ごめん。何言ってるか、ちょっと、わかんね
「キキ、『えんぎご』が抜ける瞬間は分かるか?」
準備を終えた柊がキキに尋ねる。 キキは無言のまま、コクリと頷いた。 河合美子、冴島、青木は、誰に何を言っているのかわからない、といった不思議そうな顔をしている。
「じゃあ、同調が切れそうってのは分かるか?」
またもや、キキは頷く。 流石、腐っても鬼という事だろう。 ちなみに、同調が切れるということは、和泉さんの意識が持っていかれた状態でリンクが切れる事を意味し、和泉さんが廃人になってしまうという事だった。
ちなみに、和泉さんが『えんぎご」と同調し始めると同時に、柊が煙管を持ってスタンバイし、抜ける瞬間にキキが両手で大きく丸を作る。 その合図で柊が煙管の煙で、『えんぎご』を捕らえる。 あとは流れでよくね? というのが柊の案だ。
運悪く、同調が途中で切れる場合は、キキが両手でバツを作る。 その合図が出たら、みんなで和泉さんが戻って来れるよう名前を呼び掛ける手筈となった。
僕ら以外の3人、河合美子、冴島、青木君は、キキが見えないので、僕らが呼び掛け始めたら、一緒に声を掛けてもらう事になった。
それでも、戻って来れるかは、五分五分の確率らしい。 そう考えると、憑依霊を払うというのは、かなりリスキーだ。 修蓮さんが、和泉さんの狐憑きを治すのに長い年月を要したのも頷けるというものだ。
……それを、この短期間で実行に踏み切っていいのだろうか?
僕の頭に、再び不安が過ぎる。 何かが抜けている気がする。
「……ねぇ、冴島君、この一箇所だけマーカーの色が違うけど、何が書いてあるの?」
僕は、読めない史料について質問してみる。
「……? これは、『えんぎご』が食人に関係するっていう記述っす。 こっちの色が、食人の記述はないけど『えんぎご』について書かれている部分で、こっちの色は、他の妖怪で食人を示唆する内容っす」
『えんぎご』の食人に関する記述は、一箇所しかないのか……。
「こっちの『えんぎご』の記述は、何が書いてあるの?」
「……冬を連れてくるとか、寒気を感じるとか、『えんぎご』に憑かれると『えんぎご』になるとか、そういうのっす」
『えんぎご』に関しては、そっちの記述の方が圧倒的に多い……。 ……冬。 ……寒気。
何かが警鐘を鳴らす。
「じゃ、始めるぞ」
僕の不安とは裏腹に和泉さんが準備を終えて、長屋ディレクターの背中に手を当てる。 止めなければいけない気がするが、何の根拠もなく、止めるのはどうか、と躊躇してしまう。
……。
「始まったな。 しばし待ちだな。 キキ、頼むな」
柊がそう告げる。 呆気なく始まってしまった。 頭の中で警鐘が激しく鳴り続ける。
「ねぇ、冴島君、……この地方って、冬に食糧難とかよく起きてた?」
「……よくかどうかはわかんないけど、台風の被害とかで飢饉か起きてた記述はいくつかあったっす。 そういう年は、冬になると大幅に村人の数が減ったらしいっす。 一番有名なのは天保の大飢饉ですが、他にもちょいちょい飢饉が起きてたらしいです」
その言葉に、パズルの最後のピースが嵌った気がした。
おそらく、『えんぎご』は、食人衝動に駆られるという概念ではなく、食人を正当化するための概念なのだ。
食糧難に襲われた村人達は、口減らしを考えたはずだ。 当然、山に捨てられた者もいただろう。 だが村人達は、口減らしと食糧難の対策を同時に取れる方法を思い付く。 ……食人だ。
食人は禁忌だ。 それを正当化するために「自分は『えんぎご』に憑かれた」という言い訳が必要だったのだ。
後ろめたさもあっただろう。 だから、伝承には冬を示唆する記述が多く、食人に関する記述は少ないのだ。 そう考えるといろいろと辻褄が合うような気がする。
『えんぎご』は、飢饉の年の冬、そのものを象徴していたのだ。
……和泉さんを止めなければ!
「……柊! 今すぐ和泉さんを止められないか?」
「はぁ? 今さら無理だし……」
「概念が間違ってる! 『えんぎご』の概念は、飢饉の冬だ!」
「……ごめん。 何言ってるか、ちょっと、わかんね」
確かに何を言っているのかわからない表現になってしまった。 でも、何としても伝えなければならない。
「だから、『えんぎご』は飢饉の冬そのもので、『食人衝動に駆られるという概念』じゃなくて、『食人を正当化するための概念』なんだ!」
僕は、なんとかわかってもらうために、言葉を選びながら、自分の仮説を説明する。 説明を聞きながら、柊の顔色が変わっていく。
「……やばいな。 中途半端な同調が一番危険だ……」
説明を終えると柊は僕の言いたかった事が理解できたらしく、危機感を溢した。 それとほぼ同時にキキが、両手でバツを作ったのが目に入った。
慌てて和泉さんを見ると、長屋ディレクターの背中に手を当てたまま、ずるりと体勢を崩した。 柊が間一髪で和泉さんを支える。
「まずい……。 手が離れたら、完全にリンクが切れる……」
僕は、大声で和泉さんの名を呼んだ。 柊も和泉さんを支えながら、口を動かしている。 それを見た河合美子、冴島、青木君も口を動かし始めた。 すべてがスローモーションに見えた。 必死で和泉さんの名を呼んでいるのに、自分の声も聞こえない。 ……まるで、世界から音が盗まれたような静寂の中、僕はひたすら口を動かした。
キキが首を振るのが見えた。
途端に世界に音が戻った。 みんな大声で和泉さんの名を呼んでいた。
「……ダメだ。 誰かが無理矢理、引っ張ってこないと……」
柊が、掠れた声で呟いた。
誰かが?
誰かって誰だ?
「俺は、……霊感がまったくないんだ。 だから、潜る事ができない……」
柊が呟きながら、僕を見る。
「……この中で、一番、霊感が強いのは航輝だ。 なんせキキが見えるのは、航輝だけなんだから……。 潜れる可能性があるのは航輝だけなんだ……」
ごめん。 何言ってるか、ちょっと、わかんね。
「無理にやれとは言わない。 下手すると航輝も廃人になるリスクがあるから……」
……ごめん。 何言ってるか、ちょっと、わかんね。
「だから……航輝が決めてくれ……」
そう言った柊の目は、とても真剣で……。 思わず逃げ出したくなってしまう程な訳で……。 他の三人も状況がわからず不安そうな顔で僕を見てくる訳で……。 そんな事ない、とわかっていても、みんなが責めるように僕を見ているような気がしてくる訳で……。 それでも、和泉さんを見捨てるなんて考えたくない訳で……。
僕は、柊の目を真っ直ぐ見る事ができなかった。
……怖い。
廃人? ……何それ? なんでそんな話になるんだ?
僕は、ただ僕の動画の視聴者の依頼だったから、顔繋ぎのためについてきただけだったはずなのに……。
「……なぜ、自分だけがこんな目に……」
初めて会った時の和泉さんの言葉が、脳裏に浮かぶ。 あの時、僕は和泉さんの話を聞いて、前向きな気持ちになったのだ。 正直、この人よりはマシかもしれない、という浅ましい気持ちも多分に含まれていた。 でも、それでも、僕は和泉さんに支えられて、……救われたのだ。 そう救われたのだ。
見捨てたくない!
他人のために、自分が廃人になるリスクを負うなんて、人が聞いたら、馬鹿だと言われるかもしれない。 でも、和泉さんも修蓮さんも、そんな馬鹿な事をやっているのではないか? ここで逃げたら、僕を救ってくれたその人達に顔向けできないのではないか?
……でも、それは僕自身が無事である事が前提だよね? 本当に僕ごときが、和泉さんを助けられるのだろうか?
……どうする? どうすればいい?
ダメだ! 逃げちゃダメだ!
逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。 逃げちゃダメだ。
……。
「……やるよ」
僕は、そう答えた時に口に入り込んできた液体のしょっぱさで、初めて自分が涙を流していた事に気付いた。
……こうして、僕は初めての御祓に挑戦する事になった。




