『えんぎご』とは、なんぞや?
「ほんっとぉに、ありがとぉございましたぁ」
次の日、まだ本調子とは言い難い長屋ディレクターにお礼を言われた。 本人が言うには、まるで長い間、夢を見ていたような、朧げな感覚だったらしい。
「お礼なら、青木君に言ってください。 彼が、我々に依頼してくれたので……」
口の聞き方を知らない柊に代わって返事をする。 依頼は青木君だったが、報酬は長屋ディレクターが出す事になった。 自業自得料金として、結構な高額を請求したが、二つ返事で支払う意思を見せる長屋ディレクターを見て、どんだけ貯金があるんだろう? と気になってしまった。
あれから、『えんぎご』は、柊の本によって喰われた……。 本の一部が巨大化し、鋭い牙で咀嚼する様子は、まるで映画のCGのようだった。 ……人を食べる事に執着させる精霊の末路が、本に喰われて終わりってところに皮肉を感じる。
ちなみに、それを見た河合美子と冴島も、僕と同じで呆然としていたが、青木君だけは顔を真っ青にさせて、トイレに駆け込んでいた。 どうやら吐いていたようだ。 ……柊と2人っきりで向かった集落の跡地で、一体何があったのだろう?
その後、一晩経ったところで、長屋ディレクターが復活!
まだ、重いものは食べられないらしいが、朝食にお粥を食べて、だいぶ元気が出たらしい。
そして、朝のチェックアウトの際の今に至る。
「青木君、……本当にありがとう! ……河合先生も冴島も……本当にありがとう!」
河合美子が、困ったような顔をしながら、こちらを見ている。 ……きっと複雑な気持ちなんだろうなぁ。 でも、僕にはなんの手助けもできない。 南無〜。
その後、僕らは和泉さんの車で、長屋ディレクター達は新幹線で帰る事になった。 ここから東京まで送ると、僕らの地元を一度通り越す事になり、帰りが大変だからだ。 ……主に和泉さんが。
ちなみに当の和泉さんは、昨日、少し凹んでいた。
「完全に慢心していたよ。 中途半端な考察……、いや、あれじゃ考察とも言えないな。 表面だけ見て、わかった気になって……。 『えんぎご』に関しても『河合美子』に関しても……。もし、一ノ瀬君がいなかったらと思うと、ゾッとするよ……。 私もまだまだ修行が足りないな……」
そう哀しそうに笑っていたのが印象的だった。
「まっ、いいじゃん! 結果良ければ全てヨシっ! だな?」
……親指を立てながら下手くそなウィンクをする、柊の適当さも印象的だった。
「……じゃあね。 ……いろいろ……勉強になったわ」
別れ際、ずっと思い詰めている感じの河合美子が呟いた。
「気が変わったら、連絡してください。 絶対に悪いようにはしませんから……」
長屋ディレクターは、僕達をTVに出させようとしているようだ。 チェックアウト後、ずっと口説いてきていた。 和泉さんも柊も断っていたが、最後までしつこく言っていた。
「……さて、俺達も帰るか。 真ちゃん、今日、うち泊まっていきなよ。 打ち上げしようぜ?」
柊が、和泉さんを打ち上げに誘う。 きっと、strawberry moonで打ち上げするつもりなんだろう。
こうして、僕の動画が発端で始まった初の遠征は終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
「……ん〜、なんかどっかで聞いた事があるのよねぇ」
地元に戻り、ささやかな打ち上げをしている時に、strawberry moonのママが呟いた。 柊が、今回出てきた妖怪はなんだったか? というクイズを出したのだ。 その意地悪なクイズにママと地味目ホステスの梓が頭を悩ませている。
どうやらママは、寒気を感じる、人を食べたくなる、いつも誰かに見られている気がする、というヒントに心当たりがあるようだ。 ……だが、流石に『えんぎご』は出てこないだろう。
僕と和泉さんが、柊の意地悪さに苦笑していると、案の定、梓からギブアップの声が上がった。 続いてママがギブアップするまでは、然程、時間が掛からなかった。
「答えは、『えんぎご』でしたぁ」
ドヤ顔で、答えを伝える柊と、何それ? という梓の表情。 そりゃそうだ。 ホラーチャンネルという動画を流すほどのオカルト好きの僕でも、そんな妖怪、今まで聞いた事がなかったのだから。
「……ん? 『えんぎご』? えんぎご……えんぎご……」
意外にも、ママが怒る仕草も呆れる仕草もせずに、ぶつぶつと『えんぎご』の名前を呟いている。 ……どうかしたのだろうか?
「……ねぇ、それって、『えんぎご』じゃなくて、『ウェンディゴ』じゃない?」
「うぇ……?」
柊が、頭の弱い子のような声を出す。 ……残念な子だ。
ママから、聞き覚えのない言葉が出てくる。
「なに? その『ウェンディゴ』って」
思わず、ママに質問する。
「私の好きなインディアンにオジブワ族っていう部族がいるんだけど、その部族を含む一部の部族でのみ、恐れられている精霊よ。 ちなみにこの店のstrawberry moonって言葉もオジブワ族の風習から取った名前なの」
インディアン好きという意外な趣味をカミングアウトしたママの話では、『ウェンディゴ』というのは、氷の精霊で旅人の背後に忍び寄り、かすかな声でひたすら話しかけてくるという地味な嫌がらせをする精霊らしい。
ただし、『ウェンディゴ憑き』という言葉があり、『ウェンディゴ』に憑かれると人肉、特に自分の家族の肉を食べたくなるというのだ。 さらに、『ウェンディゴ』に憑かれた人間は、自分が『ウェンディゴ』に変貌してしまうらしい。 他にも、人によっては内臓が凍りついたと主張する者もいるらしく、今回の『えんぎご』騒動とかなり似た話だった。
「……確かに『えんぎご』に似てる」
思わず呟いてしまう。
「……でも、それってインディアンの話っしょ? しかも一部の部族でのみ恐れられているって話じゃん? この日本で、その『ウェンディゴ』ってのが出るのは……、おかしくね?」
柊が疑問を口にする。
そう、ここは日本なのだ。 しかも、『えんぎご』は、昔からいたとされていた。 なんで一部のインディアン達が恐れる精霊が日本にいるというのだ。
「ふふ、実はそれを説明できそうな仮説があるのよね」
ママが、不敵に笑う。
「あ〜ぁ、ママに火がついちゃった……」
梓の諦めの念を含んだかすかな呟きが聞こえた気がした。
「オジブワ族の特徴にクラン・マザーと呼ばれる女性が部族をまとめる文化があるの。 他には、入墨を入れる習慣があったり、精霊を信仰したり……。 これって、他にも聞いた事ない?」
?
そう聞かれても、さっぱりわからない。 なんかあったっけ?
「……もしかして、邪馬台国って言いたいのか?」
和泉さんが、ぶっきらぼうに口を開く。 『ぜんきごき=えんぎご』説が完全に否定されて、不機嫌になったのだろうか?
「That's right! そう、邪馬台国は魏志倭人伝に、こう書かれているの。 『男子は皆入墨を入れ、卑弥呼という巫女により統治されている』 ね? 似てるでしょ?」
「当時の部族を考えると、そんなん世界中にたくさんありそうだがな……」
和泉さんが、眉を顰めながら反論するが、ママは無視して話を進める。
「もし、魏志倭人伝に出てくる倭人とインディアンが同じルーツを持っていたとしたら、『ウェンディゴ』が日本で恐れられていても、おかしくないわ!」
「え? じゃ、僕ら日本人とインディアンは同じルーツを持っているって事?」
「残念ながら、厳密には違うと思うわ。 邪馬台国は、卑弥呼の死後、大陸から来たモンゴリアンと混ざり合いながら、九州から畿内へと移動したと思うの。 だから、インディアンとルーツが同じと言えるのは……、その邪馬台国に北と南に追いやられた琉球民族とアイヌ民族じゃないかしら?」
「え? じゃ、僕らの先祖は、先住民を追い出しながら、繁栄していったって事? まるで、開拓時代のアメリカだ……」
「……私は、そう思っているわ。 ……一人称で『わ』って言葉があるの知ってる? 今では、沖縄と東北、北海道でしか使われない古い言葉なんだけど……」
その言葉にドキリとする。 なぜなら、『えんぎご』と同調していた時に使っていた一人称が『わ』だったからだ。
「もともと倭人って、自分の事を『わ』って言ってたからっていう説があるの。 もともと『わ』って言葉を使っていた倭人を後から来た人間が南と北に追いやったって考えると、『わ』という言葉が、沖縄や東北・北海道でしか使われない事も自然な気がしない?」
「大陸から来た人間が、先住民を追いやって畿内に進んだという事は、ありえない話ではないと思うが、邪馬台国と混ざり合ってっていう根拠はなんだ?」
和泉さんが、ママに尋ねる。 もともと鋭い目付きが、さらに鋭くなっている気がする。
「邪馬台国のあった場所に関する論争からよ。 九州説と畿内説があるのは知ってるわよね? でも、両方本当だったとしたら?」
「……遷都か」
「そう。 大陸の人間を受け入れ、馬を手に入れ、畿内へ攻め入ったと考えれば説明がつくの。 その後の大和政権の特徴から見て、邪馬台国だけでもダメ。 九州と畿内、両方に存在する邪馬台国の爪跡から見て、大陸の人間だけでもダメ。 両方がMIXされて、初めてこの説の信憑性が上がるのよ」
「……なるほどね。 酒の席の与太話としては、よくできてる」
水割りを口に含み、唇を湿らせた後、和泉さんが厳しい口調で話す。 ……和泉さん、ママが嫌いなんだろうか? いや、河合美子への態度の事も考えると、……この人……女性に慣れてないな?
「でしょ?」
「だが、いくつか気になる点がある……。 まず第一に、倭人とオジブワ族が同じルーツという話だが、クラン・マザーに似た制度があったのは邪馬台国だけ。 他の倭の国は男王が主流だった。 全体の共通点が、入墨だけでは根拠が弱い」
そこで、和泉さんが酒を含む。
「第二に、邪馬台国が九州から畿内へ遷都したという説だが、邪馬台国の爪跡があると言っていたが、正確には規模の大きい集落があった痕跡が九州と畿内にあったって話だけだ。 その規模の集落が同時期に九州と畿内に発生していたとしても、なんら不自然ではない」
ん? 心なしか和泉さんの声が楽しそうだ。 ……もしかして、和泉さん、こういう歴史ミステリー的な話……好きなのか?
「そもそも、……史実や記録の中から、都合のいい部分だけを切り取って、自分の説が、さも正しいように言うのはよろしくない」
「あら? 意図的に言わなかった事に気付いていたの? でも、日本書紀私記の甲本においては、……〈以下、省略〉……」
なんだ? 何が始まった?
「だが、説文解字の中では、…………〈以下、省略〉…………」
「でも、………〈以下、省略〉…………」
……〈以下、省略〉……。
ママと和泉さんの話が、『ウェンディゴ』から激しく脱線し、邪馬台国や倭人、さらには大和政権にまで話が発展していくのを生暖かい目で見守りながら、僕と柊、地味目ホステスの梓と、ついでにキキにもお酒をお供えして、「あの2人、楽しそうだね」と笑いながら飲み、夜は更けていったのだった。




