東京食屍鬼
あかん。 これ、ガチの奴だ。
俺は、そんな事を考えながら、迫り来る長屋さんの魔の手を避けつつ、攻撃という事をひたすら繰り返している。
扉の外では、美子たんが麗しい姿で待っているのだろう。 早いところ、長屋さんをふん縛って、引き渡したいところだ。 だが、残念ながら、俺には格闘技経験がある訳ではないので、力尽くで制圧するしかない。 それには、少し時間が掛かりそうだ。
「にっくぅ〜! にっくぅ……くわせろぉぉおおぉぉ!」
長屋さんは、俺が部屋に入ってから、そればかり口にしている。 その鬼気迫る様子から、この案件が流石にNTRプレイが目的ではない事は、わかってしまった。 俺の名前がニックではない以上、どう考えても長屋さんの状態や言動が異常だった……。 いや、本当は最初からそうなんじゃないかとは、思っていたんだ。 ……本当だぞ? だから、アメージングの収録が終わった後、急いでシャワーを浴びたのも、除霊の前に身を清めるためで、決して見せつけプレイのためではなかった……のだよ?
飛び掛かってくる長屋さんに蹴りを入れて吹っ飛ばしても、ロープを持って近付くと、アホみたいな速さで跳ね起きて、飛び掛かってくる。 涎を垂らした、その姿はさながら本物の食屍鬼のようだ。 まぁ、グールなんて、見た事ないのだがな。 HAHAHA。
もちろん、長屋さんにも格闘経験があるわけではないのだろう。 先程から、動きが直線的だし、単調だ。 飛び掛かる。 蹴られる。 跳ね起きる。 また飛び掛かるを繰り返し、体力的にも限界なんだろう。 動きが鈍くなっている。 角田さん、草葉の陰から見てますか? 俺、やってやりますよ? じっちゃん、春夫の名に掛けて!
最終的に、長屋さんは力尽き、部屋の片隅で呻き始めた。 俺は、ロープを手に近付いた。 道中、美子たんに言われたように座った姿勢で拘束するため、本棚の上のペン立てにあった鋏を拝借し、ロープを3つに分割した。
一つを使って、長屋さんを後ろ手で縛った。 続いて足を縛る。 その後正座させて、最後のロープで、手を縛ったロープと足を縛ったロープを繋いだ。 これでこの体勢のまま固定されるだろう。 縛る際、長屋さんは嘘のように抵抗一つしなかった。 ただ、いいおっさんが、鼻水と涎まみれの顔で泣いている姿には若干引いた。 口にガムテを貼ろうと思っていたが、今の長屋さんなら大丈夫だろうと思い、貼るのはやめておいた。 決して、涎とか付いたら嫌とか、そういう理由ではない。
その長屋さんを見下ろしながら考えた。 除霊が終わったら、美子たんとワンチャンないかな? と。
「うす。 もう大丈夫っす」
俺は、扉を開けて美子たんを部屋に招き入れた。
「……なんか、すごい音がしてましたけど、……大丈夫ですか?」
「うす。 問題ないっす」
美子たんが部屋に上がる時、とても良い香りがした。 ナイススメルだ! 今日は、もう鼻の中は洗わないぜ! まぁ、鼻の中など洗った事はないのだがな?
部屋に上がった美子たんは、正座で縛られている長屋さんの前に正座した。 途端に長屋さんの目が変わる。
「に……にく! わかい……おんな……にく……。 にく……くわせろ……。 くわせて……ください」
身を捩りながら、放たれた声は最後は懇願に変わっていた。
「……長屋さん、もう大丈夫ですよ。 今、視てあげますから……」
そんな長屋さんに、美子たんは優しく話しかけた。 おっふ、マイ・スウィート・エンジェル!
美子たんは、無言で長屋さんを見つめている。 ……始まったのだ。 スタジオで何度も見た光景だ。
美子たんの除霊の流れは決まっている。 無言で見つめるのは、霊と対話しているのだ。 美子たんは、まず対話を行い、自発的に出ていくなら、そこで終わりだ。 出ていかない場合、相手の後ろに回り、背中から気を当てて追い出すのだ。 追い出された霊は、場合によっては他の人に憑く可能性があるので、スタッフなどには塩を配られる。 憑いたばかりならば、塩で追い出せるらしい。
おっと、忘れていた。
俺は、慌ててバックパックから、ハンディカメラを取り出して、撮影を始めた。 美子たんの斜め後ろから、美子たんの後ろ姿と長屋さんが入る構図で撮る。 その後、長屋さんの斜め後ろに向かい、長屋さんの後ろ姿と美子たんの顔が入る構図に変更した。 番組で使うとしたら、視聴者が見たいのは、おっさんの顔ではなく、美子たんの顔だからな。
「……」
「ぐっ……く、……うぐっ……」
部屋の中に長屋さんの嗚咽の音だけが響いている。
「……なるほど」
長い長い沈黙の後、美子たんが静かに口を開いた。
「……長屋さんは、悪霊に憑かれています」
そう静かに告げた。 ま、そうだわな。
「渡久地十蔵! そこにいるのはわかっています! その者から、すみやかに出て行きなさい!」
美子の凛とした声が響く。 俺が渡久地だったら、速攻で長屋さんから飛び出して、美子たんに抱きつくために飛び掛かるだろう。 そして、蹴られるのだ。 「おいたする悪い子にはお仕置きが必要ね?」 ペロリと唇を舐める美子たんのストッキングに包まれた御御足が仰向けに倒れる俺の……グリグリ……はぅあ! や、やめて! ……グリグリグリ……、や、やめてくだ……グリグリ……や、やめ……ないで……。 はっ! いかんいかん。 また妄想でMyサンが寝起きのストレッチを始めようとしている。
「ふぐぅ……。 にくを……。 おにくをください」
対する長屋さんは、もうそれはそれは情けない声で、美子たんにおねだりを続けている。 それを聞いて、Myサンも落ち着きを取り戻したようだ。 ……よかった。
美子たんは、無言で立ち上がると、長屋の後ろに回った。 俺は、その様子を少し距離を取り、撮影する。 美子たんは、右手を長屋さんの背中に当てる。 そして、そのままブツブツと何か唱え始めた。
「……えいっ!!」
美子たんの可愛らしい声が響く。 と同時に背中が叩かれるパンという音も響く。
「……えいっ!!」
2回目。
「……えいっ!!」
3回目。 これで美子たんの除霊が終わる。 美子たんは、除霊の際、3回気を流す事で有名だ。
「……おにくを……おにくを……いただけませんか?」
小さな声でブツブツと呟く長屋さんの独り言がなくならない。
「……手強いわね」
美子たんは、長屋さんの横に回り、左手で長屋さんの左右のこめかみを押さえて、右手を背中に置いたままの状態で再び、ブツブツと何かを唱え始める。 きっと、長屋さんの鼻腔には美子たんの匂いが充満しているのだろう。 羨ましい……。
「うぐぁぁああぁぁ!! にく〜! にっく〜!!」
そう。 その香りに刺激された長屋さんが、ビクンビクンと身体を捩り始めた。 まぁ、あんな風にアイアンクローされたら、美子たんの掌の香りが、モロに鼻腔を刺激する。 今の長屋さんにその香りは毒だ。 俺相手なら、立派なED治療薬になるのだが……。 まぁ、Myサンは、至って元気で、EDとは程遠いのだがね?
「……えいっ!!」
ビクンビクンと暴れる長屋さんを無視するように、美子たんが気を流す。
「……えいっ!! ……えいっ!!」
続いて、2回、3回と気を流し込む。美子たんの可愛らしい声が響く。 あぁ〜、美子たん! ハァハァ。
「にっくぅ〜ゔぅぅう」
長屋さんの反応は変わらない。 やれやれ、まったく、しつこいニックだぜ!
ピンポーン。
不意に間抜けなチャイム音が響いた。 誰かが長屋さんを訪ねてきたのだ。 ふと、縛られて正座している長屋さんを見る。 これって状況によっては、強盗と見られないだろうか? それとも、ちょっとディープな複数プレイと見られるだろうか? どちらにしても、訪ねてきた者に見られたら、変な誤解を与える状態に違いはない。
「……どうしますか?」
とりあえず、美子たんに指示を促す。 全ては、美子たんの御心のままに……。
「……放っておきなさい」
少し、荒めの吐息で美子たんが告げる。 居留守を決め込もう、とそういう魂胆だ。
「……うす」
指示に従い、息を殺しながら扉を見詰める。 シンとした静寂の中、長屋さんの荒い吐息と微かな独り言だけが目立つ。
ガチャ。
不意に扉が開く。 俺達同様、訪問者もノブに手を掛けたのだろう。 そこに現れたのは、同じADの青木だった。
「.……河合……先生と冴島?」
そう呟く青木の後ろには、目付きの鋭い作務衣を着た中年男性とアロハを着込んだ軽薄そうな茶髪の青年。 そして、……モブ? が不思議そうな顔でこらを覗いていた。
「……なんですか? 貴方達は」
美子たんの美しい声が響く。
「俺? 俺は……柊。 柊 鷹斗。 妖狩りさ」
美子たんの声に、軽薄そうなアロハの茶髪がそう答えた。




