えんぎご
後半は、冴島目線です。
「えんぎごか? まぁ、この辺に出るオバケだわぁ。 子供ん頃、よぉ年寄り連中に言われとったわ。 『ええ子にせんと、えんぎごに憑かれるでぇ』って」
その男の言葉に僕らは顔を見合わせる。
この辺に、人に憑くと言われている妖の伝承があるという事だ。
「あ〜、その『えんぎご』? に憑かれると、どうなるんですか?」
和泉さんが、さらに質問する。 これで、人が食べたくなるって話なら、そのものズバリだ。
「はぁん? えんぎごに憑かれるとぉ?」
そこで、男は僕らを見回す。 注目されている事に気を良くして、タメを作ったのだ。 ……なんとも小賢しい。
にぃっと音が聞こえてきそうな笑みを浮かべて、男が口を開く。
「風邪ぇ引くだけに決まっとるだろぉがぁ」
そう言って、男は大笑いをした。 ……僕は、人が衝動的に人を殺す気持ちが少しわかった気がした。
「えんぎごちゃあ、子供に言うこと聞かすためん方便じゃあ」
「なかなか、興味深いですね。 ちなみに、この先にある石像と『えんぎご』は、どんな関連があるんですか?」
「石像? そっただ立派んもんじゃないわぁ。 しょっぼいお地蔵さんみたいんもんじゃあ。 昔っから、そいつぁえんぎご呼ばれとって、えらい事になるで、よぉ触んなってな」
長屋さんは、その『えらい事になる』と言われている石像を倒したのか……。 こりゃ、それが原因なんだろぉなぁ。 実際、えらい事になってる訳だし……。
「まぁ、麓ん車ぁあんたらのって分かったし、不法投棄じゃなかったんなら、わしぁもう行くわぁ」
男は、僕らへの興味を失ったらしく、「探検ごっこもほどほどになぁ」と、神経を逆撫でする言葉を残して、来た道を引き返していった。
「まぁ、十中八九、『えんぎご』だな」
和泉さんが柊に同意を求める。
「それな。……ま、さっそく『えんぎご』の所に行くとしますか?」
僕は、最後にペットボトルのお茶を一口飲んで、鞄にしまった後、キキと共に、すでに歩き出している2人を追い掛けた。
◇ ◇ ◇
「……間違いなくここだな」
「……それな」
青木君の案内で長屋さんが石像を倒したと言われている場所へたどり着いた。 倒れている苔生した石の塊を見ながら、和泉さんが呟き、柊が同意する。 僕にはわからないが、濃い瘴気が漂っているらしい。
「じゃ、真ちゃん、やっておしまいなさい!」
「お前が真ちゃんとか言うな」
倒れている石の塊は、コケシのような物だった。 コケシの足元には、丸い形に土が見える場所が出来ており、元はそこに立っていた事が伺える。
コケシの顔は、風化により彫りが浅くなっている事と苔によって、元の顔がわからない状態だった。 そして、胸の辺りには、星が書かれており、その下には格子状の模様が描かれていた。
「セーマンドーマンか……」
星を手でなぞりながら、和泉さんが呟く。
「セーマンドーマン?」
「星は、安倍晴明判紋で安倍晴明を表し、格子状の模様が九字紋で蘆屋道満を表している。 合わせて、セーマンドーマンと呼ばれているが、……もともとは、セイメイドウマンと呼ばれてたものが訛って、セーマンドーマンになったんだと思う。 まぁ、この地方の海女さんの御守りなんかによく使われている模様だから、単純にこの地方全体で流行っていた魔除けなんだろう」
思わず、聞き返すと和泉さんが丁寧に説明してくれた。 安倍晴明も蘆屋道満も有名な陰陽師の名前だ。 なんでそんな事知ってるかって? ボン・ボヤージは伊達じゃないぜ!
「さて、 さっそく霊視してみるか……」
和泉さんが、石のコケシに手を当てて、目を瞑る。 それを見ていた柊が口を開く。
「さて、ブルーツ・リー君、真ちゃんが霊視している間に、俺達は集落跡地まで行こうか?」
「え? 和泉さんは? 置いてくの?」
柊の提案に思わず驚いてしまう。
「あぁ、集落跡地は俺とブルーツ・リー君とで行ってくるから、航輝はキキと2人で真ちゃん見ておいて」
柊の話では、どうやら集落の方からも瘴気が漂ってきているらしく、その瘴気を払いに行きたいという事だった。 このまま放っておくと、集落が瘴気に包まれて、本当に都市伝説の鬼鳴村が出来てしまう可能性があるらしい。
「まぁ、瘴気って人の念から出来てるから、こういう都市伝説って妖化しやすいんだよねぇ」
柊は、独り言のように呟いた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるから、ちゃんと真ちゃん見ててね」
そう言い残して、柊は青木君を連れて、プラプラと歩いていった。
◇ ◇ ◇
俺は、美子たんからの指令を受けて、ビジネスホテルを出た。 食人に関する伝承についての調査のためだ。 はっきり言って、いつも仕事でしている事と何も変わらない。
他のAD仲間の中には、こういう地味な作業が苦手な者も多いが、俺は違う。 アメージングの資料集めで培ったノウハウを駆使すれば、こんなミッションは余裕綽々、お茶の子さいさいだろう。 じっちゃんになりかけて……!
「え? こんな短時間でこんなにたくさんの資料を集められたの……? ……じゃ、ご褒美に生足でグリグリしてあげようか? ……この聞かん棒を……」
あぁ、美子たん、キカンボウのボウは、その棒じゃなくて……あぁああぁぁ〜。 グリグリ。 「ふぅん、気持ちいいんだ?」 グリグリ、グリグリ……。
……いかんいかん、また妄想でMyサンが……。
俺は、気を取直して、史料館へと向かう。
まずは、それっぽいタイトルの物を片っ端から斜め読みし、伝承や口伝などが書かれていそうな部分をコピーさせてもらう。 入社したばかりの頃は、このミミズがのたうったような文字、草書と言うんだろうか? など、まったく読めなかったが、慣れとは素晴らしいものだ。
コピーをする際は、制作会社の『ファースト・エンタテインメント』と『ミラクル体験! アメージング!』の名前を出せば、職員は簡単に協力してくれる。 その時、無関係と思われる伝承も含めて、出来るだけたくさんの史料をコピーするのがコツだ。 ヒットすれば儲け物だし、ダメならダメでしょうがない。
続いて、図書館で地元の歴史書を探す。 これは伝承の時代背景を照らし合わせるためと土地の風土を知るために必要なのだ。 さらに郷土の昔話や童話などと合わせて持ち出す。 本来は、そこで本を借りて社に帰る訳だが、今回は、そのまま図書館の机で、コピーと本に目を通す。
『紀納里雑葉』
『高廻山近傍の口碑』
『勢賀温故』
『御紀雑記 雑記頭集』etc
『御紀雑記 雑記頭集』のある部分で手が止まる。 江戸時代末期の藩主の身辺雑記、いわゆる見たり聞いたりした事を適当に書き綴ったものだ。
『…………翁曰くさは人ならざるものにして名は猿擬児なり山に住まひおゝまが刻に里に來たりて人肉を喰ひし古より山に住まひし妖なりと言ひけり…………』
要は、昔から山に住んでいる猿擬児と呼ばれる妖が、夕方に里へと降りてきて人を食べる、という内容だ。
とりあえず、ようやく食人に絡みそうな内容の伝承だったので、蛍光ペンで文章にマーカーを引き、歴史書から、当時に関連しそうな事をメモする。
猿擬児。
「さる……ぎ……じ? いや、えんぎじ……か?」
ふと、その響きに既視感を覚える。
この辺の口伝をまとめた『高廻山近傍の口碑』のコピーを再度手にする。
『…………そは人にあらざるものにて皆些細を識らず。 名を縁偽御と言ひけり。 山より冬を引き連れ、人に潜むものなり…………』
縁偽御。
「えん……ぎ……おん?」
こちらは、縁偽御と呼ばれる人に潜む妖が冬を連れてくる、といった内容だ。 最初、食人が絡まない内容だったのでスルーしていたが、妖の名前の響きが酷似している。 関係しているかもしれないので、蛍光ペンの色を変えて、マーカーを引く。
他にも、鬼の伝承やガゴゼの伝承などもあったが、直接、人肉を喰うと表現されたものはなかった。 一応、食人を示唆している可能性の高そうなものにはマーカーを引いておいた。
続いて、昔話にも目を通す。
『氷肝』という昔話で、また猿擬児、縁偽御に似た響きの妖が出てきた。 『えんぎご』という妖だ。
これは、『えんぎご』という妖に憑かれた男が、夏にも関わらず、寒さに苦しむ話だ。 最後は、山から来た僧によって、『えんぎご』が石塔へと封じられる。 その際、憑かれていた男が暑さを取り戻し、重ね着していた服をすべて脱ぎ捨てた上、風邪を引いて終わる。
俺は、その話のページに付箋を挟む。
他にもいくつか付箋を付けて、受付で複製の手続きを行う。 コピーをホテルへ持ち帰るためだ。 コピーが取れたら、付箋を外し、本を元の場所に戻し、再び机に向かう。 コピーにマーカーを引くためだ。
ふと、時計を見ると、もう16時を過ぎていた。
おそらく、美子たんのご褒美は貰えないだろう。 ……がっかりだ。 いや、ワンチャン、お仕置きって線はないだろうか?
俺は、あまり成果とは呼べない資料を抱えて、ホテルへと急いだ。
ガゴゼ:
元興寺に出たと言われる妖。
転じて、妖の総称を意味する児童語として使われている。ガゴジ、ガンゴジなどと同意。




