その娘、清める2
いつの間にかルディリアの側まで来ていたクラウストは雷で纏った身体をピリピリと発光させながらルディリアに問う。
「ヒースロッド騎士団長補佐、これはどういうことだ?」
「私がこの魔法に願ったのは、彼を癒すこと、穢れを祓うこと、それから、この世界への祝福。つまりこの地を癒すことです。ですから魔力もごっそり持って行かれましたし、私の想いに添うよう神水がこの荒野を癒そうとしているのだと思います。」
「ふむ、つまり、結界を解除しなければここら一帯に神水の滝が出来てしまうと言うことか。」
天水の様な神水も時間が経てば大量に降ってきていただろう。そうなればその真下にいるルディリアは滝行の如く、天高くから降る神水に打たれていた事になる。
無事では済まなそうだ。いや、癒しの水だから怪我はしないのだろうか?とどうでも良い考えを巡らせるルディリアをクラウストはじっと見ていた。
「それで、いつ終わる?」
既に辺り一面は神水で浸っており、穢れの元凶のようなミノタウロスは未だ水球の中にいる。最初は苦しげに藻掻いていたが、今はその力もないようで神水に身を委ねるように、ただ水球の中にいた。
「穢れが祓えたら…でしょうか?」
あれだけの禍々しい魔力を持っていたのだ。これで全てが祓えたとは到底思えないルディリアは、まだまだ時間がかかるのではないかと予想する。しかし、その数分後ルディリアによって作り出された神水は綺麗に消えていった。辺りにキラキラと輝く光の粒を残して。
「終わったようだな。」
「そのようです。」
クラウストはミノタウロスを注視している。いや、クラウストだけでなくルディリアを含めたこの場にいる全ての者がミノタウロスをじっと観察していた。
ピクリとも動かないミノタウロスに皆が「終わったのだろうか?」と疑問に思うと、徐にそれが動き出す。
“コ、ロ…ス…”
ミノタウロスが弱々しくルディリアに向けて手を伸ばす、しかしもはや移動する力のないミノタウロスはその場でルディリアを睨め付け、恨み言を零した。
それに恐怖したルディリアは無意識に一歩下がる。
“ユ、ルサ…”
ミノタウロスが最後まで言い切る前に、雷の身体強化魔法を使用したクラウストが一瞬で間を詰めると、持っていた大刀で首を切り落とした。
ズルリと堕ちるミノタウロスの首を、ルディリアはただただ見つめていた。そして、クラウストがミノタウロスの生命活動を停止させたことを宣言すると、ルディリアは力なく地面に座り込んだ。
死ぬ直前まで、ミノタウロスはルディリアに威圧をかけ、ルディリアを睨め付けた。
その姿に、その姿勢に、その執着にルディリアは恐怖し動く事が出来なかった。
両の腕で自身を抱きしめても、ふるふると身震いが止まらない。どうしたら良いのかと現実から目を背ける様にぎゅっと目を瞑った。すると、柔らかな暖かさと緊張が解れるような優しさと共に、心地よい香りに力強く抱きしめられる。ルディリアはその瞳を開けずとも、それが誰のものなのか理解出来た。先ほど感じたものと同じだったから。
「もう、終わった。大丈夫だ。」
甘い声色で耳にささやかれ、安心させるように力強く抱き寄せられたルディリアの身体は、いつの間にか震えが止まっていた。
ルディリアが、顔を上げるとクラウストは驚くほど優しい顔でルディリアを見つめた。「良くやった。頑張ったな。」と褒められると、誇らしくも悔しくもあった。
1人では絶対に成せなかった。恐怖で足が竦み、ロイドスに助けられた。死を直面した時クラウストに助けられた。浄化してもなお続くその威圧に、気圧された。
「私、最後、ミノタウロスに、け、気圧され、て…」
思い出すと、拳に力が入る。すがるようにクラウストを見上げると、クラウストは優しく頭を撫でた。
「君は最後まで自分の足で立っていた。奴と向き合っていた。奴を倒せたのは君がいたからだ。誇って良い。私達は君に救われたんだ。」
「――っ私…今、立てませんよ?」
困った様子のルディリアを見てクラウストはクスクスと笑った。
「いいさ、終わった後だからな。…まぁ、もう一仕事してもらわないといけないが。」
クラウストはミノタウロスの鮮血が飛び散った地面を指さし「あれを浄化しないとな」と苦笑する。あのときはクラウスト自身、それが最善の方法であると確信していたが、これほどまでに竦んでいるルディリアを見ると、もう少しやりようがあったのではないか?と申し訳無くも思うが、今更もう遅い。あれほどの魔物の鮮血だ、浄化し弱っていたとしてもそれを放置することはできない。
「はい、分かりました。」
ルディリアは気丈に振る舞い、震えの止まった足に力を入れる。先ほどまでと違い、思うように立つ事が出来る。ルディリアがクラウストをじっと見つめるとクラウストは首をかしげ「どうした?」と優しげな声をかけた。
「アルンベルン騎士団長は、凄いですね。」
「何がだ?」
何の話しかさっぱり分からないクラウストは、困った様に笑う。凄いのは自身ではなくルディリアであると思っているため、ルディリアの言葉が何を指しているのか分からなかった。
「震えが、止まりまし…た。」
そう言ってルディリアの思考が停止した。自分の発言によって、今し方クラウストに抱きしめられたという事実を漸く理解し、顔が熱くなるのを感じたルディリアはふいっとクラウストに背を向けた。そんなルディリアを見てクラウストはまたクスクスと笑う。
また、からかわれた。と成長しない自身に呆れて、今度こそ歩き出す。
ミノタウロスの屍は酷くボロボロだった。
皮膚は剥がれ落ち、肉が切り裂かれ、血にまみれ、焼けただれている。
あれだけの存在感あったものの成れの果てとは思えないくらいにボロボロだった。ただ、それでも異様な魔力の残滓は漂っている。それほどの魔物だったのだ。
周りを見渡すと、クラウストと隊長4名がこちらをじっと見ている。よく見るとロイドス以外の隊長3名は先ほどまでのクラウスト同様に大けがを負っていた。どう見ても重傷で、今普通に立ってこちらを見ていることが不思議なくらい出血も酷い。
ルディリアは、首に提げていた自身の魔石を取り出すと半分ほど魔力を回復させた。
そして、祈るように唱詠する。
「癒しの女神 パナケーアよ、水の女神 デティスよ、大いなる大地の神 ガイアンよ、ここに眠る魂と穢れた世界を祓い、この地を守る英雄達に祝福と癒しを与えたまえ、癒雨。」
古代魔法を基礎として作り上げたこの魔法は、ルディリアの心と大きく結びつく。
彼女が何を想い、何を望むのか、それらを大きく反映させる。だからこそ、ルディリアは気持ちを込めて唱詠する。
ルディリアが浄化魔法を発動させると、ルディリアの周辺が光り輝き、それが天へと昇ると、光り輝く雨粒がぽたぽたと落ちてくる。
どんどん雨脚は強まり、周りの者に治癒を施す。目の前のミノタウロスの屍や辺りに飛び散った血液も洗い流し、それらはキラキラと輝く。
「すげぇな…」
「あぁ、奇跡のようだ。」
グエングルとロイドスは目の前の光景を呆然と眺める。
「傷が、治っている…。」
「うわ、ほんとだ!」
イクリスとオウエンスは身体の変化に戸惑い、使用者であるルディリアを驚きの表情で見る。
「…。」
クラウストはただ黙って、光り輝く光景の中で祈り続けるルディリアを見ていた。
――皆の怪我が治りますように。
――穢れが、瘴気が祓われますように。
――この土地に住む者が救われますように。
――魔物達の魂が癒えますように。
ルディリアは祈り続けた。そうして、気がつけばルディリアの魔力は3割を切りそうになる。「しまった。」と祈りを止め、注いでいた魔力を止めると天を見上げて目を見開く。
「…綺麗。」
じっと見つめていると、ルディリア身体がぐらりと傾いた。
魔力を一気に失ったせいで力が入らず、仰向けに倒れそうになる。しかし、倒れると自覚したルディリアは、「まぁいいや」と思わず微笑んだ。
だって、もう終わったんだもんね。
時間が止まっているかの様に遅く感じる中で、ルディリアはただただその綺麗な景色を楽しんでいた。しかし、倒れる前にその身体は支えられ、気がつくと足が浮いていた。
「…え?」
何が起ったのか分からないルディリアは、その温かさと、あまりにも近いクラウストにただただ呆然としていた。
クラウストは呆れた様に笑い、ルディリアを抱える。
「嬢ちゃん大丈夫か?」
クラウストの横からグエングルの声がかかり、漸く頭が覚醒した。どうみてもクラウストにお姫さまだっこされているこの状況。ルディリアは顔を真っ赤にした。
「だだだ、大丈夫ですから!!あ、あ、あ、あの、下ろして下さい!!」
ルディリアはどうにか下ろしてもらおうとジタバタと暴れるも、クラウストの腕は憎いほどに逞しく、安定感がある。
グッと眉を寄せて、ルディリアはクラウストを見上げた。
「アルンベルン騎士団長…。」
「なんだ。」
いつも通りにみえるクラウストの表情をじっと見つめて、ルディリアは心の中でため息をついた。
「楽しんでいませんか?」
抗議の目を向けるも、クラウストには全く効果はないようだ。
「何のことだ?」
「下ろして下さい。」
「君は少し頑張りすぎだ。このまま休みなさい。」
出来るわけがない!と抗議してもクラウストは全く意に介さない。困ったルディリアはロイドスに目を向ける。しかし、ロイドスはニコリと微笑み何も口にはしなかった。この場にルディリアの味方はいないらしい。
それでもやはりこのままというのは恥ずかしくて仕方がない。
ルディリアがどうにか理由を探そうと辺りを見回すと、イクリスが目に止まった。たしか、彼が一番重傷だった筈だと思い出し、指さす。
「ニュクス特務隊長の怪我の具合を確認したいので、下ろして下さい。」
「…イクリス、怪我は?」
クラウストも怪我の具合は気になっていたのか、ルディリアを連れてイクリスの元まで歩く。するとイクリスは騎士服をまくり上げ、傷が無事に塞がっていることを見せつけた。
「問題無い。ヒースロッド団長補佐、助かった。感謝する。」
「あ、いえ…。」
その場で美しい肉体美を披露したイクリスよりも、見せられたルディリアの方が戸惑い、顔を真っ赤に染めた。
「何も問題無いならいい。しかし、全員念のため、戻り次第医務官に見てもらうように。」
クラウストの命に全員が頷き、そして、本部テントまで歩き出す。ロイドスはミノタウロスの屍の元へ行きそれを魔法にて保存し回収している。
「え、ちょっと、このままですか…?」
「不満か?」
当たり前だと抗議するも、クラウストは何かを考えるとルディリアに提案する。
「このまま私に抱えられるのと、他の誰かに抱えられるのと、どちらがいい?」
「…自分で歩けますが。」
「却下だ。どちらか選べ。」
無表情の中に、不満だと前面に押し出すルディリアをみて、クラウストは楽しげに笑む。クラウストはその微妙な変化を見分けるのが得意らしい。
「嬢ちゃん、こっち来るかい?」
ガハハと楽しげに笑うグエングルは、両手を大きく開き大歓迎とばかりにルディリアに話す。それを見てクラウストはルディリアの様子を確認するも、困った様に笑うルディリアを見て却下する。
「嫌らしい。」
「おい、団長、まだ嬢ちゃんは何も言ってねぇだろう?」
「反応を見れば分かる。」
自分の事は棚に上げてそう言い切るクラウストをルディリアは呆れた目で見ていた。
「んじゃー、俺のとこくるかー?」
人懐っこそうな顔を、笑顔に変えてルディリアに見せる。しかし、ルディリアはそもそも抱き運ばれるのが嫌なのだ。希望としては下ろして貰えればそれでいい。他の人に迷惑をかけているこの状況と、恥ずかしすぎるこの状況をなんとかしたいので、結局彼の返答にも困る。
「ふむ、オウエンスもダメだな。」
じっとルディリアの表情を見つめ決定づけるクラウストにルディリアはまた、内心ため息が溢れる。
そして、そういえばこんなに感情を出したのは久しぶりかもしれないと思い返す。
この人の前だと不思議と感情が溢れる。
呆れも、恥ずかしさも、嬉しさも、戸惑いも、恐怖も、安心も、全部見破られるのはなんとなく恥ずかしい。
必死に感情を隠して生きてきたルディリアにとってそれは慣れないものだ。
何故この人には筒抜けなのだろう?
私の感情が表にでてしまっているのだろうか?
だとしたら、この人の何がそうさせるのだろう?
じっと、クラウストの顔を眺めていると、酷く優しい、澄んだ青い瞳がこちらを向いた。雪解け水の様な、淡水のような透き通る綺麗な青。
「ん?」と首を小さく傾げる彼の顔もまた端正で、凜々しい表情の中に優しさが窺える。
「――っなんでも、ないです…。」
慌てて逸らすも、クツクツと楽しげになるその音に無意識的に頬を膨らませた。
「仲が良いな。」
微笑ましそうに眺めるロイドスに、ルディリアは何を言っているのか?と目で訴える。しかし、彼にそれが伝わるかも怪しく、結局言葉に出した。
「ロイドス特殊隊長、本気で言っていますか?と言うか、助けて頂けませんか。」
「団長殿の不満を買う気はない。諦めなさい。」
本当に何を言っているのかとルディリアはロイドスを見るも、笑顔で躱されてしまった。それでも不満げに見ると、ロイドスはイクリスに目を向けた。
「それならば、イクリス。君が彼女を抱えれば良いんじゃないか?」
そんな言葉を口にするロイドスに、ルディリアはやはり伝わっていなかったと肩を落とす。そうではないのだ、と伝えるべくイクリスへと顔を向ける。しかし、ルディリアが言葉にする前に、ロイドスの問いにイクリスが答えた。
「…俺か?別に、構わないが。」
あまり女性が得意ではないと、それどころか人と関わることを避ける彼が余りに自然に答えるものだから、ルディリアは驚きイクリスを見つめる形になってしまった。
そうして、ルディリアが反応を示さなかった為か、イクリスがルディリアに「来るか?」と顔を傾げれば、ルディリアは先ほどのことを思い出して顔を真っ赤にさせた。
先ほど彼の素晴らしい肉体を拝見してしまった為、抱えられるのはとても恥ずかしい。
熱の籠もる顔を両手で覆うと、「大丈夫です…。」と何とも弱々しい返事をする。
それを、周りの隊長達は楽しげに笑った。滅多に表情に出さない彼女も、一般的なご令嬢らしく初な表情を見せるのだと。
これは、完全におもちゃにされている、と思ったルディリアは、どうにか平静を保とうと深呼吸を繰り返す。
「ほぉ」とつぶやくクラウストの声も聞こえぬ程、ルディリアは無心になって時間が過ぎるのをただ耐えた。