息が止まるまでトコトンやるぜ!
「……な……なんだ……?」
僕は思わずバランスを崩し、ポーズを中断し両足で立つ。 たまたま、虫の鳴き止む時間と肌寒さを感じるタイミングが同じだった……と、考えるには出来過ぎのように思えた。 慎重に周りを見回すが、これといった変化は見られない。
気のせいだと、ホッと一息入れた瞬間、撮影の為に照らしていたLEDが、……突然切れた。
前触れもなく暗闇に包まれた僕は、あわあわとパニックを起こしそうなる。 ……が、なかば反射のようにポケットからスマホを取り出し、スマホのLEDを点灯させる。
トンネル内が、スマホの光で、ほんのり照らされる。 他に灯りがないため、それだけで心細さが和らぐ。 が、不気味さはさっきまでの比ではない。
思いっきり息を吐き出しながら、合わせ鏡から見て、トンネルの入口側に置いてあるLEDを再点灯させようと、移動を開始する。 何故か、そろりそろりと音が立たないように気を使ってしまう。 音を立ててはいけない理由なんて、一切ないはずなのに……。
4歩程、進んだところで、視界の隅に何かが見えた気がした。
思わず、顔を向けたところで、強烈な後悔に襲われる。 ……見なければ良かった。 合わせ鏡のうちの一枚の後ろに、スマホのLEDに照らされた、ユラユラと揺れている人影があった。 ソレは、薄く汚れた灰色っぽいボロ布を纏い、後ろ向きに立っていた。
気付かれないように息を殺す。 まぁ、LEDで照らしてしまった時点で、手遅れの気がするが……。
…….ギ、……ギギ……。
奇妙な声を上げながら、ソレがゆっくりとこちらに振り向こうとしていた。
……逃げなければ!
心の中で、強烈な警告音がなる。 まるで、冷たい手で心臓を握られたかのような錯覚を覚える。 逃げなければヤバイ! でも……、身体が上手く動いてくれない。 まるで、金縛りに合ってしまったようだった。 まぁ、金縛りなどあった事はないので、イメージだけなのだが……。 スマホのLEDでソレを照らした状態から、まったく身動きが取れない。
そうこうしている内に、ソレがもうすぐこちらを見る、というところで気付いてしまう。 灰色のボロ布に見えるもの、その正体に……。
それは……大量のお札だったのだ。
それは、無造作に伸びきった長い髪で、身体に大量のお札を身に纏った人だった。 お札の下からはみ出して見える素足は、所々に汚れがあるが、異様に白く、姿勢も極端に猫背で、その全てが醸し出す雰囲気は、人の形をしているのに、明らかに人ではない……と、思わせるのに十分なものがあった。 少なくとも、ふらりと散歩に来た近所の人ではない事だけは確かだ。
……ギギ……ギ……。
ソレは、奇妙な声を上げながら、少しずつ足を動かして全身で振り向こうとしている。 ……逃げなければ。 ……今すぐ振り返って、トンネルの入口にダッシュしなければ……。 でもって、乗ってきた自転車で家まで逃げるんだ……。 ……いや、ネットカフェの方がいいかもしれない……。 とにかく逃げるんだ! でも……、何故か目が離せない。 ……身体も動かない。
そして……、遂にソレがこちらを向いた。
「〜〜ッ!」
おでこ辺りに張り付いている黄色いお札が、ソレの異様さを強調しているように見えた。 お札は、おでこから鼻の辺りまでの薄汚い黄色いもので、ソレの顔を隠すように貼られていた。 札と長い髪に隠されているはずの目が、その隙間、確かに見えた……気がした。 大きく見開かれた、その目と……確かに目が合った気がしたのだ。
ソレの口元が、ゆっくりと歪み始める。 まるで、獲物を見つけた獣の口元のように……。
その口元を見た瞬間、ようやく身体が動いた。 弾けるように振り返り、猛ダッシュを決める。 絶対に振り返るな! トンネルを出て、自転車に乗り込む。 そのまま、振り返る事なく、自転車を走らせた。 カメラ? そんなもん、今はどうでもいい! 策? 策なら一つだけあるぜ! 息が止まるまで、とことんやるぜ! 逃げるんだよぉ〜〜! とどこかの漫画の第2部の主人公のような勢いで、逃げ続けた。 今の僕の走りを見る人が見たら、競輪選手のスカウトが来るようになるかもしれない……と、思える程のスピードを出せたと思う。
危機感が足りない? ……いやいや必死ですわ。 ともすれば、気が狂いそうになるくらいの恐怖、もし捕まったら、命はないのではないか? という程の恐怖。 少しでも茶化さないとやってられないのが現実だ……。
ネットカフェに行くべきか迷ったが、入口付近のカウンターでまごつくのは危険な気がして、素直に帰宅する事にした。 アパートの駐輪場に着くと、自転車をそこに無理矢理突っ込む。 そのまま、アパートの階段をカンカンと音を立てて登り、2階にある自分の部屋に逃げ込んで鍵を掛ける。 普段使った事のないドアガードまで初使用してみた。
……結局、電気を消す事もなく、そのまま布団を頭から被った状態でガタガタ震えていたら、いつの間にか寝ていたようだった。
「あ〜、これからどうしよう……」
昼頃起きて、左手首をボリボリ掻きながら、思わず呟いてしまう。 ……やはり、昨日のカメラを回収したい。 昨日のアレが、どう撮られているかも気になるし、何より勿体ない。 ……非常に気が進まないが、取りに行くしかない……のだろう。
結果、僕が選んだ手段は、友人に回収をお願いする事だった。大学で知り合った友人の、鹿山 臨太郎にお願いしたのだ。 彼は、その独特の名前で得をしている、と僕から密かにジェラシーの対象になっている青年だ。 なかなかの好青年で、僕のホラーチャンネルの数少ないチャンネル登録者の一人でもある、気のいい奴なのだ。 ……なのだが、如何せん、地味。 そう、地味な奴なのだ。 敢えて言おう。 『モブ』であると!
そんなモブ友こと、臨太郎に電話で頼んだ結果、誰得の罰ゲームよ? などと言われたが、得する人間は決まっている。 そう、僕だ。 ちなみに昨夜の一連の出来事は伏せてある。 バカ正直に説明したら、引き受けてくれないと思ったからだ。
そんな訳で、最初はかなり渋っていた臨太郎ではあったが、最終的には学食の生姜焼き定食で手を打ってくれた。 実にチョロい奴だ。 チョロ臨だ。
そうして、その日の夕方には、2枚の姿見とカメラ、三脚、照明に使用したLED、そして臨太郎による思ったよりも長ったらしい、どうでもいい愚痴は、無事に僕の元へと届いたのであった。