被呪者
次の日、宿を出た玲香は、與座と共にある寺へと向かった。
「ほな、今日の予定やけど、まずは連絡をくれた寺、鑑祥寺に行って、事情聴取。 そんで、いよいよ被呪者と一緒に保管されとる『箱』を回収っちゅう流れな?」
どうやら、鑑祥寺という寺の跡取り息子が箱の存在を公にしたらしい。 その寺は、代々『箱』の存在を見張る役割を担っているらしかった。
「……陰は、退治しなくてもいいんですか?」
その言葉に與座の表情が曇る。
「人には分相応っちゅうもんがあるんよ。 確かにキリューちゃんは、えらい厳しい養成学校を首席で卒業しとるかもしれへんが、まだまだ実績不足や。 陰やからって舐めとると痛い目見るで?」
イヤーマフを撫でながら呟く與座。 『山』の中でも、霊視では右に出る者がいないとまで謳われた若き営業主任の言葉が重く感じられた。
「……ところで、キリューちゃんって呼ぶのやめてくれませんか?」
「なんでや? キューちゃんみたいでかわええやろ?」
「……」
そうこうするうちに寺が見えてきた。 鑑祥寺だ。 大きな門を潜ると、右手に釣鐘。 いわゆる梵鐘が設置されている。 庭は小綺麗で清掃が行き渡っていた。 正面に本堂があり、玲香は本堂へと向かう與座の後に続いた。
「ん? ああ、こっちか」
途中で、ルートを変えて、左側の玄関へと方向を変える。 『玄』妙な道に入る『関』門。 玄関の名前の由来を思い出す。 こういった寺へと来ると、どうしても思い出してしまう。
「ごめんくださ〜い」
與座が、大声を張り上げる。 「は〜い」という返事が聞こえ、しばらくするとパーマを掛けたおばちゃんが、ばたばたとやってきた。
「すんません。 『山』の方から来ました。 御住職はおられますか?」
『山』の常套句だ。 多くの伝承や昔話で出てくる『山から来た法師』、『山から来た坊主』などは、この「『山』から来た」という言葉から来ていると知ったのは、養成学校に入って、しばらくしてからだった。
パーマのおばちゃんが引っ込んだ後、立派な和尚がやってきた。
「住職の松尾 巖哲と申します」
そう言って、頭を下げる住職は、玲香の目には疲弊しきっているように見えた。
「ん? どうかしましたん?」
無言で見つめてくる住職に與座が尋ねる。
「え? ……あ、いや……随分と若く見えましたので……」
「大丈夫。 見えるだけやのうて実際、若いで? うちら」
いや、そう事じゃないんじゃ? というのが玲香の率直な感想だった。 要は、住職は『箱』の対処という事で、もっと年配の人間が来ると思っていたのだろう。 「こんな若造で大丈夫か?」というのが住職の本当の気持ちなのだろう。
『箱』の脅威を知っていれば、そう思われても仕方ない事くらい、玲香でも理解できた。
「ほな、早速話を聞かせてもらおか?」
與座の言葉で、玲香達は応接間へと案内された。
「二日前の夜、息子から電話が掛かって来ました。 おそらく『箱』だろう、と」
巖哲の話では、息子の耕哲が、プチ同窓会という名目で、飲み会に行った日に起こった事だった。 飲み会に出かけた耕哲から電話が掛かって来た。
◇ ◇ ◇
「お、お、お、親父、落ち着いて聞いてくれぇい!」
「……まず、お前が落ち着け!」
「……」
「どうした? 何かあったのか?」
「……たぶん『箱』だ。 親父から教えてもらった『童箱』だ」
「! ……確かなのか?」
「ああ、カラクリで作られた木箱で、ものすごく禍々しい箱だ」
「……その箱は寄木細工でできてないか?」
「寄木細工? ……いや、そういう感じじゃあないよ」
カラクリ箱で有名なのは寄木細工で作られた秘密箱だ。 だが、秘密箱が日本で初めて作られたのは19世紀末だ。 平安時代よりも前から作られている『童箱』とは時代が合わない。 つまり、寄木細工ではないカラクリ箱は、それだけで『童箱』の可能性が高いのだ。 一説によると箱根の大川隆五郎が、『童箱』を基に考案したのが、日本で初めての秘密箱だと言われている。 もちろん寄木細工による作品だ。
「わかった。 今、どこにいる? すぐに他の人がいない所に移動しろ。 もし、近いのなら……箱が保管されていた所に行け。 場所がわかったら、すぐに教えろ。 そこに向かうから」
◇ ◇ ◇
「なるほど。 それで、実際見に行ったら本当に『童箱』やったっちゅう事やね?」
「ええ、あんな恐ろしい箱は、見た事がないです」
住職がガタガタと震え始める。
「今でも……思い出すんです。 吸い込まれそうな、あの二つの暗い眼窩を……」
住職は、『箱』に憑いている陰を見てしまったのだろう。
「それで、すぐそちらへ連絡して、今は『箱』が保管していあった田所という家で待機してもらっています」
被呪者は、松尾耕哲、前田和幸、田中渥美、田所睦美の4人で、『箱』は田所の実家で見つかった。 現在、4人は、田所家で待機しており、消防団の人間が交代で見張っているらしい。
「ん〜」
與座が悩ましい声を出す。
「どうかしたんですか?」
「いやな、住職の息子が被呪者の中におるやろ? ここの寺は、この辺の『箱』の監視と報告をお願いしとんねん。 ここで息子を見殺しにしたら、今後の体制に支障が出るんちゃうかな? って思ってな。 これが最後の『箱』やっちゅうならええんやが、そうとは限らんしなぁ……」
玲香の質問に與座が小声で答える。 確かにその通りだ。
「ふぅ、とりあえず解呪用の人間を一人手配しとくか……。 あぁ、またあの営業部長の佐藤にネチネチ言われるで……」
「……大丈夫ですか?」
「しゃあないやろ? まぁ、説教されたらされたで、『ココロココニアラズ』の術と『神妙な相槌』の術を使えば、大丈夫やろ」
玲香は、與座の戯言は置いておいて、被呪者を見殺しにする事はなさそうだ、と少しほっとした。
「ま、こんなもんやろ。 松尾さん、とりあえず田所さんとこ行ってくるわ」
「息子を、息子達をよろしくお願いします」
そう言って、頭を下げる住職を尻目に、與座と玲香は田所家へと向かった。




