救いを求めし山羊は夢を見る
●クンダリーニ服部の場合
いよいよ明日だ。
クンダリーニ服部は、ふと、そう思いながら、マウスを動かす手を止める。
明日の夜には、滅びる運命の愚かな人々が、日常の愚痴を、利己的な思想を、正義を気取った暴言を、電脳の世界で撒き散らしている。 そう思うと、哀れな気がしてきた。
気持ちはわかる。
自分も、かつてはその中の一人だったのだから。
だが、今は違う。
ラ・ムー美樹本と出会い、自分の真の運命を知った今なら。
思わず、ラ・ムー美樹本から預かった霊具を見る。
こんな日々とも明日でおさらばだ。 そう思うと、自然に過去が蘇ってきた。 辛い過去が……
あれは、中学3年の事だった。
中学に入ったばかりの頃は、毎日、放課後に、気の合う友人を家に招き、みんなで、お菓子を食べながら、ゲームをする。 そんな楽しい毎日を送っていた。 毎日のお菓子のせいか、体重が増えていったが、特に気にすることもなく、ゲームのコントローラーをポテチの油で汚す日々を過ごしていた。
やがて、友人達とする会話に、ゲームの話題だけでなく、女子の話が入ってきた。 みな、恋に憧れる年頃だった。
周りと同様に、服部も気になる娘ができた。 明るくて、可愛くて、誰とも仲良く話す……そんな女の子だった。 深く話した事はないが、その容姿にどんどん想いは募っていった。
そして、3年の修学旅行前に告白ブームが起きた。
修学旅行中の自由行動を二人で過ごすために、その前に告白をする。 それがブームのきっかけだった。
好きな子がいたら、今が告白するチャンスだ、と友人たちも勧めてくるようになった。
確かに、見た目はデブで、お世辞にもイケメンではないかもしれない。 それでも、周りと同じように青春を謳歌する権利はあるはずだし、彼女がデブ専ということもありえない訳ではないのだから、と。
少しずつ気持ちは、告白する方向へと舵を切り始め、ダメ元だと自分に言い聞かせながらも、もしかすると、という期待を抱きながら、彼は想いを綴った手紙を少女へ手渡した。
恥ずかしくて、顔がひどく熱かったのを覚えている。
翌朝、教室に入るなり、沸き上がる笑い声。
黒板には、自分の書いたラブレターが貼り出されていた。
「豚のくせに、何、発情してんだよw」
慌てて黒板の手紙を回収にあたったが、うっかりと手紙の一枚を落としてしまう。
拾おうと、すぐにしゃがんだところで、誰かがその手紙を奪った。
「よくそんな容姿で、告白なんかしようと思えたね。 あんた、自分が私に釣り合うと本気で思ってたわけ? まじ、キショい!」
その声に顔を上げると、目に映ったのは、彼女だった。
「こいつ、身の程知らず過ぎるっしょ」
「いやいやいや、こんなんに告白されるとか、まじ、可哀想すぎるから」
「あ~ぁ、こりゃ、裸で土下座でもしないと許されないんじゃね?」
「それな!」
「脱~げ、脱~げ、脱~げ!」
彼女の声をキッカケに、教室中が不穏な雰囲気に包まれる。 その中には、自分に告白するよう勧めてきた友人達の声も混じっていた。
「ほら、脱げよ」
クラス一番の乱暴者が、笑いながら服部の身体を押さえつける。 そして──
……そこまで思い出し、クンダリーニ服部は、頭を振る。
あの日、世界はグニャリと歪んだ。
誰も信じられず、現実の女性とは目も合わせられなくなった。
脛に感じるヒヤリとした床……
下衆な笑い声とスマホのシャッター音……
額を擦り付けた時に嗅いだ床のワックスの匂い……
全ての思い出が、胸の奥の暗い牢獄を憎悪で満たしていく。
みんな死ねばいい。
そうだ、みんな死ねばいいのだ。
…………
「それは、君が選ばれた人間だからだよ」
その声は、まるで魂に響くように、クンダリーニ服部の心を揺さぶった。
「滅びゆく者は、選ばれし人間を、本能的に察知し敵視する。 生き辛いのは、周りが、自分たちを脅かす"高次の存在"を認められないから……」
かつて、言われたラ・ムー美樹本の言葉が、クンダリーニ服部に落ち着きを取り戻させる。
そう、俺は選ばれた存在だ。 フート名も授かった。 何も知らなかったあの頃とは違う。 信頼できる仲間もできた。
そして、明日、すべてが終わり、すべてが始まるのだ……
クンダリーニ服部は、まだ見ぬ明日を夢見て、そっとPCを閉じた。
●セレンディピティ長田の場合
「それじゃ……いただきます」
セレンディピティ長田は、いつものように、食卓に亡くなった家族の写真を配置し、箸を取った。
「今日はさ、会社を辞めてきたんだ。 ほら、明日は特別な日だろ?」
ははっと、乾いた笑いを浮かべながら、セレンディピティ長田が独り言を呟く。
「課長もさ、そうかって言うだけ。 みんな、まるで腫れ物にでも触るように、変な目で見てくるだけで、何も言わないんだ。 可笑しいよな」
セレンディピティ長田は、三年前に妻の理絵と、六歳の娘、紗理を事故で失った。
元々は、三人で出かける予定だった。 動物園で、いろんな動物を見て、昼になったら、妻の作った弁当を食べ、午後は、園の中に作られた小規模な遊園地で遊ぶ。 そんな計画だった。
長田に急な仕事が入り、妻と娘の二人だけで出かけることになり、その帰り道の事だった。妻の運転する車は、渋滞で止まっていた前の車に追突し、次いで、後ろを走っていたトラックに追突されたのだ。
二台の車に挟まれた二人の遺体は、無惨なものだった。
あの日、予定を延期させていれば……
あの時、仕事を優先させなければ……
悔やんでも悔やみきれない……
すべて、夢であってほしい。
過去に戻ることができたなら……
死者を蘇生させることができるなら……
どうにもならないことばかり考えながらも、日々の生活は続いていった。
「死者を甦らせる能力は、稀有だったが、それでも皆無ではなかったよ」
かつて、栄えたフートについて語る、ラ・ムー美樹本は、確かに笑顔でそう言った。
「フートが復活したら、フート人の生まれ変わりも、能力を覚醒させていくだろうね。 そうしたら、君の願いが叶う日も、きっと遠くないだろう。 ……どうだろう? 私の元で、フート復活のために協力してはくれまいか?」
するに決まっている。
そりゃするさ。
しないなんて選択肢はない。
「理絵、紗理、パパがんばるからな」
明日は、二人の墓参りに行った後、新宿に向かう。 儀式は23時からだから、余裕だろう。
そう思いながら、セレンディピティ長田は、ラ・ムー美樹本から預かった霊具を見る。 その風呂敷包みからは、どことなく神秘的な気が漏れているような気がする。
食べ終わった食器を片付け、早めにベッドに入ることにする。
蘇生能力者との出会いを夢見て……
●アファメーション田中の場合
いつからだろう?
自分は、本当に自分なんだろうか? と疑うようになったのは……。 ひょっとすると自分は、誰かが見ている夢の中の登場人物の一人なんじゃないか、と思うようになったのは……
アファメーション田中は、Xデーを前にして、自己を振り返っていた。
からっぽ。
そう、自分は"からっぽ"なのだ。
みんなと同じように勉強し、
みんなと同じように遊び、
みんなと同じように就職し、
みんなと同じように人生を歩んできた。
何者にもなれない自分。
そんな自分が大嫌いだった。
このままではいけない、と強く思う。 でも、自分じゃ何をどうしたらいいかもわからない。
そんな時、たまたま町で声を掛けられ、プラーナのセミナーに参加することになった。
……みんな、キラキラと輝いた目をしていた。
ここも違う。
ここも自分の居場所ではなかった。
そう思った時に、声を掛けられた。 それがラ・ムー美樹本だった。
ラ・ムー美樹本は、本来なら、自分のような者から見たら、雲の上の存在のはずだった。 そんな天上人が、わざわざ自分に声を掛けてくれたのだ。
「君は、フートの民の生まれ変わりだよ。 私たちの仲間だ。 ただ、今までの転生で辛い目に遭ってきたようだね。 心が頑なにに殻に籠ってしまだている……。 だから、本当の自分がわからなくなってしまっているんだよ。 大丈夫! 私たちと一緒に、ゆっくりでいいから、自分を取り戻そう!」
その言葉に、世界は滲み、頬を熱い何かが伝っていた。
自分は、この人に会うために、苦しんできたのだと感じることができた。
アファメーション田中は、そう感じた。
まだ、不安はある。
今の自分が、本当の自分かもわからない。
ただ、明日で何かが変わる。 本当の自分を取り戻せるのが、きっと明日なのだ。
そんな予感だけは強く感じていた。
アファメーション田中は、ゆっくりと呼吸をし、いつもの薬を飲む。 飲み終わったアファメーション田中は、そっと心の中で呟く。
すべてはフートのために……
ラ・ムー美樹本から、預かった大切な霊具を見つめながら……今度は、ハッキリと口に出して……
「すべては、フートのために」
そうして、彼は、本来の自分を夢見て、明日に備えた。




