【2-16】
「あっ、う、うん」
キカさんのマイペースさに飲み込まれるような気分ながらも、僕は頷く。エプロンをつけなきゃ、と思ったけれど、そもそもずっとつけたままだった。
そんなあたふたしている僕の側へ、ついーっとカミュが近寄ってくる。ぴたりとくっついてしまいそうな間近でこちらを見下ろす紅い瞳は、にっこりと微笑んだ。
「ミカさんって、誰かに甘えることが得意じゃないでしょう?」
ドキリ、とした。宝石のような紅眼に全て見透かされているような心地になる。
「誰かに思いきり甘えたことも、我儘を言ったこともないのでしょう。だから、キカさんの言葉に戸惑っているのですね」
「うん……、言われてみれば、そうなのかも」
「そうやって何でも真面目に捉えるのはミカさんの素敵なところだと思いますが、もっと気楽に考えられてよろしいかと。変に意識してしまっても、ジル様が気にされるでしょうし」
そう言って、カミュは再びふわりと距離を取った。
「まだ先は長いのですし、少しずつここでの生活や我々に慣れていただいて、少しずつ少しずつ、遠慮という名の壁を取り払ってゆけばよろしいのでは?」
「遠慮という名の、壁……」
「そうです。親しき仲にも礼儀は必要ですが、分厚すぎる遠慮はただの壁ですね。私たちはまだお互いに、様子見して、足踏みして、相手の領域へ入り込むことを躊躇しています。……もっとも、ミカさんは先程、ジル様との間の壁を少し薄くされたようですが」
にこにこしている目の前の悪魔には、城内の出来事は全て筒抜けなのだろうか。ギョッとするけれど、不思議と嫌悪感は無い。それは、彼がどこまでも友好的で、広い視野と深い優しさの持ち主だと分かっているからだろうか。
「……僕、たぶん、甘えるとかは上手く出来ないと思うよ」
「ええ、それでよいのです。それもまた、ミカさんの個性。ただ、例えば、ジル様がミカさんのためを思って何かをされたとき、それがミカさんの迷惑にならないのであれば、素直に厚意を受け取っていただけたら幸いです」
カミュは柔らかな微笑を浮かべたまま、綺麗な姿勢で浅く一礼した。燕尾服も相まって、格式高い役職の人と対峙している気分になる。思わず、無意識に会釈を返してしまった。
その数瞬のタイミングを狙っていたかのように、キカさんがパチンと両手を打ち鳴らす。
「さぁ、さぁ、結論も出たところで、そろそろ本当に作るわよ! ……あっ、でも、その前に、」
何かを思いついたらしい彼女は、近くの台に置いていた大皿に盛っていた焼菓子──花の形をしたマドレーヌのような焼菓子をひとつ手に取り、差し出してきた。
「さっき食べてなかったでしょ? 試しに一個、食べてみて。美味しいわよ!」
「うん、ありがとう。いただきます」
小腹が空いたように感じていたこともあって、ありがたく焼菓子を受け取る。ちょっと行儀が悪いけど、立ったままかじってみると、口の中にふんわりとバターのような風味が広がっていった。表面がちょっとカリカリしてて、中はふんわりともっちりが共存している不思議な食感だ。
「うん、美味しい……!」
芳醇な香りでコクがある味だけれど、くどくないし甘すぎることもない。ほどよい甘さの菓子が好きな僕は、一瞬で大好きになってしまった。
「でしょー? メルマ、っていうのよ。ここの世界では、子どもから大人まで、みんなが大好きな定番のお菓子ね」
「へぇ……! うん、すっごく美味しい。僕がいた世界にも似たようなお菓子があったけど、こんなにもちもちしたのはあんまり無かった気がする。あと、貝の形をしてるのが多かったかも」
「ああ、マリオもそんなようなことを言ってたわね。ここでは、花の形が主流よ。地方によって象られる花が違うことが多いし、同じ地域でも家や身分によって違う花だったりもするわ」
惑星レベルで世界が違っても共通するものがあったりするんだなぁ、となんだか感慨深い。全く同じじゃなくても、少しでも共通点や類似点を見出すと、なんだか嬉しいものだ。前世に未練や思い入れがあるわけじゃないけれど、二十年も過ごしていた世界なのだから、それなりに愛着が湧いていたのかもしれない。
キカさんがメルマをもうひとつくれたので、遠慮なくいただく。カミュも同じように立ったまま一個食べていた。満面の笑みでもぐもぐしている大男の姿が、なんとも可愛らしい。
僕たちが食べ終わるのを待ってから、キカさんは腕まくりをした。
「さーて、と。まずは、パレドを作ろうか。ミカも作りたがっていたみたいだし」
「ミカさんにとっては『パン』というものになるでしょうね」
キカさんの言葉を、カミュがさりげなく補足してくれる。ありがとうの意味を込めて頷いてみせてから、僕も腕まくりをして気合を入れた。
──いよいよ、パン作りだ。これでようやく、米以外の主食が増える。料理のバリエーションも増えるはずだ。キカさんに教えてもらう一回で習得できるように、頑張ろう!




