KOI-GOKORO
「僕も和泉さんに彼女がいるかどうかはわかりません。 でも、修蓮さんに聞けば、おそらくわかるでしょう。 きっと修蓮さんも、もうすぐ帰ってくるはずですからね」
一ノ瀬君が、和室にテーブルを運びながら、話し掛けてくる。 私は、何故かそれを正座して聞いている。
「そ、そうね。 別に興味はないけど、聞いてみようかしら……。 話のネタとして……」
思わず、どもってしまう。
「ちなみに……和泉さんとスナックで一緒に飲んだ時、そのスナックのママと仲良く話をしてました。 あんな楽しそうな和泉さんは、なかなか見られないってくらい楽しそうでしたよ?」
「え? その……スナックのママは、綺麗……なの?」
「ええ、その人はとても綺麗で、年齢も和泉さんと同じ歳くらいです。 しかも、話題も豊富です。 和泉さんも、またそこに飲みに行きたいと言っていました」
大丈夫。 お酒の席の話だ。 和泉さんにとっては話が盛り上がるママなのかもしれないが、きっとそのママにとっては数多くいる客の一人だ。 そもそも、そういうお店の女性は話を盛り上げるのが仕事なのだ。
「……」
何故だろう? 冷静に分析しようとしている頭とは裏腹に心にダメージが……。
「でも、大丈夫です。 どんなに強力なライバルがいても、河合さんには僕が付いてます」
思わず、顔を上げてしまう。
「協力しますよ。 全面的に……」
「な、ななな、なにを協力するかは、わわわわわからないけど……、まぁ協力させてあげるわ」
おかしい。 ……なんでこんな話になっているのだろう? 確かに和泉さんに関しては、気になる存在ではあった。 だが、なぜこんな話になってしまったのだろう?
「いいですか? 和泉さんはおそらく女性慣れしてません。 だから、女性に対してぶっきらぼうな話し方をしてます。 でも、スナックのママは和泉さんから上手く話を引き出してました。 話題のテーマは歴史物です。 和泉さんは歴史ミステリー的な話が好きみたいなんです。 彼女とは邪馬台国と大和政権の話で盛り上がっていました。 だから、話題は歴史物の話がベストです」
「……歴史ミステリー」
噛み締めるように呟いてしまう。なんだろう? 例えば、源義経=チンギス・ハンみたいなものだろうか?
「ただいま〜」
そこに修蓮さんが帰ってきた。
「あらあら、ようこそ。 はじめまして。 私が大河内修蓮です。 可愛すぎる霊能者、いつもTVで拝見してますよ」
修蓮さんが、ニコニコ笑いながら、挨拶をしてくる。
「いえ、お恥ずかしいです。 本当は霊能者でもなんでもないのに……。 はじめまして。河合美子と申します」
そう、私は霊能者でもないのに霊能者と呼ばれている。 本当は単なるカウンセラーなのだ。 霊がいると思い込んだ人々のノーシーボ効果による不調を話を合わせる事で効率的に治療しようとしていただけなのだ。 もちろん、霊を否定する訳ではないので、ひょんな事から再発する事があった。 それを根気よく話を聞いて、治療してきたはずだった。 その際に有名な霊能者という肩書は、とても効果的だと思っていた。
……あの『えんぎご』を見るまでは……。
あれを見てしまうと、再発した人達は、本当に霊の被害に遭っていたのではないか? と考えてしまう。 『えんぎご』を見た後、帰りの新幹線でずっとそんな事ばかり考えていた。
「真ちゃんから聞いてるわ。 貴女、霊能者として心理カウンセリングで、困っている人を助けてるらしいわね。 十分立派な事よ。 だから、胸を張ってちょうだいね。 ところで、真ちゃんは?」
「さっき、夕食の準備に行きましたよ」
修蓮さんの質問に一ノ瀬君が答える。
「そ。 ところで河合さん、電話で霊能者としての修行を受けるに当たって、絶対に守って欲しいことがあるって言ったの、覚えてる?」
「はい。……実際に霊や妖が視えても、自分で対処しようとしないで、修蓮先生の所を紹介するというお話ですよね?」
それは霊能者の修行をお願いする際、電話で伝えられた内容だった。
「そう。 私達がいいと言うまでは、絶対に自分で何とかしようと思わない事。 生兵法はケガの元ですからね。 まずは普段通りカウンセリングで対応するように……ね」
そう笑う修蓮さんの笑顔を見て、ビジネスホテルで見た和泉さんの笑顔が重なる。 私の知らない世界を見せてくれると言って笑った笑顔に……。
……そうだ。 思えば、あの瞬間に私の中で和泉さんが大きくなってしまったのだ。 ……結局、和泉さんは憑依霊の除霊に失敗して、いい所はなかったのだが……、それでも私はあの笑顔に……。
「それから……、航ちゃん、この間真ちゃんを助けてくれてありがとうね。 あの子もまだまだ詰めが甘いのよね。 きっと、美子ちゃんを見て舞い上がっちゃったのね。 あの子、女の子に免疫がないから……」
和泉さんに彼女がいるのか? その質問をどう切り出すか悩ましい所ではあったが、思わぬ所でチャンスが舞い込んできた。 この流れなら自然に聞けそうだ。
「免疫がないんですか? じゃ、彼女とかもいないんですか?」
声を出そうとしたところで、一ノ瀬君が先に質問する。
「たぶんねぇ。 いつも依頼人が若い女性だとクールぶって格好つけて、失敗しちゃう事が多いのよねぇ。 やっぱり、こういう閉じた環境で育てちゃうと、アレね。 もう40歳だって言うのに、浮いた話一つもないなんて……お母さんもいつも心配してるのに……ねぇ」
そう言って、修蓮さんは少し困った顔をして、こちらを見てくる。
「基本的に貴女の指導は真ちゃんにおまかせするから、仲良くしてあげてね? なんなら合コンの一つもセッティングしてくれると助かるわぁ。 まぁ、貴女のお友達に40過ぎのおっさんでもいいって言ってくれる人がいれば……だけど」
「そんな……」
修蓮さんの不意打ちに顔が熱くなるのを感じた。 それを見て不思議そうな顔をする修蓮さん。 ……と、そんな修蓮さんが私でも、一ノ瀬君でもないところを見詰める。
なに? なにを見てるの?
何もない空間を不思議そうに見ていた修蓮さんの顔が、とんでもなく悪い笑顔へと変わる。
……なんだか、とてつもなく悪い予感がする。
「……なんなら、貴女でもいいのよ? 真ちゃんの……お嫁さん」
「な、なななな、なにを……」
「ふふふ、冗談よ。 冗談」
修蓮さんがいたずらっ子のようにカラカラと笑う。
「……人をダシにして、変な冗談を言うのはやめてくれませんかね?」
そこに、大皿を二つ持った和泉さんがやってきた。 サラダと刺身の盛り合わせだ。
「河合さんが来る事を知ってたんなら、言ってくれたらよかったのに……」
和泉さんがぶつぶつ言いながら、テーブルに大皿を置く。
「一ノ瀬君、ちょっと手伝ってくれないかい?」
和泉さんに言われ一ノ瀬君が台所に向かう。 ……修蓮さんと二人きりになった。 ……なんか気まずい。 そう思っていると、修蓮さんも和室から出て行った。 ……と思ったら、一升瓶を持って、すぐに戻ってきた。 瓶のラベルには『ぎん』と書いてある。 ……なかなか手に入らないプレミアムな日本酒だ。
「さて、今日はお酒でも飲みながら、女子トークでもしましょ?」
その言葉のすぐ後に、和泉さんと一ノ瀬君により、ビールと大量の唐揚げが運ばれてきた。
そこからは、プチ宴会のような流れになった。
◇ ◇ ◇
「真ちゃ〜ん、ちゃんとのんれるぅ?」
河合美子は、最初のうち、修蓮さんと何か話しながら、飲んでいた。 そこに、お酒をお供えしてもらったキキも参戦していたようだった。 そして、しばらく飲んでいたと思ったら、怪しい呂律で和泉さんに絡み始めた。
「……真ちゃんって呼ぶな」
冷たくあしらおうとする和泉さん。
「……なんれ? なんれ、そんなつれたい事言うろよぉ」
途端に涙目になり、和泉さんを真っ直ぐ見詰める河合美子。 すぐ顔を逸らそうとする和泉さんの顔を両手で掴み、じっと見詰める。 必死に目を逸らす和泉さん。
……そして、それを間近で見詰めるキキ。 その手に持たれたスルメが親父臭い。 ふと見ると修蓮さんもスルメを齧りながら、少し離れた場所で和泉さん達を見ている。 二人の少しニヤけた表情に悪意を感じる。 修蓮さんの脇には空になった一升瓶と半分くらい入った一升瓶が置いてある。 ……どんだけ飲ませたんだ?
「真ちゃん、みらもとのよしつれって、ちんぎすはんりらったんらって。 しってた?」
ん? 歴史ミステリー? ……へたくそか!?
「ねぇ、真ちゃんはぁ、わらしのころどう思ってるろ?」
「……どうって……別に」
「わらしはね、真ちゃんのこと………………オロロロラララ」
河合美子は、両手でロックしていた和泉さんの胸に向かって、……盛大に吐いた。 そこには一体のマーライオンがいた。 ここはシンガポールだったんだ!
「……きぼぢ……わるい……」
河合美子は、そう言い残し、自分の吐瀉物の中へと沈んでいった……。
……ここは地獄か!?
その後、河合美子は修蓮さんに介抱され、僕と和泉さんは部屋の掃除に追われ、夜は更けていった。
次の日の朝、僕と和泉さんと河合美子の間に気まずい空気だけが流れた。 結局、僕は霊視のコツを何一つ掴めないまま、河合美子が最悪の印象を和泉さんに与えたところを見届けて、逃げるように修蓮さんの家を後にしたのだった。
チーン。




