その娘、帰還する
ルディリアは初日の討伐後、クラウストにテントまで運ばれそのまま休むように命じられた。
昼に起き、クラウストの仕事を手伝うべくテントへ向うと、そこにはロイドスの姿があった。何でも、初日の討伐では支援のみだったためクラウストの手伝いを行っていたそうだ。それを聞いたルディリアは騎士達の治癒役に回ることにした。
2日目の討伐は初日よりも比較的楽に終了した。
というのも、ルディリアが初日に浄化魔法を広域に発動させたためか、魔物数は減少しインベージョンの時間も短くすんだ。さらに、初日のような神位の魔物も現れず、討伐開始から4時間で終了となった。初日が10時間にも及ぶ長丁場だったためかあっけなく終わったように感じたのはルディリアだけではない。
3日目、4日目は、大きなインベージョンが起きる予想が立っていたが、初日にあれだけのインベージョンが起きたため、あれ以上の事は起きないだろうとクラウストが言い切り、それが的中した。その為、ルディリアは結界を解除する事なく展開し続ける事となった。
5日目からは、魔物の数も更に大きく減少し、インベージョンの時間が2時間程度で収まるようになった。そのため、戦力過多であると判断され、6日目にして半数を帰還させることとなった。帰還が決まったのは、第三騎士隊と特務騎士隊。そして、クラウストとルディリアも同じく帰還する事となった。
ルディリアは結界を引き継がせる為に、初日に使用していた中央のテントに結界の魔方陣を描いた。そこにミノタウロスの核を置く。この核に一定量の魔力を流せば結界を張れない者でも問題無く結界の維持が出来るという仕組みを作り出したのだ。
これを初日、結界を張っていた騎士達に告げると驚愕され、クラウストに報告された。
クラウストは呆れた様子でルディリアの額を弾き、「これがあれば君が最初から維持し続ける必要はなかったんじゃないか?」と一言。ルディリアは指摘されてそれに気がついた。
全く気がつかなかった旨を伝えると、クラウストは大きなため息をつき、魔方陣の使用を許可だした。しかし後々、クラウストに「あの魔方陣は質の高い核がなければ完成しない」と話すと、クラウストは自前の魔法石を幾つも見せてくれた。「これでも無理か?」と問われルディリアは目をそらし、「問題ありません」と返した。
そうして、結界についても滞りなく引き継ぎを終わらせたルディリアは、クラウストと第三騎士隊、それから特務騎士隊と共に城へと帰還した。
城へ着いたときは既に夜も更けており、クラウストに「報告書の類いは後日で良いから休むように」と言われて、自室のベッドへと寝転んだ。
―――
小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から指す陽光で目が覚めた。辺りを見回せば昨日までとは違い、平和な世界にほっと息をつく。
昨日まで戦場にいたルディリアは、最低限の家具しか置いていないこの部屋をみて幸せを噛みしめた。
――生きて、帰ってこられた。
安堵で再度目を閉じ、眠りにつこうとしたところで思い出す。そういえば、昨夜遅くに帰って来てからまだ湯浴みをしてない、と。
水魔法で汚れを清めはしたが、やはりきちんと洗い流したいというのが心情だ。だが身体が疲れているのか、ベッドから動けない。いや、気力さえ整えば動く事は出来るが、動くのが面倒で仕方がない。
暫くベッドの上でごろごろと考えていたが、結局気持ち悪いままでは嫌だと動き出した。湯浴みを行うべく、自室を出ると魔法研究室の一員であるマリアナと偶然にも廊下で出会った。
魔法研究室では珍しい女性の研究員で自室も近いため、何かと良く会話をする。歳も比較的近く、友好的な彼女の性格もあって、かなり親しい間柄となった。ルディリアは彼女の事を「友人の一歩手前であり、研究室の仲間である」と認識していた。
そんなマリアナがうきうきと廊下の真ん中でルディリアを捕まえ、研究結果について語りはじめた。ルディリアはマリアナの話しを半分聞き流し、湯浴みをすべく歩き出す。しかし、マリアナも「漸く見つけた実験台!」とルディリアを離す気はない様である。
「それで?私にどうして欲しいの?」
「だーかーら、お湯が張れる魔法具を作ったから実験に付き合って欲しいの!」
先ほどから、魔法具の制作が如何に大変で面倒だったかの話しばかりだったというのに、彼女はもう何度も言っていると頬を膨らませる。
しかし、湯を張ることの出来る魔法具とはとても都合が良い。
「どこで実験するの?私湯浴みに行きたかったんだけど。」
「それじゃ、丁度良いじゃない!これは湯浴み用の魔導具だもの。付いてきて!箱は用意してあるの。」
ニコニコと嬉しそうにルディリアの手を引くマリアナに、大人しく従うことにした。しかし、「箱」とはなにか?とルディリアは静かに考える。
プライダル王国では、貴族はくみ上げた水を沸騰させ、布で身体を拭く。その際に専用の薬液を使って身体を清めたりもする。平民は水浴びをする程度であり、洗面用具などを使うことは極希である。
王城ではいつでも湯浴みが出来る様にと、水を出す魔石と暖める魔石が置かれていた。それを自由に使用することが出来る。
そのため、ルディリアは箱の使用用途を、「水を一時的に溜め、その水を湯へと変換させ身体に直接掛け流して使う」のではないかと予想を立てた。しかし、ルディリアの予想は良い方向へと外れることになった。
マリアナに連れて来られたのは脱衣所であり、特に代わり映えのない場所である。しかし、中へ進むと、ルディリアが思っていた以上に大きな木で出来た箱が確かにそこにあった。
「こんなに大きな箱、どうするの?」
簡易に作った箱とは思えない程立派なもので、明らかに職人達が丹精込めて作成した一品であることが窺える。何事にも凝るマリアナらしいとルディリアは思った。
「ここに、“これ”を入れます。そして、魔力をすこーし流しただけでー、あっという間にお湯が張れるのです!」
どう?凄いでしょ?と自信満々に披露された光景に、ルディリアは確かに驚いた。
マリアナが持っていた魔導具を木箱に投げ入れ、そこに魔力を流すことで、魔導具から透明な湯が湧いて出てきたのだ。そしてそれは、王城にもあるような「水を出す魔石」よりも遥に多く、純度の高い湯を形成していた。それが湯だと理解出来る程に湯気も立っている。
「へぇ、最初からお湯を出す仕組みなのね。確かに便利だけど、こんなに張る必要はあるの?」
大きな木箱を指さし、不思議そうに傾げるルディリアにマリアナはニヤリと笑った。
「あるわよ?だって、ここに入るんだもの。」
「…え?…ここに?」
「そう!山奥の領地なんかで、たまにこうやって大きな箱に湯を張って、そこに身を沈めて心と体を清めるらしいの。まぁ、本当は使用前にきちんと身体を清めてから浸かるらしいけどね。だから、ルディリアも、こっちでいつも通り身体と頭を洗って。」
ルディリアはマリアナに促されるまま、身体用の薬液と頭用の薬液を使って身を清めると、湯のたまった箱の前に立った。
身体を流している間に、魔導具は大きな木箱一杯に湯を張っており、「確かに便利ではある。」と、マリアナよりも先に準備が終わってしまったルディリアは木箱をじっと観察していた。
そしてマリアナの準備がととのった事を確認すると彼女へ問う。
「それで?」
「こうやって、入るのよ。…ほら!」
先に入ったマリアナをみてルディリアは戸惑う。布越しといえ、裸同然のまま入るのかと。しかしそんなルディリアを見かねて、マリアナはルディリアの手を引き強制的に湯へと導く。
「ほら、どう?」
肩までどっぷりと浸かったルディリアは、その心地よさに目を細めた。
「きもちいい…。」
「でしょう?」
自信満々のマリアナもルディリアの好評で気を良くしたのか、彼女も湯を堪能し始めた。
「でもこれ、色々と考えないといけないこと…多いかもね。」
「例えば?」
ルディリアは考えついたまま言葉を並べた。
「まず衛生面でしょー、幾ら綺麗にしたからといって、他の人と同じ湯に浸かるのを嫌がる人もいると思うの。」
「それに関しては少し考えているわよ。今はまだ浄化の魔法を組み入れたくらいだけどね。」
それだけでは一般的に普及させるまでに必要な水準を満たさない。しかしそれを理解しているからか、マリアナは視線を逸らす。
「それから、温度。好みの温度に変えられるようにした方が良いわね。あと、…出力調節が必要。溢れているし…。それから、…使わないときに、すぐにお湯を空に出来ないと不便ね。」
まだまだ出てくる指摘にとうとうマリアナは耳を塞いだ。
「あーーもう、これ以上聞きたくないわ!」
悲しげに魔導具を見つめるマリアナを見てルディリアは、まだまだ完成にはほど遠いだろうなと思い、少しだけやる気が出るような意見も出してやろうと考えた。
「そうだねー、一つ面白い話しをすると…」
ルディリアのその言葉に興味を抱いたのか、むすりとしたままルディリアに顔を向けた。
「ここに花を浮かべても華やかだろうし、香油を入れれば香りもいいかもね。」
ちらりとマリアナを見ると、彼女の瞳はキラキラと輝いていた。どうやらたきつけることには成功したらしい。これが実用的な範囲まで行けば、ルディリアは毎日でも使用したいと考えていた。それほどまでにルディリアの疲れた身を解すのに効果的であったからだ。
「ちょっと持ってくるわ!!」
そう言って飛び出していったマリアナを見送るルディリアは、暫くそこから出られそうになかった。
そうして数分後、マリアナは美容関連に詳しい、これまた魔法研究室の一員であるキャサリンを連れてきた。何をするつもりなのかと見守っていると、キャサリンは既にマリアナの研究の話しを聞いていたのかノリノリな様子で液体の入った小瓶を小箱から数本取り出した。
「全く…、貴女たちは分かってないわ!こういう時は香油じゃなくて、精油を使うべきよ!!」
既に作成済みの様子であるキャサリンをみてルディリアは安堵した。
マリアナであれば実験といってそのまま原液を使用しそうだと思ったからだ。しかし、キャサリンはそれを見越してこの湯に最適な精油を作成してくれたらしい。
キャサリンは自分も実験に加わるべく身を清めながらそれらの効果について説明してくれた。
カモミールやローズは保湿力を高め美容に効果的であり、疲労回復にはラベンダーやジャスミン、気持ちが沈んでいる時はオレンジが良いらしい。その中でも万能なのがローズ、次いでカモミールなのだとか。美容効果だけでなく心を落ち着かせ、疲労回復効果も高いらしい。
「じゃあ、ローズね!」
そう言って選んだのは良いが、どうすれば良いのか分からないマリアナはキャサリンを見る。まだ暫くかかりそうなため、マリアナはそのビン口から香りを楽しんでいた。
そしてすぐにキャサリンの準備が整い、湯を堪能したあと適量を投入した。ローズの華やかな香りに癒され、暫く3人は至高の一時を過ごすが、数分後異変に気がつく。
「マリアナ、これどんな浄化魔法を組み込んだの?」
ルディリアが小さく眉を寄せ、苦笑しているマリアナに問う。キャサリンは悲しそうにお湯を見ている。
「んー、完全浄化の魔法…?」
にこりと笑うマリアナにルディリアは納得した。
完全浄化に、精油の効果が打ち消されてしまったのだ。精油や乳白色の精油を試していたお湯は、ただのお湯に姿を変えている。
キャサリンが「乳白色の精油は保湿力を高めて、肌がもちもちになるのよ」と言い出したことで、マリアナがそれを実験したがった。そしてそれらを試した直後、浄化の魔法が働いてしまったのである。
「マリアナ…とっとと作り直しなさい!まともな設計で!!」
これはこれで、衛生面としてはかなり有用だと証明はされたが、キャサリンのお気に召さなかったようだ。
それでも一時の至高を味わえたルディリアは自身の持っている浄化魔法などの知識をマリアナへ教えると大満足で湯を後にした。