胸騒ぎのAfter School
「くすのせ みつき? 誰だ?」
和也は、訝しげに首を捻る。
「うちのクラスじゃねぇんじゃねぇ?」
「でも、5-3って書いてあるぜ?」
貴志が思い付きを口にし、守が反論する。 考えられるのは、過去に5-3に在籍していた生徒のノートが、何らかの理由により、ロッカーと壁の隙間に落ち、放置された……というのが正解だろう。
「ま、いいや。 おい、優治! これ読んでみろよ」
そりゃそうなるよね……
優治は、和也の提案を聞いて、うんざりした。 どう考えても、呪いなんてあるわけがない。 そう頭ではわかっていても、先程から感じる嫌な予感というものが、それを否定する。 そのノートが出てきてから、優治はなんとも言えない胸騒ぎを覚えていた。
もし、本当に呪われたらどうしよう……
「なに? 怖いの?」
目を伏せて、返事をしない優治を見て、和也が新しいおもちゃでも見つけたような笑いを浮かべる。
「はっ! 呪いなんてあるわけねぇじゃん」
守が笑いながら、近寄ってくる。 泰彦は……泰彦もノートから、何かを感じるのか、顔を引き攣らせて、一歩引いた位置で、黙って状況を見ていた。
『下校時刻を過ぎました。 校内に残っている生徒は、速やかに帰りましょう』
♪~♪~♪
六年生の放送委員による下校を促す校内放送が流れ、いつものクラシックが流れ始める。 それを無視して、和也は、ノートのページを捲る。
「は?…………なんだ? こりゃ」
呪いが書かれているというページを見た和也は、眉間に皺を寄せる。
「……まぁ、いいや。 ほら、優治、見ろよ?」
ノートを開いて、ロッカーの隅に座り込んでいる優治へ、ずいっと差し出す。 優治は、咄嗟にノートを見ないように目を瞑った。
「なに? マジで怖いの? こんなんが?」
和也が、グリグリとノートを優治に押し付ける。 優治は、目を瞑ったまま、ノートから逃れようと顔を背けた。
「おいおい、なにビビってんだよ」
痺れを切らした貴志が、優治の目を無理やり開こうと、顔に手を伸ばす。
「こら、まだ残ってるのか? ダメじゃないか!」
不意に、教室の前の扉から、教師の本木の声が響いた。
「あ~ぁ、タイムオーバーだ」
和也は、そう言いながら、興味を失ったように、ポイッとノートを優治に投げつけた。
「こんな遅くまで残って、何やってるんだ? ん? どうした? そんなとこで」
教室に入ってきた本木が、ロッカーの隅に、座り込んでいる優治に気付き、近寄って声を掛ける。 その瞬間、和也、貴志、守が優治を睨み付ける。
『チクったら、どうなるかわかってんだろうな?』
三人の視線は、優治にそう語っていた。 泰彦だけは、顔を背けて、少し離れた場所で佇んでいた。
「なんでも……ありません」
優治は、そう言いながら立ち上がり、お尻をパンパンとはたいた。
「ん? そうか?」
本木は、そう言いながら、他のメンバーを見る。 泰彦以外のメンバーは、すでに優治から視線を外し、ランドセルを取りに自分の席へと向かっていた。
「……ま、なんでもないなら、いいが……。 さ、もう帰りなさい!」
「はぁい! 先生、さようならぁ」
「はい、さようなら」
和也達は、本木にうながされ、口々に別れの言葉を言いながら、教室の後ろの扉から出ていく。 少し遅れて、泰彦が出ていき、最後に優治が残された。
「どうした? 一緒に帰らないのか?」
「あ~、僕だけ方向が違うから……」
「そうか……」
優治は投げつけられたノートを捨てるのも、なにか良くない気がして、自分の席のお道具箱の下に滑らせた。
「先生、さようなら」
「はい、さようなら」
ようやく、ランドセルを背負った優治は、本木に挨拶をして、そのまま教室から駆けていった。
本木は、その後ろ姿を見送りながら、ゆっくりとため息を吐いた。
「イジメ……じゃないよな?」
教室の歪にズレていた机や椅子を直した後、廊下を歩きながら、ボソッと独り言をこぼした。
そもそも自分のクラスで、イジメがあるとは思いたくないし、もし、あったとしたら査定に響く。 ねちっこい教頭にどんな説教をされるか、わかったもんじゃない。 そう思いながら、職員室へと向かった。
一階にある職員室へと向かう階段で、用務員の三善と出会う。
「あぁ、本木先生お疲れ様です」
「あぁ、三善さん。 これから施錠ですか」
「ええ、放送委員君の帰る時間を作るために、上からゆっくりと回りながらね」
下校時刻の放送後、最上階の特別教室の施錠を確認し、その後、各教室の施錠を行い、最後に児童玄関を施錠するのが、用務員である三善の日課だった。 放送委員は、下校の放送の後、児童玄関の施錠までに帰らなければ、靴を持って、居心地の良くない職員室の出入口から出る羽目になるため、ゆっくりと回ってやるのが、三善なりの気遣いだった。
まぁ、余程、のんびりとしなければ、児童玄関施錠までには普通に帰ることができるので、三善の気遣いは、まったくの無駄ではあるのだが……。 本人が満足しているのなら、別に言わなくてもいい事だろう。 本木は、そう考えた。
三善に挨拶して、そのまま、その場を去ろうとした本木の足が止まる。
「あぁ、そうだ。 三善さん、また今度、相談に乗ってくださいよ」
「もちろん。 私で良ければ、喜んで」
六十近い年齢の割に若々しく見える三善が笑顔で答えた。 四月に用務員として雇われた三善は、いつの間にか、多くの教師達の相談に乗るようになっていた。
相談に乗ると言っても、三善は気の利いたアドバイスはしない。 ただ、相談に対して、いくつか質問をするだけだった。 相談者は、その質問に答えようと考えることで、自分が本当はどうしたかったのか、どうしたらよかったと思うのか、そういった自分の中の答えに気付くのだ。 おまけに、三善の前職がなんなのかはわからないが、話題が豊富で、一緒に飲むと大変楽しかった。
服の上からでも、鍛えていることが、よく分かるガッシリとした身体つきに綺麗な姿勢、堂々とした佇まい、そして、相談の際の頼もしさから、一部の教師達から陰で『三善教官』と呼ばれていた。 もちろん、本木もそう呼んでいる教師の一人だった。
本木は、今回の件が、もしイジメだったら、と三善に相談しようと考えたのだ。 三善教官を頼れば、きっと、満足のいく形に持っていけるだろう。 今までもそうだったし、今回もきっとそうだろう。 いや、そもそもあれは、弄りであって、遊びの延長線上のようなもののはずだ。 そう、イジメなどという深刻な話ではないはずだ。そうに違いない。
そうなれば、三善教官と楽しく飲んで終わりだな。 もう12月だし……、他の教師も誘って、有志による忘年会って形でもいいのかもしれない。 そう自分ににとって都合の良い解釈を重ね、楽観的に考えていた。
一週間後、西川 和也が自殺するまでは……




