その娘、手持ち無沙汰になる
ルディリアが1月に魔法研究室の室長補佐になってから早3ヶ月が過ぎた。
現在暖かな陽気が差し込む季節。
執務室の室温も心地良く、たまにポカポカと暖かい日差しと涼やかな風にうたた寝をする季節である。
そう、現在、サウスライドは気持ち良さげに執務机に突っ伏しながらお昼寝中である。
3ヶ月前とは違い随分と部屋は片付き綺麗になった。
出しっ放しの資料はファイルに入れて棚にしまっている。3ヶ月前はお飾りだった棚も見事に本来の役目を果たし、床には書類が消えた。
残りは使っていない机とルディリアの机、サウスライドの机に残っているものだけで、後10日もあれば綺麗に片付く予定だ。しかし、書類は毎日増える。日々熟していかなければ溜まる一方だと言うのに、サウスライドは隙を見れば逃げだしたり、仕事を放り投げたりしている。
ルディリアはこの3ヶ月で好奇な目を向けられるこのローブにも、研究員達との関わり方にも、仕事にも慣れたが、如何せんこの男――室長には慣れない。
ルディリアが研究室で仕事をしている研究員達から研究の成果を聞き、要望や提案をまとめて戻る間の出来事である。
ドアをノックしても、声をかけても返事がないため強行突破すると、室長は気持ちよさそうに寝ているではないか。ルディリアは出来るものならば大きなため息がつきたかった。
まぁ、全く予想していなかった訳じゃないけど…。
もう少し仕事が進んでいたら嬉しかったな…。
サウスライドの机には、朝ルディリアが本日分として課した仕事が半分以上残っている。そして本日の勤務時間は既に半分が過ぎた。
「さて、どうやって彼にやる気を出させるか」と悩みに悩んだ末にルディリアは食料庫へ行くと、渋めのお茶を用意し、お茶菓子は辛口を選んだ。
そして、室長室へ戻ると、この暖かな日差しが悪いのだろうと、薄いカーテンを引いて室内の照明を強くする。そしてサウスライドを起こしにかかる。
「室長、起きてください。まだ勤務時間中です。」
声をかけたり、肩を軽く叩いたりという優しい方法では彼は起きないとルディリアは学んでいた。その為サウスライドの身体を大きく揺すり声をかける。それでも起きない場合は水魔法を駆使して起きてもらうほか無い。そろそろ、魔法を使おうかというとこでノックする音が響いた。
「室長、ルディリア様。お客様がお見えです。」
研究員達には自分が一番年下だから敬語や敬称は不要であり、名前で呼んで欲しいと言ったのだが体裁を整えることは必要だからと押し切られ、「室長補佐」と呼ばれることとなった。
ルディリアも仕方無く受け入れてはいるがむず痒くて仕方がない。そんな中一部の仲の良い研究員や歳の近い研究員は「ルディリア様」と呼ぶ。そして今回室長室に来たのはアイゼンだと気配とその声で気がついた。
ルディリアは急いでドアを開け、お客様が誰なのかをアイゼンに尋ねる。サウスライドは未だ熟睡中であるが仕方無い。お客様対応を優先させなければならない。折を見て室長を起こせばいいとルディリアはサウスライドを後回しにした。
「室長はまだお休み中で…、お客様とはどなたですか?」
アイゼンは「あぁ、またいつものか」とルディリアへ同情の眼差しと、サウスライドへの呆れた眼差しを向けると大きな息をつくとルディリアに向き直る。
「室長の弟君であらせられる、クラウスト騎士団長様がお見えです。…どうしようか。」
弟君。
アルンベルン公爵家 次男のクラウスト様。
ルディリアが配属されてから弟君がお見えになったのは初めての事で少し戸惑う。どのように対処すべきか、と悩んでいるとアイゼンが今までの対応について話してくれた。
「えーっと、クラウスト騎士団長様がお見えの際はいつも室長室にそのままお通ししていて、室長のサボり癖についてもよーっくご存じです。」
「成る程…。それじゃいつも通りにお願いします。私は室長室を起こしてみますから。」
アイゼンが承知したと応接室に戻ると、ルディリアは弟君が到着する前になんとかサウスライドを起こしたいと足早にサウスライドの元へ寄る。
「室長!!起きて下さい、室長!弟君がお見えです!」
大きく揺らしても起きないサウスライドに、ルディリアは最終手段と手に水球を形成し、それを凍らせて彼の首筋に乗せる。
「うわぁぁ!?冷たい!?」
驚いて起き上がったサウスライドは床に落ちた氷を見て、ルディリアに眉を寄せる。
「ルディリア、君もっと優しい起こし方はなかったわけ?心臓が止まるかと思ったよ?」
「室長、弟君がお見えです。すぐにこちらにお越しになりますのでご準備を。」
「え?クラウストが?」
まだ頭が上手く働いていないのか、寝ぼけた頭でぼーっと考えているが、ルディリアはサウスライドがしっかりと起きた事を確認すると、自分の机まで戻る。
ルディリアが持っていた書類を整えていると、すぐに室長室の扉が開かれた。アイゼンに案内されたのであろうクラウストの声が響く。既にアイゼンは下がっているようだ。
「兄上、失礼致します。」
サウスライドよりも身長が高く、筋肉質に見えるのにすらりとした体型のクラウストは騎士服の上に赤色のローブを羽織っている。サウスライドよりも濃く深い青髪は長すぎないように整えられていた。
「クラウスト、どうしたんだい?」
未だ寝起きでぼーっとしているサウスライドは、扉の前で固まっている弟を見て首を傾げる。
クラウストは驚きが隠せないほどに放心していた。暫くすると室内を見回し、そこでルディリアと目が合った。「しまった。」とばかりにルディリアは彼の透き通る様な青い瞳から逃げるように目線と頭を下げて控える。
「兄上…随分と仕事に精が出ているご様子ですね。」
「あぁ、彼女手厳しいからね。紹介しよう、ルディリア。」
サウスライドが笑みを浮かべながらルディリアに自己紹介を促すと、クラウストもまじまじとルディリアを見る。
公爵家の子息二人に注目され、本来であれば緊張から言葉も出なかっただろう。しかし、二人の内一人は部下の失言も笑顔で流す室長である。若干緊張しつつもすぐに対応をすることができた。
「お初にお目にかかります。魔法研究室 室長補佐に任命されました、ルディリア・ヒースロッドと申します。」
ご令嬢のそれではなく、室長補佐として頭を下げ、胸に拳をあてて礼節を取る。
「噂には聞いている。貴族院の新卒で兄上に補佐として任命されたご令嬢がいると。兄が世話になっている。」
ルディリアはクラウストの言葉に頭を下げる。彼の事もルディリアは貴族院にて噂話を聞いていた。女性嫌いで近くによるご令嬢達を避けているのだとか。
確か私の5つ上だったような。
22歳で未だ独身。公爵家の次男とはいえ、最年少で騎士団団長に任命されたことで将来有望と人気が高いのだとか。
そんな彼が周りのご令嬢に振り回されるのも当然の流れだろう。それが原因で女性を避けるようになった。それが事実かはルディリアには分からないが、「女性嫌い」という知識だけでもあれば対応は如何様にも出来る。
できる限り不快にならぬように頭を下げ、最低限の言葉で会話をする。深入りせず対応することが重要なのだ。
「クラウスト・アルンベルンだ。アルンベルンでは兄上と区別が付かないだろう、クラウストで構わない。」
「感謝致します。私のことも気兼ねなくお呼び下さい。」
ルディリアは基本的にサウスライドを「室長」と呼ぶためクラウストとサウスライドの呼び方が混ざることはない。その為魔法研究室以外で会うときは「アルベルン騎士団長様」と呼ぶこととなるだろう。
ルディリアもできる限り彼に関わりたくなかった。ご令嬢からの人気が高いクラウストと仲が良いなんて噂が広まれば社交界にルディリアの居場所はなくなってしまう。社交界で生きていけない貴族は貴族社会から外れることと同義であるからだ。
「ルディリアはとても優秀だからね、クラウストも仲良くしておいた方がいいよ?」
いつも通りの笑顔でルディリアを自慢げに紹介するサウスライドにルディリアは頭にたくさんの疑問符を浮かべた。
いつの間に彼の中で自分は優秀と称されるようになったのか?何か特別なことをしただろうか?と考えつつ、彼らの言葉に耳を傾ける。
「兄上がおっしゃるのだからそうなのでしょうね。」
「あぁ、でもあげないよ?貸すくらいはしてもいいけどね?」
クラウストは自慢気なサウスライドに呆れた表情を向けながら横目でルディリアを見る。
ルディリアは終始目線を下げているため、それを目視することはないが気配や視線によりそれらを感じ取ることが出来てしまう。だからこそ、この時間が気まずくて仕方がない。どうにか話題をそらそうとお茶を出すために室長室をでようと足を動かすと、それをサウスライドが止めた。
「ルディリア、お茶はいらないからそこにいなさい。」
いつもとは少し違う声色に、ルディリアはサウスライドに視線を向ける。
「承知致しました。」と返事をするも、何をしたら良いのか分からず手持ち無沙汰の状態が慣れずに、そわそわしてしまいそうになるのをなんとか耐えてまた静かに控える。
「それで、クラウスト。今日は何をしに来たんだい?まさか兄の様子を見に来たわけじゃあるまい?」
「騎士団からの要請をしに参りました。」
サウスライドは面倒そうな表情でクラウストを見上げる。
目の前には先ほどまで枕にしていた書類がくしゃくしゃになっていた。サウスライドは錘でその皺を伸ばそうと試みるも、すぐに諦めてルディリアにヒラヒラと紙振っている。その姿は降参しているようにも見えるが、サウスライドは魔法で元に戻せといいたいのだろう。
ルディリアがサウスライドの元へと行き、手渡された書類に魔法をかける。
火と風魔法の組み合わせで皺を伸ばすと新品同様である。それをサウスライドに手渡すと満足気に頷き、再びクラウスト見上げた。
「それは、申請書として各管轄に回した後でここへくるものではないかい?」
今度は忙しいとばかりにサウスライドは書類に目を通し始める。クラウストはサウスライドの言葉を理解していながらもここへ足を運んだ。それは緊急の要請に近いからだろう。それが分かっていてもサウスライドは何も言わない。
「去年から魔力拡張と結界、それから浄化の魔導具の要請はしておりました。しかし、それが現段階においても通っていないため、やむを得なく直接兄上にお願いしに来たのです。」
「何故通らないのか、わかるだろう。」
ルディリアもその書類は見ていた。
書類の色は白だったにもかかわらず内容は緊急を説いたものであったためよく覚えている。しかし、サウスライドの言う通りその申請がすぐに通ることはないだろう。
それが騎士団の死傷率に大きく関わるとしてもだ。
怪我人が多いのであれば治療の出来る者を遠征に連れて行けば良い。死亡率が高いのであれば魔物との戦い方の知識を身につけ、腕の鳴る者を連れて行けば良い。魔術師団と騎士団が共闘すれば良い話しである。
今ある魔力拡張と結界、浄化の魔導具は全て国防へ回され使われている。それを前線に使用するということはプライダル王国の防衛設備を揺るがす事に繋がる。それは国民全員の命がかかっている為それは許されない。隣国がいつ攻めてくるか分からない。しかし、いつか訪れるその時までそれらは国防へと回される。
「魔法師団には何度も協力要請を行っています。しかし、それも拒否されている状況です。このままでは騎士団は数が減り、結果この国は破滅を迎えることになる。そうなる前にどうにかしなければならない問題です。」
「それは、私が決めることではない。」
その通りである。どちらの言い分も正しく、どちらも真っ当だ。
いつ訪れるか分からない戦争のために多くの騎士が命を落とし続けるなど不毛である。しかしそれは王族が定めたことであり、国王陛下に決定権がある。王族は、全国民の命か、騎士達の命かで天秤を駆けざるを得ない場合、前者を取る。今代の王は賢王である。平民あっての貴族。平民あっての国と理解しているからこその対策だ。
「国は魔法師や医師の育成に力を入れている。徐々にではあるがその数も増え安定し始めている。もう少しでその問題にも解決の目がでてくるだろう。」
サウスライドの表情は苦々しいものだ。それでも今はそう返すほかにない。
「それでは…っ…!」
それでは遅い。
そんなことクラウストが言わなくても皆思っている。現状なんとかできる事はないのかと皆が頭を悩ませている。
「室長。」
この雰囲気でただ黙って聞いていることはルディリアには出来なかった。自分にできる事があるならばそこに手を差し伸べずにどうするのか。
サウスライドはルディリアに目を向けると彼女の真剣な面持ちに苦笑を零した。仕方無いとばかりに表情に優しさと温かさが戻ってくる。そんな兄の様子に驚いたクラウストはただ2人を見ていた。
「クラウスト、今すぐにと言うならば方法は一つしかない。」
訝かしげなクラウストにサウスライドはいつもの笑みを見せる。そしてサウスライドはルディリアを指さした。
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