16年前の夏
「力を貸してほしい」
高校時代から、付き合いのある友人の健一から電話が掛かってきたのは、16年前の夏のある昼下がりの事だった。
「なんだ? 藪から棒に。 俺も最近は忙しいんだが?」
その頃の私は、『戦う和尚』などともてはやされ、霊能者としてメディアに引っ張りだこの状態だった。 売れる前は頻繁に会って、飲んで、愚痴りあっていた健一とも、少し疎遠になっていた頃だった。
「息子のタケルが、バケモンに目を付けられちまったんだ……」
電話越しに、健一が焦っているのが伝わってきた。 なるほど、バケモンときたら、霊能者として活躍している自分に声を掛けてくるのは、ごく自然な事だと理解できた。
当時は少々、疎遠になっていたが、霊能者として売れる前の自分は、よく健一の家に顔を出していた。 もちろん、健一の息子であるタケルにも、奥さんにも会った事があった。 顔を出す度に、お土産と称して、タケルに、いろいろなおもちゃを買っていた私は、タケルには懐かれている方だったと思う。 そんなタケルがバケモンに目をつけられた。 私は、何かの間違いじゃないか?と、思っていた。
「どういう事だ? 一体、何があった?」
「昔、俺の地元に伝わるバケモンの話をした事があったよな。 覚えてるか?」
その以前に、私は健一から、奇妙な妖の話を聞いた事があった。 執拗に名前や出身地を、聞き出そうとしてくる妖、名を虚忘と言った。
続いて発せられた健一の言葉で、私は虚忘に名前と出身地を知られたらどうなるか、健一の母である絹代さんの死と、タケルの名前が知られてしまったことを知った。
学生時代、健一の家に遊びに行くたびに、優しい笑顔で出迎えてくれた絹代さんの死は、少なからず、私にショックを与えた。
「……そうか、わかった。 ちょっと待ってろ」
私は、一旦、スケジュールを確認する。 ズラせそうなものを後ろにズラすことで、なんとか明後日から2日間ほど、時間を作れそうな事がわかった。 調整は後でやろうと、電話の向こうに声を掛けた。
「明後日から2日ほどなら、なんとか時間を作れそうだ。 それまで保つか?」
その頃の私は、傲慢だった。
こと、妖、霊関係であれば、自分に解決出来ない問題などない。 そう思い込んでいた。 今となっては、何様のつもりだったのだと、そう過去の自分を責めてやりたいとこだが……。
昼過ぎ程の時間に健一の地元に着いた私は、ある寺へ向かった。 絹代さんの葬儀を取り仕切った住職の寺だ。 虚忘は、名前を知られてしまったタケルに執着する可能性があり、町を出ようとすると、妨害してくるかもしれない、と高島一家を寺に匿い、結界を張ってくれたのだ。
寺に着くと、確かに札による結界が張られており、霊や妖が嫌がる雰囲気となっていた。 ……が、あくまで嫌がる程度のものだった。 柱や戸に貼られた札を見て、私は鼻で笑った。 まぁ、普通の住職ならこんなものか、と。
健一達がいると言われていた本堂へ入ろうとすると、外から鍵が掛けられていた。 虚忘が本堂へ入らないようにするためと、中の高島一家が勝手に外に出ないようにするためだろう。
普通の霊や妖なら、鍵が開いてても、仏像のある本堂には入ろうとしない。 それでも入ってこようとする奴は、かなり強力なモノになり、鍵など簡単にすり抜けるか、壊してしまうだろう。 つまり、妖や霊に対して、鍵など無意味ということになる。
嫌がらせ程度とは言え、札で結界を張れるような僧であることを考えると、その事を知らない訳がない。
だから、鍵が外から掛けられている理由は、後者の高島一家を外に出さないため、というのが本命だろうことは容易に想像が着いた。
私は、本堂の周りを観察した後、住職がいるであろう寺務所の玄関へと向かった。
「おお、これはこれは、よくTVで拝見させてもらっています。 私、住職の高島 道昭と言います」
「どうも、六道 真念と申します」
出てきた住職は、眉が八の字の人の良さそうな年配の僧だった。 健一と同じ苗字だったが、特に親類関係とかではなく、この辺りに、高島姓と竹内姓が多いだけの事だった。
住職の話では、高島一家を泊めた初日、夜中に虚忘がやって来て、本堂の外から、出身地や名前をずっと聞いてきたそうだ。 そこで、高島一家の気持ちが折れて、本堂から出ないよう外から鍵を掛けるようにしたとの話だった。 相手が誰であろうと、外からの呼び掛けには答えないよう言いくるめて。
「無理矢理、中に入って来ないとなると、そこまで強い妖ではない、という事……ですか?」
「いえいえ、虚忘というのは、そういうモンなんですわ。 基本的は、家にいる時は、外からしか話し掛けてこない。 外にいる時は、普通に近付いてくるそうですがな」
普通は、何回か話掛けてくるのを無視していれば、いつの間にかいなくなる。 ただし、名前と出身地がバレてしまうと、喰われる。 そんな妖として、認識されているようだった。
「だから、この地方の子供達には、知らない人に名前や出身地を聞かれたら、無視するようキツく言ってるんですが……。 まぁ、外から来た子には、難しい話だったのかもしれませんな……」
住職に案内され、再び、本堂へ向かう。 鍵を開けてもらい、本堂の戸が開けられると、中から安堵の溜息が聞こえた。
「六道……ありがとう。 よく来てくれた」
「あぁ、可愛いアナウンサーとの共演を蹴ってまで来たんだ。 こいつぁ、高くつくぜ?」
疲弊した様子の健一に務めて明るく応えるようにした。 いつもと同じ憎まれ口の方が、健一の気が楽になると思ったのだ。
「六道のおっちゃん!」
挨拶もそこそこに、タケルが話し掛けてきた。 こちらも随分と嬉しそうだったのを覚えている。
「お、タケルか? なんか、ちょっと見てないうちに、随分大きくなったな。 俺が来たからには、もう大丈夫だ!」
「戦う和尚、いつも見てるよ」
タケルが、アチョーと言いながら、それっぽい構えを見せるが、正直、TVでアチョーなどと言ったことは一度もなかった。
タケルが安心出来るよう適当な話をした後、奥さんにも挨拶をした。 三人とも気丈に振舞ってはいるが、かなり疲れているようだった。 無理もない。 一晩中、虚忘とかいう妖に話しかけられるのだ。 無視すればいいとは言え、生きた心地がしなかっただろう。 しばし、旧交を温めたあと、私は方針を決めるため、住職に訊ねた。
「さて、住職。 虚忘ってのは、この町でしか活動出来ないんですか?」
ありえない事だとは思っていたが、最悪、虚忘を倒せなかった場合、逃げ切る事が可能なのかを確認したかったのだ。
「……以前、聞いた話では、この町以外でも活動出来るが、積極的にこの町を出ることはない……はずです」
どうにも歯切れが悪い気がした。
「では、タケルがこの町を出たら、追って来ることは?」
「……出身地を知られなければ、余程、憑いていくことはないでしょう。 ましてや、虚忘はつい先日、絹代さんを喰らったばかりで、まだそこまで空腹ではないでしょう」
それは、つまり逃げ出す事が出来るという事を意味していた。
「妨害される可能性があると、伺いましたが?」
「彼は、すでに名前を知られている。 あと出身地を知ることができれば、喰らう事ができる……。 空腹ではないとは言え、あまり外に出たがらない妖が、あと少しで喰らうことのできる者が町から出るのを黙って見ているとお思いか?」
という事は、例え、虚忘を倒せなかった場合でも、妨害をくぐり抜け、町の外に出さえすれば、助かるという事を意味している。
「……では、ここで虚忘を迎え撃ちましょう。 危ないと思ったら、すぐに町の外へ逃げる形に切り替える方向で!」
「……わかった。 君に従うよ」
高島夫妻が了承する中、住職だけが渋い顔をした。
「私としては、奴のいない今のうちに町を出た方が良いかと……」
「どうせ、すぐ見つかって、妨害されるんでしょ? なら、ここで迎え撃った方がいいでしょう。 それに倒せるなら、倒してしまった方が、今後の憂いがなくなる訳だし……」
「しかし……」
「大丈夫、大丈夫! 俺は、六道 真念ですよ? あ、ひょっとして、これから本堂を使う予定がおありですか? それならば、申し訳ないので場所を変えますが……」
「……いや、本堂はそのまま使ってもらって構わないんですが……」
私は住職の言葉を笑い飛ばして、その場での迎撃を決めた。 そもそも、名前と出身地さえ知られなければ、無害なのだから……余裕であろう。 その時の私は、そう考えていた。
それが大きな間違いだった。




