、すごく嬉しかった。材料が揃ったし、作り方もキカさんが丁寧に教えてくれたし、明日からもまた作れそうだよ」
「それはよかったな。俺も食べるのが楽しみだ」
魔王は柔らかく目を細めて僕の頭を撫でてから、さっさと部屋を出て行く。急いでその背を追うと、ジルはハッとしたように歩行速度を落とした。──気を遣ってくれたのかな?
「ジル、普通に歩いてくれて大丈夫だよ? 僕、早歩きでも全然平気だし」
「いや……、ミカが転んでも困る。これで行こう」
「そう? ありがとう」
「別に……大したことじゃない」
ジルにとってはのんびりしたスピードかもしれないけれど、僕にとってはいつもの速度で、二人して食堂を目指して階段を下りていく。
「そういえば、手紙を読んでいたんだよね。すぐに返事をしなくて大丈夫だった?」
「ああ、平気だ。カミュやお前と相談してからじゃないと決められないこともあるしな。相手も、返事が早く来るとは思っていないだろうし、全く問題ない。……ただ、手紙が来ていたことは、マレシスカには伏せておいてくれ」
「え……、内緒なの?」
「ああ。……マレシスカの立場を思えば、定期的に外部と連絡を取っていることは伏せておきたい」
「あー……、でも、今は……、あー……」
キカさんが「魔王の花嫁候補」を自称していることを気にしているのかな、でもキカさんは結婚することが決まっているしもう大丈夫なんじゃないかな、でも、それはキカさん本人からジルに伝えるべきだよね、──という思考のブレが、そのまま言葉のブレに直結してしまった。
ジルが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ミカ、どうした?」
「う、ううん、なんでもないよ。僕からキカさんには余計なことは伝えないようにするね」
「ああ、頼む。──おそらく、第三星図期間に入ったら、手紙の主がここに来るだろう。それに、冬が終わるにつれ、魔王への勝負を挑んでくる輩が出てくるはずだ。……だが、どんな奴が来て、お前に何を言ったとしても、ミカは何も気にしなくていい。俺とカミュがついている限り、お前に危険は及ばない。絶対に守る。それは覚えておいてくれ」
夜闇の中でも際立っている漆黒の瞳は、とても真剣だ。彼は魔王としての立場や環境から、僕のことを色々と案じてくれているのだろう。それは、夕方に交わした会話からも十分に分かっている。
だから、僕も笑って頷いた。
「うん。ありがとう、ジル。ちゃんと覚えておくね」
「ああ、覚えていてくれ」
ジルがほんのり微笑んでくれて、僕もなんだか嬉しくなる。相手が笑っていると自分も幸せ、というカミュの言葉を思い出しながら、僕の口角は自然と上がっていた。




