與座 尊
「……六道のおっちゃん……老けとったなぁ」
六道との交渉を終えた與座は、次の交渉相手との待合せ場所に向かう途中、誰に話すでもなく、一人でボソリと呟いた。
一人称も、以前の自信に満ち溢れた"俺"から、"私"になっていた。
彼は、一人であの時の罪と向き合っていたのだろう。
罪。
「恨んでるんだよな?」
六道のその言葉は、與座は胸が締め付けられる思いを抱かせた。 父、健一が虚忘に喰われたのは、六道のせいだけではない。 與座も同罪だ。 むしろ、虚忘と関わる事になったのは、間違いなく與座のせいなのだから……もし、誰かに罪があるとしたなら、ぶっちぎりで與座の一人勝ちだ。 父の事だけではない。 祖母の死も……
あれから、残された母は、與座を生き残らせるために、沖縄の実家に住む伯父夫婦に養子に出した。 養子と言っても戸籍上の話で、実際は、伯父家族の住む家に二人で転がり込んだだけの話だった。 伯父夫婦には子供がおらず、ポーズかもしれないが、與座親子を大歓迎してくれた。
「今日からあなたは、高島 尊ではなく、與座 尊です。 生まれ変わった気持ちで……お父さんの分も、しっかりと生きなさい!」
手続きが終わった日、大好きだった父を目の前で失い、呆然自失となっていた與座に、母は強く告げた。
「いつまでも、へこんでたら、お父さん……悲しむよ?」
その言い方はずるい。
與座は泣いた。 父を亡くした時にも流れなかった涙が、堰を切ったように溢れて、止まらなかった。
與座の涙に一段落つくのを見計らい、母は與座に一つの御守りを手渡した。
「大婆ちゃんが作ってくれたのよ」
大婆ちゃん……母の祖母に当たり、與座の曾祖母の與座 トメだった。
トメは、本人や伯父夫婦に言うと、大層怒られるが、いわゆるユタであった。 本人達はあくまで三人相だと言い張った。 これは、ユタに対する弾圧の歴史に由来する、ユタ呼びに対する反感の現れだった。
トメの霊力は、かなり強く、與座が初めて虚忘と接触した時、その事を感じとれる程だった。 與座は、そんな曾祖母の作った御守りを、今でも肌身離さず持っている。
「名前も変わったし、大婆ちゃんの御守りもあるし、これで大丈夫っ!」
母は、わざとらしく胸を叩いて、そう與座を元気付けながら笑った。 與座も、一緒になって笑った。
それから、與座は、虚忘の事など、忘れたように生活をしていた。 だが、與座の心の中では、『いつか父と祖母の仇を取りたい』、そんな思いが拭えないままでいた。
曾祖母は、そんな與座の内心を知っていたのか、ある日、母と與座を呼び、虚忘についての霊視の結果を告げた。
「関わるな」
と。
曾祖母は訛りがキツく、何を言っているのか、まったく分からなかったが、母の通訳によって、内容は理解する事ができた。
曰く、虚忘は呪いなのだと。
かつて、その地方の者が、役人を呪い殺すために生み出した化け物。 それが虚忘だった。 だが、術者は虚忘を制御できず、その集落は絶滅の危機に瀕した。
別の者が、虚忘に"縛り"を与えた事で、ようやく災いは収まったと言う。 それが、名前と出身地であった。
過ぎたる力は、身を滅ぼす。
曾祖母は、そういう意味の言葉を悲しそうに呟いた。
與座が、人一倍、呪いを、呪いに頼って問題を解決しようとする人間を忌み嫌うのは、虚忘のその話のせいであった。 それは、與座の中で、今でも根深く残っており、同じ『山』の呪術部ですら、苦手意識を持ってしまうほどだった。
そして、その話の最後に、曾祖母は、與座に潜在的にではあるが、大きな霊力がある事を告げた。
普段、夜を好んで活動する虚忘が、昼間に與座の祖母の家へやってきたのは、與座の潜在的な霊力に惹かれたためだったのだと。
なんだ……やはりすべては、自分のせいだったのだ。
その話を聞いて以来、與座はますます虚忘を倒す事を考えるようになった。 潜在的な力があると告げられても、霊の一体も見た事のなかった與座は、少しでも霊力を鍛えたくて、心霊スポットと呼ばれる場所を巡るようになった。
自覚はなかったが、良くないモノを引き連れた状態で帰宅し、高齢のトメに負担を掛けた事もしばしばだった。
出身地も簡単にバレないように、敢えて、関西弁で話すように努め始めた。
そんな與座に転機が訪れたのは、與座が17歳の頃だった。
曾祖母のトメが亡くなったのだ。
高齢のためだった。
トメが亡くなった三日後、與座は高熱で倒れ、生死の境をさまよった。 医者に診せても、原因は判然としなかった。 一週間ほど、寝込んだところで、ようやく回復の兆しが見えた。
が、回復した與座は、以前の與座とは違っていた。
今まで見えなかったモノが視えるようになり、聞こえないモノが聴こえるようになっていたのだ。
最初は持て余していた、その力も、しばらくすると使いこなせるようになった。 視えたモノをより深く知ろうと、集中することで、より深く霊視できるようになった。
霊視による視え方は、人それぞれだ。 雑誌を覗き見するような感じの者もいれば、暗闇で断片的なイメージを見る者もいる。 映画を見るように視る者も、イメージの中のラジオから流れてくる音を聴く者もいる。
與座はどうかというと、亡くなった曾祖母と向き合う形だった。 何もない白い部屋に、亡くなったはずの曾祖母のトメがおり、與座が質問をする事で、トメから答えを聴くことができた。
生前はキツい訛りで、何を言っているかわからなかった曾祖母だったが、その白い部屋で語るトメの言葉は、與座にわかる形で語られた。
霊視出来るようになった與座は、やがて一つの絶望的な結論に至る。
自分に、妖を滅する力がない、という事だった。
……視る事は出来る。
……聞く事も出来る。
……知る事も出来た。
……祓う事は出来なかった。
自分では、虚忘を倒せない、という事だった。
それでも諦めきれずに、心霊スポットを訪れては、白い部屋でトメと語らう日々が続いた。 その甲斐もあってか、トメへの質問の要領も良くなり、より細かい内容がわかるようになった。そして、より過去の事がわかるようにもなっていった。
だが、祓う事が出来ない事は変わらなかった。
そんな與座に、再び、転機が訪れた。
『山』のスカウトが来たのだ。
「うちには、優秀な法師がたくさんいます。 うちに来たら、いつか、その妖が滅されるところを視る事が出来るかもしれません」
黒いロングヘアを一つに纏めた、その女性は、凛とした声で與座にそう告げた。
與座が19歳の事だった。
虚忘を滅する時を夢見ていた與座は、二つ返事で『山』に所属する事を選択した。 伯父夫婦と母は、かなり反対していた。 伯父夫婦も母も、単純に與座の身を案じての反対だった。 誰が好き好んで、大切な人を失う切っ掛けとなった、妖や霊を相手取る仕事に就かせたいものか、と。
なかば家出同然で家を飛び出した與座が、『山』で一年の研修を受けた際、気付いた事があった。
六道 真念のことである。
彼の知識は、『山』の法師の中でも、上位に位置する程のものだった。 陰や魄という言葉こそ使わなかったが、尿や札の使い方、妖に対する考え方は洗練されいた。 使っていた札も、うろ覚えではあるが、『山』のものに酷似していた。 寺に出入りする業者から購入していると言っていたが、ひょっとしたら、その業者は、『山』だったのかもしれない。
そんな彼の攻撃が、一切、通用しなかった虚忘は、『山』に入って、多くの妖を視てきた與座からしても異質に思えた。 無視していれば問題ない事や被害の小ささから、国滅級の二段階下の特妖級に属されるが、いざ戦うとなると、国滅級同等の難易度と思われた。
未だ、どうやって勝つのか疑わしい部分はあるが、『山』のトップの企画である以上、なにかしらの勝算はあるのたろう。
「……ようやくや」
與座は、そう呟いた後、両頬を叩き、気合いを入れ直し、次の交渉相手、立川 明美の元へと向かった。




