食人を正当化するための概念。
「……いいか? 大事なのは、自分が『えんぎご』だと思う事じゃあない」
ん?
「無心になる事だ」
あれ?
今まで聞いてた同調の話と違くね?
「待った! ちょっと待った! 同調ってそういうのなん?」
柊は、和泉さんを支える役目を冴島と交代し、御祓についてレクチャーしてくれている。 ……と、言っても、柊自体は御祓をした事がないので、師匠の受け売りらしい。
「いや、同調する前に、まず『繋がる』必要があるんだ……らしい」
要は、同調の前段階として、受け入れやすい状態を作る事が必要らしい。 例えるならラジオの周波数を合わせるようなイメージだ。 それができた時点で次の段階に進む。 いわゆる同調だ。 自分が『えんぎご』の一部だと強くイメージする。 その際、『えんぎご』の気持ちになりきる必要はない。 何故なら、精霊に自我はないのだから……。 そんなん言われると、逆にどうすればいいのかわからないのだが……。
後は、勝手に意識が引っ張られるので、流れに身を任せる。 その際に色々な情報が入ってくる事があるが無視する。 そして、意識が沈みそうになったところで、一気に目覚める要領で『外に出る!』と意識する。 それで、終わりだ。
上手く行けば、自分の意識も戻り、『えんぎご』も外に出ている状態になる。 ダメならそのまま、意識が沈んでいき、『えんぎご』に取り込まれる。 いわゆるバッドエンドだ。
初心者にとって一番難しいのは、最初の『繋がる』という事らしい。
「多分、『えんぎご』を出す事が出来れば、和泉さんも戻ってこれると思う……」
柊もこういうのは初めての事らしいので、自信はないそうだ。 ……とは言え、和泉さんの事を考えると、ダメ元でやるしかないのも事実だ。
「……航輝、絶対に戻ってこいよ?」
……嫌なフラグを立てた柊に、僕は無言で頷き、長屋ディレクターの背中に手を当てる。 ……と同時に無心になろうと試みる。
……無心……無心……無心……無心……。
いや、無理だろ!? 無心ってなんだ? 意識すればする程、『無心』って言葉が頭に浮かんでしまう。 そんなの無心じゃないだろ?
僕は一度、長屋ディレクターから手を離す。
ふと、ラジオの周波数を合わせるというイメージだという事を思い出す。 家にあった父の古いラジオをイメージする。 幼い頃、勝手に分解して二度と直らなかった、あの黒いラジオ。 長屋ディレクターの背中に手を当てると同時にイメージの中のラジオの電源を入れる。
……ザ…………ガキ……ザ……。
イメージの中でノイズが走る。 こんなんでいいんだろうか?
僕はイメージの中で、ラジオのチューナーのツマミをゆっくりと回す。
……ザ……ふゆ……ザ………あんだ……。
さらにツマミを回す。
……ことし……がき……はる……。
……家族は…………食べ……ない……。
段々と言葉が聞き取れるようになってきた。 これでよかったんだろうか? 僕は、イメージの中で、さらにツマミを回す。
‥….春がくれば、山の恵も戻るじゃろ……。
ようやく、はっきりと言葉が聞こえた。 ……と同時にラジオが歪み、黒い球体のような物に姿を変えた。 光さえも吸い込むような漆黒の球体だ。
球体が手招きしているように見える。
……なんだっけ?
……『えんぎご』の一部だと強くイメージするんだっけ?
……違う。 『えんぎご』に自我はないはずだ。 ならば、こうだ!
……僕は冬だ。 感情を凍らせろ。 心を凍らせろ。 全てを凍らせろ。 ぼくは冬だ。
黒い球体が、どんどん大きくなる。 なんとなく「あぁ、そうか……」と呟く。 ……やがて、おれは巨大になった黒い球体に飲み込まれた。
◇ ◇ ◇
……闇だ。
私は闇に溶け込んでいく。 なんて気持ちがいいんだ……。 次第に、わたしと闇との境界がわからなくなる。 我は闇で、闇は我だ。
……不意にわれの耳が音を捉えた。
「……今年の冬さえ乗り切れればいいんじゃ……」
「……かぁちゃん、ごめんな……」
「……お前らはなんもわるない。 --に憑かれたんじゃ。 よう働かん儂が役に立つんは、こんなんだけだわ。 せやから、お前らはなんもわるない……」
……ああ、そうか。 家族のために、老婆が自分を食べてくれ、と懇願しているのだ……。 自分が食べられる事で、愛する息子を、その妻を、可愛い孫を、生き延びさせようとしているのだ……。 誰も悪くはないんだと……。 悪いのは、わだけ……。 すべてをわのせいにして、自分を食べさせようと縋る老婆。
……ならば、すべて、わが背負ってやろう。
「……かぁちゃん……堪忍な……」
……可哀想だとは思わない。 そういうものだ。 水が高いところから低いところに流れるのと同じだ。 そういうものなのだ。
まどろみながら、聞こえてくる音に耳を傾けて、まったりしていると、不意に違和感を覚える。
なんだ?
歯に何かがはさまっているような……。 微妙な不快感。 舌でこそぎとって、飲み込むか、吐き出すかしてしまいたい衝動に駆られる。
わは、辺りを見回す。
……あった。
男だ。
なんでこんなのが紛れ込んだのか?
とりあえず、飲み込むか、吐き出すか。
ん〜、なんか見覚えがある気がする……。
(……吐き出したら?)
ん? なんか聞こえた気がする……。 気のせいか?
まっいいか。 吐き出しちゃおう。
ペッ。
わは、異物をペッと吐き出した。
(今よっ! 外に出てっ!)
再び聞こえた。 女性の声だ。 どこかで聞いた事ある声のような気がする。 どこだっけ? ん? ……外に? ……出る?
……そうだっ!
思い出したっ!
わは、我は、私は、俺は、……僕は……外に……出るぞぉおおぉぉっ!
◇ ◇ ◇
気が付くと、僕は長屋ディレクターの背中に手を当てた状態だった。
随分、長い間、夢を見ていた気がするし、一瞬だったような気もする。 ……確か、僕が御祓する事になって、……それで……。
〜っ!
我に帰った僕は、慌てて和泉さんのいたはずの場所を見る。 すでに長屋ディレクターの後ろに和泉さんの姿はない。 どこに行った? 部屋の中を見回す。
……いた。
ベッドに腰掛けている。 とても疲れているようではあるが、微笑んでいる。 意識のない廃人には見えない。 和泉さんを見ていると、僕の後ろを指差して微笑んでいる。 なんだろう? 見ろって事だろうか?
振り向いた瞬間、とんでもないモノが見えた。
黒いモヤが、蜘蛛の巣ような白いモヤに捕らえられていた。 黒いモヤは、広がったり、縮んだりして、蠢いている。 白いモヤはなんだろう?
「……航輝、お疲れ」
僕は、目の前の状況と、メガネを掛けた柊のその言葉を聞いて、白いモヤが煙管の煙である事がわかった。 そして、全てが上手くいったという事がようやく理解できた。
途端に、足に力が入らなくなる。
ズルリ、と倒れそうになるのを青木君が支えてくれる。 「ありがとう」と言いながら、河合美子と冴島を見ると、2人とも口を開けたまま、黒いモヤを見ているように見えた。 ……みんなにも見えるんだ……。
長屋ディレクターを見ると、目を閉じて、ぐったりしている。 大丈夫なんだろうか? よくよく耳を澄ますと、寝息が聞こえる。 ……なんだ、寝てるのか……。
「……さて、お疲れのところ悪いんだけど、ブルーツ・リー君、報酬の話をしようか?」
柊が、満面の笑みを顔に貼り付けながら、そう呟いた。
「待って! ちょっと待ってよ。 なんなの? この状況。 誰か説明してよ!」
河合美子が、状況についていけずに声を張り上げた。 それも仕方ないのかもしれない。
「……状況って、見たまんまだよ。 まぁ、いろいろあったけど、長屋ディレクターに憑いてた『えんぎご』ってのを外に追い出す事に成功して、それを捕まえたってところだよ。 ……このまっくろく○すけみたいな奴が『えんぎご』だよ」
「……そんな……本当にそんなのがいるなんて……」
柊が、簡単に状況を説明して、河合美子が信じられない、と声を上げた。
「なんだ? やっぱり信じてなかったんかよ?」
柊が、少し軽蔑したような声を出す。
「……柊、この人は霊能者とは言っても、心理カウンセリングを主に生業にしている人なんだ。 霊は見えなくても、妖や精霊は信じていなくても、別のアプローチで人々を救ってるんだ」
何故か、和泉さんがフォローを入れる。
「霊能者の皮を被ったカウンセラー……ね」
柊、言い方……。
「まさか、こんなにはっきりと見えるなんて……」
「……それな」
青木君と冴島が、未だに踠いている『えんぎご』をまじまじと見つめながら呟いている。
「青木君達は、あんまり驚いてないみたいだね?」
「いや、驚いてますよ。 こういう仕事をしていると、科学では説明できない事も確かにある、というのはわかるんですが……、ここまではっきりと遭遇したのは初めてで……」
「俺もっす……」
青木君の言葉に、冴島が同意する。
河合美子を見ると、「本当にこんな世界があるなんて……」と、ぶつぶつ呟きながら、ベッドに腰を掛けている。 どうやら彼女の価値観の一つを破壊してしまったらしい。 仕事に支障がなければいいのだが……。
ふっと、『えんぎご』と同調していた時の事を思い出す。
誰かが導いてくれた。 ……誰が? どこかで聞いた事がある声だった。 ……どこで聞いた? あの時、感じた違和感は、おそらく取り込まれそうになっていた和泉さんだったのだ。 それを「吐き出したら?」と言ってくれた、あの声。 あの声がなければ、和泉さんも助けられなかったし、自分もあのまま『えんぎご』に飲み込まれていただろう。
そう思いながら、柊の吐いた煙管の煙に捕らえられている『えんぎご』を見る。 その側に立って笑っているキキを見る。 ……そうだ。 完全体だった時に喋っていたキキの声に似ているんだ。 そう思いながらキキを見ていると、不意にキキと目が合う。 目が合ったキキは、僕の顔を見て、不思議そうに小首を傾げている。
「……まさか……ね」
僕は、誰にも聞かれないよう小声で呟いた。




