告別の空は涙に濡れる
最終章に突入です。
お楽しみください。
その日は、朝から重い雲が空一面を覆い、今にも雨が降りそうだった。
芦屋道長の告別式は、『山』の修練場で行われた。 『山』で行われる葬儀は、主に二つの目的で行われる。 一つは、残された者たちの気持ちの整理のため。 そして、もう一つは魄に……さらには、その先の陰にならぬようにするためであった。
そのため、退魔部メンバーによる読経と参列者の焼香の他に、魄払いの儀が行われた。 魄払いは、退魔部部長である安倍により執り行われた。
芦屋は、すでに両親は他界しており、民間で陰陽師を生業としている親戚筋とも折り合いが良くなかったため、結局、喪主は呪術部主任の山村が務めることとなった。
告別式には、呪術部のほとんどの者が参列した。
呪術部以外の参列者は、経営企画部部長の松井、魄払いを行った安倍を始めとする各部門長と他に数名のみだった。
芦屋は、呪術部の部員から慕われていたが、他の部署の人間からの人望があまりなかったのは、その性格によるものだろう。
激しい戦闘による死にも関わらず、芦屋の死に顔は安らかなものであり、その事も多くの者の涙を誘い、喪主である山村の挨拶で、呪術部員達の感情は頂点を迎え、嗚咽と咽び泣く声が大きく響いた。
ようやく落ち着き、出棺を迎えた際、外に出たところでポツリと降った一滴の雨が乾いた地面に吸い込まれた。 誰もが空を仰いだ時、雨は静かに激しさを増していった。 それを見た誰かが「涙雨……」と呟き、その言葉をキッカケに再び、嗚咽の波が広がっていった。
「……」
多くの者が啜り泣く中、火葬場へ向かう車に乗り込もうとした山村が、庇から飛び出した所で不意に立ち止まる。 そのまま、降り出した雨に肩を濡らしながら、参列者の方を向く。
「楠瀬! どこへ行く気だ?」
その言葉に、フラリとどこかへ行こうとしていた楠瀬 海月の足が止まる。
「プラーナに決まってるじゃないですか。 ラ・ムーなんちゃらとか言う、ふざけた名前のボ爺さんを殺しに行くんですよ。 そんなの当たり前田のクラッカーに決まってるじゃないですか」
「バカ! 無茶な事はやめろっ! あの親父殿すら勝てなかったんだぞ! 一人で行くなんて、無謀過ぎる! 」
山村は怒鳴りながら、再び庇の下の楠瀬の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですよ。 なんせ、僕は呪殺王子ですからね。 山村さんは、構わず火葬場に行ってください。 僕は一人で大丈夫です。 ですです。 あ、でもその前にコンビニでエナドリ買いますけどね。 知ってます? エナドリって、エナジードリンクの略なんですよ? 最初、僕はなんかの鳥かとお」
「何がエナドリだっ! 頭を冷やせと言ってるんだっ! 仇を取りたいのは、お前だけじゃないんだ! 一人で行くなんて、向こうの思う壷だろうがっ!」
いつものように脱線しそうになる話に怒りを覚えながら、楠瀬の言葉に被せるように山村が口を開く。
「思う壷? それなら壺ごと粉砕してやればいいんですよ。 そして、あの……世の中舐め腐ったボ爺さんに思い知らせてやりますよ。 世の中にはやってはいけない事があるのだと……ですです」
「ふざけるなっ! そんな頭に血が登った状態でどうにかなる相手じゃないだろっ!」
「大丈夫です。 僕は冷静ですよ。 冷静に怒ってます。 山村さんは、怒りを感じないんですか? それって、人としてどうなんですか? 山村さんだって、部長さんにはお世話になってたんでしょ? まぁ、でも山村さんが怒りも感じず、部長さんの仇を取らなくてもいいってんなら、それはそれでその意志を尊重しますよ。 僕は、人に自分の思想を押し付けるような輩とは、一線を画しますので。 でも、その代わりと言ってはなんでずが、山村さんにも僕の意志を尊重して欲しいもんですよ。 ですです」
「……このっ!」
しめやかな場が、突如として始まった呪術部主任とエースのやり取りで、一気に不穏な空気へと変わり、参列者達が息を飲む。
「待ちなさい!」
二人のやり取りに、松井経営企画部長の凛とした声が響く。
その声に、山村は味方を得たとばかりに安堵の息を吐く。
「私も行きます!」
「なっ!?」
松井の思わぬ提案に、山村が絶句する。
「嫌とは言わせません。 道筋は私が立てます」
松井のその泣き腫らし赤くなった目には、強い意志が感じられた。
「松井部長まで……何を言ってるんですか!?」
松井の言葉に、山村が苦言を呈する。 その山村に助け舟を出すかのように、安倍退魔部長が声を挙げる。
「ダメだ! そもそも、静香の未来視は、降りてくるもので、自在にコントロール出来るものじゃないだろう」
安倍の言葉に、山村は再び安堵する。
「よかった! 安倍部長、あんたからもお願いしますよ」
山村が二人を止めるため、声を挙げた安倍に助けを求める。 安倍は、その言葉に白い歯を光らせながら、任せろと言わんばかりにウィンクしながら頷くと、静かに口を開いた。
「だから……行くのは僕だ! 静香、悪いが君は留守番だ」
「ブルータス! お前もかっ!?」
山村の元上司に対する盛大なツッコミが響いた。
「あの……私たちも行きますっ!」
そこに場の空気に後押しされたかのように、参列していた隼部隊の京子が口を開き、隼斗以外の残る三名も追従する。 四人とも、神妙な顔付きだった。
それをキッカケに、あちらこちらで「なら、俺も」「私も行きたい!」などの声が上がり始め、場は混乱を極めた。
その流れに、佐藤営業部長は戸惑い、烏丸生産部長は顎に手をやりながら状況を見守り、伊藤経理部長はメガネを拭き始めた。
「あぁ、もう! みんな落ち着いてくれ! これじゃ、まるで葬式じゃなくて出陣式じゃないか」
「お、山村さんもたまにはいい事言うじゃないですか。 出陣式、いいですね。 まぁ、本当は一人の方がやりやすいんですが、ここは一つ、みんなで出向いて、あのボ爺さんをギャフンと言わせてやりましょう! そうと決まれば、レッツらGOですよ」
「だから、お前は煽るな!」
収拾のつかなくなった場に、疲れきった山村の声が響く。 その声には、どこか諦めめいた響きが見えた。
「なりません!」
そこに、新たな厳しい声が響いた。
黒いパンツスーツに身を包んだ女性、壱与が急ぎ足でこちらに向かってきていた。
「プラーナに向かうのは、許可できません。 皆さん、芦屋呪術部長の最期を優先してください」
そう言って、集団の中に入ってきた壱与に、勢いよく飛び出して、食って掛かったのは意外な人物だった。
「……あなたなら、当代様と壱与様なら、ミッチー……芦屋呪術部長の死が視えてたんじゃないんですかっ!?」
珍しく激昂した松井経営企画部長だった。 壱与に詰め寄る松井は拳を震わせ、唇を噛みしめていた。 抑えていた激情が、堰を切ったように溢れ出す。
「本当なら……芦屋呪術部長の死は……回避出来たんじゃ……」
その声は震え、最後は涙に溺れているようだった。
松井は涙と嗚咽で声を詰まらせながら、壱与の胸ぐらを掴み、壱与は、されるがままに目を伏せた。
「うぅっ……」
松井の怒りに、参列者達は、皆、息を呑み静まり返った。 まるで、先程までの熱が嘘だったかのように……
ただ、シトシトと降る雨音と、松井の啜り泣く声だけが、その場に響いていた。




