嗤う呪術部長
ぐっ
遅れてやってきた痛みに耐えながら、芦屋は立ち上がる。 左脇腹にもう一つ心臓があるかのように脈打つ激痛が走る。
(この身体じゃあ、飛んだり跳ねたりは無理だ。 時間稼ぎしてトンズラってのは……)
そこまで考えて、作戦を切り替える。
笑みを浮かべ、腕を組んで芦屋の動きを観察しているラ・ムー美樹本を左目で見据える。
逃げる事を諦めた芦屋が選んだのは、目の前で余裕ぶっこいてる男を ── なんとかして追い払うことだった。
そこまで考えて芦屋は苦笑いする。 ぶっ倒す、じゃなくて追い払うか……と。
「……その妖の権能か?」
「さすが呪術部長。 その通り、こいつは自慢の妖でね。 一時期は、コイツを探すために霊能者として活動してたくらいさ。 お金を稼ぎながらね。 そのせいで随分と恨みも買ったもんだ」
まいったと言わんばかりに肩をすくめながら楽しげに話すラ・ムー美樹本。 まるで、恨みを買ったのが不本意だとでも言いたげな口調だ。
「はっ!」
芦屋はその自分勝手な言い分に、吐き捨てるように笑ってみせる。
「恨みを買ってるのは、その霊能者としての活動のせいじゃあねぇよ。 単純に……お前のその歪んだ性格のせいに違いねぇぜ」
芦屋は、会話をしながら蜘蛛丸の様子を窺う。 現状、ラ・ムー美樹本を倒せるとしたら、蜘蛛丸を使った作戦くらいしか思いつかない。
そして、それくらいの作戦を成功させて、ようやくラ・ムー美樹本を追い払えるのだろう ── と、芦屋は考えていた。
なんだ、結局、倒すことを考えなきゃいけないじゃないか……と、覚悟を決める。
「私が歪んでる? 面白いこと言うね、芦屋君は。こんなに素直な人間は、そうそういないと思うんだけどね」
芦屋の思惑を知ってか知らずか、心底楽しそうに笑うラ・ムー美樹本。 芦屋はそれを無視して、両手の二本指を立てる。 今はまだ蜘蛛丸が動く事は悟らせてはならない。
「お、まだやる気かい? それとも、逃げるための時間稼ぎかな?」
相変わらずの余裕っぷりを見せるラ・ムー美樹本を無視して、大きく息を吸う。
脂汗を額に浮かべた芦屋は、「ぐおぉっ」と声を出し、左右の手で同時に素早く、"九字"を切る。
「ぐっ、まだだ」
2つの"九字"を二回、計四つの"九字"を作成。
「……がっかりだな。 もう飽きたよ。 それ」
ラ・ムー美樹本の背後の黒い影が、芦屋に向かって滑るように迫る。
「……させっかよぉ!」
芦屋は、迫る黒い影に対して、歯を喰いしばると、四つの"九字"を縦列に並べ、強引にラ・ムー美樹本の元まで一気に押しやる。
押し切ったところで、四方に展開される"九字"が、ラ・ムー美樹本を囲む。
「……意地だねぇ。 網の次は檻のつもりかな? だが、切断も付与されてない、ただの"九字"なんて……」
芦屋の目に、ラ・ムー美樹本の背後に迫る小さな白い影が見えた。
「むっ……」
ラ・ムー美樹本が素早く手刀を叩き込もうとするも、白い影 ── 蜘蛛丸は"九字"に糸を絡めて、空中で軌道を変える。 黒い妖も、その手を蜘蛛丸に伸ばすも、"九字"を足場や糸の起点にして跳び回る蜘蛛丸。
縦横無尽。
"九字"の檻の中で、トリッキーな動きで立体的な蜘蛛の巣を作り上げていく。 黒い影とラ・ムー美樹本を雁字搦めに縛りながら。
「……くっ」
この戦いで初めて焦りを見せるラ・ムー美樹本。
「へっ、蜘蛛丸地獄へようこそってな」
芦屋は痛みに耐えながら、ヘラっと笑ってみせる。 少しでも余裕があるように見せるために……
(さぁ蜘蛛丸、その自慢の毒牙を叩き込んでやれ……)
ジャリ。
蜘蛛丸の前脚が身動きの取れないラ・ムー美樹本に掛かった瞬間、何者かの足音が響く。
「あん?」
芦屋が怪訝に思いながら見ると、そこには柊 隼斗以外の隼部隊四名の姿があった。
「芦屋部長、特殊妖魔討伐部隊、副隊長以下四名、助太刀に来ました!」
除厄式でいいところのなかった四名。 名誉挽回と言わんばかりに隼部隊の副隊長、山田が緊迫した表情で口を開く。 芦屋がラ・ムー美樹本を見ると、その口はゆっくりと歪み笑みを作った。
その笑みを見て、芦屋は山村が『岸壁の京子』と呼んでいる女性がいるのに気付く。 真空刃の符を得意とする女性が……
(おいおい、自分の符の暴発で仲間三人が殺られたら、── トラウマなんてもんじゃねぇぞ)
傷の痛みを忘れ四人の元へ走る芦屋。 世界はスローモーションになり、音を置き去りにする。 芦屋は、仲間三人と京子の間に身体を入れる。
「何しに来やがっ……」
その瞬間、芦屋の予想通りに京子のポケットから、無数の真空刃が飛び出す。
その真空刃のすべてが、芦屋に襲いかかった。
「ごふっ……」
「あ……あ……そんな」
パニックになりかけているように見える京子を傷だらけの芦屋が睨みつける。
「馬鹿野郎っ! てめぇの符なんか効くかよっ! こいつはアイツの攻撃のせいだっ! わかったら、さっさと逃げろっ! てめぇら、邪魔なんだよっ! 行かねぇなら俺がおめぇらを殺すぞっ!」
芦屋は自分の限界を悟らせないよう、一気に捲し立てる。
「す、すいませんでしたっ!」
傷だらけの身体と充血した左目で、口から血を飛ばしながら怒鳴る芦屋の迫力に押され、山田は京子を引っ張るように去っていく。
ごっ。
去っていく四人の背中を見ながら、芦屋は血溜まりの中に膝をつく。
パチパチパチ
不意に響く拍手。
「いやぁ、不運だねぇ。 わざわざ邪魔しにくるお仲間がいるなんて……。 これだから、仲間って奴は。 やっぱり、必要なのは"駒"だよね。 仲間なんて訳わかんないものじゃなくてさ」
ゆっくりと振り向くと、すでに"九字"の檻から脱出していたラ・ムー美樹本。 蜘蛛丸を見ると、芦屋からの霊力の供給が切れたせいで、その動きを止めていた。
「……蜘蛛……丸」
芦屋の身体が仰向けに、ゆっくりと地面に倒れ込む。
「いやぁ、やっぱり君は素晴らしいよ。 あの蜘蛛型の式神も。 蜘蛛丸地獄だっけ? 正直、かなり危なかったよ。 彼らがいなかったらアウトだったね。 でも残念。 Xデーを前に、君を潰せたのは僥倖だったよ。 私以外で君に勝てそうなのはいないからね」
「……Xデー。 テロ……かよ」
「そうそう、でもただのテロじゃないよ? 素人集めてもたかが知れてるからね。 呪殺テロさ」
勝ちを確信したのか、より一層、饒舌になるラ・ムー美樹本。
「私を盲信する信者を生贄にした"呪い"さ。 公安だけじゃ対処できないようにね。 悪いけど、"呪"の結び直しに集中はさせないよ」
(バカが……ベラベラ喋りやがって)
芦屋が、経営企画部に送った小型の式神は、芦屋が『阿型』と名付けた式神だった。 芦屋の懐に隠し持っている『吽型』の小型式神と対になっており、こちらの音声は経営企画部長……松井の元へと届いているはずだった。
(あとは……頼んだぜ、静香、拓海。 祝杯は……お預けだな)
しかし、おもしろくねぇぜ、と芦屋は最後の力を振り絞る。 血が流れ過ぎてるせいか、ひどく寒さを感じる。 ガチガチと歯を鳴らしながら、芦屋は口を開く。
「…………延厄式も……来たんだってな? 未来が視えねぇ……て」
「ん? あぁ、壱与と卑弥呼、あと楠瀬君に邪魔されたけどね」
「へっ……ずっと、考えて……たんだが、さっき言ってた、未来が視えないから……ごふっ……来たってよぉ」
「それがどうかしたかい?」
虫の息の芦屋を見ながら、余裕の笑みを浮かべるラ・ムー美樹本。
「あれな……冗談めかしてたけど……本音だろ?」
「さぁ、どうかな?」
「……いたよ。 お前みたいなの。 ……攻略本がねぇとゲームも出来ねぇ……頭でっかちな秀才君。 はっ……そんなに不安かよ? 大物ぶってるくせに……」
「……黙れ」
「そんなに……怖ぇかよ。 未来……」
「……黙れと言っている」
見上げる青い空に『山』の未来を背負う、先程の四名の姿と楠瀬が浮かぶ。
(未来は……希望に満ちてるってのによ……)
「へっ、図星かよ。 ダッ……セ……」
「うるさいっ! 黙れっ!」
珍しく感情的に声を荒らげるラ・ムー美樹本。 それに呼応するように黒い影が蠢く。
だが、すでに芦屋の左目は光を失っていた。
「クソっ。 クソっ! なんなんだ、この感情は……」
ラ・ムー美樹本は、やり場のない怒りを吐き出すかのように、もう動くことのない芦屋を足蹴にする。
「……スッキリしないじゃないか」
ラ・ムー美樹本はそう呟きながら、空を仰ぎ ── 黒い本をパタンと閉じた。
宗の章 完
宗の章、いかがだったでしょうか?
閑話を挟んで、いよいよ最終章に突入です。
最終章は、少し長くなると思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
もし良ければ、好きなキャラ・章を教えてください。
感想待ってます。




