The first contract
異様な光景だった。
壁から生えた子供は、よっこらせっと言いながら、壁をすり抜けて全身を表す。 ……誰かが息を飲む音がフロアに響いた。
「お姉ちゃんと遊ぶの楽しそうだな。 ねぇ、遊んでよ」
柊は、じっと子供を観察しているようだった。 ざんぎり頭のその子供は、小学校低学年くらいに見える。 黒地に縞模様の甚兵衛を着ており、足元は裸足だ。 ペタリペタリと音を立てながら、壁際からキキへと近付いていく。
「ねぇ、遊ぼ」
子供は、なおも続ける。 すると、今まで突っ立っているだけの霊達に動きが起こる。 子供に反応するかのように、子供の方に向かって歩きだす。 まるでゾンビだ。 そして……。
……出して。
……出せ!
口々に、出せ出せと呟いている。 耳を塞ぎたくなる大合唱だ。 こりゃちょっと引くわぁ。
「……キキ、しばらく遊んでやりな」
柊はそう言って、キキが頷くのを確認した後、こちらに向き直る。
「さて、あっちはあっちで置いといて、金額と契約の話をしようか?」
眩しいほどの笑顔で言い放った。 この場で、柊だけが通常運転だ。 他の者は、どうしていいかわからずに、ただ状況を見守る事しかできない。 ……僕も含めて。
「あの子供は、あんた達にも見えてるんだな?」
柊の確認に脇田と生島が、ものすごい勢いでコクコクと頷いている。 僕はその様子を見て、少しずつ落ち着きを取り戻す。 人がテンパってるのを見ると、なんか冷静になっちゃうよね?
「見ての通り、ここの怪現象は、あの子供が原因だ」
思考が追いつかないのか、脇田も生島も何も言わない。 ならば、僕が代わりに聞いてやろう。 サービスだぞ?
「……あの子供は、なんなの?」
既に、キキと楽しそうに走り始めた子供を見ながら柊に尋ねる。 キキはお札が貼ってあるにもかかわらず、思った以上に素早い動きで、子供の突撃をひらりひらりと躱している。 楽しそうな子供の笑い声がフロアに響いている。 霊達は、鈍重な動きでそれを追っているように見えた。 いや、あんたらあの二人の遊びに全然参加できてないから!
「あれは、妖だな。 他のとは全然違う。 でも、そんな悪い奴じゃなさそうだけどな」
霊視できないはずなのに、それっぽく喋る柊。 ……やるじゃない!
「ただの霊だったら20万円。 でも、あいつが元凶だから、妖料金って事で……50万円ってとこだな」
それは、事前に僕と決めていた価格設定だった。 今回、魄相手なら、20万円以下。 鬼や妖が相手なら50万円以上。 これは、物件が対象で、脇田個人というより脇田の法人からの依頼という事と、別に放置しても誰も死なないだろうという事で、少し高額に設定したからだ。
僕達は、報酬を決める際に、依頼が個人か法人かで価格を変えることや、命の危険や緊急性の高い案件の際は、相手が払える値段設定にする事を前程に考えた。 払えないからと、依頼を取りやめられて、死なれても後味が悪いから……。 あと、僕の時のように自業自得の場合は、金額を上乗せする事。 さらに遠方への出張や宿泊が生じた場合も金額を上乗せしていく事を基準に金額を決める事を決めたのだ。
修蓮さんとこほど良心的でもないが、『山』ほど、ぼったくる事もない感じになるようにしているつもりだ。
「航輝、契約書ちょうだい」
柊がスタスタとこちらに向かって歩いてくる。 キキは、放っておいていいのか? 四つん這いになって、キキに向かってガオーっと吠えている子供を見る。 何ごっこが始まった!? キキはキキで、両手を獣のように構えて、吠えて……いない。 まぁ、喋れないからなぁ。 意思疎通ができているのか?
僕が半ば呆れながら契約書を手渡すと、柊がペンで何か追記し始めた。 金額を書いているのだろう。 契約書には、成功報酬である旨と確認方法が記載してある。 今回は、脇田と一緒に一晩泊まり込みを行い、問題がなかった場合は確認書にサインをもらい、成功だと認めてもらう形にしてある。 一応、成功したにも関わらず、その場でサインしなかった場合は、どうなっても知らないと書いてある。
あとは、除霊中に破損した物などの費用は依頼者持ちとする旨などの免責事項を記入してある。 もちろん、僕が作ったものだ。
柊は、その契約書を未だにへたり込んで震えている脇田の鼻先に突き付ける。
「脇田のおっさん、中確認して問題なかったら、判子くれよ」
おお! なんか婚姻届を押し付けて、プロポーズしているように見えなくもない。 実際は、ただの契約書なのだが……。
惚けたように、柊の顔と契約書を交互に見ていた脇田の顔に生気が戻る。 そのまま、契約書を受け取ると、中身を確認し始めた。
「……わかった。 だが、絶対になんとかしてくれよ」
脇田がそう言って、契約書にサインをしようとしたところで、生島が声を掛けてくる。
「わ、私にも契約内容を確認させてもらっていいですか?」
なぜ、生島が契約内容を確認する必要があるのか? 脇田も柊も、不思議そうな顔で生島を見る。 正直、僕も同じような表情をしているのだろう。
「一応、念のためですよ。 一応ね」
脇田が、へたり込んだまま、契約書を掲げる。動けないから、見に来いという事だろう。 生島は、一瞬、子供のいる位置を確認してから、足早にこちらにやってくる。
「……あの子は、一人で何をやってる……んですか?」
生島が、脇田から契約書を受け取ると、遊んでいるキキと子供の方を再び見ながら質問する。
「あ? あれ? あれは、あんた達には見えないだろうけど、俺達が連れてきた別の霊と遊んでるのさ」
「!? 別……!?」
絶句しながら、子供の方を見る。
「まさか、本当にあんなのが現れるとは……。君達は、どうやら本物みたいだね」
はは、と乾いた笑みを浮かべながら、独り言のように呟く。
そして、気を取り直したように契約書に目を走らせる。 契約書を見た途端、その目は脇田と同じように鋭くなる。 二人とも立派なビジネスマンなんだなぁ。
「……金額が50万円ってなってるけど、少し高すぎじゃないですか? ……金額の内訳は、どうなってます?」
柊が困った顔をしながら、こちらを見てくる。捨てられた子犬のような顔だ。
「……内訳については、提示出来かねます。 納得できないのであれば、依頼しなければいいんです。 依頼を取りやめても、誰かが死ぬような緊急性の高い案件でもなさそうですし……」
僕は、強気で対応する。 なぜなら生島は、部外者なのだ。 しかも、脇田からは、あまりいい印象を持たれていないはずだ。 これで、生島の発言が原因で僕達が引くとなれば、脇田は黙っていないだろう。 なんせスナックで僕らの与太話を聞いて縋り付いてくるくらいなんだから。 脇田をチラ見すると、案の定、「どうしてくれんだ、ゴラァ」とでも言いたげな表情で生島を見ている。
「いや、そういう訳じゃ……」
生島が、言葉を濁す。
「こう言ってはなんですが、国が頼るような専門機関が設定している価格から比べたら、僕達の提示する金額なんて、かわいいもんなんですよ?」
これは事実だ。 しかも彼らは、払えないとなれば、命が懸かっていたとしても、平気で見捨てるというのだから、 かなり良心的なはずだ。
「……わかりました」
そう言って、生島は契約書を脇田に返した。 脇田は契約書を床に置き、サインと捺印を行った。
これで、契約成立だ。
「じゃ、まずは雑魚から片付けますか?」
そう言った柊の手には、既に煙管があった。 柊は、煙管を口に含むと、すごい勢いで煙を吐き出した。 部屋の中で、煙草を吸っていいかの確認をしないところが柊らしい。
……出……して……。
……出…………。
魄達は呆気なく、まるで蜃気楼が搔き消えるように6人全て散っていった。 まぁ、蜃気楼が搔き消えるところなんて、実際は見たことないんだけどね。
周囲に響いていた『出せ出せ大合唱』が消えると、フロアにはキキと遊んでいる子供の笑い声だけが残った。 その変化は、脇田と生島にも伝わったようで、二人して口を開けて、キョロキョロしている。
「ま、あんた達には見えないだろうけど、雑魚共は消したよ。 あとは、あのガキだけだな」
そう言って、柊が不敵に笑うのを、脇田と生島は揃ってポカンとした顔で見詰めていた。




