何者でもなかった自分が、何かを成し遂げる日
玄関を開けたアファメーション田中は、上気した顔を冷やすため、まっすぐ洗面所へと向かった。
冷たい水で顔を洗い、深く息を吐いてから、鏡を見つめる。
アルコールで赤く火照った頬を見て、少し飲みすぎたことを自覚する。
と同時に、久しぶりに心から楽しめた飲み会だったことを思い出し、自然と顔が綻ぶ。
その笑みをタオルで隠すように、濡れた顔を拭った。
洗面所を出た田中は、冷蔵庫から2リットルのペットボトルを取り出し、グラスにお茶を注ぐと、そのままリビングへ。
テーブルにグラスを置き、安物のソファに身体を沈ませる。
その位置から自然と視界に入る──テレビ脇に置かれた、風呂敷包み。
じっとそれを見つめながら、田中はまたニマニマと笑みを浮かべた。
「……もうじきだ」
ぽつりと漏れた声に気付き、田中は慌てて口を押さえる。
まるで、誰にも聞かれてはいけない言葉をこぼしてしまったかのように──。
風呂敷包みは、崇拝するラ・ムー美樹本から預かったものだった。
フート復活のために必要な霊具──そう言われている。
田中にとって、それは何よりも名誉なことだった。 それは、今日の飲み会のメンバー全員にも言える事だった。
今日は、プラーナの幹部で集まり、来るべき日のために英気を養う、いわゆる幹部飲みだった。
メンバーは、クンダリーニ服部、ライトウォーリア久保、セレンディピティ長田、カルマ播磨に自分を加えた5人だった。
残念ながら、最近まったく連絡が取れなくなったナドゥ桐山と、急に姿を見せなくなったクリスティーヌ滝本は呼べなかったが、今回集まった5人は、ラ・ムー美樹本から、直々にフート名を付けられ、フート復活のための霊具を託される者として選ばれた同志達だった。
しかも、その5人は幹部候補合宿からの付き合いで、気心もしれているものだから、これで盛り上がらない訳がない。
最初は合宿の話で盛り上がった。それは、合宿の最後に行われた儀式の話がメインだった。
その儀式は、一般会員達とラ・ムー美樹本の前で、ナドゥ桐山、クリスティーヌ滝本に罵倒されながら、自分の弱さを涙ながらにさらけ出すというものだった。
情けなさと悔しさで、涙でぐしょぐしょの状態で、最後に弱さを認めた事を皆に拍手され、幹部として認められるのだ。
弱さを認める事は、強さだから。
その儀式の末、ラ・ムー美樹本より、フート名を付けてもらえた、あの時の気持ちは、一生忘れられないと、皆でしんみりと笑った。
「でも、クリスティーヌ滝本……ありゃいい女だよな? あの罵倒……あの豚でも見るような目……忘れられないわぁ。 最近は、包帯であの美貌を見せてくれないけど……まぁ、アレはアレで……少しずつ包帯を解いていくのを想像すると……ぐふふ……いやはや、実にけしからん」
儀式の時以来、ナドゥ桐山を嫌っているクンダリーニ服部が、ゲスな話を振る。 みんな苦笑いだ。 でも、彼が卑猥でゲスな話ばかりするのは、メタボで、決してイケメンとは言えない容姿から、何度も女性に泣かされてきた過去のトラウマから来るものだ。
いわゆる、自己防衛のための虚勢だと皆わかっている。 だから、潔癖で正義感の強いライトウォーリア久保も、本気で怒ることはない。
そのライトウォーリア久保は、いわゆる氷河期世代と呼ばれ、正解のない時代を空気を読みながら、必死に泳いできた世代だった。
就職氷河期の中、「好きなことで生きていく」「自分探しこそが人生」みたいな空気に乗り、気がつけば非正規のまま趣味とバイトを行き来する日々。
40を過ぎても貯金ゼロ、キャリアの蓄積もなく、人生設計など夢のまた夢だったという。
「俺ら世代で上手くやってる奴は、ズルい奴か、流されて生きてるバカかのどちらかさ。 賢く正しい奴ほど、痛い目に合ってるってのが、氷河期世代って奴さ。 俺は、こんな世の中なくなっちまえばいいと思ってんだ。 そして、導くんだ! 俺が! いわゆる再構築って奴さ」
彼はプラーナと出会って、やはり自分は正しかったのだと、確信できたらしい。
「フートが復活したら、我々もクリスティーヌ滝本みたいに覚醒して、忘れていた力に目覚めますよね?」
そう言って笑ったセレンディピティ長田は、交通事故で妻と娘を亡くし、絶望の淵で死にきれずに生きている時に、ラ・ムー美樹本と出会い、その言葉に救われた。
「すべては、フートのために!」
そう言って酒を掲げるのはカルマ播磨。 彼は、売れないストリートミュージシャンで、代表曲は『世界はソレをバカと呼ぶんだぜ!』という曲だ。 あまりに的確に世間を皮肉ったせいで商業化も難しく、痛いところを突かれたアンチ達のせいで、誰も動画を見てくれないと、よく愚痴っている。
飲み会の最後は、フート復活後のそれぞれの夢を語らい合い、大いに盛り上がった。
クンダリーニ服部は、フート復活の暁には、自分だけのハーレムを作ると息巻き、ライトウォーリア久保は、汗を流し働く者ほど報われ、世界中の民が平和に過ごせるユートピアになるよう、指導してみせる、と熱っぽく語った。
セレンディピティ長田は、事故で亡くした妻と娘を蘇生できる能力者を必ず探し出すと涙ぐみ、カルマ播磨は、そんな皆の話を聞きながら、いつもの貼り付けたような笑顔でニコニコと笑っていた。
そして、自分もフート復活により、何も持たぬ者でも何かを成し遂げられるのだという事を知らしめたい、と胸の内を熱く語った。 みんな大きく頷きながら聞いてくれた。
いい飲み会だった。
飲み会の思い出に浸っていた田中は、再び、風呂敷包みを見る。
5人とも霊具を賜り、Xデーの午前0時に指示された場所で霊具を解放する。
その儀式が、フート復活の切っ掛けになる。 日本の土台となっている二匹の龍が解放されるのだ。 フート人の生まれ変わりは、二匹の龍の解放と同時に忘れていた能力に目覚め、生き残ることが出来る。
普通の日本人は、国もろとも海の藻屑となってしまうが仕方ない。 それが運命なのだから。
でも……
でも、もし……自分だけ能力に目覚めなかったら?
高揚した気持ちに一抹の不安が芽生える。
疑うな。
想いの力は、何よりも強い!
それに、信じ抜く者だけが、世界に選ばれるのだから。
なんせ、末期ガン患者が、ガン細胞を退治するイメージを持っただけで完治するのだと、ラ・ムー美樹本も言っていたくらいだ。
田中は、「不安になったら飲むといい」と言われ、ラ・ムー美樹本から渡された錠剤を冷たいお茶で流し込む。
「すべては……フートのために」
不安を拭うように、カルマ播磨が考案した、勇気が出てくる魔法の言葉を呟く。
「……すべては、フートのために」
「すべては、フートのためにッ」
3回ほど呟いたところで、錠剤が効いたのか、魔法の言葉が効いたのかはわからないが、身体の奥から強い勇気が湧いてくるのを感じた。
「すべてはッ! フートのためにッ!!」
最後は、何者でもなかった自分が何かを成し遂げる日をイメージして、高らかに叫んだ。 僕は、世界に歓迎されている ──
「はっ……はぁはっはっはっははは」
自然に混み上がる笑い。
ドン!
じきに滅びゆく哀れな日本人である隣人が、薄い壁を殴る音が響く。 滅びゆくその日まで……せいぜいイキってればいい。
僕は、鳴り止まない壁ドンの音を無視して、しばらく笑い続けた。




