今のは30%だ
「 ── あなた、鹿山 臨太郎君で間違いないですよね?」
── 誰?
松尾は押し寄せる言葉の波に、目眩を覚える。 まるで、言葉の一つ一つに"呪"が乗っているかのように……
「……何? このおポンチ野郎は」
包帯の狂人、クリスティーヌ滝本が、その場の代弁者かのように呟く。
「…………あれ? 僕に言ってます? おかしいな。 今は僕のターンのはずなんだけど……おっと、違うな。違いました。 今は、彼のターンですよ、包帯のお姉さん。 僕は彼に訊ねました。 『鹿山 臨太郎君ですか?』と。 そうですよね? そこの彼と一緒に転がっているお姉さん。 僕は間違ってないですよね? なので、包帯のお姉さん。 ちょっと黙っててもらっていいですか? あぁ、わかります。 もちろんわかってますよ。 喋りたいですよね? でも、そこをグッと堪えて……」
言いながら部屋に入ってくる青年。 黒いボサボサの無造作ヘア(寝癖)に、上下黒のスウェット。 なぜか右手をダラりと下ろした不自然な姿勢で部屋に入ってくる。
「黙れ」
青年の言葉を遮るように、クリスティーヌ滝本が口を開く。闖入者の登場で、少し落ち着いたのか、その声は平坦だった。
クリスティーヌ滝本の言葉に反応するように、宙に浮遊していた細かい炎が一箇所にズイっと集まると、青年へと向かった。
「「危ない!」」
臨太郎と松尾が、同時に叫ぶ。
「あぁ、大丈夫ですよ。 落ち着いてください。 ただ、いい加減、鹿山 臨太郎君かどうか知りたいんですが。 答えはCMの後、とかそういう引っ張り方ですかね? でも、僕、トイレ行く時はCM中と決めてますので、席を外したくなるんですが。 まぁ、でも、今の僕の尿意は、せいぜい30%程ですのでご安心ください。 あ、待ってください! そうそう、僕、敵キャラとかに向かって、『今のは30%だ』とか、カッコよく決めたかったんですよ。 あ、でも、その内容が尿意ってのは、知られないようにしないとですね」
青年が訳の分からない事を言っている間に、ソフトボール大の炎の玉が青年に当たる寸前に、砕け散り消滅した。
その光景を見て、松尾は息を飲む。
結界? しかも、かなりの練度だ、と。
「う~ん、どうも聞く人を間違えましたかね? ひょっとして、鹿山 臨太郎君ではなかった? ってことで」
「鹿山! 鹿山 臨太郎です! どなたかわかりませんが、助けてください!」
青年が話し始めたたところで、臨太郎が全力で止める。
「あ、やっぱりですよね。 もちろん、僕はわかってましたよ。 そして、申し遅れました。 僕は楠瀬 海月というものでして、一ノ瀬君と臨太郎君の親友です。 『山』の呪術部で……。 あぁ、間違えました。 こういう時はこう言えって、部長さんから言われてたんでした。
『山』の方から来ました、てね。
というわけで、僕は『山』の方から来た、しがない呪術師でして、"刺し"専門でやってます。 あ、"刺し"ってのは、呪殺の事でして、解呪のことを"抜き"って言うみたいなんですよね。
失礼、話がズレましたね。 一ノ瀬君から臨太郎君を助けて欲しいと言われて来たんです」
親友という言葉に、臨太郎が混乱する。
「今、私の炎に……何をした?」
「鹿山 臨太郎君ってことがわかったところで、さっそく行きましょう」
クリスティーヌ滝本を完全に無視して、楠瀬が一歩踏み出す。 その瞬間、フワリと浮かぶ備品達。 そして、その備品が置かれていたスチール製の棚も。
「危ないっ!」
さっきの炎と違い、物量で攻めるクリスティーヌ滝本の念動力。 今度こそ──と、松尾は焦りを覚える。
「だから、大丈夫ですって。 ほら」
そう言って、青年はダラりと下ろしていた右手を松尾に見せつけるように掲げる。 その人差し指に中指が交差している。
えんがちょ?
松尾は言葉を失った。
『縁がちょんぎれる』
その語源からも明らかだが、元は穢れを寄せ付けないようにする魔除けではある。
ではあるのだが、その効能は気休め程度。 現に今では子供達の遊びで使われる程度のものなのだ。 そんなもので、自信満々に大丈夫と口にする楠瀬という青年。
松尾は、不思議の国に迷い込んでしまったのではないかと混乱する。
備品と棚が怒涛の勢いで楠瀬に迫る── が、まるで見えない壁に弾かれたように、目の前でバウンドしながら落下した。
金属音が乱反射し、空気の密度だけがそこだけ異なるようだった。
舞い上がった埃の中で、何事もないように楠瀬は口を開く。
「そう見ての通り、『バリア』です。 バリア中の僕は無敵です。 そりゃあもう、スター状態の配管工ってなもんですよ。 でも、『山』にいって驚きました。 いろんな地方から来ている人達によれば、『えんがちょ』って言葉の方がメジャーなんですよね? でも、かっこ悪いじゃないですか?
『えんがちょ』 悪ふざけみたいな響きですよね?
だから、僕は地元で使っていた、洗練された響きの『バリア』という言葉を使わせてもらっています。 ふふ、僕のセンス、褒めてくれてもいいんですよ?
あ、でもこないだ、ボ爺さんと戦った時は『バリア』すら貼らせて貰えなかったんですよね。 ホント、厄介なボ爺さんですよ」
言葉の意味はだいたいわかるが、何を言っているのかわからない。 松尾の頭の中でハテナが大量に浮かぶ。
ただ、一つ言えることは、こんな馬鹿げた『えんがちょ』ですら警戒したというボ爺さんとやらが、ただ者ではないだろうということだった。
楠瀬と名乗る人物は、そうだ、と言って、右手で『えんがちょ』を掲げ、左手でビシッとクリスティーヌ滝本を指刺した。
「……今のは30%だ」
その顔は、 ── 完璧なドヤ顔だった。




